第16話 玲貴妃と才貴妃
晶国に来てから1ヶ月が経った。いつものごとく朝食が終わって、食事の片付けをしていると初めて玲貴妃と才貴妃からエレノアにお茶の誘いが来た。
エレノアは乗り気ではなかったが、他の妃と仲良くしておくことはきっとエレノアの役に立つだろうと、ルカはどうにかエレノアをなだめすかして二人のいる宮へ向かった。
二人の顔をあまり覚えていなかったルカは、しっかり顔を覚えなくてはとエレノアの後ろからこっそり盗み見る。
玲貴妃は黒髪に黒い瞳で20歳ほどの年齢のように感じる。華露皇貴妃に比べると、目立つ容姿ではない。
才貴妃は茶色の髪に青い瞳をしていて、やはり20歳ほどだろう。少し垂れた大きな目が特徴で、おっとりとした所作と話し方は、はきはきとしゃべる玲貴妃とは正反対だ。
「ようこそ、エレノア王女」
「お呼び下さりありがとうございます」
「さぁ、座って。美味しいお菓子があるのよ。一緒に食べましょう?」
ルカが通訳をすると、身構えていたエレノアは穏やかな才貴妃の言葉に、少し拍子抜けしたような表情をしてから椅子に座った。
「ホントはもっと早く呼びたかったのだけど、華露皇貴妃様がだめだって言って、止められていたの。ごめんなさいね」
「いえ……」
玲貴妃はそう言うと、テーブルの上にあるお茶を入れてくれる。茶碗の中に大きな花が開いて、ルカはその美しさに目を奪われた。
「華露皇貴妃様から無理難題を押し付けられているんですって? 大変ねぇ」
「魔物の世話というのは、意味のあることなのでしょうか?」
「そうねぇ。あるといえばあるけど、絶対ではないと思うわ」
才貴妃はゆったりとお茶を飲みながら答える。それからなぜかルカを見てにこりと笑った。
「あの方はいつもああなのよ。災難ね」
「ちょっと意地悪なのよねぇ」
「思羅皇后様もあの性格には手を焼いているのよ」
「皇后様……。あの、まだわたくし、皇后様にお会いしていないのですが」
エレノアが質問すると、玲貴妃は「ああ、そうだったわね」と頷く。
「思羅皇后様は身体が弱くていらっしゃるから、いつも奥宮にいるの。もう随分こちらには出て来ていないわ」
「だから華露皇貴妃様があれだけ強気でいられるのよ。いやねぇ」
「華露皇貴妃様はいつか皇后になろうと画策しているのよ。なれっこないのに」
玲貴妃の言葉にエレノアがぴくりと反応した。
「皇后になろうと……。そんな大それたこと」
「母上! お客様ですか?」
エレノアの言葉に突然割って入った高い声に、ルカは驚いて振り返った。
部屋に入ってきた小さな女の子が、才貴妃に走り寄ったと思ったらそのまま膝に抱きつく。
「そうよ。エクール王国から来たエレノア王女よ。ご挨拶して」
「えっと、寧々(ねね)です」
5歳ほどの女の子は才貴妃によく似た大きな目が愛らしい少女で、小さな頭を下げるとにこりと笑って挨拶をした。
「まぁ、可愛い。才貴妃様のお子様ですか?」
「そうよ」
「陛下のお子様は何人いらっしゃるんですか?」
「華露皇貴妃様が産んだ亜那姫と、思羅皇后様の産んだ世羅王子がいるわね」
「でも、世羅王子は思羅皇后様に似て身体が弱いのよね。しばらく姿を見ていないわ」
「ふぅん……」
エレノアが小さく頷くのを、ルカは何となく嫌な予感を覚えながら見た。あの目は何か良からぬことを考えている時の目だ。
(変なことを考えてなければいいけど……)
ルカがそんなことを考えていると、ふと寧々姫と目が合った。にこりと笑ってそばに来ると、手を握られる。
「あのね、美味しいお菓子、ほしいの」
「お菓子?」
寧々姫は可愛く首を傾げて言ってくる。近くで見る柔らかい茶色の髪はふわふわしていて、つい撫でたくなる印象だ。
「前にくれたでしょ? エクール王国から持ってきたお菓子よ。あれを寧々は大層気に入ってね」
「ああ、そうだったのですね。なら、またお作りして持って参ります」
「あなたが作れるの?」
「はい。才貴妃様にも玲貴妃様にもお持ち致します」
「あら、本当? 楽しみだわ」
才貴妃と玲貴妃は二人で目を合わせると、嬉しげに笑い合う。
これ以上しゃべってはエレノアに怒られてしまうかと、ルカは控え目に笑顔を作ると静かに口を閉じた。
しばらく何でもない雑談が続き、ルカも穏便に通訳をしていたのだが、玲貴妃が「そうだわ」と手を叩いた。
「ねぇ、エレノア王女。あなた赤棘の実を取ってきてちょうだいな」
「なんですか、それは」
「あら、エクール王国にはないの。あちらの庭に咲いている花の実よ。ちょうど食べ頃なの。真っ赤だからすぐ分かるわ。とっても美味しいから、皆で食べましょう」
「なんで、わたくしが」
「分かりました! すぐ取って参ります!」
エレノアが眉間に皺を寄せて文句を言おうとするのを、ルカはすかさず阻止すると、エレノアの腕を引っ張って立たせた。
「ちょっと! ルカ! なんなのよ!?」
「ここは素直に従いましょう。せっかく仲良くなってきたんですから!」
小声でルカがそう言うと、エレノアは足を止めようとする。
「エレノア様! 果実を取ってくるぐらい簡単なことです。大丈夫ですから!」
嫌がるエレノアを引っ張って部屋を出ると、ルカは強引に庭へと連れて行く。
敵ばかり作ろうとするエレノアを助けるつもりはないが、そうするとルカの仕事が増える一方だ。それを避けるためには、どうにか味方を作っておきたいのだ。
暖かい光が差し込む広い庭には、確かに赤い実を付けた腰高ほどの木があった。
「ありましたよ、エレノア様!」
「仕方ないわね……。なんだかイチゴみたいな実ね。確かに美味しそう」
木に実っている赤い実は、真ん丸のイチゴのようで、いかにも美味しそうな見た目だ。それを見てエレノアも少し機嫌を直したのか、赤い実を取ろうと手を伸ばした。
「痛い!」
エレノアが果実を指先で摘んだ瞬間、小さく声を上げた。ルカは同じように摘もうとしていた手を引っ込めてエレノアを見る。
「どうされました!?」
「なによこれ!?」
エレノアは顔を顰めながら、右手を左手でさすっている。怪我でもしたのかとその手を取ってみるが、指先は何もなっていない。
「棘でもあったのですか?」
「分からないわよ! とにかくすごく指が痛かったの!」
嘘を吐いているようには見えなかったルカは、恐る恐る果実に触れた。その途端、ピリッとした痛みが指先に走り、驚いて手を引っ込める。
「痛……。なんですかね、これ……、棘でもないし……」
「こんなのどうやって摘めって言うのよ!!」
目を吊り上げて怒るエレノアを見ながら、ルカはもしかしてこれは二人の意地悪なんじゃないかと考えていると、エレノアがこちらを睨み付けてきているのに気付いた。
「全部あなたが摘みなさい! もとはと言えばあなたがやるって言ったんだから!!」
エレノアの言葉に、確かにこれは自分が蒔いた種だとルカは自分を恨みつつ、痛みをこらえて果実を摘みだした。




