第12話 嵐との会話
「あ、ルカ」
「嵐、どうしたの?」
廊下をきょろきょろと見回しながら近付いてくる嵐に声を掛けると、嵐がこちらの手元に視線を止めた。
「あ、なんだ。そこにいたのか」
「てんてんを探していたの?」
「てんてん?」
目の前まで来て足を止めた嵐は、ルカの名前に首を傾げる。
「黒い点が転がってるみたいだから、点転。可愛い響きでしょ?」
そうルカが説明した途端、嵐は目を丸くし、それから声を上げて楽しげに笑い出した。
「え? だめだった?」
「違う違う! いやぁ、すごいぴったりの名前だと思ってさ」
嵐の反応に慌てて聞くが、嵐は笑いながら首を振る。
それからルカの腕に抱かれているてんてんに手を伸ばすと、大きな手でわしゃわしゃと撫でた。
「良い名前を貰ったじゃないか。しばらくそれでいいんじゃないか? なぁ、てんてん」
「あ、やっぱりちゃんと名前があるのね? 勝手に名前付けちゃってごめん」
「いいさ。こいつにはまだ“てんてん”の方が似合ってるかも。本人も気に入ってるようだし、謝るようなことじゃないさ」
嵐はやっと笑いを収める。気を悪くしたような様子ではないことにホッとしたルカは、そういえばと嵐に質問をした。
「ねぇ、この子は魔物よね?」
「ああ。黒雷尾という魔物だよ。こいつはその子どもだな。ここに住んでる」
「じゃあ、他にいた大きな子たちや、もこもこの子たちも、皆その黒雷尾なのね」
「あれ、会ったことあるんだ?」
「うん。日向ぼっこしてるのを見たわ」
「そっか……。そういえば、ルカはここでなにしてるんだ?」
ふと嵐が聞いてきて、ルカはどうしようかと思ったが隠さずに話すことにした。
「エレノア様を怒らせちゃって……。罰として立たされてるの」
「ええ?」
驚く嵐に、ルカは少し情けなくて乾いた笑いを漏らす。
「なんかヘマしちゃったのか?」
「さっき陛下がエレノア様に会いにきたんだけど、ちょっと私がしゃべっちゃって……。通訳のくせに、私がしゃべってどうするのよね」
「自分から話し掛けたのか?」
「ううん。陛下が通訳を褒めてくれて……」
「じゃあ、ルカが悪い訳じゃないじゃないか」
「うーん……」
嵐の言葉にルカは困ったように首を傾げる。そう言ってくれるのはとても嬉しいけれど、やはり自分にも悪い点はあった。
あの場でもっと控えめにしていれば、皇帝に声を掛けられることはなかったのだから。
「ルカはずっとエレノア王女の侍女をしていたのか?」
「違うわ。私はこれでも貴族の娘なの。こちらには侍女として来たけど、本当はエレノア様のおしゃべり相手というだけよ」
「え!?」
驚く嵐に笑い掛けて、ルカは続ける。
「私、貴族といっても貧乏でね。エレノア様に取り入ろうとしてそばにいたの。だけど私の婚約が決まって、それで不興を買ってしまって、侍女にさせられたの」
「じゃあ、無理矢理ここに?」
「まぁ、そうなるかな」
「そっか……。それは辛いな」
嵐の優しい声にルカは微笑む。初めて自分の境遇に同情し共感してくれる人が現れて、とても嬉しく感じた。
たったこれだけの会話だったけれど、内に抱え込んできた言葉を吐き出したルカは、少しだけすっきりした。
「辛かったわ。でもね、私、来て良かったかもって少し思うようになってきてるの」
「自分の意思で来た訳じゃないのにか?」
「うん。あのまま国にいたら、ただ親の決めた男性と結婚してた。それでも幸せだと思っていたけど、その人は私が思ってるほど良い人じゃなかった。父も婚約者も、私を大切に想ってはくれてはいなかった。そんな人たちを喜ばせるためだけに生きていきたくない」
「でもエレノア王女の侍女の仕事は大変なんじゃないか?」
心配そうな嵐の表情に、ルカは小さく頷く。
「そうね。エレノア様のお世話は大変だけど、なんだか今は少し楽しく感じ始めているの」
「楽しい?」
「うん。きっと私、国にいる女の子たちが誰も体験していないことを体験してる。そう考えるとなんだか楽しいの」
てんてんを撫でながらそう言うと、嵐は「ふーん」と感心したように頷いた。
「ルカはなかなかたくましいんだな」
「あら、女の子に“たくましい”はないんじゃない?」
「あ、ごめん」
咄嗟に謝る嵐にルカはクスクスと笑いを漏らす。嵐も釣られるように笑うと、二人は目を合わせて少しの間笑い合った。
「大丈夫そうだな」
「心配してくれてありがと」
「あ、そうだ。ちょっと待ってな」
嵐は何かを思いついたのか、そう言うと廊下を走って行った。そうしてすぐに戻ってくると、手に持っていた外套をルカの肩に掛けてくれる。
「俺から言ってお仕置きが終わればいいけど」
「うーん、嬉しいけど、嵐が言ったところでエレノア様は気持ちを変えるような人じゃないわ」
「だよなぁ。これでどうにか凌げるか?」
嵐が持ってきてくれた外套はとても暖かくて、手で撫でてみるととても肌触りが良い。ルカは嵐の優しさに笑みを深くすると大きく頷いた。
「あったかい……。これで十分よ。それにてんてんを抱っこしてると、とってもあったかいの。だから平気よ」
腕の中で大人しくしているてんてんを見て、嵐は「そうか」と頷く。
「それにしても、随分懐いたもんだな」
「てんてんは嵐がお世話をしているの?」
「うん。人見知りだから今まで誰にも懐かなかったのに」
「そうなの?」
最初からまったくそんな素振りもなかったので、てっきり人懐こい子なのかと思っていた。てんてんを顔の前まで持ち上げると、眠くなってしまったのか大きなあくびをして見せる。
「てんてん、ルカの邪魔するなよ」
もう一度大きな手でてんてんの頭を撫でた嵐は、「頑張れよ」と言い置いてその場をあとにした。
静かになった廊下で、ルカはなんとなく嵐が去っていった方を見つめ続ける。優しい嵐の言葉と笑顔にとても励まされた。
「てんてん、嵐ってとっても良い人ね」
ルカの言葉に、眠っていたと思っていたてんてんが返事のように元気よく「キャン!」と鳴き声を上げる。
その声がまるで同意のように感じられて、ルカはまた微笑んだ。




