【17.隠者】
「東」
女が呟いた。
「見えた。これは好都合。魔界にいるとは」
女がクスクスと笑い出した。
「当主殿をお呼びたてせよ。いい報せだと」
女は使いを出し、一人になって更に呟く。
「よき程に育たれている。この時を待ちわびたわ」
アルビナスは眠るラフィンをつくづく見下ろす。
墜落した時から普通ではなかったのだ。
通常の人間は魔界の気に触れて気が狂うことが多い。
確かに全員ではない。人間によっては悪魔との契約を交わし、その力を使う者もおり、必ずしも人間が侵食されるとは限らない。
しかしである。
仮にもアルビナスは魔界で4人のみの伯爵の一人。
魔力で言えば、アルビナス程の実力者が他にいると言っても、やはり伯爵であるアルビナスが優勢。そして絶対的上位にいるのは、魔帝王サタンただ一人である。
それ程の魔物と対峙し、その陵辱まで受けても正気であるというのは尋常ではない。
「得体の知れぬ者」
ラフィンの顔から髪を撫でる。
魔界に来て一段と金の髪が光り輝く。
際立って美しい髪だと思ってはいたが、その有様はどんどん強烈になっている気がする。
「何かがいたのか。入ってきたのか」
器は人間と言うのが最も適切だ。
だがその内なる力はどうだ。
アルビナスは一人で苦笑した。
「俺を超えている」
認めがたい力を少なくとも3度、ラフィンの近くで発現した。
鏡の修繕とデュクック暗殺。ノズの滅失とサタンの出現。イカウとの入れ替わりと冥界妃の眼差し。
「もう一つあったな」
アルビナスはラフィンの髪から再び頬に手を戻す。軽く唇にキスした。
ふと顔を上げた。
「まったく」
苦笑のアルビナス。
「丁度良くお越しになるあたりも、お前の器量か?」
ラフィンの頬をもう一度撫でた。
ドアの外に気配を感じ、部屋を出る。
ビルフォが控えていた。同じことに気づいているのだ。
「お前も来い。久々だ。ご挨拶を」
「危うく見逃すところでした。気配の消し方が相変わらずうまい方です」
「お前もご教授願ってはどうだ?隠密活動の為に。俺は無縁だが」
「必要とあらば」
「必要だ。東はまだまだ安定しておらん」
ビルフォの肩を叩く。
「頼れるものが少ない。俺は」
「統治が済んだところです。当然です」
「そういうことにしておく」
マルチーズ犬を二本足で歩かせた様な風貌の魔物が中庭にいる。
アルビナスが服装を整えながら回廊を歩いてきた。ビルフォが追随する。
「相変わらずですな。気配を感じた時にはいつもここにいらっしゃる」
声を掛けられ魔物は振り返った。
「すまんな。目立つと色々煩わしいからの。気ままが一番」
「構いませぬ。いついらして頂いても歓迎です」
「動乱も一息ついた頃と思うてな。様子を見がてら」
アルビナスが側まで来る。
「真にお久しゅうございます。ユピ様」
アルビナスが膝を折った。
「ルクシスト隠居の時以来か。町の様子はなかなか活気があって前治世に劣らぬ栄えぶり」
「父の後釜なればこそ。一時避難していた者共が戻ってきているのでしょう」
「戻る気にさせたのだからさすがと言えような」
ユピが微笑む。
「ビルフォも健在で何より」
「お久しゅうございます」
「うん。ルクシストの時は下っ端のちょっと上、位だったか。随分腕を上げたようだの」
「まだまだで」
「謙遜するな。アルビナスの護衛であろう?腕が立つという噂は聞いておる」
「噂程度にはなるよう、鍛錬いたします」
歩き始めたユピの後ろをアルビナスがついていく。
「実は近々ユピ様と面会できればと画策しておりました」
「ほう」
「行方を探しに出したところでしたが手がかりはなく。どちらへ?」
「最近まで人間界に足を向けておっての。わしの消息など追うのは難しかろう」
「人間界」
「ああ、噂の娘の事やらの。これでも色々やることがあってな」
ユピは空を仰いだ。
「南塔に移られたのですな」
ユピが何かの気配を追う。
「新たに離れも増築ですか?」
「はい」
アルビナスがユピを伺う。
「お見通しでいらっしゃるのでしょう?」
「あのドラキュレの姫君にケンカを売ったとか?随分噂になっておった」
アルビナスはユピと歩き出す。
「美しい人間だと聞き及んだぞ」
「・・・」
アルビナスが無言で微笑む。
「ホホ。おぬしが気に入るとはどういった美しさであろうな」
ユピも笑顔で呟いた。
「エルル殿でも美しさでお前を捕えられなかったものを」
「捕えているのはこちらです」
「そうであればよいがの」
アルビナスから目を逸らし空を見上げる。
「お前はルクシストによく似ておるからな。安心はできぬ」
「父上に?」
「物珍しいものに魅かれやすい」
アルビナスは吹き出した。
「確かに。父の所業は前代未聞の出来事だったと聞いております」
「それも殆ど一目惚れの電撃結婚。性質の悪いことであった」
「そうでしょうな」
「そうだとも。あの様な御方を手に入れてしまうとは」
「私は父上に遠く及びませぬ。たかだか人間の小娘ですから」
「ほう?惚れておるのは認めるか?」
はっとアルビナスはユピを見た。
「お前の性格は読めておるよ。自室に囲い込んでおいて遊びはないだろう?」
ユピはにこにこアルビナスを見上げた。
「たかが人間とは巷の通説。わしは何の為に探されていたのかな?」
「ユピ様」
ユピが先をまた歩く。
「やはりルクシストにそっくりじゃよ。美しく気高く厄介な女性が好みなあたりな」
ラフィンは目を覚ました。
誰もいない部屋。
しかし外しておいたはずのアルビナスの指輪がしっかり嵌め込まれていた。
「アルビナス?」
新しい衣装が置かれている。
裸のままなのは昨夜と同様だが、確かに何もされていなかった。
その事がラフィンを妙な気分にさせた。
約束を守られた事と求められなかった事。
何となくどちらもアルビナスを恋しく思わせた。
ラフィンはアルビナスを探しにベッドを出た。
ラフィンが訝しげに階段を降りてくる。
さっきから指輪に先導されていた。
アルビナスの指輪が寄り道を許さず、着実に進むべき方向のドアだけ開けていく。
「あ」
ラフィンは広い食堂のテーブルにアルビナスを見つけた。
そして自分用の食事も見つける。
それからだ。椅子に埋もれている何かの耳を発見した。
ラフィンが向かいのその椅子を覗き込む。
ようやく耳の主の顔が見えて目が合った。
「こんにちは」
挨拶されてラフィンも慌てて挨拶する。
「こんにちは」
自分の腰辺りまでの大きさの為、腰を屈めるラフィン。
「貴方はどちら様?」
ユピは目を細めた。
「ユピと申します」
きちんと挨拶されてラフィンも姿勢を整えた。
「ラフィンと申します」
魔界で初めて挨拶をした気分だ。
「アルビナス。この方は一体どういった方なの?」
アルビナスが苦笑するのとユピがゆっくり笑うのが一緒になった。
「東の伯爵、この城の当主を呼び捨てにされますか。これは確かに肝の据わった御方だ」
「そのくせ不思議とユピ様の威厳はわかっている。こいつの厄介な所ですよ」
ユピに促され、ラフィンもテーブルについた。
「ユピ様は私に御用があるのですか?」
「わかりますか?」
「いえ。ごめんなさい。何となく」
ユピはラフィンからアルビナスに目を移す。
「確かに美しい娘さんじゃな。アルビナスは何処でこんな美人さんを見つけてくる?」
「勝手に落ちてきまして」
ラフィンに食事を促すユピ。
「魔界での暮しは不自由でしょう?特に食べ物に困られるはずだ。人間界は食物が豊かに育つ。こちらは強者が弱者を食料とみなすのが基本だからの。いわば共食いじゃ」
「そうですね」
手元の練り物から口を外す。
「ホホ。怖がらせるつもりはない。共食いになるような物は一切出させていない」
ユピがアルビナスに向いた。
「の?アルビナス。手間をかけて貴重な食べ物を手に入れておるの?」
「イカウがうまくやっているでしょう」
「そうじゃな。お前の信用厚い側仕えに任せてある」
ユピの微笑みにラフィンも微笑む。
「うむ。綺麗な笑顔じゃ。殺風景な東の城が華やぐ」
「そんな事」
ラフィンが照れて俯く。
「この城は先代から女主人に恵まれておらぬから、装飾や彩といったものが皆無でな」
「そうですよね。吸血一族の宴の席など華やかでした」
「そうであろうの。あちらは正妻から妾妻まで10数名おられる。趣味も競い合っていらっしゃるからの。そこの姫と派手に喧嘩をしたらしいのう」
ラフィンが真っ赤になった。
「噂になっているの?」
アルビナスに問う。
「今更自分のしでかした騒動の大きさに気づいたか?」
「なに、人間界まで聞こえてはおらぬよ。もっぱら赤き月の娘の話だけで」
ラフィンがそう言うユピを見つめた。
「安心なさい。人間を襲うことなど有得ぬ。魔物にも色々ありましてな」
ラフィンがホっと息をついた。
「出身はどちらかな?」
「コワ村です」
「深草色の宝石が出る国の?」
「はい。ニガリッツという大きな国が隣に。確かそんな石が高値で売れると」
「あの辺りは人間界でも殊に豊かで美しい土地。いい所で育たれましたな」
ラフィンの顔が久々に晴れやかになった。
「コワ村に行かれました?」
「いや、そのニガリッツ迄じゃ。そこで鬼見の巫女に正体がばれてしまっての。最近、魔物が多くあちこちで人間を襲っておるのでわしの様な者でも抹殺されかねん」
「あの」
「コワ村の復興は始まっておるよ」
ラフィンが立ち上がった。聞きたかったことを聞く前に答えてくれたのだ。
「本当に?全滅してはいないのね?」
「ああ。若い娘以外は」
「あ・・・」
自分が目撃した光景は、やはりそのままの事実だったようだ。
直前までおしゃべりして笑い合った同年代の女の子たちは、皆命を落としているようだ。
「罪な噂が流れたものよの。嘆きの声があちこちで絶えなかった」
「そんな」
アルビナスがラフィンの横顔を見つめた。
-助けられたか-
ラフィンだけが助かった。六角鏡をぶち抜いて。助かるべき者と誰が判じた?
「それにしても見事な髪」
ユピが微笑んだ。
「慈しまれていると見える」
ラフィンが複雑な表情をした。
ユピがアルビナスに顔を向けた。
「悪いがアルビナス。彼女と二人で散歩をさせてもらってよいか?」
「ユピ様、それは」
「何、城からは出んよ。勿論、わしがきちんと側から離れん」
身長よりも3倍は長い杖をアルビナスの鼻っ面に差し出す。
「お前さんの大事な宝物、誰にも触れさせはせぬ」
「ユピ様」
アルビナスが一瞬うろたえた顔をした。
「無論、わしも容易に触れぬようにしておこう」
ラフィンがそれを呆然と見る。
「アルビナスは子供の頃から知っておってな。時折様子を見にこうして立ち寄る」
「そうなんですね」
二人で庭が見えるテラスに腰掛けた。
「東の先代の統治者をルクシストと申しましてな、アルビナスの父親なのですが、その者の代から知恵袋として時々引っ張り出されておりまして。アルビナスの護衛を務める男もよく知っています。ビルフォと申します。話したことは?」
ラフィンは首を振る。
「話ができるのはイカウだけ。他は遠巻きで」
「そうであった。そなた人間であったな。まことよく馴染んでおられる」
ラフィンを見つめた。
「私は、普通ではありませんか?人間らしくない?」
「はい」
ユピが運ばれた茶に口をつけた。
「やはりここは人間が平気でいるような場所ではありませんか?」
「はい」
「こんな扱いを受ける人間も?」
「そうですな。東の伯爵の側に人間が侍るなど、まず誰も想像しなかったでしょう」
「遊ばれているだけです」
ユピは二人が話す様子に哨戒を飛ばすアルビナスの気配を感じていた。
「遊びには、あまり見えません」
ユピはラフィンに微笑む。
「東の伯爵として統治は済ませた男ですが、そうそう遊んでいられませんよ」
「アルビナスは、やっぱり強い悪魔ってことですね」
「はい。相当です。彼がその気になれば人間界の大国と言われる国一つ、一晩で壊滅できるでしょう。」
「そんなに?」
「今が盛りの男ですから」
ユピが微笑んだ。
「それにしても美しい方だ。あのアルビナスの心を奪っただけある」
ラフィンが顔を上げた。
「ユピ様。勘違いされています」
「折角の広い庭なのに、本当に殺風景。貴方が何か手を入れても良いのでは?」
「あの、だから、私はアルビナスに囲われて玩具にされているだけの」
ラフィンの言葉に緩やかにユピが笑った。
「あやつは近辺の信頼していた者に裏切られております」
「あ」
ノクテが話していた事だろうか。
「統治直前で謀反を企てられまして。未遂に終わりはしましたが、かなりの深手を負ったと内密に聞きました。ゆっくり治療もできないまま今日まで来ております。元々用心深い性格の上に、統治者となりましたからな。極端に信用する者が少ない男です」
「そうなのね」
ノクテの話と同じだった。だが傷の程度が違う。内密というそのままの意味だろう。周辺には軽傷で通してある。
「そうなのですよ」
ラフィンは暗に自分が信頼されているのだと言われた事に気づき首を振った。
「私は偶然ここに堕ちてしまっただけです。それがアルビナスの城だっただけ。彼は私のちょっと物珍しい所を気に入ってほんの一時楽しんでいるだけよ」
「人との出会いはそんなものです」
「でも」
「あれ以来、奴は必要以上に深く他人と繋がりたがらない。わしでさえしばらく遠ざけられていた。それを、そなた、アルビナスの部屋に囲われておるのだろう?」
「でも」
「囲われてるとはそなたの言葉。わしにはそうは見えぬよ」
「そうでしょうか」
「そうでなければ、何故そなたの横で眠る?」
「え」
「聞いたわけではない。奴のオーラに癒されたゆとりが見えるのでな」
「眠りはやはり気を許した相手の側でしか?」
「人間と比較にならないほどの熟睡でしょう?昏睡、仮死状態と言っていいほどの」
「あれが、普通の眠り方、ですか?」
「睡眠に貴賤はないですな。魔界人は皆、眠りの間は真実全くの無抵抗状態。滅多に眠らない魔物であればこそ、その少ない眠りは深く濃く、最も自分を危険に晒す時間」
「自分の部屋だもの。私一人くらい居ても」
「アルビナスの周辺にはいつも暗殺者や刺客が放たれている。命は常に狙われ油断は禁物。物珍しいなどといった気まぐれで側に置いたりせぬよ」
「・・・」
「素直ではないからの。魔界の男は中々本心を出さぬ。騙しあいと力の世界ゆえ、致し方ない性根ではあるのじゃが」
「ユピ様はそうは見えません」
「そうでもない。老成しておるだけの事」
ラフィンを見た。
-アルビナス。厄介にも程があろう。ルクシストに劣るような厄介ではないぞ-
ユピはラフィンとたわいもない話をしながら思った。
キラキラ輝く金の髪に目を細めながら思う。
-封じるか。気休め程度でもやらぬよりはまし-
ラフィンの首元のペンダントをちらと見た。
-貴方様でさえ微力ながらと思われた位ですからな-
「東か!?」
女が男の声を制した。
「小さな気配が見えまする。おそらくはまだ目覚め前」
男が膝を打つ。
「絶好の機会ではないか!」
また女が声の大きい男を制した。
「慎重に行動されよ。絶好の機会は一瞬しかない。読み誤ると手に入らないどころか貴方様自身の破滅にさえなり得まするぞ」
「そんな事は先刻承知!」
男は嬉しそうに狭い部屋を回る。
「そうかそうか。ではリックの報告は真であったというわけだ!」
「ほう?」
「最近、人間の女を連れ歩いているとな」
「なるほど。それで」
「?」
男が女を見下ろした。
「もうすぐ貴方様のところへ奏上に参りましょう」
「誰が?」
「リック殿は私と競う気らしい。貴方様に褒めてもらいたいようですな」
「何!?」
「私に貴方様の寵愛が移るのが怖いのでしょう。彼の願いを通してあげなさい」
先鋒の捨て駒に悪くない。
女は密かに思った。
朝食を摂る前。
「ユピ様」
先を歩くユピがやっと立ち止まった。
「暫く見ない間に大きくなりましたな」
南庭の隅の王妃の木を眺めた。
「・・・」
アルビナスも、控えるビルフォも目を見張った。
指摘されるまで気づいていなかった。
「枝振りが立派になり、実は凛々とはちきれんばかりだ」
「いつの間に」
「ご寵愛の者が来てからでしょう」
アルビナスがユピを見下ろす。
「ラフィンが影響していると」
「色々近辺で異変が起こっておりますな?原因不明の」
「はい」
答えるアルビナスより、ビルフォの方が苦い顔だ。
-そう。もう手遅れだものな。もっと早くあの娘を始末すべきだった、と後悔か-
ユピがまた歩き出した。
「早速封じましょう」
「ラフィンをですか?」
「アルビナス程にもなれば、このような事態になる前にあの人間を処分すべきところでしたな。殺してしまえば簡単であったはずです」
「探ってからと考えておりました」
「言い訳にしか聞こえぬな。な?」
ユピはビルフォの方を向く。
「はい。おそらく最初からお気に召していらっしゃった」
「お前の主は、一応の探りはしたのだろう?だが」
「排除は選択肢にない。得体が知れず不気味であるのに」
ユピがビルフォの意見に小さく笑う。
「その通り」
「・・・」
アルビナスは黙っている。
アルビナスを再びユピが見据え、ビルフォも見た。
「もし、わしがあの娘を今からでもおぬしから遠ざけよ、とその理由を延々と説明したとして、お前は納得してくれるかな?」
「お話にも依ります」
「お前の存在を揺るがしかねない事態、今まで以上の事態を招く、そんな話だとしたら?」
「受けて立つ」
ユピは小さく笑った。
「血は争えぬ」
「父もそのように答えたのですね」
「左様。同じように答えたな」
「やはりラフィンは只の人間ではないのですね」
「今のお前には二つに一つしかない。ラフィンを得るか、手放すか。その選択肢のみが重要ぞ。いかがいたす?」
「手放さぬ」
即答だった。
「妻とされる気か?」
「私の星に婚姻の兆しが出たのをご存知でしたか」
「思うほど易くはないぞ。妻とするなどもってのほか」
「そう諭されれば、尚更手に入れたくなります。そもそも私は存在を疎まれる出自。嫌われ者らしく、最悪な妻を手に入れましょう」
ユピは杖を持ち直した。
「この城は女主人に苦労なさる。一筋縄でいくはずもない」
アルビナスを振り返った。
「娘をこれへ」
この後、朝食の席へ移動し、ラフィンに対面するのだった。
「聞いてよいかの?」
ユピがラフィンに改めて問う。
「コワ村とこの城と、ラフィンさんはどちらにいたい?」
「え」
ユピが空を見上げた。
「わしはアルビナスに咎められる事なく、人間界に逃がしてやれます。」
「それは。でも」
先程話したダンの話に戻ったのか。ラフィンはユピを見た。
「わしはこれでもアルビナスの先生にも当る。ダンの様にはされぬよ」
「・・・」
「人間界、戻られるか?」
「私、人間かしら?」
「人間であれば、戻りたい?」
「・・・」
ラフィンは黙りこくった。
「残酷な事を申し上げると。どちらかとは永遠に別れて頂く事になるであろうの」
「永遠」
「戻るのであれば、そなたのこちらでの記憶、消させて頂く。留まるのであれば、その身は間違いなくアルビナスの所有物とされましょう。一生を拘束される羽目になりますな」
「・・・」
ラフィンはユピを見つめた。
「その選択はすぐに?」
「出来得れば」
「私の答えは実はもう出てるの」
「ほう?」
ユピを見つめ返す。その眼差しにユピは微笑んだ。
「捕らえられていたいご様子じゃの」
ラフィンは諦めるような笑顔で返した。
「でも、彼にとってはほんの一時の玩具でしかないわ。魔物の寿命は長いのでしょう?」
「人間と比べると」
「ユピ様やアルビナスは寿命もないくらいなのでしょ?」
「寿命はあります」
「え?」
「大抵の魔界の者共が人間程度か、それより短い寿命で尽きてゆきます。特殊であるのはごく一部。その中にアルビナスもわしも入れているだけの事」
「魔力の差?」
「わかり易く言えば」
「・・・」
「ある一定のラインを超越した者は、次元が一気に上がりまする。寿命や若さは自分である程度調整できるようになる。勿論、輪廻の道、冥界での浄化の時間は要しますが、そうですな、人間界でいう湯治の様なものでしょうか。冥界に絶対服従しなくてよくなるのです。そうすると死や老いの概念は重要ではなくなります」
「カミラも?」
「ドラキュレ殿は高次元で定着されておられる。しかし、カミラ殿らはおそらくは魂の糧を得ながらその寿命を繋いでいるのでしょう」
「魂・・・」
「ラフィン殿」
「はい」
「貴方は美しい。充分すぎるほどに」
ユピがその衣の下から古びた紐を出した。
-気配に敏感な者には既に気づかれておろう。これ程までご自分で解放への殻を破いてしまわれている。そして魔性の魅力を撒き散らす-
「あ奴はもう貴方を手放す気はありません。それはわしが保証します」
「そうね。どうせ長い時の中でほんの一部分」
ラフィンを屈ませ、髪を一房切るユピ。
「それはどうでしょう?」
言いながら紐と髪を紙縒りだした。みるみる腕輪が出来ていく。
「これはわしからの贈り物じゃ」
濃茶の紐と金の髪が美しい螺旋を描く。
「ラフィン殿。アルビナスは本気じゃよ」
「え?」
ユピはラフィンの腕を取った。
「そなたを愛してしまった。妻にしたいなどと」
その言葉はラフィンには聞こえなかった。
腕輪が通った瞬間、ラフィンの体が痙攣を起こしたのだ。
「運命とは過酷。神をも司る大いなる意志よ。何をお望みか」