【16.一致】
ラフィン(中身イカウ)が今夜もソワソワし始めた。
部屋にはベッドは大きいが一つしかない。
何度も出入りし、ベッドメイキングし続けた部屋ではあるが、こんな風にアルビナスと過ごした事はなかった。
「私は今夜もここでよろしいのでしょうか?」
「ああ」
上の空で呟くアルビナス。
外牢のイカウ(中身ラフィン)の様子を繰り返し覗いていた。
青年と楽しそうに話す横顔。それはイカウの顔なのだが。、複雑に心が騒いだ。他にも外牢の近くに魔物が寄り付いている。獲物として狙っているのか、何を思ってかわからないが、集まる様子が気にかかる。迂闊に自室から出してしまった。そんな気持ちになる。
アルビナスは自分の傍らで、今夜も身の置き所に困っているラフィン(中身イカウ)に意識を向けた。
目が合うと恥らうように笑う。
愛らしい仕草だと思う。が、今までは感じていた手を伸ばしたくなる引力はない。
牢のイカウとすぐ側に侍るラフィン。
外の様子がこんなに気になり、傍らの美女に微笑まれても引き寄せる気にならない。
-気に入っているんだがな。顔も体も-
抱き心地もよかった方だ。人間相手なのだ。控えめに軽く済ませるつもりで事に及んだ。
その気持ちのままで手に入れたはずだ。だが。
アルビナスはまた外牢に哨戒を飛ばす。飛ばした牢の傍にビルフォを見つけた。
-ああ-
お前がそう反応するということは。自分の心情に気づいて一人で鼻を掻く。
-再認識させられてるだけだ。わかっていた。俺は-
おずおずアルビナスの表情を覗くラフィン(中身イカウ)と再び目が合う。
恥じらう微笑。今なら全力で抱いてみてもいいのかもな、と他人事のように思う。
本来のラフィンでは有得ない表情。
愛らしい表情なのだが、愛らしいより不似合いだと思ってしまう。
そもそもアルビナスは落ち着かない。落ち着かない理由は明白だ。
これは自分の力で行われた事ではないからだ。
あの場にいたのは三人。
イカウは扉を開けただけの居合わせ。驚きからしてもイカウが行ったとは考えられない。
残り二人。だがアルビナスは何もしていない。ラフィンを激怒させただけだ。
残り一人。ラフィンしかいないのだ。だが本人に自覚がない。
自覚がないくせに、イカウの体に入っている自分のとんでもない状態を、何の驚きもなく受け入れ、イカウとして魔界を楽しんでいる。
体だけ持っていけばいい。
そんなセリフを吐いて激高したラフィンは、その続きのセリフをイカウの体と声で発した。
ラフィンにとって、そのままそうであってよい事態だったのだ。
ラフィンが望んで望んだ通りに事を成したと考えるのが妥当。
「何があった」
小さく呟いてまた外牢のイカウ(中身ラフィン)に哨戒を飛ばした。
イカウの体からイカウの魔物の気配は上がるが、それ以上の変化はない。
アルビナスにはわからない事だらけだ。
解明の片鱗すら触れさせない力が使われている。
自分に何が起こったか、すぐに理解できていなかったイカウ。
何の波動も違和感も感じなかったのだ。普通が過ぎている。大変なことなのに。
少ない力で無理矢理術を発動する時、受ける側は違和感をはっきり感じる。痛みや苦しみを伴い、術を拒んで、かからない時もある。
だから逆の場合は。途方もない力で術がかけられた時は。
今回のようにかけられたこと自体に気づくことすらないこともあるのだ。
アルビナスの結界の中で、アルビナスが発動したとしてもそう簡単な事ではない。
それをあっさりと済ませて飛び出していったラフィン。
あの一瞬で無限と思える力を発するあの女は一体何なのだ。
こうなった以上様子を見ようと放っておいたがこれ以上の変化はない。
その静けさが不気味ですらある。
「あ」
ラフィン(中身イカウ)がシーツに染みを見つけた。
「ちょっと替えますね」
ラフィン(中身イカウ)が手早くシーツを外した。
それを抱えて平然と部屋を出ようとするのをアルビナスが留めた。
近い体にラフィン(中身イカウ)が真っ赤になる。
「お前は人間の器に入ってる。のこのこ出歩くな」
「あ、そうだった」
ラフィン(中身イカウ)は自分の髪を摘んだ。
「何だか嘘みたいです」
ラフィン(中身イカウ)が微笑む。美しい笑顔。
ラフィン本人が見せる事のない、好意が目一杯滲み出た視線。
それは自分がこのまま抱き寄せ、ベッドに押し倒しても抵抗などされない確かな笑みだ。
だが・・・
ラフィン(中身イカウ)を引き離しベッドに座らせるアルビナス。
自分は外出のマントを羽織った。
「今夜もお出かけですか?」
「ああ」
アルビナスはフイと消えた。
ビルフォは外牢から離れ、外牢がある広場全体を見張る位置に移動した。
結局いらっしゃるんだから。
外牢を囲むように結界が追加された。張ったアルビナスも近くの茂みから外牢を眺める位置に座った。ここで眺めて過ごす気らしい。それを見張る位置にビルフォは移動したのだ。
妙なところで素直な方だ。
イカウの入った人間の器を愛でておけばいいのに。
イカウの願いを叶えてやってもよかったのに、と思う。あんなに忠義で心酔している女の心を、一時の迷いで抱いたことになっても、誰も困る事にはならないだろうに。
「少しは懲りたかい?」
イカウ(中身ラフィン)が歯を鳴らして身を縮めていた。
「これに懲りてしっかり働くんだね。なんならお前を引き摺り下ろすのを考え直してやってもいいんだよ」
べーっとイカウ(中身ラフィン)は舌を出した。
「イカウ!」
「ちゃんと働くわよ!あいつの面倒も全部やるわ!」
「あいつ、って、なんて言葉遣いを!」
アルビナスがイカウ(中身ラフィン)を窓から見下ろしていた。
イカウ(中身ラフィン)がアルビナスに呼ばれた。
「懲りておらんらしいな」
「懲りてます。寒くて風邪引きそうだったわ」
そう言いながらも元気なイカウ(中身ラフィン)と比べ、ラフィン(中身イカウ)の方がけだるそうにしている。人間の体の重さが日に日に辛くなってくるようだ。
それでアルビナスの相手をさせられているとすれば。
イカウ(中身ラフィン)はそう想像しかけて首を振った。
自分の体が扱われる姿など、想像したくなかった。
「ご挨拶に出向く。ついてこい」
アルビナスはイカウ(中身ラフィン)に箱を渡した。
昨日ブローチをしまった箱だった。
「何処へ?」
アルビナスは馬車を降りてから白いもやの中を随分歩いている。
イカウ(中身ラフィン)も後ろをついて早足で歩く。
「今日はあの護衛の人ついてこないのね」
馬車を降りたところまでだった。外出には陰ながらいつもアルビナスにくっついているので不思議に思えた。
「随行できないところだからな」
「私はいいの?」
「多分」
「多分って」
「男性を連れ込むのは避けている。俺でも長居は煙たがられるしな」
「誰に会いに」
「見えてきた」
言われて見上げた巨大な壁に呆然とするイカウ(中身ラフィン)。
「ここからはお喋りはなしだ。魂を持っていかれるぞ」
「ここ、どこ?」
「冥界への入口」
イカウ(中身ラフィン)はぐっと息を詰まらせた。
声を発しようとするのをアルビナスが塞ぐ。
「私は避けられるがお前はおぼつかない。中身は人間だしな。大人しくする事だ」
イカウ(中身ラフィン)が怯えた目を上げた。
「殺す気などない。イカウは何度か随行している」
ポンとイカウ(中身ラフィン)の頭を叩いた。
「だが人間にとっては大抵が行きっ放しの道だろう。だからこそ声を出すなよ」
イカウ(中身ラフィン)が大人しく頷いた。
アルビナスが微笑む。
「手でも繋いでやろうか?」
イカウ(中身ラフィン)がムッとした顔にはなったが、後ろからマントに手を掛けた。
アルビナスはその手首を引き寄せた。
「しおらしい事だ」
そのまま歩き出す。
巨大な壁の上部はもやに埋もれてどこまであるか見えない。
足元ももやに埋もれている。
その濃度がどんどん濃くなり、だんだん視界が悪くなってゆく。
アルビナスはイカウ(中身ラフィン)の手首を持ったまま、壁伝いに歩く。
その壁が僅かに湾曲しているのがイカウ(中身ラフィン)にもわかってきた。
手を繋いでもらってよかった。イカウ(中身ラフィン)は引っ張られるように歩きながらもそう思った。
なんと心強いことか。
自分の命を好き勝手にできる男であるのに、その頼もしさに寄り添った。
「柱をくぐれば冥界の中だ」
もやが立ち込めていて何が周囲にあるか全くわからない。
だが、魔界とはまた違った、恐れおののく気がそこかしこにあった。
ふわっと二人の周りに漂って様子を窺っている無数の気配。
イカウ(中身ラフィン)はアルビナスに縋る様に身を寄せた。
前方になにやら建物かと思うと、それが周囲を囲むように立っているのに気づいた。
「冥界王のお屋敷だ」
アルビナスがイカウ(中身ラフィン)に呟いた。
「人間の身でここに踏み込むのはお前だけだろうな」
アルビナスはそう言っておいて一人で笑った。
「俺の城も、ドラキュレの城も、か。大した人間様だ」
イカウ(中身ラフィン)を覗き込む。
「もう話してもよいぞ」
イカウ(中身ラフィン)ははぁっと息を吐いた。
「姿はイカウだ。人間とは悟られまい。だが今日こそは大人しくしてくれよ。さすがに冥界王様に盾つかれては庇いようもない」
「冥界王、ハーデス様」
「ああ、まぁ今日はその后、プロシェセピナ様へご面会だがな」
イカウ(中身ラフィン)はアルビナスの後方に控えた。
アルビナスが膝を折って頭を垂れている。
サラサラと衣擦れの軽やかな音がした。
「久しいの。アルビナス殿」
緩やかで穏やかな声がした。
「少々領地で乱がございまして。冥界妃様はお元気そうで何よりです」
「母にとっては嘆きの季節。手放しにも喜べぬ」
「ハーデス様にとっては喜びの季節にございましょう」
箱を差し出す。
「お納めください」
「お珍しい。私のご機嫌取りですか?」
箱の中のブローチを出す。
「美しいこと」
イカウ(中身ラフィン)は恐る恐る顔を上げた。
床に流れる髪がミルクの河の様にしっとりした白髪だ。
顔を上げてゆくと、そこにはほんのり微笑を浮べ、ややもすれば憂いを感じるほど、優しい顔をした女性が玉座にいた。瞳がオパールの様で吸い込まれそうだ。
「夫にもご挨拶を?」
「いえ、本日はプロシェセピナ様にお会いできれば、と。また魂の浄化と吸収には改めて」
「そう」
ブローチに落ちていた視線がイカウ(中身ラフィン)にあがった。
「・・・」
プロシェセピナが黙した。
アルビナスがその視線を追う。
「イカウの随伴は3度目ですが」
「そうね」
-中にいらっしゃるのはどなた?-
イカウ(中身ラフィン)ははっと顔を上げた。
-人間の娘さんね。もう一人いらっしゃる?-
アルビナスの反応がない。
聞こえていないようだ。
プロシェセピナがゆらりと立ち上がった。
-なんてこと-
そのままイカウ(中身ラフィン)に近づく。
イカウ(中身ラフィン)は思わずひれ伏した。
神々しい方だ。神の威光が差す。
「お顔を上げて」
イカウ(中身ラフィン)はおずおずと顔を上げた。
プロシェセピナはふと手に小さなペンダントを出した。
それをイカウ(中身ラフィン)の首にかける。
小さな乳白色の水晶のついたペンダントだ。
「差し上げるわ」
アルビナスがプロシェセピナを見た。
「お気に召しましたか?」
「そうね」
-ラフィンとおっしゃるのね。私の力などこの程度でしかないの-
イカウ(中身ラフィン)は思わずプロシェセピナの手を持った。
「いいのよ。受け取って頂戴」
-聞こえているのね。少しは助けになればよいのですが-
外の会話と違う声。
アルビナスが何か言うのにプロセシェピアは答えていながら、だ。
さすがにそこまでイカウ(中身ラフィン)は聞き取れずにプロシェセピナを見た。
「実は少々この者に異変がありまして」
「そう?」
玉座に戻るプロシェセピナ。
「何か見えましたか?冥界妃の瞳に」
「長居は夫の機嫌を損ねますよ。そろそろお帰りなさい」
プロシェセピナは微笑んで席を立った。
何か見たのだ。
アルビナスはペンダントにぼーっとしているイカウ(中身ラフィン)を見返った。
探りを入れた彼女の中で何か意外なものを発見された。
そして・・・
アルビナスはイカウ(中身ラフィン)のゆっくりな足取りに歩を止める。
そしてそれは、驚愕の姿だったのではないのか・・・
それゆえペンダントを授けた。
護りとなるものなのか。
「・・・」
アルビナスは唇を噛んだ。
何故話しては下さらない?
あんなにきっぱり話を切られたのは初めてだ。
冥界での生活に華やぎはない。
話し相手は不足しがちで引き止められる事の方が断然多かったというのに。
天界人でもある后にイカウ(中身ラフィン)を見せたのは何がしか情報を聞きだせるかと思えばこそだったのに。
帰城したアルビナスは背後をついてくるイカウ(中身ラフィン)を振り返る。
ついてくるが冥界妃に話しかけられて以降、気に当てられたのかボーっとしたままだ。
ペンダントは乳白色から青色に変化していて、とても手出しのできない様子が見て取れた。
護りとして付けられたように見える。
そう思うが、冥界妃からの下賜ゆえに詳しく探れない。
-わからないことが増えただけ-
アルビナスは舌打ちした。
アルビナスは本を投げた。
機嫌の悪さにラフィン(中身イカウ)がオロオロする。
「何か調べものですか?」
「・・・」
答えないアルビナス。
ラフィン(中身イカウ)が多少しょんぼりする。
「お声がけして申し訳ありません」
「構わん。お前に非がある事ではない」
言いながらも、アルビナスの様子にはずっと苛立ちが含まれている。
「イカウ」
ラフィン(中身イカウ)が振り返る。
その足元に書状が投げられた。
「また舞踏会の誘いだ。明日」
「え?」
「噂の人間を是非との事だ。好きな衣装を選んでよいぞ。あいつに支度を手伝わせろ」
イカウ(中身ラフィン)が階段を上がる。
衣装部屋に呼ばれたのだ。
「イカウ」
衣装部屋に入ろうとした所でアルビナスが上階から呼んだ。
「来い」
他の侍女の目がある。
イカウ(中身ラフィン)は大人しく上に上った。
「御用でしょうか」
「入れ」
「衣装部屋に呼ばれています。御用がないなら行きます」
踵を返すイカウ(中身ラフィン)の背中にアルビナスは声を発する。
「好き放題だな」
イカウ(中身ラフィン)が振り返ってドアの前に佇む。
「そんなに魔物の体が楽か?」
「はい。楽です」
「敬語にも慣れた。らしくなってきたな」
同じ侍女仲間の中でも言い合いのケンカになったらしい。なるにはなったが、侍従長のワサキを殴った武勇伝が広まっており、ワサキにきつく当たられていた他の使用人たちの中からイカウ派が生まれていた。その者らに護られたというから驚きだ。
「忙しいので失礼します」
イカウ(中身ラフィン)が階段を降りようとする。
「レイテ・ラウ」
アルビナスがいきなり真実の名を口にした。
イカウ(中身ラフィン)が直立不動になる。
「名が効くのは助かる」
イカウ(中身ラフィン)に近づいた。
「本当に中身が入れ替わっている。見事に」
イカウ(中身ラフィン)を部屋に引き込み、そのまま抱き寄せ、顎を持ち上げる。
イカウの顔だ。ずっと知っている側仕えの顔。
ラフィンに比べれば地味で普通の鬼っ子の面構え。それでも若くて可愛い顔ではある。
「離して」
イカウ(中身ラフィン)が呻いた。
「逆らうな。縛られているのを無理に解くのは危険だぞ。前も倒れただろ」
「・・・」
イカウ(中身ラフィン)は黙った。
「何をした?」
「何もしていません」
「している。レイテ・ラウ。何をしたのだ?イカウと入れ替わった時だ」
「・・・」
イカウ(中身ラフィン)の口が動かない。
「答えよ」
「願った。入れ替わってしまえばいいと」
「何の力でそれを叶えた?」
「・・・」
「答えよ」
「わからない」
「自分でもわからないと言うのか?」
「はい」
アルビナスがイカウ(中身ラフィン)を見つめる。
イカウ(中身ラフィン)の瞳が揺れる。アルビナスを誘うような光。
思わず顎を支える指に力がこもった。
イカウの顔だ。しかしラフィンがこの中にいる。
アルビナスはイカウ(中身ラフィン)の唇を狙った。
「魔性だな。まさに」
しかしドアに誰かが近づいた。
「アルビナス様」
やや興奮気味のラフィン(中身イカウ)の声。
アルビナスはイカウ(中身ラフィン)から手を外した。
ラフィン(中身イカウ)は手が外れる瞬間を見た。
「・・・」
何故だか自分が真っ赤になる。
自分の顔を間近にまで引き寄せていたアルビナス。
あれはキスの体勢だ。
アルビナスが指を鳴らす。イカウ(中身ラフィン)がはっと我に返った。
そして目の前のドレスを抱えたラフィン(中身イカウ)を見つけた。
「舞踏会?」
「今度は蛟の一族にな。留守の間にこの部屋を調えておけ」
「わかりました。ごゆっくり」
イカウ(中身ラフィン)が答えた。
ラフィン(中身イカウ)の指示に従い、イカウ(中身ラフィン)がドレスを着つける。
何もかもラフィン(中身イカウ)が用意し、自分でどうにもならないところをイカウ(中身ラフィン)が補助的に手伝う形でなんとか仕上げた。
「綺麗よ。イカウはセンスいいわ」
前回とは違う濃紺のドレスに、零れ落ちるような真珠が大量に散りばめられている。
「楽しんできて」
「ちゃんと部屋片付けておいてよ」
「わかってる」
お見送りばかりだった馬車に初めて乗るラフィン(中身イカウ)。
楽しい気分だったのは城を出た直後までだった。
アルビナスはどこか遠い目だ。
何か考え込んでいて口数が少ない。
せっかく選んだドレスも褒めてはもらえなかった。
先日赤を着せたので、今日は青を基調とした。そんな報告がしたかったのに。
もしかしたら、アルビナス様のご趣味ではなかったのかもしれない。
そんな不安が一つ沸くと、どんどん不安が大きく膨らんだ。
舞踏会と言っていた。
踊りなど習った事もない。第一、どう振舞えばいいのか見当もつかない。
「イカウ」
アルビナスに呼ばれて振り返った。
「背を丸めるな」
「あ、はい」
ラフィン(中身イカウ)は姿勢を正した。
しかしそれ以上の言葉をかけてくれないアルビナス。
「あの、どうやって過ごせば」
「その辺の物を飲んで食べていればいい。余興の見世物にされるだけだ」
「はい。あ、じゃあ踊りとかしなくていいんですよね?」
「多分な」
「わ、私踊れません」
「ラフィンも踊れなかった。そんな程度だ」
「・・・」
アルビナスはラフィン(中身イカウ)を一瞥した。
今夜も美しく仕上がっている。そう思っている。なのに、何故か楽しくない。
それより城に残したイカウ(中身ラフィン)が気にかかる。きっと察しのいいビルフォが傍についているだろうが。
馬車を降りた瞬間、ラフィン(中身イカウ)はあまりに華やかな宴席の空気に呑まれ、完全に萎縮してしまった。
アルビナスのエスコートで衆目の中心に押し出されてしまうが、腰が引けてしまう。
光の当らない隅に隠れてしまいたいのに、とても許してもらえない。
「背を伸ばせ」
アルビナスの短い言葉にびくりと背を伸ばした。
「顔を上げろ。まっすぐ立っているだけでいい」
操り人形の様にラフィン(中身イカウ)が顔を上げて直立で固まる。
その引きつった面差し。
周囲から嘲笑の笑いが漏れた。
-あれが噂の人間?-
-何と人間らしいものではありませんか。ほら青白い顔をして-
-あのカミラ姫を殴ったと聞きましたが?-
-噂でしかなかったのでしょう。大した余興にもなりませぬな-
アルビナスの口から思わず溜息が出た。
華やかさがない。あのオーラが。毅然とした揺るがない輝きを放つオーラが。
なんて事だ。中身がラフィンでない事がこんなにも雰囲気を変えるのか。
今まで通りの美しい顔と髪。衣装も申し分ないのに。
先日のラフィンを思い出す。
一人取り残される形になった時、自分に縋ってくるような目つきになったのは同じだ。吸血鬼に囲まれ、不安そうにしていた。落ち着きもなかった。
今のラフィン(中身イカウ)の、上目遣いの目とビクビクした態度とそんなに違いはない。
はずなのに。
アルビナスはラフィン(中身イカウ)を置いてホールの中央に出た。
今のラフィンはかえって一人にしても安全だった。
何の羨望も嫉妬も生まない、ただの人間にしか見えなかったからだ。
ラフィン(中身イカウ)は一人にされて尚落ち着きをなくした。
どんどん隅っこに体が寄って行ってしまう。
それでも好奇の目が注がれる。
視線に追い詰められ、壁まで到達。カーテンの束に身を寄せてこのまま隠れたい気分だ。
どんどん俯き背中が丸まる。ビスチェが苦しい。
だってそうでなくても苦しい。この体になってずっと苦しかった。
ラフィンであることは人間であること。魔界の空気はやはり合わない。魔物である自分の体では決して感じなかった魔界の毒気が、呼吸の度に体内に入るようで苦しい。
ラフィンを見る時、人間のくせに元気でピンピンしていて不愉快だった。
いきなり落ちてきて以来、城で一番良い部屋に置かれ、東の伯爵に手を上げ、呼び捨てにしても生かされ、わけのわからない事件や騒動の元凶に見えるのに始末されず、とうとうお手付きになる。
アルビナス様のご様子を観察していればわかる。
アルビナスの心の内など。イカウなら尚更。
カーテンの束の向こうは大きなガラス窓。外が暗闇で鏡のように室内を写す。
一番手前に自分の今の姿が映る。
-羨ましかった黄金の髪。妬ましかった美しい顔-
人間のくせにアルビナス様の隣にいても問題ないと思えてしまう風格。
今、自分のものになっているのに。
アルビナスの自分への扱いは、侍女イカウに対するものだった。
-一体何を私は浮かれていたんだろう-
ふと、映る背景に配膳のテーブルが見えた。
何か飲み物をと振り返る。グラスを取るついでに思わずグラスを綺麗に並べ直した。
そのついでにさらに料理の乱れも整えた。
背後で噴出すような堪え笑いがした。
「あれでは下働きの召使だわ」
ラフィン(中身イカウ)ははっと顔を上げた。
そう。私はこういう仕事をしている。評価もされ誇りも持ってる。
初めて、自分を笑った蛟のご令嬢たちを直視し睨み返した。
「!」
相手がむっとした表情になった。不興を買ったようだ。だが構わなかった。
アルビナスがこちらに来る。
ご令嬢達が振り返ってアルビナスを取り囲んだ。
「お噂の人間。この程度ですのね」
「人間です。この程度でしょう」
「連れ歩く必要がございますか?私の方がアルビナス様のお役に立つと思います」
「余興にと申し出られたのはこちらですが」
「ええ。でも下働きを仮装させたような振る舞いで、がっかりです。噂ではカミラ様に手を上げた不届き者だけれど、それは見応えのある人間だったと評判でした。それが」
ラフィン(中身イカウ)がビクッと揺れた。
傷ついて見えたのだろう。蛟のご令嬢たちは勝ち誇った笑みを浮かべてアルビナスに更にすり寄った。
「こんな人間放っておきましょう?踊ってくだらないの?」
アルビナスはご令嬢たちに儀礼的な笑みを浮かべた。
「私のお気に入りにご不満がおありか?」
笑みを浮かべているが、アルビナスの声に怒りが含まれている。
その気配に恐れてご令嬢たちは一歩引いた。
「少し休んでからお相手しましょう」
彼女らを追い払い、アルビナスはラフィン(中身イカウ)の横に立った。
「申し訳ありません」
「構わん」
「下働きの仮装。すっかりバレてますね」
「周囲の目を気にするな。元より所詮人間だと侮られているのだ。開き直れ」
「でも」
アルビナスがグラスを渡す。
「お気に入りは本音だ」
イカウはグラスを受け取りながら頬を染めた。が表情はすぐ真面目になった。
「私は私で勝負したかったです」
「そうか」
「ここの侍従長はなってませんね。下働きをうまく使いこなせてないのか躾がなっていないのか、さっきから食事も飲み物も配膳も行き届いてない」
「そうか」
アルビナスは面白そうに笑みを浮かべた。
「ならば東は上出来だな。口うるさい侍従長に、それに意見する俺の侍女もいて」
ラフィン(中身イカウ)はアルビナスを見上げた。
「ラフィンは、この間もこんな目に晒されて?」
「そうだな」
「それで、あの強気で?カミラ様を引っぱたいて。大したものですね」
「ああ。褒めてはいかんがな」
会話が止むと周りの声が聞こえる。
「あの高慢な姫と対等に渡り合ったと聞いて、私、楽しみにしてましたのよ」
「美しい髪ね。中々の美形ではない?」
「その辺がお気に召しているのではなくて?手頃だわ」
「何も気に留める事はなさそうね」
アルビナスはグラスを置いた。
「そろそろ帰る。約束のダンスを少しつき合ったらすぐに」
アルビナスの意識はもう馬車の中にない。
早く帰りたがっている。
ラフィン(中身イカウ)には見えていた。
城で待つラフィンが気になっているのだ。
城に着くとラフィン(中身イカウ)はおもむろに抱き上げられた。
そのまま馬車を降りる。
「イカウ!」
イカウ(中身ラフィン)が呼びつけられた。
二人に駆け寄るイカウ(中身ラフィン)
大人しく抱き上げられているラフィン(中身イカウ)を見上げた。
「このまま部屋に直行する。着替えを手伝え」
「え、あ、はい」
アルビナスが部屋に上っていく。
イカウ(中身ラフィン)は戸惑いながらもついていく。
「アルビナス様?」
ラフィン(中身イカウ)も戸惑う。
一緒の部屋で数日過ごしはしたが、こんな風に抱き上げられた事はなかった。
まして舞踏会では恥をかかせたと思って帰ってきたところだ。
立ち尽くすラフィン(中身イカウ)にイカウ(中身ラフィン)が背中に回る。
ドレスを脱がせにかかるがアルビナスがベッドに寝転んで見つめている。
「ちょっと」
「構わん」
しかしラフィン(中身イカウ)も困っている。
「とりあえずこれは緩めましょう」
イカウ(中身ラフィン)はビスチェの紐を緩めた。
「こっちに来い」
ラフィン(中身イカウ)を呼ぶアルビナス。
「来い」
ラフィン(中身イカウ)はおずおず近づく。
イカウ(中身ラフィン)はドアに向き返る。
しかしドアが固く閉まって開かない。
イカウ(中身ラフィン)が振り返る。
「開けて!」
「ならぬな」
ラフィン(中身イカウ)をベッドに倒した。
「体は要らぬと言っただろ?手放したものがどんな扱いを受けようと構わないはずだ」
「構わないわ。でも見ていたくない!」
「きちんと見るんだ」
イカウ(中身ラフィン)は見ないように扉をこじ開けようとするがびくともしない。
そのうち、衣擦れの気配が耳に入った。
ラフィン(中身イカウ)は恥かしがるが抵抗をする様子はない。
扉も開かず、ラフィンは背後の気配を無視できずに振り返った。
ラフィン(中身イカウ)の肩を撫でる。
「やめてよ」
「やめる気はない。どうせ出られんのだ。滅多に見られん鑑賞を楽しめ」
アルビナスが自分の服を脱いだ。
ラフィン(中身イカウ)が真っ赤になる。
そのラフィン(中身イカウ)を抱き寄せた。
「抵抗されないのも悪くない」
「・・・」
イカウ(中身ラフィン)が目を逸らす。
「見られているのも悪くないな」
「・・・」
イカウ(中身ラフィン)が固く目を瞑る。
-手を焼かせるな。これ以上-
ラフィン(中身イカウ)の衣装を剥ぐ。
驚いてアルビナスを見上げるラフィン(中身イカウ)。
が、アルビナスの視線は自分に下りていなかった。
明らかにイカウの姿のラフィンを見ていた。
-興味がないんだ。私が入っているこの体に。ラフィンが、入っていないから-
わかっていたが、それがはっきり身に沁みた。
ラフィンの姿であるが中身がラフィンでないこの体に興味がない。
もうイカウの都合のよい解釈をする余地はなかった。
-何よりラフィン自身を-
アルビナスが脱がせたドレスをイカウ(中身ラフィン)に投げつけた。
「これは誰の体だ?」
イカウ(中身ラフィン)の肩が揺れる。
「お前の体だろう」
キッとイカウ(中身ラフィン)が顔を上げた。
ラフィン(中身イカウ)と目が合った。
一瞬だった。
途端にアルビナスは胸を突き上げられ同時に頬を打たれる。
思わず口元が笑うアルビナス。
ベッドを撥ねてラフィンが近くの剣を手にした。
アルビナスから離れてそれを構える。
ドアのイカウがびくっと体を揺らした。
「あ」
自分の手を見た。角を触って確認。
息を大きく吸って、そしてポンと上にジャンプした。
「あたしだ!」
その二人の様を確かめ、アルビナスはラフィンを見た。
「お前の体は?」
「こっちよ。悔しいけど」
アルビナスがまた堪えた笑いを漏らした。
不思議な事に水晶のペンダントはラフィンの胸に揺れていた。
イカウとラフィンがアルビナスを見る。
「イカウ、迷惑をかけたな。その楽な体でまた側仕えを頼む。この適当に済まされた部屋の整理もお前の手で頼む」
「あ、はい」
「適当って、それなりに私」
ラフィンが抗議の口を挟んだが無視される。
「下がってよいぞ」
「はい」
ドアがするりと開いた。
階段をとんとん降りながら涙が零れた。
イカウははっきり自覚していた。
自分は側仕えであるという事。
その役目は非常に高い評価を得ており、主人に格別に可愛がられているという事。
そして自分はラフィンにはなり得ない事。
あの外見が愛されているわけではないという事。
それでは、
「勝負にもならない」
イカウは泣きながら階段を下った。
ラフィンが息を切らしていた。
アルビナスが起き上がった。
「私は!こんなのは!」
「衣装部屋で眠ればいい。構わんぞ」
「・・・」
「俺としては」
アルビナスはラフィンをそのまま壁に追い詰めた。
「楽しませてもらいたいが?」
ラフィンが構える剣ごと胸元に納める。
「従順なラフィンを楽しんだんでしょ」
「いや」
アルビナスがラフィンに顔を近づける。
「お前でないと面白くないからな」
「お前って」
「体がお前でも中身がイカウだからな。イカウの気持ちを弄ぶ気はなかったものでね」
「何優しい事言って」
「大事な側近だ。その辺の女より大切にしたい、イカウは」
「・・・」
ラフィンはそのアルビナスを見上げた。
「第一、身と心が揃っていない者など、抱く気にならんな」
睨むラフィンにずっと微笑みのアルビナス。
「イカウの体で気晴らしできただろ。お陰でこちらは苛々が溜まっている」
そのままの表情で落ちていたドレスを指を振って消してしまった。
「アルビナス!?」
怒るラフィンの鼻先でもう一度指を振る。
今度は半裸にされていた下着まで全て消されてしまった。
ラフィンはアルビナスが引きずって来たシーツを奪い取った。
「言ってる事とやってる事が違うでしょ」
構わずアルビナスはラフィンの側を離れる。
「俺も久々に眠る。ここでしか眠れんからな。今夜は手は出さん。それでよいだろう?」
「アルビナスはここで寝てなかったの?」
「イカウに使わせていたからな」
アルビナスがあくびをした。
「知らないわよ。眠ってる間に私が何するか」
「好きにしていい。悪魔の睡眠はあの有り様だ。勝手にしろ」
アルビナスはラフィンに目だけ向けた。
「何でもありだからな、お前は。禁止したところでやる時はやるだろう」
「私?」
「俺でも簡単にできぬ事を勢い一つでやってしまう」
その視線の真面目さにラフィンも真面目な顔になった。
「魂の入替はそう簡単な事ではないのだ。両方同時に入れ替わるのだからな。単純に計算しても普通の倍の魔力を要する。おまけに少なくとも術に受身なイカウの立場の者を完全に支配した状態でないと術の発動は危険だ。万が一弾かれたら魂の行き場がなくなる」
「・・・」
「イカウに準備が全くないのに、イカウに違和感一つも与えないなど。さて、俺でも上手くやれるか、試してみないとわからん」
歩み寄って来たラフィンの手を取った。
「が、レイテ・ラウは知らぬと言う。本人が把握できないのなら、防御そのもの不可能だ」
ラフィンの手の甲にキスをする。
そしてコトンといきなり昏睡に落ちた。
「知らないわよ。本当に」
アルビナスの脇にラフィンも大人しく横になった。
「だって、慰み者になり続けるの、嫌なんだもの」
答えないアルビナスに呟く。
「でも貴方の側がいいんだもの。こんなジレンマ、貴方が居なくなるか私がいなくなるかしないと、解決しないでしょ?」
ラフィンは眠るアルビナスの頬にキスした。
「寵愛を受けているうちに。まだ飽きないうちに、って考えは人間的?」
アルビナスは目を開けた。
「・・・」
一人で微笑む。
ラフィンのすうすう眠る顔が目の前にあった。
「一刺しもしなかったか。人間は甘いな」
ラフィンの体を包むシーツを払った。
美しい肢体が現れる。
「俺に晒してそのまま眠っていられると思う方がどうかしている」
言いながらその首に垂れる水晶のペンダントを見つめた。
-何を見た?-
プロシェセピナは天界の王ユビスタ直系の女で、本来Sクラスの女神になるべき者だった。
ある日独身を貫いていた冥界王ハーデスに偶然見初められ、半ば強引に冥界妃とさせられた。しかし大地の女神である母デミテルは娘の強奪に嘆き、大地を不毛にしてしまった。
事の重大さにユビスタが仲介に入り、プロシェセピナは半分を天界で、半分を冥界で過ごす身となったのだ。
その彼女はラフィンに確かに関心を示した。
いつも冥界妃に目通りする時、随伴がイカウであれ誰であれ関心を示した事はなかった。
そしてペンダントまで下賜される。だがあの憂いの佇まいは何だったろう。
たおやかで優々とした方ではあるが、あんな表情はお目にかかった事がない。
そのくせ何時になく凛とした構えで自分の問いを撥ね退けた。
「誰を見た?人間の娘はそれ程に珍しいか?」
「覗かれた?」
「多分すこーし」
男は口元を指でつついた。
「仮にもデミテル様の一人娘だからねぇ。見えたかも」
「悠長だな。最近備えが甘いんじゃないか?」
「あはは。そだね」
男は息をついた。
「俺が関与できない石ころも付けられたからな。それは予想外だった」
「本当にイニシアチブ取れてる?」
「取れてるよ。何せベースが魅惑的だからさ。俺がフォローすんのはその裏だし」
「よく言う。手こずってる様に見える」
「まだ役者が揃ってないし。いいんだよ、機会を逃す事はし・な・い」
「まだ?」
「全然まだだよ」
男は微笑んだ。
「そろそろあいつも嗅ぎつける。そして駒が動き出す」
少年を抱き寄せた。
「星も動く」
「誰の?」
「あちこちでね」
アルビナスは気配に顔を上げた。
「は。このタイミングで出るか」
自分の内部に瞬き始めた星が感じられる。
「悪くない」