【15.入替】
一瞬の事だった。
「だったら体だけ持っていったらいいわ!」
ラフィンはその叫び声を上げて、突然目をしばたいた。
アルビナスの顔に一気に頬を染めて戸惑った。
「え?え?これ、何?」
ドアのイカウが洗濯から持ち帰った衣装を床に投げた。
「大っ嫌い!」
そのまま外へ飛び出して行く。
アルビナスはそれを呆然と見送った。
押さえ込んでいるラフィンを見下ろす。
ラフィンの顔は真っ赤になり、どうしていいかわからずパニック寸前だ。
「お前」
アルビナスが身を起こすと、ラフィンが手をバタバタ振って慌しく起き上がった。
「これ、今、私、ドアを開けて。あれ?アルビナス様、私何か変、え?え?」
ラフィンは自分の髪の毛を掴んだ。自分の顔にも手を当てる。頭をぐしゃぐしゃ撫で回し、何かを探している。
アルビナスははっと廊下を見た。イカウはもう走り去っている。
「え?これって誰?私なのに、何?」
ラフィンは近くの鏡を覗きこんで悲鳴を上げた。
「どうして!?どうしてラフィンの顔が映るの!?」
「イカウ」
ラフィンが顔を上げた。
「アルビナス様。何をなさったんですか?これは何なんですか」
ラフィンの顔がアルビナスにそう聞き返して来た。
アルビナスは確信を得てきっと顔を上げた。
「ここを動くな」
そう言い置いて、自分はイカウを追う。
ラフィンをヒステリックに怒らせた。
少し意地悪に接したのは自分でもわかっている。ラフィンが素直に自分に従わないせいだ。
真実の名を支配し、肉体関係も結んで、自分の完全支配下に置いた気持ちになったのに、その位置に甘んじるのを拒むラフィンが気に入らない。ラフィンが自分に好意を持ち始めていると思えるからこその強行だったのに、簡単になびいてこない。ただでさえ。
アルビナスは舌打ちをした。
ただでさえ、こういう訳の分からないことをしでかす人間。早く掌握したいのに。
何をした!
自分の右手を見た。
ケルンを握った跡がはっきり残る。火傷になったのだ。
今まで一度もなかった。
ケルンの威力が強まった。自分にさえ脅威になる力。ケルンに変化を感じない。
変化したのはラフィン。
あの時のラフィンには、そういう力がみなぎっていたことになる。
「ラフィン!」
駆けるイカウの背に怒鳴った。
ちょうどイカウが衣装部屋のドアをいつものように開けた。
ラフィンが逆上したタイミングぴったりに。
イカウはアルビナスがいるとは知らなかった。
ただ単純に洗濯物を持ってドアを開けただけだった。
自分が押し倒していたラフィンの仕草がいきなりイカウのようになった。イカウの名に反応し、自分の姿がラフィンであることに驚き、慌てふためいていた。
は、思い切りアルビナスに怒鳴って部屋を飛び出した。
ラフィンの心は軽い。軽いのは体もだ。
イカウの体になったことはなんとなく理解していたが、驚くことではなかった。
替われるものなら替わりたいと常々思っていた。
それがそうなっただけだ。
「ラフィン!」
アルビナスの怒鳴り声が聞こえるが無視。
軽く蹴り出すだけで体が前に進んで気持ちいい。
上に飛び上がるのも楽だ。
一気に庭まで飛び出し、城壁の端に駆け上がってからようやく振り返った。
頭には角。触ると少しざわっとする。歯を触るのに似ているかな?と思う。
グレーと白の髪の毛も人間より少し太く感じる。口の中の犬歯、爪が赤黒くて尖っているのも、そう驚かない。こんなものと思うだけ。
不思議とそれら全てが自然と受け止められる。
-やっぱり私には魔界の者の血が最初からあったんだ-
呼吸も楽だ。
気分がよかった。
城壁の外を見た。
広大な荒地と城下町。
足元にネイブが集まってきていた。
皆撫でてくれといった擦り寄り方だ。イカウの姿でそれらをからかって逃げた。
「止まれ!レイテ・ラウ!」
イカウが突然体を強張らせた。
アルビナスが目の前に立つ。
アルビナスの息が切れているように見えて、ラフィンは不思議に思う。
焦っているように見える。一生懸命にも見えて、つい微笑んだ。
アルビナスは、真実の名を使った命令でようやく止まったイカウの棒立ちの姿を睨む。
小賢しいことにニヤニヤ笑みを浮かべて、こちらを挑発しているような表情だ。
ゆらゆらとイカウの周囲の空気がおかしい。経験のない揺らめきだ。
「レイテ・ラウ。お前がレイテ・ラウだな?」
「はい」
小賢しい笑みが残ったまま微笑まれた。
アルビナスは外を覗いた。
イカウ(中身ラフィン)の楽しげな声が中庭に響く。
今まで一度とて惹き付けられた事のなかった側仕えの声だ。
ネイブや小物と戯れている。
そのくるくる踊る姿はハザマの森で初めて見かけたラフィンの姿と重なる。
部屋の中ではラフィン(中身イカウ)が調度品を拭いていた。
せっかくの高価な衣装を汚さないようにたくし上げての掃除だ。
それから、窓に近づいた。
「あの子、また!」
ラフィン(中身イカウ)が声を上げた。
「もう夕食の仕込みが始まる時間なのに、また怒られるじゃない」
その通り、中庭のイカウが怒鳴られながらあの大きな女に捕まっていた。
「あーあー。もう!」
アルビナスはちらとラフィン(中身イカウ)を見た。
ふくらはぎや腕が剥き出しの格好。
なのに少しも色っぽく感じない。
「掃除は他の連中に任せておけばいい」
「でもアルビナス様の部屋は私がすることになっています。だからあの子がやらないといけないのに、ちっとも上がってこないし」
ラフィン(中身イカウ)が困りながらも衣装を直す。
「私の仕事です。何もしないではいられません」
「人間の体は重くて難儀だろう?」
「ええ、それはそうです」
ラフィン(中身イカウ)は椅子に遠慮がちに座った。
「ずっと息苦しい感じです。このお部屋はまだ楽なんですが。何を動かすにもいちいち体が重くて遅くて」
そう文句を言いながらもそれ程居心地は悪くなかった。
鏡の自分は美しい黄金の髪を垂らしている。
瞳も蜂蜜色で美しい。
今まで触れても着たことのなかった衣装を身につけていた。
第一、アルビナスと同室にずっといるのだ。
ベッドは一つ、アルビナスより眠りを必要とする為、ここ数日で何度も眠っていた。
その際、アルビナスはすぐ横に寝転んでいる。
ドキドキした。
そのうち手が伸ばされるのではないかと、一人で顔を赤らめたりもしていた。
何もしておらんぞ。
アルビナスはイカウ(中身ラフィン)の、気持ちがこもっていない上に不慣れで下手な給仕に文句も言わず、食事をしながら考える。アルビナスも食事に集中していない。
俺は何もしていない。
イカウ(中身ラフィン)と一瞬目が合うがさらりと外された。
アルビナスの方が機嫌が悪い。
ラフィン(中身イカウ)がハラハラしながら見ている。
他の連中は何かおかしいと思いながらも気づいていない様子で、突然段取りもぶっちぎるイカウ(中身ラフィン)は怒られる回数が増えただけだった。
ラフィン(中身イカウ)も同様。
一人歩きは原則禁止だが、つい癖で歩き回り、顔見知りに話しかけて不審がられ、アルビナスの指輪に行動を抑制されて気づく始末。
全く心、精神だけが入れ替わってしまったのだ。
イカウ(中身ラフィン)はとうとう大女に頬を叩かれた。
「いつまでもふざけてんじゃないわよ。どこへ隠した!」
「盗ってなんかないわ!」
イカウ(中身ラフィン)の反論にまた手を振り上げる大女。
「宝物殿の出入りは限られた者だけなんだよ。最近のお前、様子がおかしいじゃないか。さっさと指輪を出しな」
「ちゃんとやる事はやってるわ」
「は!手抜きだらけでね!当主様に大目に見ていただくからって図に乗るんじゃないよ」
「段取りがわからないだけよ。一回やれば」
「あんた何年この仕事してんだよ。今更新人ぶるとはどういう魂胆だい?」
イカウの襟元を掴み上げた。
「あんなにお側に侍ってるくせに、一度も手を出されない女が。大好きな当主様なのにねぇ。尽くしても尽くしても報われないこと。人間にも割り込まれて情けないったらないね」
イカウ(中身ラフィン)が大女の頬をはたいた。
「イカウに失礼な事言わないでよ」
大女がワナワナ震えた。
「殴ったね!」
「殴ったわ」
「イカウが?」
「はい」
大女はアルビナスにひれ伏して訴えていた。
「宝物殿にあったはずのブローチです」
「ほう?」
イカウ(中身ラフィン)が平伏せずにそっぽを向いていた。
カーテンの陰からラフィン(中身イカウ)がはらはらしながら見守る。
「最近仕事を怠り気味でございます。第一、御部屋に行くのは嫌だと勝手を」
「なるほど?」
イカウ(中身ラフィン)を見るがやはりそっぽを向く。
「この際側仕えを外していただきたいのです。上司の私のいう事も聞かずこのような態度では他への示しがつきません」
「わかった」
「では」
「待って」
ようやくイカウ(中身ラフィン)が口を開いた。
「やるべき事はやっています。まだわからない事が多いだけです」
大女がイカウ(中身ラフィン)をこつく。
「まだ言うのかい」
イカウ(中身ラフィン)が大女を睨んだ。
「まずは罰として外牢に一晩入れておけ」
アルビナスが言った。
「ワサキ、今回の事はそれで納めろ」
「しかし盗みは」
「ブローチは私が持ち出した。明日手土産にと思ってな」
アルビナスの脇の箱から紛失したブローチが出てきた。
「ワサキの耳に入っていなかったな」
「・・・」
大女ワサキが黙った。
「イカウの様子がこのままならば、私の提言を是非聞いていただきたい」
「聞こう」
ワサキが先に下がった。
ラフィン(中身イカウ)が駆け出てくる。
「ラフィン!お願いだからちゃんとやってよ!でないと私が困るの!」
「ごめん」
ラフィン(中身イカウ)はイカウ(中身ラフィン)に近づいて頬の腫れに気づいた。
「それ」
「あの女に思い切りね。大丈夫、殴り返しておいたから」
「冗談でしょ?」
ラフィン(中身イカウ)の顔が引きつった。
「ワサキはこの城で一番の古参で侍従長よ?あの人に目を付けられたら困るわよ。ただでさえ私は気に入られてなかったのに・・・!」
「でもね」
「でもじゃないわよ!」
「でもバカにしたのよ、イカウを」
ラフィン(中身イカウ)が振り返った。
「一生懸命やってるイカウを」
言葉が返せないラフィン(中身イカウ)からイカウ(中身ラフィン)はアルビナスに目を移した。
「イカウは貴方が好きなの」
途端にラフィン(中身イカウ)が顔を真っ赤にしてイカウ(中身ラフィン)に飛びつく。
しかしイカウ(中身ラフィン)は言葉を止めない。
「これでいいと思わない?」
アルビナスはイカウ(中身ラフィン)を見つめた。
「お前はそう思うのだな?」
「そうよ」
「待って!私はこんな重たくて融通の聞かない人間の体に押し込められるのは困るわ」
「でもアルビナスのお気に入りの体よ」
ラフィン(中身イカウ)は顔を赤くした。
「アルビナス様。これって、どうして入れ替えたりなさったんですか?」
「さてな。俺に説明させるな」
アルビナスがイカウ(中身ラフィン)を見つめた。
「まずは外牢で一晩過ごせ。いくら魔物の体でも寒さが堪えるだろう」
これでいい。
イカウ(中身ラフィン)は膝を抱えて牢の中に座り込む。
アルビナスが気に入った体に、アルビナスを好きなイカウが入っている。
誰も苦にしないだろう。
自分も魔界で生きていくならこの体は楽だ。
寿命はどうなるのだろう?イカウが短くなってしまったらそれは悪いな・・・
そんな事をぼんやり考えるイカウ(中身ラフィン)に誰かが近づいてきた。
「イカウ。差し入れ」
青年の声だ。
「誰?」
「俺」
青年が人懐っこい顔を出した。イカウと同じような一本角。
「俺って誰?」
「どうしちまった?」
青年の顔が引きつった。
「なるほど?」
「信じるの?」
「んー。俺はバカだから難しい事わかんないけど」
イカウ(中身ラフィン)を見た。
「イカウの空気じゃないのはわかるよ」
「わかるんだ」
「わかるよ。ガキの頃から一緒だろ?」
「そうなのね。ノクテ、だっけ?」
ノクテが笑って頷く。
「初めまして、なんだよな。イカウなんだけどなー、見た目は。ホント不思議」
とイカウ(中身ラフィン)のおでこをつつく。
親しみと愛情を感じる、気さくで優しい視線だ。幼馴染で仲がいいんだとわかる。
「でもどういうつもりでこんな事なさったんだろ?」
「アルビナス?」
ノクテがイカウ(中身ラフィン)を見返った。
「話し辛いなー。ご当主様呼び捨てなんて有得ない。イカウなら100%ないし」
「そう?」
「ご当主様だよ。絶対的な主。ラフィンさんだけかもね、この城の中で呼び捨て」
「ごめん。悪魔って人間には災いで脅威なの」
「それもわかるよ。実際人間狩り、やる奴はやるしね」
ノクテもその悪魔、魔界人だった。と改めて思った途端、ノクテが吹き出す。
「お前も魔界人だろ?そんな表情」
と言いかけてノクテは自分に笑う。
「中は人間のラフィンさんだった。意外とわかりやすい性格だね」
屈託なく笑われてイカウ(中身ラフィン)も微笑み返した。
「アルビナスが特別すぎるのかしら」
「ずば抜けてるよ」
「その身のお世話を一切任されてるんだからイカウもすごい。いつも一生懸命よ」
「あいつの憧れの君だもん。一族的には仲間と言えるけど、格の違う御方だぜ。憧れて城に入って憧れて働いて、そして異例の若さで側仕えだ。一時は床に召されるんじゃないかって噂もあったくらいなんだ」
「そうらしいわね」
ノクテが外牢に凭れて空を見上げる。
「今でも俺は当主様に敵わないのかな?」
「え?」
イカウ(中身ラフィン)が聞き返す。
「あ、えっと、そう、ラフィンさんが中にいるんだよな。やっぱややこしいなぁ」
「ノクテはイカウが好きなのね?」
「イカウがイカウの事聞くんだ。混乱しそう」
「ごめん」
「いや、面白いよ」
ノクテがイカウ(中身ラフィン)を見上げた。
「そう、好きなんだ。だから側仕えに上らせずに結婚しようともしたんだけど、逃げられちゃってさあ」
「振られたんだ」
「でも諦めてない。結局、床に召し上げなんてなかったし。考えてみればアルビナス様にはあちこちの姫のお誘いがあるし、第一、エルル様がいたから」
「エルル?」
ノクテがあっと口を押えた。
「あ、この話ヤバイからなしなし。東では禁句だった」
「誰の話?」
ノクテが曖昧に笑って頭を掻いた。
「やっと落ち着いた所だからさ。こんな外牢、ちょっと前なら死罪と一緒だったから」
「凍え死に?」
ノクテが手を振った。
「肉食の連中の餌食だよ。今でこそ当主様の結界がばっちり張られたけど、それまでは当主交代のバタバタで荒れ放題だったんだから」
「そうなの?」
城の手入れ、宝飾が放棄されたのはそのせいか。ラフィンはやっと合点がいった。
「先代様が突然隠居なさってさ。で、今のご当主様が立とうとしてた。でも中々まとまらなかった。戦乱になって。俺達の一族も避難したり、数も減ったよ」
「そんな風だったなんて。今は全然」
「うん。今は平和。謀反騒ぎも事前に治めたし」
「謀反騒ぎ?」
「これは本当についこの間の事さ。やっとアルビナス様がご当主に定着なさるかって所で、参謀で片腕のガラーヴィア様が謀反を計画。ご当主様が返り討ちにしたってことだけど」
言いかけてノクテは口をつぐんだ。
「ご当主様の背には傷があるんじゃないかな。背中からいきなり切りつけたって。騙し合いはよくあるけど、ガラーヴィア様がご当主様を裏切るなんて、誰も」
塔を仰ぐノクテ。
「東の統治には成功なさったけど、お身内と言える人達が結構いなくなった」
死んだというより造反や裏切りに遭って、処刑した。
声にしなかった部分もイカウ(中身ラフィン)には聞こえていた。
「・・・」
イカウ(中身ラフィン)はノクテを見つめ、改めてイカウ(中身ラフィン)も塔を仰いだ。
アルビナスの心の闇が見えた気がした。
「色々あったな」
遠くを見るノクテ。
イカウ(中身ラフィン)はこの不気味な魔界の夜も、ノクテにとっては静かで安らかな夜なのだとも知った。
ノクテがイカウ(中身ラフィン)を見た。
「人間の女がご当主様の部屋にいるって聞いて驚いたよ」
「そうなの?やっぱり下等生物?」
「魔界だからね。異界の者の扱いなんてどこでもそんなもんでしょ?たまーに天界人が紛れ込む事もあるけど、見つかったらやっぱり獲物にされるだろうね。人間界だって魔物追い回すんでしょ?災い排除でさ」
「そっか」
そう考えると少し気が楽になった。
「でも当主様が人間を囲うとなると、そりゃ驚くよ。そろそろご結婚もあっておかしくない方だし、なんせ伯爵様であの風貌だもん、引く手あまただからさ」
「吸血一族のカミラとか?」
ノクテが吹き出す。
「強豪一族の頭の娘を呼び捨てかぁ!気持ちいい位だね」
「この態度は人間らしくない様ね」
「いいんじゃない?ちらっとだけラフィンさんの外側見たことあるけど、すっげー綺麗だったもん。金色の髪なんかキラキラ光ってさぁ。ないがしろに出来ないオーラみたいなの感じたよ。他の仲間も驚いてた。こんな人間もいるんだって。ご当主様はすごいなって」
「物珍しいんでしょ?」
「いや、ご当主様は目の肥えてる方だから、そんな理由で側に置かないよ」
「あ、理由はあるわよ。私、人間にしては妙らしいわ」
「赤き月の娘!」
「それは違うらしいの。でも何か普通と違うんですって。それを突き止めたいって」
ノクテが寝転んだ。
「そんなの言い訳じゃないかなぁ」
「だって私絡みで、色々あって」
「情報屋が殺されたり、南の伯爵様が人間を浚いに来たり?」
イカウ(中身ラフィン)が頷く。
「なら普通は殺すね」
「え?」
「だって危険じゃん?得体が知れないなら、殺した方がいい」
「・・・」
イカウ(中身ラフィン)は考え込んだ。
「だからお気に入りなんだろうって言われてるんだよ」
ノクテがイカウ(中身ラフィン)を覗いた。
「当主様の気持ち、わかる気がする。ラフィンさん、すごくイイ感じ」
「ノクテ」
第三者の声にノクテが飛び上がった。
「懲罰中だ。そろそろ引っ込め」
ビルフォだ。
「すいません!」
ノクテは恐縮の状態でビルフォに頭を下げた。
イカウ(中身ラフィン)に小さく手を振り、離れていった。
「・・・」
この人、いつもアルビナスにくっついてる人だ。ラフィンは思う。
軍人さんのイメージがぴったりの雰囲気。
アルビナスの側にいる点ではイカウ(中身ラフィン)と共通点が多い。
自分が今、イカウの姿であるこの状態が、彼にどう思われているか全くわからないので、気軽に話す気持ちにはなれない。牢の中で座ったままジッとし目を合わせないようにした。
ビルフォは小さくため息をついた。
イカウの顔と体なのに、まったくどうして。
ビルフォは気まぐれにここに来たわけではない。
ノクテがいるから遠巻きで観察しているだけだが、この牢に近づいてみたいと思う連中が四方の物陰にいる。本来のイカウにはなかった吸引力がどうもある。
引き上げたノクテもその状況を察したのか、振り返った。
ビルフォが手で制する。
俺が見張っておく。
暗黙の会話だった。
こうでもしないといけないのは、このイカウの姿の者の為ではない。
ビルフォの視界には、アルビナスの哨戒が入る気配がチカチカ光って見えている。。
自分が外牢にと下した罰なのに、ノクテと話す様子や、周囲で徘徊している者たちがそのうち本当に近づくのではないかと何度も確認している。
ややもすれば、ここにテレポートして自ら追い払いに来そうだ。
-まぁそういうことだよな-
もう一回ため息が出た。
東はようやく落ち着いたところだ。不要なトラブルは避けたいところなのに。
あの人間が鏡を破って落ちてきた現場は見ていない。
「どういうことになっておりますか」
一瞬の空間の歪みを感じてアルビナスの安全の確認に駆け付けると、そこには気を失った人間の女が鏡の破片の向こうに横たわっていた。
それから、なんだかんだで、その人間はずっと主の側に置かれたままだ。
-おいおい-
何日かはかかるだろう鏡の修復。それまでの命だなと踏んでいたら、あっという間の鏡の完成。それも極上品に仕上げた。更に鏡の持ち主に人間がなっている。あり得なかった。
その一方で情報屋兼詐欺師のヂュクックが来城。南に懐いていたはずの奴の寝返り。
この二つの出来事が、ヂュクック暗殺と南の伯爵の人間略奪未遂に繫がる。
赤き月の娘、とかいう者ならば、さっさと取り込むべきだし、そうでないならさっさと始末すべき。いずれにしても早い決断を必要としている。主もそこを承知しているはずなのに、いちいち引き延ばす。確かに若く美しい娘だが、所詮は人間だ。ペット、おもちゃとしては手頃。手籠めにしたいならしてみればいい。遊びついでだ。だが扱いはそうではない。イカウが最初から危惧していた事態になりつつあった。
主の凍った感情に緩みが出たことは、ビルフォでも気づいた。
-こいつが解くのか?冗談だろ-
だがその悪い冗談はどんどん加速する。
まずいことに、所詮人間のはずの女に、風格のようなものが見え始めた。主と並んで違和感がないのだ。非常にまずい事態だった。
-溶けると思ってなかったよ。見た目の良さで溶けるなら、他の女にもあったからな-
主の心を徹底的に凍てつかせたもの。それは、東の掌握に疲弊しつつも漸く全土統治完了が見えて、ホッとした矢先だった。
イカウが必死の演技で酒場に顔を出した時、誰が主の命を狙ったのか、何人か容疑者の顔が脳裏を掠めた。だがその中にガラーヴィアはいなかった。ガラーヴィアもろとも暗殺を受けていたら大変だ、という心配があったくらいなのだから。それほどの信頼関係があった男の、東統治の仕上げがアルビナス暗殺だったとすれば、彼との関係は一番最初から偽物だったということになる。妹エルルを嫁がせようとしたほど信じていた相手なのに。
ただでさえ、造反、離反、謀反は度々起こった。前当主ルクシスト様の隠居は急だったし、息子だからという理由はかえって反発を招いた。それでもアルビナスが当主になれる道があったのは、腹心ガラーヴィアがいたからだ。彼は周囲からの評判がよかった。執政に向いているタイプの男で、対立しがちな主張のぶつかりを、両者渋々でも承知させる。人心掌握がうまかった。アルビナスの心もその手腕で掴んで騙していたのか。当人でないビルフォの心にまで大きな穴を空けた出来事だった。
ビルフォも南塔を見上げた。
アルビナスの哨戒はまだ入るがビルフォの見張りに気づいたのだろう。格段に減った。
-俺も忠義な性格だな-
主はアルビナスと決めているビルフォ。ルクシストの護衛から息子アルビナスにそのまま移行した形だが、この親から子の部分は偶然だ。
アルビナス個人に、東の主に相応しい価値を見出しての決断。
だが。
「女の趣味は全く合わんね。親子どっちも」
いきなりのビルフォの声にイカウ(中身ラフィン)はビルフォを見上げた。
しかしビルフォはイカウ(中身ラフィン)を見ない。
イカウ(中身ラフィン)もまた視線を外した。
俺はストレートに魔界の女がいい。単純明快で自分と同等な程度の女で十分。
複雑な事情があったり、異界の女をわざわざ選ぶ気が知れなかった。
この中身の入れ替えもだ。
ビルフォはかなり早い段階でイカウとラフィンに起こったことを正確に把握していた。
事情の詳細はさっぱりわからないが、イカウの中にイカウの精神がないことは明らかで、イカウらしい振る舞いをするのはあの人間であることも間違いない。
牢の中を一瞥し再び塔を見上げる。
イカウ。
おそらく今、主の部屋で人間の体の中にいるのだろう。それならば。
この事態はチャンスだぞ。
あの人間の中にお前の心が入っているなら、お前の望みは叶うかもしれない。