【13.本心】
「中々の見応えですな」
ドラキュレの近くにいる男が囁く。
広間の真ん中でアルビナスがラフィンと踊る。
アルビナスのリードもあるが、ラフィンは難なくダンスのステップを踏む。
深紅のドレスと流れる金髪が回って鮮やかだ。
「人間など、と侮れぬな。アルビナス殿も意地が悪い」
ドラキュレは呟いた。
アルビナスがパーティーの真意を知らないはずはない。同じ目的の宴に、あちこちから声がかかっているのだから。
おまけにうちには娘、カミラがいる。アルビナスが通った経緯もある仲だ。
内乱も納まり、正妻から妾妻まで、どこかに一族の血を迎えさせたい。
娘カミラが正妻に、一番いい。その下準備のパーティーである。そこへあの人間だ。
「余興というが」
人間の芳しい匂いがする。さぞ美味いだろうと想像できる、確かに人間なのだが。
何とも不思議な人間だ。それをアルビナスは愛でている。
娘と互角にケンカをする気の強さ、劣らぬ気迫。
怯えてもいるが基本的に堂々としている、あの風格。
「妹姫も類まれな美しさであったと聞く。まったく、お目が高くて困る」
アルビナスがラフィンを見下ろす。
「お見事」
僅かな抵抗に微笑んで返す。
「レイテ・ラウは物覚えがよろしい。皆が見惚れている」
レイテ・ラウがアルビナスの命令に従っている。おかげで早いステップも難なく踊りこなせていた。感嘆の声が周囲からあがる。
-何の真似?-
服従の下からラフィンが問う。
「人間の分際で俺と吸血鬼の広間の中央を独占だ。羨望の眼差しの強さを見ろ」
-これが余興?吸血鬼一族をからかって遊んでるの?-
「名誉挽回といったところだな」
-自分の名誉回復よね?-
「妬みを買う以上、それを見せびらかしてやらんとな」
ラフィンにニっと笑う。
「コケにされるのは我慢ならん」
-誰がコケにされるのが?-
アルビナスは答えない。
ラフィンがアルビナスを見上げる。
-もしかして私の、さっきの?-
不意にラフィンの右足ががくんと曲がる。
レイテ・ラウへの命令でステップを踏んでいたが、痛みが募っていたのだ。
わっという歓声に化粧直しを済ませたカミラが広間の中央を見た。
アルビナスに高々と舞い上げられたラフィン。
赤いバラの様に浮いてそしてまたアルビナスの胸元に降りてゆく。
拍手が起こった。
アルビナスがラフィンを抱き上げた姿勢で礼をして下がる。
そのままラフィンは長椅子に座らされた。
「相当強く踏みつけられたんだな」
ぱちっと指を鳴らされてラフィンは我に返った。
「お前の喧嘩の相手はここの主の娘カミラだ。気位高く美しくていらっしゃる。それを」
平手打ちのジェスチャー。
「人間の分際で互角に渡り合ったのだから満点以上だ」
「アルビナス」
名誉回復は私の?
そう聞きたいが何だかとても気恥ずかしくなって聞けない。
「ここでおとなしくしてろ。もう騒ぎは起こすなよ」
カミラに真っ直ぐ歩くアルビナス。
彼女の手を取りエスコートしてホールの真ん中へ出て行った。
彼の後姿に寂しさを覚える。
側にいるとからかわれてばかりで憎らしいが、離れてしまうと心細く感じた。
「どうして?」
アルビナスに体を預けて踊るカミラ。
「どうして人間なんか連れていらしたの?」
「余興に丁度よいかと」
「余興と言われるなら、是非皆に振舞って頂きたいわ。美しい娘の血を」
「褒めすぎですよ。ほんの戯れ事です」
「城に住まわせていらっしゃるのでしょ?」
「つい先日手に入れたばかりです。じき弱るでしょう」
「お部屋に上げていらしてるのでしょ?」
「野暮な事を聞く」
アルビナスは強引にカミラのステップを変えさせた。
カミラがアルビナスを見上げる。
そして背後に見えたラフィンを目で追った。
「人間の女など、気まぐれにも程がありましょう」
「同意見です」
「気まぐれなのね?」
「そう見えませんか?」
カミラは返事をせずに話を変える。
「内乱が落ち着けば、すぐにまたお会いできると」
「真っ先にこちらに参じました」
「・・・」
確かにそうではある。
「妹宮様もご静養地に入られて。お待ちしておりましたのに、あんな人間」
「退屈しのぎですよ」
「退屈なさってるならお見舞いにいらして。明日、お一人で」
「ペットの無礼は飼い主が償いましょう」
「約束よ」
わざとアルビナスの頬に唇を寄せる。
いちゃいちゃしてる。
ラフィンはいつの間にかアルビナスを目で追っていた。
カミラは美しい。
バラのような棘があるが、それすら美しさと言える際立った美女。
魔界の姫として、ああいうタイプがモテるのではないか、とラフィンは思う。
ホール全体が二人を羨望の眼差しで見つめていた。
思わずグラスの酒を空けるスピードが速まった。
先程からズキズキする足。
カミラの、手加減ゼロの踏みつけ方だった。
その女と親しげに踊っているアルビナス。
さっき自分を庇ってくれた。それはわかる。
さっき踊っている間中、今の彼らと同じような羨望の眼差しを浴びていた。
人間の小娘。
そう侮る連中が自分に見惚れたり、羨ましがったりしている、その視線の快感。
服従の状態にされて、かえって気が楽な瞬間があった。
-素直に従っていられる。彼に甘えていられる-
ラフィンは俯いた。
この感情が何かわかっている。
自分の身の置き所がなくなり、ラフィンは席を立った。
ラフィンはアルビナスの言いつけを聞かずに一人回廊を歩いた。
数人つけて来ているのはわかっている。
しかし踊る二人を見ていたくなかったのだ。見えなくなるところまで離れたかったのだ。
広間の明るさとざわめきが回廊を曲がった事で急に途切れた。
途切れた、と思った時にはラフィンを数名の吸血鬼が取り囲んでいた。
「美しい娘よ」
一人が手を伸ばした。
「吸血一族の屋敷に来ておきながら無事に済むと思うたか?」
ラフィンは3人の吸血鬼を見据えた。
「おお、いい目だ」
一人が犬歯を剥き出しにした。
「よい。とてもよい。殺しはしませんよ。吸血一族にお招きしよう」
「カミラ姫は殺せと」
他の二人が問う。
「構うまい。要は東殿から遠ざければよいのだろう?私好みだ。妻に迎えよう」
一人がラフィンの前に立った。
「すぐに済む」
柔らかい物腰だったが、いきなりラフィンの両腕を掴み上げた。
もがくラフィンの首に歯が深々と刺さる。
ズッと吸い上げられる血。
ラフィンは一気に血圧が下がって抵抗できなくなった。
-アルビナス!-
意識が遠のいた。
「ぐ!」
ラフィンの首から男が牙を抜いた。
「何だ、これは。こいつ、どういう」
男が咳き込んだ。
「アル、ビ、ナス」
ラフィンは小さく声を漏らした。
アルビナスが、意識が朦朧とするラフィンを抱き上げていた。
吸血鬼らが怯えて後ずさる。
「お許しを。つい誘惑に」
「・・・」
アルビナスがラフィンの危機を察してテレポートして来たのだ。
「伯爵様とて余興にとおっしゃったではありませぬか」
「言ったな」
-アルビナス?-
ラフィンが微かに動いた。
「だが連れだとも言い置いた。ドラキュレ様はどう判じような」
男らは顔を引きつらせた。
「お前、気分はどうだ?」
ラフィンの血を吸い上げた男が睨まれた。まだ少し咳き込む。
「こいつには色々呪がかかっていてな。お前達の口には合うまい」
アルビナスがラフィンの首に伝う血を舐めた。
「私の獲物なのだよ」
アルビナスの視線に男らは震え上がった。
「それ位で許してあげて下さいませ」
カミラの声がした。
「私が呟いた一言が悪かったのです。目障りだと」
アルビナスが振り返る。
「それを片付けたら接吻しても良いくらいだとからかいましたの。そのせいだわ」
-アルビナス-
ラフィンがアルビナスの体温にすがる。血が吸われて寒いのだ。
無意識に近いラフィンの動きにカミラの目が嫉妬に燃える。
「今はお気に入りでいらっしゃるようね」
「ああ、見事なまでに皆が注目する」
「人間の分際で、こんな格好でこんな所にいるせいだわ」
「お気になさる事はない。たかが人間ではありませぬか」
アルビナスが微笑んだ。
「そうです。人間だわ。だからそんな物、こいつらにくれてやって!」
「気にしている?」
「・・・」
カミラが唇を噛んだ。
アルビナスはそのままラフィンを抱えて歩き出す。
「アル・・・」
ようやくラフィンは声を出した。
震えてアルビナスの胸元の布を掴む。
「今夜はこれで失礼する。改めて今夜の非礼を詫びに出直しまする」
馬車でもそのまま抱かれているラフィン。
「結構吸われたな」
ラフィンがゆっくり目を開けた。
「ごめんなさい」
「何だ?謝るとは珍しいな」
「勝手に貴方の側から離れたわ」
「自業自得とわかっているなノクテいい」
「悔しい」
アルビナスはラフィンを見下ろした。
「こんなにも力がない。一人で歩く事も」
「よくやった方だ。吸血鬼3人相手に」
アルビナスが呟く。
「吸血一族にも気に入られるとは、お前はほとほと魔族に人気がある。お前も吸血鬼に仕立てようとは大した決断だよ」
「?」
ラフィンの目が泳ぐ。
「お前の血を吸い尽くすと同時に自分の血を捧げる。一種の契約であり、濃厚な絆となる。たいていは妻とする場合が多いようだ」
「そうなの?」
「邪魔しないほうがよかったか?」
アルビナスの顔が近づいた。
「お前の年齢はそこで留まる。人間の血を求める魔物にはなるが、お前が悔しがる人間の非力さ、儚さからは解放されるぞ」
アルビナスと見詰め合うラフィン。
「俺からも一応は逃げられる。真実の名は奪われたままだがな」
ラフィンは目を逸らした。
「他の魔物の慰み者になるなら一緒よ。ましてや魔物そのものになるなんて、嫌よ」
「まだ俺の側がましか」
クククとアルビナスが笑った。
それから蒼ざめたラフィンを見下ろした。
「レイテ・ラウ。お前は俺のものだ。俺から離れるな」
城に戻ったアルビナスはラフィンをベッドに寝かせた。
そのままドレスを脱がせる。
きつく締められたビスチェが緩められ、ラフィンは息を吐いた。
「随分飲んだな。酒臭いぞ」
言いながらその体を引き寄せた。
貧血と酔いでフワフワする中でアルビナスの愛撫が押し寄せる。
「んぁ」
けだるく身を捩るのをアルビナスがじっくり弄んでいた。
キスが長い。
「お願い、やめて」
その言葉が漏れる口にキスが繰り返される。
「嫌なら噛み付いたらいい」
ラフィンの体温を上げるかのようにアルビナスの素肌が寄せられた。
ラフィンの体がアルビナスに従っていく。
「私、ダメ」
「抵抗するな。体に従え」
「いや」
「そう拒むな」
ラフィンを見つめるアルビナスの目。
「任せろ」
ラフィンの首筋の牙の傷跡を撫でる。
「他の手垢がつくのは許せん」
ラフィンの首の傷をまた舐める。そのまま首筋のラインに唇を這わせる。
「大した人間だ。こちらが惑わされる」
ラフィンが身を捩るところを狙って愛撫を繰り返す。
今夜は酔いも手伝って、ラフィンの体の防備は甘い。
「お願い。だめ」
「落ちろ」
そう言いながら、ラフィンの動きを一段と強く封じた。
「ああぁ!」
とうとうアルビナスの一番固くそそり立ったモノがラフィンに突き刺さった。
アルビナスの動きはもう止まらない。
アルビナスに顎を引き上げられ、目が合ったまま力強い躍動が繰り出される。
「あ、あ、く」
ラフィンは思わず喘ぐが唇を噛みしめる。
「俺のものだ。俺以外に触らせるな」
「悪くない」
男が呟いた。
「余計な血肉が多いけど。ふふ。あの程度の男には丁度いい」
くっくっくと一人で笑う。
「中々官能的な行為を見せ付けてくれる。こちノクテで熱くなるな」
男は額から手を外した。
「破壊したつもりでいてくれるなら尚結構。かえって覗きやすくなった。変に道具を挟まない方が余程見やすい。悔しい事に」
「そんなもの?」
「並び立つ存在ってこういうんだね。気持ちじゃ全然思い入れないのに。必死の奴らには目の前を通っても気づけないのに、こっちは遠くの囁きまで察知しちゃえるんだから」
男がグラスを取ろうとして少年の手がそれに添えられる。
「で女の裸を喜んでる?」
「ヤキモチか?心配するな、大した物でもない」
「覗かせてくれないくせに」
「覗かせないよ。うまく隠すの上手なんだよね、俺」
-間一髪だったけどね-
男は苦笑する。
-布切れ一枚でヒヤヒヤしたが、集中できる状態でもなし、なんとかかわせたな-
「含み笑いでいやらしい奴」
「お前には無理だよ。俺だから見える」
「男の方に興味があるんでしょ」
「ふふ、バレてるか」
少年を引き寄せた。
ラフィンは目を覚ました。
朝になっていた。
最近は感覚で判断が多少つくようになったラフィン。
ベッドに一人だ。
裸体の自分、何より。
体にはっきりと昨日までと違う感覚があった。
悪魔に犯された、は言い訳だ。
自分から彼を許していた。求めていた。
ラフィンは呆然と自分の身を抱き締めた。
この体はこうやって魔界に染められるのか。
ふと物音の方を見るとイカウの姿があった。
ラフィンが脱がされたドレスの皺を伸ばして調えている。
イカウが顔を上げた。
ラフィンは思わず目を逸らす。
「朝食をテーブルに用意してあります」
無機質な言葉だった。
「アルビナス様は朝からカミラ様のお見舞いに出られたわ」
「カミラ」
ラフィンが反応した。
イカウが冷たい目を上げる。
「カミラ様を引っぱたいたそうね。アルビナス様にどれだけ迷惑をかけたかわかってる?」
「・・・」
「久し振りにご招待を受けての外出だったのよ。あちらは以前からカミラ様を東の伯爵夫人に納めたがっている有力者。それを気まぐれに連れてきた人間が出しゃばって、その姫を殴ったなんて」
「・・・」
返す言葉がない。
「災いの種よ、あんた。せっかく落ち着いた所で騒ぎばかり」
イカウが呟いた。
「魔界に落ちた人間のくせに、魔物に厄災を落とすなんて、悪魔の悪魔?」
イカウが白々しく笑った。
「にしては大した事ないわよねぇ。結局、何もかも当主様の思いのままにされているんだから。ねぇ?」
畳んだドレスを見せて揶揄するイカウ。
ラフィンが胸元のシーツをより引き寄せた。
「アルビナス様は昔から女性に人気があるのよ。権力者であの容姿だもの。恋のお相手はカミラ様だけじゃないしね」
イカウは立ち上がった。ドアで振り返る。
「勿論、あんたは数に入んないわよ。ただのおもちゃなんだから」
バタンと激しくドアが閉まった。
ドアを閉めたイカウは、意地悪な表情から、ぎゅっと自分の顔を覆った。
-嫌な子。私-
ラフィンがああしているのは、そのほとんどがアルビナスの要求があればこそ。
彼女が媚びたりするのを見たこともないし、対等な物言いは生意気だけれど、一本気で印象はそんなに悪くない。
「でも、どうして」
どうしてこうも不公平なのだろう。
長く側にいた自分は目をかけられたと内心舞い上がりながらも、一度としてその身を要求されたことはない。
妾妃に召されることでもあったら大出世、単なる夜伽相手でも十分、一夜限りでも、というのが一族の悲願だが、それは身分違いである事に始まるいくつもの難関がある。
そしていつかは先代から長く女主のいない東の城に、おそらくは権力者の姫がアルビナスの正妃として入城するのだ。その後ろには何人も妾妃が控えるだろう。
そういう立場にあるのだ。東の伯爵、アルビナスは。
先代東の伯爵ルクシストも見目麗しい男だった。
今のアルビナスのように女達に人気者だったと聞く。
だが結局は一人の正妃を据えてそれ以上の妃は娶らなかった。
-だって、タア様は特別なお方-
誰もがそう思える人物が伯爵の妻に入ってもらわなければ納得がいかない。
そう思えるからこそ諦められるものを、人間の娘が主の寝室を陣取っているなんて。
白黒はっきりしていて清々しい性格だし、ずる賢いこともしない。きっとラフィン単体のことだけなら、好ましい性格だ。でも。
何も知らない自分以下の立場のくせに。胸の内がざわめく。きれいだってだけなら他にもアルビナス様にはお相手がいる。なにもラフィンでなくてもいい。人間でなくても。
どうして。その言葉だけがイカウの頭の中を巡る。
イカウは唇を噛む。どうして?答えは。
イカウは最初からわかっている。
アルビナスは先代当主ルクシストの息子であったが故に、身分が与えてくれる特権や、利用価値の有無で判断される関係の例をたくさん経験している。自分が東の当主となった今、その立ち回りは、更に緻密に計画的に考えて動かなければならない。
それを承知のアルビナスが、何の得もなく、自分の価値すら押し下げてしまう恐れのある人間をそばに置いておく理由。身分や利害関係を顧みることない原因。
それはアルビナスがラフィンにすっかり心を奪われているということに他ならない。
人間なのに。
偶然落ちてきただけなのに。
何の役にも立たないばかりか、妙な事件の元凶のようにさえ思えるのに。
胸騒ぎがしていた。
そう、最初から。あの人間は特別だった気がする。