遭遇
この出会いは偶然か。
故意であったら?誰の仕業?いつからの仕掛け?
「クラリア!」
母親と思われる女性が声を枯らして名前を呼ぶ。
他にも3名女性はいるが、彼女一人だけ服装と装飾が華やかで凝っており、何より彼女の風格は高貴。貴婦人だ。彼女がこの集団の主人で、他は侍女である。
「クラリア様!」
侍女らも必死にあちこちを探している。
夕暮れ間近程度だった景色、いきなり目にもわかる速さで陽が傾き始めた。
その暮れ方は通常のものではない。
人の住まう世界の様子もあるのに、そうではない。
「いけない。日が落ちるわ」
侍女らは探す手を止め、一斉に貴婦人に振り返った。
貴婦人はその状況に構わず、ひらけた野原の真ん中で髪を振り乱して周囲を見回す。
「クラリア!どこ!?」
結い上げた髪が弱まる光にさえ眩いばかりに輝く。振り乱れてさえ美しい。
地平線に引きずりこまれるように、日が落ちた。
ふっと光が途絶えたと思った途端だった。
周囲は一気に様相を変えた。
闇色一色になり、どんよりした重い空気がうねっている。
既に侍女らは貴婦人を取り囲んでいた。
大人しそうに見えた侍女の頬を何かが掠める。
たおやかに見えた侍女が素早くそれを薙ぎ払った。その動きは俊敏だった。
動きとしては軍人に近い。貴婦人の護衛をこなせる技術があることを伺わせた。
「ここは危険です。」
言う側から貴婦人を馬車の方に半ば強制的に連れて行く。
貴婦人の警護者として彼女らの動きには更に機敏さが増す。
「待って・・・クラリアが・・・何処かに・・・!」
闇から奇声が聞こえる。
何かが飛び交っている。その数が増えている。
「いけません。御身に何かあっては・・・!」
「クラリアはまだ洗礼前なのよ・・・このままでは見失ってしまう・・・!」
悲痛な声に侍女らも顔を歪めながら、それでも貴婦人を馬車に押し込んだ。
「お願い。クラリアを」
「ご容赦ください。あなた様の御身をお守りすることが第一でございます」
「置いていけるはずはないでしょう?」
「なりません。クラリア様のことはクラリア様の警護人がお守りするはずです」
「その洗礼が」
侍女らはもう貴婦人に応答せずに周囲のみに意識を向けた。
「・・・ああ・・・」
貴婦人は泣き崩れた。
馬車は侍女らの固い警護の中を勢いをつけて走り出した。
「騒がしいな・・・」
男は閉じていた目を開けた。
眼下にワラワラと灰色の生き物が走り回っていた。
皆が勝手に走るので、あちこちで体をぶつけ合ってギャッと声をあげる。
しかしむやみやたらではあるが、一つの方向性はあるようだ。彼らの狙いが境界線のようになっている茂みの向こうにあるらしい事が見えてきた。
「エサガいる」
「オレガみつけた」
「オレガくう」
「オレガみつけた、サキニみつけた」
「オレノえさだ」
彼らはネイヴと呼ばれる。50cm足らずの大きさで、集団で行動する下等な魔物。
ワラビーをやせぎすにしたような姿。そんな感じだ。
自分達には高すぎる茂み。何度も首を突っ込んで向こうを確認しながら、捕まえてもいない獲物が誰のものかの小競り合いを始めた。
太い木の枝で寝転んでくつろいでいた男は、一向に収まる気配のないネイブ達に、とうとう起き上がった。
その手は爪が鋭く生え、かき上げた漆黒の髪。その頭には人間にはあり得ないモノが突き出ていた。細くねじり上げた白い角のような。いや、両のこめかみの少し上から20cmはあろう角が間違いなく生えていた。
耳にはピアス。指にもリングが光る。すべてが高価なものだ。
髪と同様の漆黒の瞳が茂みに向けられた。
茂みの向こうに何がいるって?
こんな所で、ネイブが騒ぐエサなど、そうそう来ようはずもないが?
ハザマとは言え、かなり深部で、もうあと一歩で魔界に踏み込むほど。
ネイブの背後から静かに茂みの上から覗いた。
「・・・ほぅ?」
茂みの向こうは、陽が降り注いでいた。
花畑になってはいるが、一つ一つの花は、少々奇妙な形をしていた。
そこに、娘が一人、はしゃいで踊っていた。
-人間・・・こんな奥まで。珍しい-
ネイブが騒ぐわけだ。あの獲物なら、ネイブ数匹で捕らえられそうだ。
しかしなんと無防備な生き物か・・・
男はその人間の娘を眺めた。
長い三つ編みの金髪を揺らしながら、一人で飛び跳ねている。
花が踏まれて威嚇していてもへっちゃらだ。
そう、ここの花は威嚇したり音を立てたりする、半魔界の植物。
人間たちが‘ハザマ’と呼ぶ、言わば魔界との接点部分の地なのだ。
‘ハザマ’は川と海の間の汽水域に似た場所だ。
薄まっているとは言え、魔の気が混じる場所。
一応の結界はあるが魔物の侵入もあり得る場所だ。実際現状の有り様だ。
だから、ひ弱な人間が近寄ってはならない危険ゾーンである。
ここに限らず、何箇所かこういう場所はあり、天界、冥界への‘ハザマ’もある。
どの‘ハザマ’も人間では敵わない天の気、冥の気が混じっており同じく危ないが、殊、魔界との‘ハザマ’は人間を害する確率は高く、最悪の場所。
そのはずなのに、今、目の前に人間の娘が一人で遊んでいるのだ。
楽しそうな笑顔。こちらで喰らう奴らが潜んでいるというのに、危険の気配も感じ取れない、ネイブ以下の生き物、人間。
ネイブがとうとう掴み合いを始めた。
突き飛ばされた一匹のネイブは、自分がぶつかった物を見上げた。
男の足にぶつかっていた。
その男と目が合った途端、ぶつかったネイヴは悲鳴をあげた。
その悲鳴が周囲のネイブに伝播。皆が男を見上げ、ワッと八方に散って逃げ出した。
皆が恐れおののいていた。自らの命より大事な物などない、といった勢い。
逃げる方向に規則性はなく、茂みを突き抜けた奴もいる。
さっきまで取り合いしていた獲物の足元を数匹がすり抜け、一匹はもろにぶつかった。
「ひゃ!?」
人間の娘はいきなりの衝撃によろけて自分の足元を見た。
ぶつかられた生き物が、日頃村で見かけるウサギやイタチなどではないのはわかった。
灰色の、何か、変な。
人間の娘はようやく周囲の状況に目を凝らした。
今自分の足元をすり抜けた者共、そしてそれらが恐れた者の姿がようやく彼女の目に入る。
奇妙な彩りながらも燦々と陽光の降り注ぐ真ん中の広場から数m向こうの茂みの闇、その奥に突然広がる枯れた林と太い枝に凭れている男の風貌と視線。
「きゃあああああ!!」
割れんばかりの大きな悲鳴と本能的に駆け出した足の速さに男は呆れた顔で見送った。
先程までの騒ぎが全て静寂に帰った。
ネイヴが男の向う側の物陰から畏敬の念を浮かべた顔で見上げている。
ひと固まりになり、平伏の姿勢で怒られるのに怯える子供の集団に見える。
「・・・大騒ぎだったな・・・」
男が手をひらひらと振ると、ネイヴたちは平伏のまま後ずさりして男の目に入らぬ位置に引き下がっていった。
一人のんびり過ごすつもりだった彼にとって、ようやく煩わしい連中が消えた。
「にしても見事な金髪・・・」
光の加減もあろうが、まるで黄金を細く金糸にしたような輝きであった。
そして妙な感覚が残った。
-何だ?美しいと思ったな-
自分の感想を認識して奇妙に思えた。人間を初めて美しいと思ったからだ。
一人で少し微笑んだが、それはほんの少し。
一つため息をついて、ふと近づく気配に目を向けた。
「アルビナス様―!」
軽やかな声が背後から聞こえた。
声の主が真っ直ぐ男に駆け寄る。
小さな一本角が生えている女の魔物だ。
その手にはずっしりと重量感のある、立派なマントがあった。
「お出かけの際には一言お声掛け下さい。私が困ります」
女の身なりは格段に安っぽい。一目で使用人とわかる。
「よくこことわかったな」
マントを羽織る男。
「アルビナス様のお気に入りの昼寝場所位はわかってます」
アルビナスが口元に笑みを浮かべた。
その顔に女が見惚れる。
「イカウには敵わないな。しかしお前一人でここまで追って来ることはない。領地と言えどここは外れ。万が一という事もある」
「わかっておいでで一人で出歩かないでください」
「ほう?我が身が危険に晒されるとでも?」
アルビナスの挑発的な言い方にイカウも目を上げる。
「いえ。東の伯爵様に匹敵する力を持つ者などそうはおりません」
「かと言っても・・・」
イカウの後ろで突然何かが倒れた。
武装した大柄の魔物。すでにアルビナスによって倒されていた。
「お前をつけて来たようだな」
気付けば更にその奥で倒される魔物がいる。
「ビルフォの手も煩わせたか」
アルビナスと呼ばれた男の護衛のようだ。
傅いた姿勢のまま少し会釈してそのまま控える。
イカウは跪いた。
「申し訳ありません。私が軽率でした」
「構わん。側仕えの責務を果たそうというお前に非はない」
言いながらイカウの横を通り過ぎ、魔物を脇へ蹴り転がす。
控えるビルフォに問う。
「どう思う」
「計画性はないと見ました」
「残党か」
「おそらく」
「我が身はまだまだ狙われるな」
「先日の謀反の件が後を引いているのでしょうか」
イカウが口を挟む。
「そのようだ」
「もう少し探っておきます。粛清が必要となるかもしれません」
「任す」
「は」
ビルフォの姿が消えた。
「あいつは俺より人望があったからな」
「・・・」
イカウは黙るしかなかった。
アルビナスはマントを翻した。
「先に戻っておれ。寄り道をしていく」
「どちらまで?」
「南に少々楔をな。派手な男が一段と派手に動き回っている」
髪を揺らし息を切らして走る。
ハザマの森でアルビナスを出くわした人間の娘だ。
坂道を一気に下っていく。
山間から、ようやく人の手で整備された果樹園の所に降りてきた。
「ラフィン!」
その声に娘が足を止めた。
果樹園から男が出てきた。
「兄さん!」
躊躇なく駆け寄って抱きついた。
「真っ青な顔してどうした?」
「うん」
問われても言い淀み、目を逸らすラフィン。
「・・・お前、またハザマに行ってたな?」
兄、ハンツの言葉にラフィンは誤魔化し笑いを浮かべた。
「魔物と遭遇したんだろ。おてんばもいい加減にしないといつか本当に襲われるぞ」
「ちらっとだけよ」
「見かけたんだな。また奥の方まで入り込んだんだろ。危なっかしい」
ハンツの声には心配の色が強く入った。
「大丈夫よ。これでも巫女になったんだもの。少しは守護呪も・・・」
「なりたてだろ?大体そんなつもりで巫女にしたわけじゃないんだから」
「だって、ハザマ、面白いの。無理はしてないわ、日の高いうちしか」
「言い訳するな」
ピンと鼻を弾かれた。弾いておきながらその頬を優しく撫でた。
「ケガはないな?」
ラフィンは頷く。
「ラフィン!」
同じ年頃の女の子が数名、二人に駆け寄った。
ラフィンはその子らに混じってハンツから離れていった。
「よく怖くないわね。ハザマなんて。私、一度も近寄ったことないわ。脇を通り抜ける時も怖くって。守護符握りしめて走り抜けるのに」
「花畑は平気よ」
「それって奥の方じゃないの?」
「気味が悪い花ばかりでしょ?肝試しに入った男たちが1本引っこ抜いて来てたわ。抜いた時に噛みつかれたって。もうしおれて死んでたけど、牙みたいな棘が花びらについてて」
「大丈夫よ。それ、抜いたりするから噛みついたのよ。いつもは威嚇するだけで」
「それでも十分怖いわよ!」
ラフィン以外の娘たちは声を上げて訴えた。
「ラフィンは変わってるわ」
「きっと拾われた場所だからじゃないかしら」
ラフィンが屈託なく笑った。
女の子達が困った笑みを浮かべる。
「でもやっぱりやめた方がいいわ。最近魔物の出没が多いもの」
「そうよ、山向うの村はこの間魔物の襲撃を受けたって」
「魔物・・・」
ラフィンは先程見かけた魔物を思い出した。
足にぶつかり、数匹が近くを駆け抜けた、あの小さい方ではなく、茂みの奥に立っていた方の魔物。兄、ハンツと同じような年頃に見えた。角が生えていた。
そう、人の姿に近かった。
通説では、人に近い姿をとる異形の魔界の者は、そうでない者より格段に魔力が強いとされている。木に凭れていた男は、角がなければ人間に見間違う程の魔物であった。
今更ながら震えがあがった。
「若い娘から皆殺し状態だったらしいの。旅商人の話ではあちこちでそんな事が起こってるって。壊滅した村もあるって」
不吉な話に場の空気は暗くなる。
それを嫌って女の子達は声色を変えた。
「ねぇそれより、お兄さん、何て言ってた?どんな感じだった?」
「ああ・・・今は好きな子はいないみたい」
「えー・・・」
「あんなにモテるのに」
村では一番の見栄えの良い青年である。
長身で働き者。容姿もよい。村の自衛のための剣技にも優れおり、隣の大国ニガリッツで軍人にどうかというスカウトが来たこともあった。
農民から軍人になるのは出世コース。
スカウトに来た人物は、いずれは将校にしたいと、村長も連れて説得に家に来た。
軍人の、更にエリートコースだ。大体、教養も身に着ける必要があるため、国からの全面援助で学校にも通うことができる。
「いえ。俺はここを離れる気はないです」
ハンツはあっさり断った。何の迷いもなく。
「今の生活で満足しています」
「いや、でも、生活はもっと豊かなものにできるよ」
ハンツは説得に全く耳を傾けなかった。
勿体ない勿体ないとぶつぶつ文句をいいながらスカウトの人物は帰っていった。
そんな兄だから、女性からのアプローチは多い。
結婚適齢期にもなってきたから尚更だ。
「目が肥えてるのよ。ラフィンを見てるから」
「私?」
「そうよ。血が繋がってない兄弟でしょ?仲もいいし、もしかして」
ラフィンは吹き出す。
「ないない。そんなこと考えたこともないわ」
「でも」
「兄さんは兄さんよ。それ以上何にも思ってないわ。兄さんもそうなんじゃない?」
「そうかなぁ」
「そうよ。ずっと一緒に暮らしてて、全然恋愛対象なんて思えない」
朗らかに笑うラフィン。
そのラフィンの髪を女の子が触る。
「羨ましいわ・・・本当にきれいな金色の髪・・・」
この髪が私には疎ましい・・・
ラフィンは自分の髪を一瞥した。
家族は全員ダークブラウンの髪にブラウンの瞳だ。
それどころか村人のほとんどがダークブラウンの髪にダークアイで、赤毛でさえ珍しい。
自分だけ金髪に、瞳にはイエローとエメラルドグリーンの光彩が走っている。
明らかに血の繋がりが見えなかった。
15年前、ハザマの森で泣いているのを今の両親に拾われたのだ。
拾われた記憶もないが、拾われる以前の記憶も全くない。自分の名前すら。
「高価な衣装を身に着けていたし、きっと良い家育ちよ。それでも親の名乗り出がなかったというのは、きっと深い事情があって」
と両親は言うが、汚れきっていたという衣装は処分され、他に身元に繫がるものは何も身に着けておらず、どこまでも想像でしかない。
「家督争いに巻き込まれた、とか」
「かとく?」
「跡継ぎ争い。ほら、隣国ニガリッツで第二皇子と第四皇子が次の王様どっちってやってたでしょう?第一皇子は暗殺されて、第三皇子は狩りに出てまま行方不明で」
「吟遊詩人の語りの物語でしょ。半分は作り話でしょ?ああいうのは」
「この間の吟遊詩人の人、かっこよかったわ。声も良くって」
「ホローラットって名乗ってたわ」
若い女の子たちの軽やかで賑やかな会話の花が咲く。
のどかな日常だ。
「じゃあ本当に?」
ラフィンは司祭を見上げた。
「最近はかなり近くで被害が出ている。狙われるのは常に若い娘。ついでに村そのものを手当たり次第に壊して行くことも増えているそうだ」
「ひどい・・・」
司祭はラフィンを見下ろした。
「どうやら、魔物共は捜し物をしているらしい・・・」
「捜し物?」
「・・・赤き月の娘、とか言うらしいが・・・」
「はい・・・」
「小物の魔物が捕えられてな。知能も低い故、鵜呑みにもできんが・・・」
司祭は大きく息をついた。
「15,6年前、・・・こちらの世界で血の様に赤い満月が上ったとか。その日に産まれた女の子を捜しているようだ。その子は魔界では重宝される力を持っていると言われているらしい。それを捕えて生きたまま喰らうと、並外れた魔力が得られるとか」
「・・・」
ラフィンは絶句した。
「次々村が襲われている所を見ると未だ見つかっていないのだろう。奴らにしてみても噂の域を出ない部分もある様子だが・・・どうしても欲しい魔物がおるらしい・・・それもかなりの強者のようだ。」
「・・・この村も危ない・・・?」
司祭は頷いた。
「ラフィンも新米とはいえ巫女。いざという時の心得はわかっておろうな?」
「村を守って見せます」
ラフィンが出て行ってから司祭は溜息をついた。
「・・・血の様な赤い月・・・覚えている・・・」
独り言を呟いて椅子に腰を下ろした。
司祭ははっきりと覚えていた。
二人目の子、わずか3歳の娘を病で失った数日後、夫婦は森で子を拾った。
娘の生まれ変わりだと、彼らは即座にその子を我が家に連れ帰った。
薄汚れてはいたものの、上質なしつらえの衣装の2,3歳の女の子。
珍しくも美しい金の髪、愛らしい面立ち。
拾われた子の親の行方をしばらくは探したが、全くと言っていいほど何の消息も掴めず、女の子は失った子に似た名、ラフィンと名づけられ、そのままその家で育つこととなった。
少女をいたわる彼らの表情を嘲笑うかのような妖光がその夜は空を照らしていた。
不気味な赤い月が上っていたのだ。
今にも血が滴り落ちてくるような艶々と血を満たしたような月・・・
ラフィンはその日に生まれた子ではない。
だが、その夜に振って沸いたような子であった。
「神よ・・・私の推測など一笑に伏してください・・・」
司祭は神像を見上げた。
連載開始です。次回をお楽しみに。