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後日談 3

 オルパニルが自分の名前を呼んで、なんだか安心した。六日前に遭遇したことは、何一つ事実なんだと確かめられたような気がしたからだ。

 傍まで寄って、彼と対面する位置で、もう一度彼の名を呼んだ。

「オルパニル…」

 目の前に、会いたかった彼がいる。そう思うと、どうしてか涙が出てきた。

「良かった…また会えた…」

 もう会えないと諦めかけていた。でも、神様は私たちの運命を重ねてくれた。

 どんなお祝いよりも、彼に再び会えたことのほうが嬉しかった。

「あの、怪我してましたよね? 大丈夫ですか?」

 私は彼の体を心配した。あの時、気付いた時には彼は右腕がなくなるという大怪我を負っていた。そこから大量出血という二次的な状態にもなっていたはずだが…。

「問題無い。心配する必要は無い」

 オルパニルは素っ気なく答えた。

 見たところ、右腕は元通りになっているし、彼の顔色も悪くない。彼自身も大丈夫と言っているし、大丈夫なんだろう。どうやったのかはわからないけど、あの時の大怪我はすっかり治っているようだった。普通は不思議に思う所なんだろうけど、彼なら何でもやってのけそうだと考えられる私もいた。いいのかな、これ?

 それと、何度も耳にした平べったい言葉遣いに、彼である実感を増えて、嬉しくなった。

「ソミアはどうだ? その様子なら問題ないとは思うが、身体に異常は無いか?」

「はいっ。昨日目が覚めたばっかりですけど、痛みもないし、検査も異常なしでしたっ」

 細かく突き詰めていくと心配してもおかしくない事実があるんだけど、本当に大丈夫なので、元気な声でオルパニルを心配させないようにした。

 私の返事を聞いたオルパニルは、やっぱり疑問に思うところがあったのか一瞬だけ停止して、再び訊いてきた。

「…肉体的には問題が無くても、精神的には堪えた筈だ。体重が減ってしまっていなかったか?」

 言われて思い出したが、目が覚めてからいつものように体重を量ってみると、以前と比べて物凄く減っていた。二日分の体験と六日間の点滴生活が原因らしい。体重が急激に変化すると体に良くはないんだけど、でもこれは仕方のないことだ。二日分も尋常じゃない体験をさせられれば精神的に参って気疲れするし、一週間もベッドの上で寝たきり生活を送っていては体の筋力が衰えるし、同期間だけでも基礎代謝分しか栄養を送られない点滴を受けていれば太ることなんてないし、お通じがあっても口から入る物がなければその分体重が減るし。

 でも、これは私にとっては何の問題もないことだ。今まで通りの生活を送っていれば元の体重に戻るだろう。…体重が増える、って考えるとすごく微妙な気持ちだけど。

 だから、笑ってこう答えた。

「ダイエットする手間が省けました」

「…なら、別に良い」

 そう言い終えて、オルパニルは話を閉じた。変わらない無愛想だけど、自分の健康を心配してくれていたことを知って、とても嬉しかった。

 オルパニルはこれ以上尋ねようとはしてこなかったので、私が尋ねることにした。今日のニュースを見ても、分からないことだらけなのだ。

「あの、オルパニル…。訊きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「俺が情報を持ち合わせていれば、答える」

 と言って、

「…歩きながら話そう。背後からの視線が気になる」

 そう付け加えた。彼の背後を覗いてみると、さっきの人垣を作っていた人達がこっちをじろじろ見ていた。確かにこれは気になる…。

 私は彼の提案に賛成して、歩き始めた。彼の隣を、彼の歩調に合わせて歩く。今は夜ではなく、昼過ぎの時間なので、腕を掴むことはなかった。でも、彼の後に付いていくしかなかった夜の時とは違い、今はお互いに望んで歩いていると思った。それがなんとなく、気恥ずかしいような、仲が親密になったような感覚を感じた。

「それで、何が訊きたい?」

「えっ…と、ですね…」

 急に訊かれると少し混乱するが、自分を落ち着かせて、疑問を引っ張り出した。

「その…あの、オルパニルが怪我をしながら力を使ったあとに、何があったんですか?」

 今の自分にとって最大の疑問を尋ねると、オルパニルは珍しい物を見るような風で(変化はすごく小さいけど、わかるようになってきた)私を見た。

「知らないのか?」

「知らないから訊いているんですけど」

「ニュースは見ていないのか?」

「この街の状態とかは見ましたけど、肝心な所は何も」

「…運が悪いと評価された経験は?」

「友達からは、しょっちゅうです…」

 なんだか私が無意識なところから悪いように思えてきた。

 オルパニルは少しだけ黙った。多分、考え事をしているんだと思う。やがて、私をある場所まで連れてきた。そこは、前にオルパニルと路上で出会った、ショーウィンドウのある電化製品取扱店だった。

 その店は、ショーウィンドウの硝子が割れているのを除けば、大きな損壊は見当たらなかった。もう修復が終わっているのかな。ショーウィンドウの前には、前に見た時よりも大勢の人が群がっていて、テレビに流される情報に耳を傾けていた。私達もその一部に紛れた。

「恐らく、その内に返答が報道されるだろう」

「え?」

 私はテレビの映像を注視し、報道の音声に集中した。

『―――と決議し、次なる進歩を目指す模様です。

 …次のニュースです。現在軍隊のボイコット運動が激化し、今後の進展に期待が掛かる国際的な軍事問題について、政府は今日、四度目になるアイルランド側との首脳会議が行われました。結果は、対立状態は継続させるが兵は撤退させることが決まりました。今、両国同時に兵士を撤退中で、今日の深夜には全ての撤退作業を終える予定でいると、政府は発表しました』

 そこまで聴くと、周囲の人達が一斉に歓声を上げた。

「えっ? …な、何がどうなってるんですか? 軍隊が撤退したとかで…」

「報道の通り、戦争からまた一歩遠ざかった、と言うだけだ。まだ休戦状態と言うだけで終戦締結は結ばれていないのだが、戦争の正犯がコルド・キンベスターだと判明していれば、終戦するのも時間の問題だろう」

「いえ、それでもさっぱりなんですけど…」

 話を聞きたいとテレパシーを送るつもりでじぃっとオルパニルの目を見ていたが、彼は話そうとはしなかった。その代わりに、テレビの映像が変わった。

『本当だ! 本当に俺達は神のお声を聞いたんだ!』

『何度も目を疑ったけど、あれは本物ですよ! 仲間も見たし声も聞いたと言っていましたから、見間違いなんかじゃないです!』

『戦争を続ける意味なんてないんだ! これからは話し合いによって解決する努力をしなくちゃいけないんだ! また戦争なんてやったら、女神様を悲しませてしまうぞ!』

 テレビでは、兵士が何やら必死で反戦争運動を唱えていた。

『このように、兵士達は全員で口を揃えて、“神様を見た”、“戦争をしたら神様を悲しませる”と言っています。命令違反の弁解だと解釈して詰問が続いていますが、アイルランドの兵士達も同様の発言をしており、政府は、当時に何らかの怪現象が起き、その影響で闘争意欲が損なわれたと考えています。現場に同伴していたカメラマンもその怪現象を見たと言っていますが、しかしながら持参していたカメラの写真やビデオディスクには何の映像も映っていませんでした。また、当時を監視していた衛星からの映像にも何も映っておらず、専門家も首を傾げている次第です』

 報道員は事実を不思議そうに、しかしちょっとだけ嬉しそうに説明した。

「オルパニル…。あの、説明をしてもらっていいですか?」

 テレビではそれ以上の情報は流れなかったので、とうとう分からず終いになった私は隣の彼に問いつめた。

「簡単に説明すると、お前の思念を兵士達に聞かせた。それだけだ」

「それじゃあ全然分からないですよ! く、詳しくお願いします!」

 い、いくら面倒だからって、はしょりすぎ…。

「お前の思念や感情を、お前の音声に乗せて、現場にいた兵士達全員に聞かせた。姿形は隠蔽したから顔を知られている心配は無い。ただし、現象を記録として残されるのは今後に支障が出る為、光景は生身の網膜を介入しなければ見られず、音声は蝸牛殻を通さなければ聞こえないようにしておいた。写真やビデオの映像に残っていないのはその所為だ」

「その“光景”を、兵隊さん達は“神様”って誤解してるんですか?」

「地方に異端は幾つか存在するが、イギリスとアイルランドはプロテスタントとカトリック、つまりキリスト教だ。神秘的な現象は非科学的な物へ連想してしまっても無理はない」

 へぇー、と感心して、一つ気になった。

「あ、あの、オルパニル…私、どんなことを兵隊さん達に言ったんですか?」

 不思議なことだが、自分ではよく憶えていないのだ。なんだか記憶が薄ぼんやりとしていて、ずっとうろ覚えのような感じなのだ。もし変なことを言っていたら、恥ずかしくて外に出られなくなってしまいそうだった。

「知らない。俺もそれどころではなかった。どうしても知りたかったら兵士達に訊け」

「そこまでは…ていうか、声を聞かせたら私の声だってばれちゃうんじゃないですか?」

「日数の経過がまだ浅いから可能性は有る」

「か、顔は見られてないんですよねっ!?」

「その筈だが、知られたくなかったら接触は避けるべきだ」

「ばれたら、…どうなりますか?」

「恐らく、一生キリスト教徒から崇拝されるだろう。神の使者として尊ばれるに違いない」

「そ、そんなの、恥ずかしいです…!」

 私は自分が大勢の人達から敬われる光景を想像して、思わず赤面した。神様のような心の清らかさは持ちたいと思っても、大勢の人から神様のように崇拝されるのはちょっと遠慮したい。

「恥じるのは勝手だが、誇りに思って良い。あの戦争を止めたのは俺ではなく、ソミアだ。お前の言葉が兵士達の心を動かした事実は変わらない。それは真実として俺達の記憶に残り、伝承させれば永遠に伝わってゆく」

 一区切り言い終えたオルパニルは歩みを止めて,私と向き合った。

「俺だけではこの結果を生むことは出来なかった。せめて,直接礼を言いたかった。…ありがとう,ソミア」

 そういって,オルパニルは深々と頭を下げた。

 相手に頭を下げるというのは,どこの国でも敬意を払うという意味で共通している。擦れ違う人達に横目でみられて私はちょっと焦った。

 オルパニルは随分と壮大な話に繋げていた。確かに、私があの声の主だと兵隊さん達に申告すれば、世界的な大ニュースになると思う。でも、これは私だけが持つ偉大さじゃないと断言できた。そんな大それたつもりじゃなくて,本当の気持ちを込めただけだったのだと迷わずに言える。

「私だけのものじゃないです。オルパニルがいてくれたから、この結果に繋げられただけですよ。だから、この誇りは、私とあなたで半分こです」

 自然と、笑って言えた。恥ずかしいような、でも温かい気持ちになれたような気がした。

 オルパニルは少しの間懊悩して、

「…なら、半分だけ頂く」

 それだけを言った。

 ニュースを見終えると、また歩き出した。今度はさっきよりも遅めだった。

 歩きながら、この街の様子を見学していた。いつもとは違う。それは、街のあちこちが壊れていて、街の人達も怪我をしているという意味だけではない。みんな、戦争が終わろうとしていることに喜んでいて、表情が明るかった。

 しばらく歩いていると、前から歩いてきたお婆さんが、オルパニルに向かってVサインを見せて、そのまま通り過ぎた。そのお婆さんは、オルパニルと同じような、片方のレンズしかないサングラスを掛けていた。

 彼に知り合いなのか訊いてみると、

「良い運動をさせられた」

 と答えた。何があったんだろう…。

 その後も、私とオルパニルは並んで商店街を歩いた。修復が済んでいない店舗が多かったので店を回る、とまではいかなかったが、私はまた彼の隣にいられることが嬉しかったから気にしなかった。

 私の気になったことを訊くと、彼は的確に説明してくれる。やっぱり時々省略することもあるけど、そこを聞き直せば嫌な顔もせずに説明してくれる。まぁ、彼が表情を変えることなんてないから嫌かどうかはわからないけど、嫌じゃなければ会話もしないだろうから…って思うけど嫌じゃないっていうのはその、なんていうか、あの…そう、なんだろうか。いや、彼に限っては違うだろうけど。

 しばらく歩いていくと、道の先に商店街の出入り口であるアーチが見えてきた。実感はないけど、本当に長い間一緒に歩いていたらしい。

 歩きながら、オルパニルは太陽を見た。私もつられてそれを見た。まだ高いが、そのうちに茜色に染まってくるだろう。

 視線を戻すと、彼はまだ夕陽を見ていた。茜色に照らされた彼の姿は、普通の人には出せないような雄々しさが感じられて、見とれてしまった。彼が普通の人じゃないと知っているからこそ余計にそう思わせ、なんだか胸の鼓動が高鳴る。

 オルパニルは視線を夕陽に向けたまま、ぽつりと言った。

「そろそろ出国と思っている」

 突然の出発予告に、私は驚いた。

「長居すると、やはり不都合が多い」

 理由も付け加えてきた。

 言葉が理解できると、嫌だと思う気持ちが溢れた。

 偶然が気まぐれして、せっかく再会できたのに、もうお別れなんて、嫌だった。

 このまま別れたくなんかなかった。

 まだ、訊きたいことも、教えてほしいことも、たくさんある。

 言ってないこと、言いたいことが、いっぱいあるのに。

「………オルパニル」

「何だ?」

 私を知ってくれた人で。私の生き方を許してくれた人で。私を守ってくれた人で。私を支えてくれた人で。私を考えてくれた人で。

 私を、あんなにも思ってくれた人を、失いたくなかった。

「…できたら、その………ずっと、」

 そこまで言いかけて、人差し指で私の額を小突かれた。

それ(・・)は、駄目だ」

 オルパニルは、私の言いたいことを悟って、それ故に制止した。

 願っても叶わない願いだってことは分かっていた。でも、お願いしないと気が収まらない。そこまで、私は彼のことを思っていた。

 それは制止されたが、私は別の方法を探した。

 “これ”を言ったら、彼はきっと困ってしまうだろう。悩んだ上で、ちゃんと断るだろう。

 だから、言わずに、伝えたい。もう一つの、感謝の気持ちに乗せて、伝えたい。

 今しか、伝えるチャンスはないんだから。

「オルパニル、ちょっと…耳を貸してください」

「…? 理由は?」

「あの、その…お、大きな声じゃ言えないんです…」

 彼は腑に落ちない様子だったが、言われた通りに片耳を私のほうに近づけてくれた。

 私は彼の横顔に、自分の顔を近づけた。

「…」

 以前の私は、自分が好きではなかった。

 学校へ行っても虐められるだけで、自分の場所なんてなかった。

 両親を心配させるのが嫌でこのことを言うことができず、ただ事が収まるのを待つしかしなかった。

 高校へ行っても、自分は嫌われていると思い込んで自分から人を避けてしまったんだと思う。だから、ジャスミンとローレンスとアナリアの三人に話しかけられるまで孤立していた。

 友達ができてから、私は飛び級を何度も蹴っていた。早く大学へ行ったほうが将来性にも有利になるのに、両親を安心させられるのに、それを選ばなかった。ずっと我が侭を言っていた。

 そんな自分を、オルパニルは認めてくれた。許してくれた。彼は自覚していないと思うけど、本当はとても支えになっていた。

 だから、どうしてもこの気持ちを伝えたかった。

 今を生きていて幸せだと、初めてはっきりと思えたから。

 運が悪くても、私は幸福に恵まれていると気づけたから。

 あなたに会えて、本当によかったから。

「ありがとう」

 私は彼の頬にキスをした。

 唇がそっと触れるくらい、控えめに。

 でも、家族や親しい人に贈るのとは違う、特別な口づけ。

 特別な人にあげる、私のファーストキス。

 それを、あなたを想う特別な気持ちに乗せて、贈った。

 直後、オルパニルは大袈裟と思えるくらいの様子で後退った。

「なっ、ん、……そっ…えっ…?」

 しかも、分かりやすいくらい困惑している。目を見開いて、口は開閉を繰り返し、顔まで赤くなっている。

 彼の感情がこんなに表に出ているのを見るのは二回目だ。いや、一回目よりもはっきりしている。なんだか、普段の無表情な彼とは新鮮さがあってちょっと面白いけど、今までと感情の差がありすぎて呆気に取られた。

 どうしてこんなに動揺しているのだろうか。私達にとっては、親しい人へ感謝や親愛の気持ちに使うのは日常的なのに。

 それに、何百年も生きている人が、今更ほっぺのキスくらいで驚くのか…

 そこまで考えて、ふと気付いた。

 オルパニルは日本人だ。確か東洋の地域は宗教が違うから、キスは習慣じゃないんだ。

 しかも、彼の反応からして、慣れてないっていうよりも、むしろ、は、初め…

 うっひゃあ! は、恥ずかしい!!

 私は彼と同じくらい顔が真っ赤になった!

 こ、こんなつもりじゃなかったんだけど、ただ感謝の気持ちと自分の気持ちを伝えたくてしたつもりなのに、相手が異文化だったいうことをすっかり忘れていた。いや、文化が違っても彼は長い年月を生きているんだからそういうことの一度や二度や三度や四度くらいあるんじゃないかって思ってそれなら別に大丈夫じゃないかって思えて、本当はこういう気持ちでのキスにすっごく自信がなかったんだけど長命な彼なら経験あるだろうし大丈夫だろうって思って安心していたのによりによって彼も初めてっぽいってうわーん!

 恥ずかしさが有頂天に上って、こんな顔を見せたくなくて、私は俯いた。

 オルパニルは頬を撫でながら、口を開いた。

「…先程の、これ」

「ごごごごめんなさいっ!」

「有り難く受け取っておく()

 あれ…?

 今、言い方が…。

 妙な違和感を感じて顔を上げてみると、信じられないものを見た。

 オルパニルが、笑っていた。

 変化は小さいけど、でも、今までの無表情が嘘のように、温かく微笑んでいた。

「は、はいっ!」

 私も嬉しくて、笑った。

 でも、どうして急に感情を表したんだろうか。

 戦場でもそうだった。オルパニルは酷く悲しんで、泣いた。

 あんなに感情に乏しいと思っていた彼が、どうして?

 まさか…!

 オルパニルは感情に乏しいんじゃなくて、感情を抑えているんじゃないだろうか!?

 感情というのは、物事に感じて起こる気持ちや、精神の働きの中のうち情的過程全般を指す。彼にも心があるんだから、何も感じないはずがない。きっと、人並みに沢山思っているはずなんだ。

 それを押さえ込んでいるのは、多分彼の能力が関係しているんだと思う。彼の能力は、思ったことを現実化することだ。だから、そこに感情が混合してしまうと、自分が望む現象が起こりにくくなってしまう。だから、彼は能力のために、私達人間を助けるために、風波が立たないように必死で感情を抑え込んでいるんだ。

 嬉しさを見つけても、悲しさを手にしても、楽しさを覚えても、怒りを湧かせても、何も感じていないように閉じ込めるんだ。恐れても、嫉んでも、苛立っても、嘆いても、快くても、憎くても、憧れても…。愁いもしないで最初から何もないように耐え忍ぶんだ。

 そんなの…

「そんなの…つらすぎる…!」

 私は言った。言わずにはいられなかった。

 どうして、そんな生き方を続けているんですか。

 どうして、そんな生き方を続けることができるんですか。

 全てがわかった途端、オルパニルがとても脆い存在に思えた。全てを完璧にできる存在、全てを可能にする存在、それが今まで尊敬と共に彼に抱いていた認識だった。感情の起伏が少ない性格を利用した能力で、全てに立ち向かえる雄々しい存在だと。

 しかし、感情があるとなると、それらは全部あやふやな骨組みの上に載る称号ということになる。自身が抱える能力を駆使するために、あるはずの感情を無いものとし、完全に心の奥へしまい込む。次々を生まれ出ているはずの感情を塞ぎきるなんて、コップに水を注いでいるようなもので、いつか抑えきれずに溢れてしまうんじゃないか。溢れてしまった時、彼は今まで築いたものを全て失ってしまうんじゃないか。そんなふうに思えてしまう。

 オルパニルは少し黙った。もともと意識していることだからか、私が何を言いたいのかわかっているんだと思う。

 やや時間をあけて、彼はこう返してきた。

「自分で希望して選択した生き方だ。後悔などしていない」

 いつもの真っ平らな口調で、はっきりと答えた。

 普段は何を考えているのか分かりづらいけれど,彼はしっかりとした信念を抱いて行動している。私の相談に対してああいった返事をしたのは,ただの思いつきではなく,彼の信念を参考にした返事だった。私のように迷うことがあるからこそ,私の気持ちが分かったのかもしれない。

 私の迷いから来るつらい気持ちが分かっているからこそ,きちんと相談に乗ってくれたのかもしれない。

 彼は,決して口には出さないけど,どこまでも誠実だった。

 オルパニルは右手を私に差し出してきた。

「別れの前に、握手を」

 私は握ることを躊躇った。

 この手を握ったら、もう終わってしまう。

 彼と一緒にいられないことは頭で分かっていても、心のどこかでは嫌がっていた。

 気持ちよく見送りたいのに、葛藤がそれを邪魔していた。

「生きていれば、また遇えるかも知れない」

 オルパニルが言った。

「同じ星で、同じ時の中を生きている。いつかどこかで、また繋がっているかも知れない。生きていれば、きっとまた遇えるだろう」

 私は、知らないうちに泣いていた。

 悲しい。寂しい。でも、それらだけじゃない。もっと、明るいものもあるような気がした。

 私は迷いを吹っ切って、オルパニルの手を握った。

 彼の手は自分よりも大きくて、子供らしい柔らかさと男性らしい固さがあり、そして人と変わらず温かかった。

「では、元気で」

「うん。あなたも」

 別れの言葉を交わして、私達は握っていた手を解いた。

 そして、彼は踵を返して、歩き出した。

「あっ、オルパニル、待って!」

 私は思いつきをしてあげたくて、彼を呼び止めた。

 オルパニルが振り返ってから、私は片手で自分の額を指してから下に下ろし、次にその手で左肩を指してから右肩を指した。

 キリスト教の、祈願に用いる十字架だった。

 そして手を胸の前で組んだ。

「どうか、オルパニルに限りない祝福がありますように」

 すると、今度はオルパニルが静かに両手の掌を合わせた。

 仏教の、祈願に用いる合掌だった。

「どうか、ソミアに常識外れの永い幸福が訪れることを」

 祈願を終えると、オルパニルは元の方向に向き直って、出発した。


 彼の背中を見送りながら、これから彼はどうするのだろうと考えた。

 彼の言う通りなら、また別の街で役目を果たしていくんだろう。でも、どこの街に行ってもいろんな人から嫌われることになる。どれだけつらくても、どれだけ寂しくても、誰にも頼ることなく孤独に過ごしていく。後ろ指を指されても、自分のしていることに間違いはないんだと信じて、自分の信念を守っていく。そんな生き方を続けていく。

 でも、果たして全ての街で蔑まれるのだろうか。どこの国、どこの町に行っても、理解されないのだろうか。

 私はそうは思わない。

 だって、私にとって彼は頼れる存在だから。誰にも負けないくらい、彼を慕っているから。

 それに、今日のこの街では、彼の行為に対して感謝していた。復旧の手伝いをしてくれて、みんなで感謝した。紛れもなく、彼を受け入れていたんだ。

 だから、大丈夫。あなたがこれから行く先も、きっと受け入れてくれる。

 だから、生きていることを迷わないで、これからもずっと生きてほしい。

 それが、私の願いです。





      The END




こんにちは。作者の甘森礎苗です。


この度は私の作品「バース・ストーン」を読んでくださってありがとうございます。

最後まで読んでくださったあなたのご厚意に、私は感激です。


内容は、弱気で引っ込み思案でちょっぴり天然ちっくな記憶力抜群の少女が、無表情で無愛想であらゆる行動を面倒くさがる日本刀持ちの少年の諸事情に巻き込まれて、信じたり裏切られたり思い込んだりする話、というコンセプトで仕上げたつもりなのですが、楽しんでいただけたでしょうか。


最初から最後まで描かれていたソミアの心理描写だけでなく、オルパニルの心理描写も含めて、すべて伏線だったということ、お気づきになりましたか。


正直なところ、この作品は非常に読みづらかったかと思います。

文章は説明足らず、展開も早く、事あるごとに意味不明な単語が飛び交う…。


それもそのはず、実はこの作品、私は高校三年の時に仕上げた話なんです。

当時は思いつきのままに文字を連ねていたんですけども、掲載の際に今一度読み返すと、あれやこれや妙な点が多すぎる。


…だって、まず事件が起きてから二日後に戦争開始、なんてありえませんw

実際はもっといろいろと兵力や書類などの下準備を何日もかけて整えてから、やっと宣戦布告するんですよ。


あと、そもそも題名も微妙ですし。なぜ「バース・ストーン」という題名にしたのか一応明かしますと、主人公の変な眼が理由です。もともと、誕生石のような色をしている人達の話、という発案で書いたので。ちなみに、主人公はどの誕生石か気づきました?ヒントは本編の描写と、彼の名前です。…バレバレですねw


脱線しましたが、掲載する際に修正するにも本筋をずらすのはちょっとムリがありそうだったんで、ある程度を校正するだけに留めて、更新を続けさせていただきました。


さて、本編中にいろいろと伏線を張って、それを計画通り回収したんですが、まだいくつも残っていますよね?鋭い方や全ての話を熱心に読んでくださった方はお気づきのはず。

実はこれ…というか、この作品、連作を前提として考えた話なんです。はい、すみませんごめんなさいm(_ _)m

ちゃんと解説してもいいですが、今後出す予定の話のネタバレにもなりますのでそれじゃつまらないんじゃないかな…と思いまして、そのままです。

しかも、次の話をいつ掲載するのかも不明です…。

気長に待っていただけると嬉しいです。


さて、最後に。

ひとまず、ソミアとオルパニルの話はこれでおしまいです。

稚拙な文章であるにもかかわらず本作品を最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。


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