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願う者 5


 そこは辺り一面真っ黒な空間だった。

 気がつけば、そんな場所にいた。

 ここがどこなのかはわからない。

 わかるのは、今ここにいるのは、自分一人だけということ。

 そんなことを自覚すると、忘れていた感覚が甦ってくる。

 独りでいることの寂しさを、思い出してしまう。


 自分を追い詰めるこの世界を嫌ったこともあった。

 この世界から追い込まれる自分を憎んだこともあった。

 周りにあるものが次々と嫌いになっていくのが情けなくて、消えてしまいたくなった。

 そんな私にも大切な友達ができた。

 大切だと思えるものができた。

 友達がいたから、その悲しさを忘れることができた。

 友達がいる温かさが、寂しさを溶かしてくれていた。

 だけど、今その温かさはない。

 結局、独りでいることは私の運命なのかもしれない。

 そんな感覚が自分を包む。


 どこかから声が聞こえた。

 遠くのほうから淡く聞こえる声は、泣いていた。

 姿が見えなくてもわかるくらい、悲しい声を零していた。

 その声を聞いていると、私も悲しい気持ちになった。

 心から何かを悔やんでいるような響きがとても痛々しい。

 悔やみ続けているその叫びを、可哀想だと思った。

 また、その声の主も、独りでいることを悲しんでいるように思えた。

 誰かといたい、独りになりたくない、この気持ちを伝えたい、そう願っているのに。

 自分のいる立場が、それを許さないことを理解している。

 自分でわかっているからこそ、余計につらくさせていた。


 私は、もし泣いているその声の主に会ったら。

 独りじゃないということを教えてあげたい。

 私ならその孤独を理解することができる。

 ひとりぼっちでいることがどれだけ心を荒ませるか知っているから。

 独りでいる必要なんてないって知っているから。

 この気持ちを伝えようと、そっと手を伸ばす。

 闇雲にではなく、目の前だけに向かって。

 伝わるかどうかなんてわからない。

 相手に気づいてもらえないかもしれない。

 相手にとっては不快かもしれない。

 でも、伝えようとすることに誤りなんてない。

 伝えようとする努力に間違いなんてないはずだ。

 私の友達は、孤独を悲しむ私を助けようとして、あの時話しかけてくれたのかもしれない。

 独りじゃないってことを伝えるために声をかけてくれたのかもしれない。

 もし本意が違ってても、私はそう思える。

 そして、伝えてくれた私は嬉しかった。

 今までの悲しさが消え去ってしまうほど、嬉しかった。

 私は孤独じゃない。

 そう思える人たちに恵まれた。

 だから、今度は私が伝える番だ。

 ひとりじゃないよ、って。

 ちゃんといるよ、って。

 もし、その声の主に会えたなら。


 手を伸ばした方向の真っ黒な空間に、同じような真っ黒の背中が薄ぼんやりと見えた気がした。

 私は迷うことなくその背中にさらに手を伸ばして、

 そして、




 ソミアの外見は元通りに直っていた。

 だが、意識を戻さない。ずっと動かないままだった。

「ソ、ミア…!」

 やはり、死者を蘇生することなどできない。そう認識すると、オルパニルの涙が溢れていた。

 悔やんでも悔やみ切れなかった。この子を死なせてしまっては、自分は何の為に必死で戦争を止めようとしているのか。

 オルパニルは残った左腕で、ソミアの身体を抱き締めた。以前に感じた温かさと同じ温もりが伝わってくる。

 同じなのに、今自分の腕の中にいるのは、亡骸なのだ。

 彼女は、紛れもなく自分のせいで、死んだのだ。

「うああああああああああああああああああああ!!」

 認めたくなかった。

 嫌だった。失いたくなかった。

 もう自分の非力さのせいで大切な存在を手放したくはなかった。

 なのに、現実は残酷なほどに奪い去っていった。

 あの日の誓いはどこへ行った?二度と失わないために自身へ課した、世界への誓いはどこへ行った?

 こんな事態を避けるために胸に決めた、あの誓いはどこへ行った!?

 全て、自らの未熟さが招いた失態。

 誓約一つ守れない、脆弱な自分のせいだった。

「くそぉ…! ちくしょう…!!」

 オルパニルはソミアの身体を強く抱き締めた。

 まるで、奪われまいと必死で匿うように。

 まるで、駄々を捏ねる子供のように。


「ちょっ…オルパニル…」


 くぐもった小さな声が聞こえて、オルパニルははっと我に返った。

「苦しい、です…」

 オルパニルが腕の力を弱めると、ソミアが、死んだと思っていた目の前の少女が、彼と向き合った。その瞳は、確かに生きていた。

「ど、どうしたんですか? なんで、そんなに泣いてるんですか…? それに、建物の中にいたのに、ここはどこ…えっ! オルパニル、あなた、腕が! 大丈夫ですか!? し、止血しないと!」

 ソミアはオルパニルの怪我に気付き、あたふたしている。

 そう、彼女は知らない。

 オルパニルの能力では、死者を蘇生することは不可能と断言していい。たとえソミアのように即死レベルの致命傷を受けた直後の状態でも、治療できる死因と方法は限られている。

 実現可能な手段の中で、彼は時間を利用した。ソミア自身に流れている時間を巻き戻し、健常な状態、即ちまだ“霧”を使用する直前の頃にまで遡行したら、健常な状態のまま再び外の時間まで時間を進め、現存する時間と寸分の狂いなく合致させた。この方法を取ると、進めた時間の間は空白となり、一部の記憶喪失の状態になるが、蘇生法であることには変わりない。

 さらに、オルパニルがソミアの数十分前という過去を知っていたという理由も大きい。

 人が“時間”を把握できるのは、現在と過去との時差を感じられるところから概念が生じる。時計に表示される時刻は、一日の経過度合いを把握できるように媒体化した目安であり、無象の時間を把握していることにはならない。ある出来事を経験し、月日が流れる中で「そういえばあんなこともあった」などと現在と過去に変化を見出した時、人は現在と過去を結びつける“時間”というものを捉えることができる。

 オルパニルは自らの経験とソミアの経験を比較し、過去に共有した過去を照合した。最近の彼女の中で、もっとも正常な状態の頃を無理矢理引き出した。

 遺伝性や先天性のものではない外傷だったので、この処置が使えた。

 結果として、“生きているソミア”を生かせ続けることができたのだった。

「いや、いいんだ。俺の事なんかよりも…本当に良かった…!」

 オルパニルは再び強く、だが配慮した強さで、ソミアを抱き締めた。今の気持ちは言葉にできなかった。

 初めて(・・・)見る(・・)オルパニルのそんな感情的な姿にソミアは不思議な気持ちになったが、今は抱き締められてあげた。きっと何か悲しいことがあったのだろうと察したからだ。

 オルパニルは、また失ったのだと諦めていた。贖罪するべき思いをまた一つ増やし、再び後悔を続けるのだと諦めていた。自分には人と関わる資格などなく、孤独以外に生き方はないのだと、今度こそ諦めようとしていた。

 だが、今回はそうはならなかった。

 自分の理論が勝ったのか、単なる奇跡なのか、オルパニルには分からない。何のお陰なのかは判別できないが、今ソミアが生きていることに感謝したかった。

 しかし、まだ終わってはいない。

「…止めなくては」

 まだ、彼には果たすべきことが残っているのだ。

「戦争を…止めなくては…」

 オルパニルは抱いていたソミアをそっと下ろした。

「オ、オルパニルっ、そんな身体じゃ無茶ですよ! 死んじゃいます!」

「早く、止めなくては…。止めないと、また無意味な死が増えてしまう…」

 オルパニルは朦朧としかけている意識を集中させ、立ち上がった。が、すぐに膝から崩れてしまった。出血し過ぎているのだ。

 今度はソミアが倒れたオルパニルを支えた。彼は血の気が薄くなっている顔つきで、荒い呼吸を繰り返していた。人の表情を読み取ることに慣れていない彼女にも分かるほど、意識があるのが不思議なくらい酷い状態だった。

 すでにぼろぼろで、それでも立とうとする彼を見て、ソミアはやるせない気持ちになった。

 彼ばかりが傷ついているんじゃないってことくらい分かっている。今でも知らない場所で知らない人が血を流していることくらい分かっている。

 でも、目の前でこんなに痛々しい姿を見せつけられて、せめて目の前の人にだけでも特別な同情をかけたいと思うのはいけないんだろうか。

 ソミアは着ていたカーディガンを脱いで、彼の右腕の傷口に押し当てた。無駄のような気がしても、やらずにはいられなかった。

 カーディガンがどんどん赤黒く染まっていく。ソミアはより強く押し当てる。自分の手や服が汚れることなんか気にならない。鉄の臭いがしたけど、さっきから気分の悪い臭いがしていたのだから今更だ。

 どうしてこんな状況になっているのか、ソミアはまだ知らない。気がつけば建物の中ではなく外にいたし、街は恐ろしいほどの静寂に包まれ、腕がなくなっているオルパニルが泣きながら自分を抱きしめていた。

 どんなことがあったのか、ソミアは知らない。

 オルパニルも話さない。

 それでも良かった。

 一つだけ理解できるのは、彼がこの戦争のために尽力してくれたということだ。

 大怪我を負っても尚、戦争で失われそうな人命のことを心配するのだから、間違いないだろう。

 そんなオルパニルに、ソミアは協力したかった。彼が成し得ようとする結果のために、力を貸したかった。

 なのに、血は止まってくれない。

 すでにカーディガンはほとんどに血が染み込んでおり、血の固まりのように錯覚してしまう。手のひらも赤黒く染まり、生温かさが伝わるたびに彼から体温が抜け落ちていると思えて焦った。

 オルバニルの顔色は青ざめているのではなく、土色に変化していた。血の気なんて感じられず、かつて見たこともない人肌の色を見てますます焦りが募った。

 どうして、彼ばっかり。

 どうして、彼は心も体も傷だらけにならないといけないんだろう。

 どうして、彼はつらい目に遭い続けなければならないのだろう。

「こんなの、酷すぎますよ…。酷いのに、どうして戦争なんかするんですか…こんな、いいことなんて、何もないじゃないですか…」

 ソミアは、誰に伝えるでもなく、訴えていた。

「戦争なんて、ただ悲しみを生むだけじゃないですか…人が死ぬことを、どうして望んで始めるんですか…! こんなの、どんな結果になったって、嬉しくなんかないですよ…!」

 目の前で傷付いているオルパニルと、ついさっき気づいた異臭の正体を理解して、ソミアは涙を流していた。今この瞬間に人が殺し合っているなど、夢であってほしかった。

 また、オルパニルも、必死で戦争を止めようとしていることも察した。どんな時でも表情を変えなくても、戦争を望んではいなかった。コルドの建物の中で、彼は誰一人も命を奪いはしなかった。それだけ、人が亡くなることの悲しさを知っていた。だが、そんな彼でさえ戦争という大きな渦に飲まれてしまう。戦争は死と悲しみしか生み出さないのだ。

 戦争など、今すぐにやめてほしいと、願った。

「………やってみるか…?」

 まともに姿勢を保つこともできないオルパニルが、不意に口を開いた。

「お前の方法で、やってみるか…?」

 彼は掠れた声で、しかし明確な意志を持って、提案していた。

 彼は重傷で、もう自由に行動することができない。それはソミアにも理解できる。しかし、ソミアがやる、というのはどういう意味なのか本人には分からなかった。

 だが、オルパニルはいつでも嘘はつかない。なら、戦争を止める方法は残されていて、それをソミアに託そうとしているはずだった。

 なら、迷うことはなかった。

「…どうすればいいんですか?」

 ソミアが尋ねると、オルパニルは力を振り絞って左手を動かし、拾い直した日本刀『漣哭(さざなき)』の柄をソミアの見える場所まで引っ張ってきた。

「願うだけで良い…国に何を伝えたいのか、(こいねが)うだけで良い…。後は、俺がやる」

 そのやり方は、今のソミアにとってはこれ以上ないほど簡単だった。伝えたいことは決まっている。なので、ソミアは日本刀の柄を握りしめた。

 それを確認したオルパニルは、言葉を紡ぎ始めた。


「あえかなる おこなる(あれ)に いと侘びなるに」


 言葉と共に、オルパニルの身体が眼の色と同色の霧となった。


「明け暮れの 夜を飽きずに ()しう痛みけり」


 辺りに飛散していたオルパニルの血痕やもがれた右腕も、同色の霧へと変化した。


「口惜しく 心憂(こころう)しくて 臥しにけれども」


 不思議な輝きを持つ霧は、ゆっくりとソミアを包んでいく。


「驚けば 傍に覚えず 夢現(ゆめうつつ)あり」


 オルパニルの姿は見えないが、ソミアの知らない言語で紡ぐ旋律が聞こえてくる。


(みつ)るまで 物憂す朝を ()()のみをも」


(この言葉って…もしかして…)


「持つことは 必ずなかれと 教えられけり」


(日本語…?)


「零り()ぐ 袖の雫の 数ばかり 切なる心地 露も伝はむ」


 オルパニルが奏で終えると、ソミアの視界を始め、身体の感覚がなくなった。

 ソミアを包んだオルパニルの霧は、今は大きな球体となっていた。やがて弱々しく煌めくと、急に空に向かって加速し、すぐに見えなくなった。




オルパニルの旋律…

旋頭歌 + 短歌 の組み合わせです。

正確な文法や歌い方ではありませんが、アレンジということで大目に見てやってください。

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