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真実の代言者 7


 私は“彼”の秘密をいくつも知ってしまった。自分の情報を他言されないようにするには、殺すのが一番手っ取り早い。しかも、コルドの情報が正しければ、“彼”は今までに多くの人を殺しているのだ。殺人に対して躊躇があるなんて思えない。ついさっき目の前で鎧袖一触されたコルドのように、私も同じように殺されるに違いない。

 縛られている両手足を使って、必死に後退った。だが努力は実らず、すぐに壁にぶつかった。それ以上は退けないと分かっていても、足の動きは尚も退こうと止まらなかった。

 逃げられない私を追い詰めるように、“彼”は私のすぐ目前まで接近してきた。“彼”の足が止まったので見上げると、“彼”の掌が近付いてくるのが見えた。

 やっぱり、そうするんだ…。

 予想が的中して、今までにない恐怖が込み上げてきた。

 どんどん近づいてくる掌を凝視しながら、今まで自分を省みた。


 どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのか。本の数日前までは、私はただの高校生だったはずだ。ちょっと成績がいいくらいの、何の取り柄もない私はどこにでもいるような子供だ。ジャスミンも、ローレンスも、アナリアも、今は普段通りの日課を過ごしているだろう。自分をライバル視してるっていうクラスの男子だって、今まで過ごしてきたような日常の中にいるんだろう。みんな同じ高校生なのに、どうして私だけがこんな所にいて、今まさに殺されそうになっているんだろう…。


 眼前に迫った掌がコマ送りのように見える中で、脳裏に今までの過去が断片的に思い起こされた。

 両親と手を繋いでいる記憶、

 近所の子供に泣かされて帰ってきた記憶、

 父に勉強を教えてもらった記憶、

 母にスープの味見を頼まれた記憶、

 小学校で同じ女の子達と学食を囲んで食べた記憶、

 ちょっと気になっていた男の子から大事なノートを取り上げられたけどあとで謝りながらちゃんと返してくれた記憶、

 学年が上がるに連れて自分と周囲の成績に差が出てきたために浮いてきた記憶、

 仲の良かった女の子の友達も、気になっていた男の子も、嫉妬の目つきで私を避け始めた記憶、

 ロッカーの中が荒らされていたり机が使えなくなっていたりした記憶、

 逃げるように、飛び級を申請したり、進学先を遠くの学校へ決めた記憶、

 新しい学校で課題を提出する日にローレンスが最初に私のレポートを見て頭を下げ、それに続いてジャスミンとアナリアも頼み込んできた記憶、

 その日の帰りにゲームセンターっていう場所へ初めて行っていろいろ戸惑った記憶、

 話し合いの時に気弱な自分の意見もきちんと聞こうと気を配ってくれた真摯なジャスミンの記憶、

 時々人が怖くなって泣き出してしまいそうになった時に詳しく聞こうとせず慰めてくれた親愛なローレンスの記憶、

 食べ放題の所へ行くと呆気に取られるぐらいすごい量を食べる豪傑なアナリアの記憶、

 両親が笑っている記憶、友達が笑っている記憶、温かく、笑ってくれている記憶…。


「いや…」

 会いたい。みんなに、会いたい。

 会いたい。

 嫌だ。

 死にたくない…!

「いやぁーーーっ!!」

 最後の抵抗と言わんばかりに、思い切り叫んだ。

「喧しい。鼓膜が痛い」

 そんな言葉か聞こえると、(うなじ)に圧力が加わって押さえ込まれ、前屈みの態勢にさせられた。

「動くな」

 手首に衝撃が走り、だがその代わりに手首が動かせるようになっていた。

 項を押さえつけていた手も離れていて、上半身をちゃんと立たせる。自由になった両手をただ眺めていた。呆けている内に、“彼”は私の足首にかかっていた輪に刀を突くと、なぜかそれだけで外れた。

 状況が飲み込めない間に、“彼”は刀を鞘に収めてそれを腰から外し、私の目の前に腰を下ろした。刀は自信のすぐ横に横たえさせる。

「さて、何から話されたい?」

 “彼”は独り言のように私に話しかけた。

「どうして…」

 私は“彼”とちゃんと向き合うことができず、俯いて、小さく言った。

「どうして、私を…殺さないんですか…?」

 こんなことを普通は言ってはいけないのだが、そう訊く以外に訊き方が浮かばなかった。

「何故だ?」

「だって…あなたのこと、たくさん知っちゃったし…他の人に言いふらさないうちに、消したほうが、あなたのためって…」

 私はさっき自分がどう思っていたかを正直に話した。馬鹿な女だと呆れられても、嫌われてしまっても、仕方ないと思った。そう思っているのは本当だから。ここまで自白してしまうと、“彼”と目を合わせることもつらい。

 自白し終えた時には、私は全てを覚悟していた。何をされようと、もう逃げることも許されないのだ、と。

 理由を聞いた後に“彼”が言ったことは、

「それだけか?」

 たったその一言だけで、耳を疑いたくなる言葉だった。

 自分は“彼”に恐怖心を抱いていた。真実か否かもしれない情報を信じ込み、“彼”を敵視してしまっていた。

 それなのに、“彼”は全然大したことないかのような答えを出したのだ。

「それだけ、って…私、きっと触れちゃいけないことまで知ってるはずなんです…。そんな人は、あなたには都合が悪いはずから、だから…」

 消したほうが、あなたの都合に適うんだ。

 私の考え方が間違っているわけ、ない。

「…そもそも、俺はその遺伝子研究という実験の産物ではないのだが」

 “彼”がぽつりと漏らした。

「そ、そんなの嘘です!あなたは不思議な力を持っているじゃないですか!それ以外に、何が有り得るっていうんですか!」

 猛抗議した。もう、騙されたりしない。

 私の態度を見て、“彼”は答えた。

「一度説明した筈だが、まあ良いだろう。元々俄には信じられない話だったのだから。それに、今はどちらでもどうでも良い事だ」

 ここで、“彼”は話題の路線を外した。

「質問して良いか?」

「…はい?」

 何を訊かれるのだろうかと待っていると、予想外の質問が来た。

「俺の本名は?」

「えっ…? オ、オルパニル・コランダム…ですよね?」

 名前はコルドが説明したのもあったから、間違いないはずだ。

「それは暗号名だと言った(・・・)だろう。質問しているのは、俺が今の状態になる前の、日本での名前だ」

「…」

 そんなの、知っているわけがなかった。だって教えてもらった覚えがないから。

 かなり意地悪な質問だと思うが、答えようがない。だから黙るしかなかった。

 そんな様子を見越してか、“彼”はまた訊いてきた。

「次。俺の血液型は?」

 それも知らない。ABO式血液型は四種類しかないから、勘で答えても当たるかもしれない。だが今はそんなことをしてもいい状況ではなかった。

「…分かりません」

「当然だ。教えていないのだから」

 …ごもっともです。

 今の二つの質問で確信を得たのか、“彼”は長い溜め息を吐いた。

「俺があの公園で教えたのは、俺達の情報の(ごく)一部だ。長話はしたが、質では軽薄だ。お前に教えていない事の方が遙かに多い。本当は情報が少しでも漏露しないように極力努めなければならないんだが、あの程度を知る一知半解な人間は夥多に等しい。故に問題無い。それがお前を始末しない理由だ」

「でも…でも! 今さっき、コルド達を殺したじゃないですか!」

 そう言われて、“彼”は少し黙ってから、こう言った。

「殺していない」

「………え?」

 私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。

「だから、俺は奴等の誰一人も殺していない」

「だ、だって、能力使って、みんな起きないじゃないですか!」

「ボディガードは重傷で気絶しているだけだ。大腿骨や肋骨等が折れているだけで致命傷にはなっていない。コルド・キンベスターは記憶を司る脳細胞のシナプスを断絶させた。奴にはもう言葉や記憶を憶えていない。その影響が負担になって気絶している」

「信じ、られません…」

「詐欺や欺瞞は頻繁にしているが、今は嘘は吐かない」

「だって…」

 私はさらに俯いた。

「あなたは私を、騙して、利用したん、です…」

 コルドから話を聞いてから、ずっとそれが頭から離れないのだ。“私”を疑ってしまった理由もそれなのだ。

 事実である以上、許すことができなかった。

「では、その部分について話そう」

 “彼”は改めてそう話し始めた。

「お前の態度の変化が気になって、先程お前の頭部に触れて、何を奴から聞いたのか読み取った。勝手で済まなかったが」

 そこで息を吸って、次の言葉をはっきり言った。

「お前が聞いた話は、作り話だ」

「えっ!?」

 思わず声が裏返ってしまった。それほど衝撃的だった。

 コルドから聞いた話が、嘘?

 じゃあ、騙したのは、“彼”じゃなくてコルド?

 そこまで考えて、私は自分の思考を否定した。

 駄目だ。すぐに信じちゃ駄目だ。

 “彼”はまた私を騙そうとしているかもしれないのに。

「まず、俺とソミアが接触していた事実についてから話したいと思う。が、その前に、個人的に気に入らない部分がある」

「?」

 “彼”は頭をがしがし掻きながら言った。

「何故俺が警察を前にして背を向けなければならない?」

 ―――“奴”を捕まえて連行しようとした時、“奴”は我々の隙をついて捜査官の手から逃れ、逃走した。

 コルドは“彼”を追い詰める経緯をそう話していた。

 でも、今ある記憶では“彼”は公園でこう言っていた。

 ―――何故なら捕まるような常人ではないから。追い詰められたとしても、正面から反抗できる力も持っている。万が一捕まってもすぐ脱獄できるし、俺は元から警察とやらには干渉しない質だ。

 この記憶と“彼”の今の発言が繋がるなら、コルドから聞いた話は矛盾が生まれる。

 じゃあ…本当に…?

「虚実を明確化するには、記憶の真偽より、俺の能力についてもう少し理解してもらう方が早い。…確かに俺の能力は、念じさえすれば事象を実現できる。だが、何もかも自由に顕現できる訳では無い。例えば死者の蘇生は不可能だ。無闇矢鱈に顕現すると自然界の均衡に影響が及ぶ。それ故、非常な事態を除いて、殆どを自然界の法則や原理に基づいて能力を使用している。先程のコルドとそのボディガードも例外ではない。コルドは先の説明のとおり、俺の体内で発生する電気信号を用いて記憶中枢へ干渉し、奴の記憶の仕組みへ然るべき電気信号を送電することによって記憶を喪失させた。ボディガードは壁を半重力によって地球の重力から解放することによって、同時にその自転から影響されなくなる事象を利用して攻撃した」

 “彼”は、ただ淡々と説明していく。

「本題に入る。今回は他人の記憶の捏造だ。自分の記憶を相手に見せる事なら可能だが、他人にその者自身らしい記憶を偽造する事は出来ない。何故なら、俺の能力で感情を含ませる事は出来ないからだ。…人間は外部から情報を記憶化する時に、ある程度の感情を抱く。好感、恐怖、親近感、嫌悪感、懐かしさ、苛立ち。同じ風景でも、人によって感じ方は異なる。…お前もこの数時間の間に様々な風景を見て、そこには何らかの感情が伴っている筈だ。だが俺はお前の感性を知らない。好物も、好色も、何も知らない。そんな俺が、対象の人の記憶らしい記憶を植え付けても、お前にとってはいずれ違和感が生じるだろう。つまり、あたかもお前自身が感じたように錯覚するほどの精巧な記憶を、俺が秒速で偽造する事など、塵ほどの可能性も無い。これが証明だ」

 “彼”は言い切った。

 確かに、理屈でいえばその通りだ。印象に残る思い出って、その時の自分の気持ちが強ければ強いほど記憶に残るものだ。思い出っていうには早いかもしれないけど、“彼”といた時は、やっぱりちょっと怖かったり、ちょっと嬉しかったんだから。

 でも、それだけじゃ納得できないし食い下がれない。

「…それだけですと、まだ、あなたの凶悪な人格を否定できてません…」

 自分の言葉が単調で、声が尻窄みしていた。

「分かった。では次に、俺自身について教える」

 “彼”は一呼吸置いてから、話し始めた。

「正体はともかく、俺が過去に起こした行動については、表面上偽りはない。…様々な犯罪を犯した事がある…日本を滅ぼした…過去に力を暴走させた…幾人もの人間を殺した…。それらは全て事実だ。だが、真実とは差異がある。これが答えだ」

 私が理解しきれるようにか、一つ一つ区切って説明している。

「順序通りに白状すれば、最初は力の暴走に関してだ。…俺がまだ未熟だった時、ある人物と関係を持った。それから暫く経って、あるきっかけで、その人物に裏切られた。俺は感情に任せて、能力を爆発させてしまった。それだけだ」

 “彼”はこんな内容の話でも無感情に話していく。

「次に、日本の滅亡だ。日本は少子化の影響で、確実に総人口が減少していた。また、二〇四四年に世界で一つの事件が起きた。知っているか?」

 私は記憶を辿った。確か、試験にも出たはずだ。

「二〇四四年………、…! 原油の枯渇!」

「そう。新エネルギー開発が渋滞していた時に、それは起こった。日本は使用する石油のほぼ全体を輸入に頼っていた。自動車の燃料や衣類の素材、飲料水のプラスチックボトルなど需要が求められていた時に枯渇した。つまり第三次石油ショックだ。それからの日本では惨劇が続発した。貴重な石油を求めて人々は血眼になり、相互を敵対する社会に変貌していった。石油の価格は暴騰し、入手できなかった者、特に乳幼児や高齢者は、冬が訪れている間に凍死していった。また、石油を巡る諍いが絶えなくなり、相手と殺し合う事も珍しくなかった。国としての経済は暴落し、日本は世界から見限られた」

 私はある箇所が気になって質問した。

「…石油がなくなったからって、冬に凍死するんですか? その時代ならエアコンとかの空調整備機で凌げると思うんですが…」

 そう問われた“彼”は、僅かに俯いた。

「使えなかった」

「え?」

「石油ショックが起きた年の冬期に、()りに選ってその年に、…巨大地震が起きた」

「ッ…」

 私は、もう言葉に出せないほどのショックを受けた。

「二十一世紀初期に予測されていた天災が、冬を迎える直前に襲った。都市直下型で、マグニチュードは9,4だった。ほんの二十秒間だけ揺れただけで、二十世紀に建立された建物は全壊・倒壊し、数十万の人が亡くなり、帰路遭難者が溢れた。首都側の経済は完全に停滞し、生産力など、マッチ一本作ることさえ儘にならなかった。震源地から離れた都市や外国からの支援のみでは賄いきれず、夜に屋根を持たない者は次々と息絶えていった。万能な栄養剤と偽称された麻薬も大量に消費された」

「…だから、日本を滅ぼしたんですか…?」

「事実はそうだが、即座に決行した訳ではない。十年程待った。復興してくれると期待して、猶予を構えて、待った。だが何も変わらず、復興の目処が立たないまま、劣悪な環境と社会だけが蔓延した。十年間の間に、国際首脳会議(サミット)で日本の対処について議論されたくらいだ。地震や二次的被害で日本の政治家の殆どは亡くなっていたから、勝手に進められた。日本に関する議論は激しく対立したが、過去に怨恨を持つアメリカやロシアや中国が放置派に付いたのが決定打だった。中には、俺達に顔が利く首相が、日本を消してくれと直接頼んできた者も居た。この問題は、ゲイブディパーソーズでも議論された。復興に俺達が協力するのは容易い。滅亡させるのもまた同様だ。だが、それでは自然現象に逆らう。地震が起こった結果でそうなったのなら、そのままでいさせるべきだ、と。そして最終的に、“放置”で議決した。数年後、日本の人口の三分の一が亡くなり、最早国として動いていない状態になった。俺は、その国に生まれた者として、仲間に自己申告をした。結果、申告通りの殲滅を決定し、二週間で滅ぼした」

「たった、二週間…? どうして、そんなことが…」

「高分子蛋白質の病原菌を大量に造り、その年の台風に混入させた。その抗原はその台風の雨に濡れた者に感染すると条件を課している。接触に因る皮膚感染も可能にした。潜伏期間は一週間で、発病すれば確実に死亡する。お陰で勤勉な都心及び近郊の人間はほぼ全滅した。台風に敏感な警戒心を持つ沖縄県の人間は殺し損ねたが、生き残ったのなら仕方がない」

 これが真実なら。

 これが“彼”なら。

「じゃ、あ…コルドから聞いたのは…」

「全くの出鱈目だ。お前から俺への信頼を喪失させる為に誣告しただけだろう」


プラスチックボトル…

 日本でいうペットボトルの、欧米諸国における通称。

 ペットボトルは和製英語です。

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