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真実の代言者 4

(前ページより)


     *


 悪夢。

 この光景を表現するには、それだけで充分だった。

 マンチェスターからこの街へ(文字通り)飛んで戻ってきたら、なんだこれは。

 街全体が、戦時中のような惨事になっている。建物は半壊しているものが殆どで、全壊しているのも少なくない。道路のあちこちには瓦礫が散乱している。硝子片から建造物の壁と思われる材質など、本来道端に産卵している筈のない物が視界の端まで広がっている。それらの瓦礫に混在するように、生身の一部も視界の端々に捉えられる。自力で救助を求める者、知人の救助の援助を求めて奔走する者、既に力無く四肢を垂れさせている者。まだ充分に救急隊が出動できていないようで、この場の空気が悲痛な呻き声で震えている。

 原因は他でもない、『狂乱者(レイジャー)』に因る被害だ。僅か数時間で街一つを壊滅状態に変える原因が幾つもあったら堪らない。

 自分は『狂乱者』の有効範囲だけで危険度を軽視していた。実際は予想外の敵が配置されており、範囲外へ引き離そうと空へ逃げたが高度を充分に取る前に敵が自爆した。どれもが俺の催促処理に横槍を入れた妨害因子であった。

 だが、それらは全て、聞き苦しい弁解だ。理由はどうあれ、深慮の至らなかった自分に因って、このような惨事を生んでしまったのだ。妨害因子を列挙した弁解など、吹けば飛ぶ程の価値もない。

 眼前の光景が絶望を誘発するが、せめて彼女だけでも無事なら、と願いたい。自分勝手な願望かもしれないが、自分が関わった人の心配だけでもしたいのだ。

 俺は両手を叩き、ある探知能力を使用してソミアの位置を探した。すると、何故か候補が二つ挙がっている。一つはこの街の地下。もう一つは、なんとこの島の南側だ。自分が今いる場所が北側だがら、陸地内のほぼ反対側だ。国境さえも越えている。

 全く以て理解できない。反応が二つあるのも疑問だが、それよりも何故こんなに移動しているのか。

 地下なら、避難勧告に従ったのだろうと納得できる。だが、街を出るのならまだしも、何百キロも離れた場所まで移動する必要性が思い当たらない。まず、この混乱時に渋滞しているであろう道路を多少の時間で遠くまで移動できるとは思えない。

 一体何があったんだ…。

 不安が過ぎった。

 理由は兎も角、彼女の元へ行かなくてはならない。『狂乱者』が爆発して街を破壊した以上、もうすぐ勃発するだろう。余計な時間は削減する必要がある。順番に近い場所から行くしかない。

 俺は地下に通じる通路に向かって歩き出した。走っていきたいのが本音だが、至る場所に散乱した瓦礫で道が狭まった上に右往左往する人々と行き交い続けているので、早歩きするだけで精一杯だった。

(ん…)

 一つ疑問に思った。

 どうしてこんなにも彼女を気にするのだろう。

 地下にいるにしても遠くにいるとしても、備えて避難しただけかもしれない。もしかしたら知人と一緒に避難したのかもしれない。あの時は「待っていてほしい」と言ったが、何も彼女の行動を自分が束縛する必要はない筈だ。自分を信じて待っているとも思えない…。

(いや…)

 そこまで考えて、自分の憶測を振り払った。

 必ず帰る、と約束した。

 約束したからには、守らなくてはならない。自分でそう思っていたではないか。言い出したのは自分なのだから破る訳にはいかない。もし自分が破っても、彼女は純真そうだから、自分の帰還を何時間も待ち続けるだろう。

 何故自分がそのような事を言ったのか、正直分からない。気付けば口に出していた。

 ただ、目を離してしまうと心配に思った。一時的にとは言え、今時夜の街を歩いた事もない生真面目な彼女を一人残すのは心配に思ったのだ。

 自分たちが一般市民と深い関係を築くべきではない事は承知している。それでも彼女の存在を気に掛けるのだから、完全に否定できない。または、自分がただお節介なだけかもしれないが。

 確かに彼女を助け(・・・・・)夜の街を(・・・・)共に歩いたのは(・・・・・・・)事実だ(・・・)。だがそこに感情が込められていた自覚はない。飽くまで任務の一貫として行動していた。

 彼女に追跡されそうになって姿を眩ましていると、ある建物と建物の間から煙が立ち上り始めた。恐らく出火でもしたのだろうと思い、小火(ぼや)のうちに鎮火したかったのでその場所に行ってみたら、なんとあの少女が三人の男に絡まれていたのだ。初めは男性の友人と秘密の会議か尋常ではない遊戯か倫理上大変宜しくない事でもしているのかと推測したが、彼女と男達の年齢が離れているように見えた事と、彼女の様子が小心翼々でいる事で、馬鹿な憶測を切り捨てる決断をした。

 救助した後に自分の情報を教えたのは、ただの償いのつもりだったが、軽率だったかもしれない。本来は易々と漏らしてはいけない極秘情報である筈なのだ。各国政府にも圧力を掛けているし、報道局には更に脅迫までしているのだ。ある程度の量なら口外を甘受されているが、喋り過ぎたかもしれない。

 都合良く、その後に街へ赴く流れになったので、ついでに人格判断をさせてもらった。内気で恐がりで引っ込み思案で夜の街に来たことがないくらい糞真面目だが、知能は予想以上に高く、社会常識も弁えていたようなので、記憶操作をして(・・・・・・・)部分的に(・・・・)記憶を消す(・・・・・)必要が無くて(・・・・・・)安心した。知能や社会意識が高ければ、そう簡単に口外するほど教養が無いとは思いにくかったからだ。

 腕にしがみつくのも、途中から腕を抱えるように寄り添ってきたのも、(はぐ)れないようにする為という口実で特に気に留めなかった。歩くのに邪魔だったという訳でもなかったし、無下に振り解く理由も無かったので、好きな様にさせていた。だが少なくとも彼女の中の、自分への信頼度が上がったという自負は感じ取れた。悩みとも言えない、寧ろ彼女の事情を聞いたという程度だが、それに対してただ自分の考察の一つを出したと言うだけでこれほど心理的に影響するのだと、改めて痛感した。

 それは、彼女が自分を信頼してくれていると言う事なのだろう。

 彼女が自分を信じてくれているのなら、自分も彼女の信頼に応えたかった。

 狙った訳では無いが、言うならば自分が彼女を信じる為の一歩として、彼女と一つの約束をしたのだ。

 仲間以外の人間を信用するのは数十年振りだった。信用することで余計な期待が生まれ、その所為(せい)で苦心を強いられた事が何度もあった。もうそんな思いをしたくない一心で、その時期から他人を信用することを拒否し続けてきた。

 しかし世界を孤独に過ごしている内に、別の思いが心の奥底で誕生していた。それが“寂しい”というものだと気付いてはいたが、そんな筈はない、自分で望んだ事だ、と否定した。だが言葉で強がってはいても、心は正直だった。いつしか人と関わりたいと思うようになり、だが上手くいかずに、現在を迎えていた。

 今回もその好機だと思い、彼女との繋がりを大切にしたいと願った。

 彼女なら、自分に人を信じることを教えてくれるかもしれない。

 その為に、先ずは約束を守りたかった。

 望むのなら、与えなくてはならない、と教えられた。

 だから、俺は彼女のもとへ行かなくてはならない。

 悲惨な状態の街を歩く彼の歩みが、力強くなった…かどうかは不明だ。

 だが、道を進む彼の足取りに迷いはなかった。

 いつも頭の片隅に宿っていた迷いはなかった。


 真っ直ぐ歩き、やがて目的の地下への通路に到着した。地下への通路、と言っても、ただの地下水路へのマンホールに違いないのだが。

 俺は下まで見えない通路を見て、しかし躊躇せずに梯子に足を掛けて下り始めた。

 マンホールの下、つまり地下水路は兎に角暗い。昼と夜の違いが全くなく、湿度が高い。地下水に乗って流れてきた廃棄物の所為で、年中異臭に満ちている。しかし、それらさえ我慢すれば人がいられる空間なのだ。流石に季節によって気温は変化するが、眠る時に体に掛ける布さえ確保していれば眠れるし、風が吹かないので体感温度も下がりにくい。路上で夜や雪の寒さに凍え死ぬ可能性が低いのだ。

 そのようなり理由から、地下水路はホームレスが集まる場所として知られてもいるのだ。時々警察が巡回してきてホームレスを排除しようとする事もあるが、一晩をやり過ごすには格好の場所なのだ。どうやらここ数時間は警官の巡査が来訪していないらしい。やはり地上の事件で地下水路に人員を割けない状態にあるようだ。

 地下水路内は、異臭と普段伝播してくる振動に目を瞑れば、実に平和だった。瓦礫が散乱している訳でもなく、パニックに陥っている訳でもない。彼女が進んでここに足を踏み入れるとは思えないが、反応の一つはここにある。どんな状態でも生きていてくれれば何だって構わなかった。

 今自分の眼にも、ホームレスは映っていた。現在は日付が変わりそうな時刻な為か、殆どの人間は眠っている。ある者は横たわり、ある者は壁に寄り掛かって眠る人間もいる。また、上手く確保した毛布にくるまっている人間もいれば、着用していた上着を体に掛けただけで眠っている人間もいる。

 目の前の者も、後者の内の一人だった。

 そして、反応の一つも目の前だ。

 つまり、ここだ。

 目の前の人物は、黒いジャケットで体の前を覆い、壁に寄り掛かって眠っている。眠っている顔は、不幸そうに見えるが、どこか安らかだった。

 俺は溜息を一つ漏らした。

 ()が使っているのは紛れもなく自分のジャケットだ。寒さを防ぐために、遺棄されてあったそれを入手したのだろう。このまま放置してやりたいが、生憎こちらの都合もある。それには自分の汗や体毛などが付着している筈な為、自分がここに存在した痕跡を残す訳にはいかなかった。また、ジャケットの懐には“あれ”が入っている。赤の他人にこのジャケットを渡す事は出来なかった。

 俺は両手のうち、左手でジャケットの襟を掴んだ。すると、何も持っていなかった筈の右手に、黒いジャケットが現れて手に握られていた。しかも汚れも皺も寄れもない新品の状態だ。俺は左手に触れた物を完全な状態で複製した。

 右手の感触を確かめた。そして、能力で右手の物と左手の物、即ち新品と中古品の位置を一瞬で交換した。安眠妨害をしたくない一心でしただけだが、これで問題はなくなった。温まっていないのは我慢してもらう。

 彼は気付かずに、眠っていたままだった。


 俺は目の前で眠っている彼を見て、随想を起こす。

 自分のように世界から狙われて世界を巡りながら波瀾万丈な生活を永遠と続けていく人生と、彼のように数十年を世界から知られず世界に埋もれて何の特徴もない平々凡々な生活を苦痛と共に続けていく人生と、どちらが良いだろうか、と。

 多分、正しい答えなどないのだろう。いつもの悩みと同じように。

 彼は客観すれば貧相で恵まれていない不幸な人間に分類されるだろうが、決してそう断言できるものでもない。今こうして生きていられることが何よりの幸せだ、という格言じみた言葉を無視しても、幸せである理由なら幾らでも見つかると思う。彼には仲間がいるかもしれない、周囲にいるホームレスの皆が友人かもしれない、恋人だっているかもしれない、一日の中で享楽を見つけて笑顔を浮かべているかもしれない。彼の日常生活を知っている訳がないが、不幸でも幸福と言うことだって出来る筈だ。幸せかどうか、または何が幸せかは人それぞれなのだ。他人が勝手に決めてしまってはその人に失礼だと思うのだ。

 それに、自分の生き方だって平穏な訳がないし、客観すれば異常で不運な人間だ。権力や財産があっても、この世界に居場所が無い事を不幸と呼べるのなら、尋常でない差異があるものの、自分は目の前の彼と同じ人間に分類されるのだろう。だが、自分が不幸だとは思えなかった。辛い事があっても命を狙われていても非難され続けていても、自分が生きてきた生涯はそれだけではなかったからだ。世界政府から援助金は受け取っている分、衣食住には困らないし、世界各国をほぼ自由に往来できるし、買い物も普通に出来る。それに、ソミアのように、様々な人々にも逢える。面倒な方向へ傾くのが常で、いつも必ずと言っていい程辛い何かが起こるが、反面嬉しい事だってあった。自分にとって必要だと思ってしたことや当たり前だと思えるようなことをしただけで、関係した人間の一人から、時には無関係な筈の何人もの人々から感謝の言葉を貰ったこともあった。存在を目立たせないように努め、存在がないも同然のような身分なのに、そういう時の度に自分自身が存在していることを自覚できたのだった。

 だから、こう納得することにしている。

 正しいかどうか決められていない以上、何が正しいかは自分が決めていく。誰にどれほど非難されようと、自分が望んだ方法ならば貫き通そう、と。

『自分で決めたことなら、他人の言葉なんかにビビってんなよ。そんなに行動には意義が必要か? 本当は気持ちのどっかでわかってるんだから、いちいち迷ってんじゃねぇよ』

 かつて自分の恩師が言っていた言葉を思い出した。

 則る以上、出藍の誉れには程遠いが、お陰で迷いが少なくなった気がする。

 俺は握った右手を自分の胸に当てて、祈りを捧げた。

(どうか、出来るだけ多くの人間が少しでも幸福であるように)

 祈り終えると、俺は再確認したもう一つの反応へ向かうために、地上へ繋がっている梯子を登り始めた。

 自分で正しいと思うことをする為に。

 自分が選んだ後悔しない方を成し遂げる為に。

 ソミアの元へ帰る為に。





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