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真実の代言者 2

(前ページより)


     *


 宵の口を過ぎた頃、ここでは一つの儀式が行われようとしていた。

 周囲を新緑で満たされた木々で囲まれた建物。一階建てだが天井は高く、屋根の一部が他より遙かに高く造られており、そこの屋根のすぐ下には空洞で、大きな鐘が吊されている。白い壁で建てられた建物は神聖さを醸し出している。

 正面の門をくぐると、外からの月光が優しげに照らしていることに加え、淡い黄色の光で満たされた空間が広がる。その中は、左右に二列ずつ長椅子が並べられており、奥に行けば行くほど人が座っている。

 最奥の、数段高くなった所には、三人の男女が立っている。

 一人は純白のタキシードで身を包んだ新郎。ぎこちない様子だが、振る舞いから自信に満ちている。

 一人は純白のウェディングドレスで身を包んだ新婦。恥ずかしげに俯きながらも、その目は輝かしい未来を導けるほどの光に満ちている。

 最後の一人は、背中に神聖の象徴である十字架を背負い、そんな二人を重厚な木製の台からの向こうから柔らかな雰囲気で見守る牧師だ。白髪に白髭という、実年齢に比例した年老いた容貌だが、牧師のみが被る小さな帽子の下に浮かぶ目は、全ての人々に分け隔てなく幸福を望む様をしている。

 ここは、マンチェスターで式を挙げるのに有名な、屈指の人気を誇るプロテスタントの教会だ。

 今この場所は、二人の結婚式を祝っていた。

 大抵の結婚式は昼間に行うが、二人は夜を選んだ。二人とも昼より夜のほうが好きだったからだ。太陽よりも控えめだが美しく光る月と、幾万もの星々に魅了されていた。

 今夜はそんな二人を祝慶しようといわんばかりに、空は澄み切り、月も星も輝いていた。

 ふたりの初々しい様子に微笑んだ牧師は、

「では式を始めましょう」

 そう前置きして、儀式の祝詞を唱え始めた。

「私たちは神の御前に集まり、立会人の見守る中、この男女の神聖なる婚姻の儀式を執り行う。…この二人の結婚に意義のある者がいれば、この場で訴えるか、永遠に口を閉ざすこと」

 牧師は祝詞を、滑らかに、時には厳しく、抑揚を付けて、紡いでいく。

「…マックス、」

 牧師は新郎の名を呼んだ。

貴方(あなた)はこの女を生涯の妻として神聖な結婚生活を共に送り、病める時も健康な時も、彼女を愛し慈しみ、尊敬し続けること、誘惑を退け、生きている限り彼女一人に心を捧げることを誓いますか?」

 問われた新郎は、しかし迷うことなく真っ直ぐな目で、答えた。

「誓います」

 牧師は頷き、今度はその隣の新婦に向いた。

「…エミリー、」

 牧師は新婦の名を呼んだ。

貴女(あなた)はこの男を生涯の夫として神聖な結婚生活を共に送り、病める時も健康な時も、彼を愛し慈しみ、尊敬し続けること、誘惑を退け、生きている限り彼一人に心を捧げることを誓いますか?」

 問われた新婦は、しかし恐れることなく真っ直ぐな目で、答えた。

「誓います」

 牧師は頷いた。

「では、指輪の交換と、誓いの口づけを」

 牧師が言い終えると、新郎新婦二人は互いに向き合った。

 先程新郎が取り出した箱を開けると、そこには一つの指輪が収まっていた。

 金のリングに、繊細な技術から生み出された装飾にはめ込まれている、ダイヤモンド。光を浴びて輝くそれは、どんな闇をも寄せつけなくしてしまいそうな、強く美しい輝きを放っている。

 新郎は指輪を手に取ると、空いているもう片方の手で新婦の左手を引き寄せた。

 新婦はされるがままに従っている。だが一方的ではなく、自らも望んでいることに間違いはないのだ。

 新郎はゆっくりと、優しい手つきで、新婦の左手の薬指に指輪を通した。

 二人は互いに見つめ合う。これから愛を確かなものにするために。

 新郎が新婦の肩に手を載せた。そして、顔を近づけていく。

 二人はこの日、男と女ではなく、夫と妻になる。

 目を瞑り、唇と唇が触れ合う、


 寸前。


 大きな破壊音が教会内に鳴り響いた。

 その音源は、頭上の屋根からだった。何かが教会の屋根を貫通し、屋根の瓦礫と共に降ってきた。

 その何かはやたらと高速で、目に見えたのも束の間、協会の床に激突した。落ちても勢いが止まらなかったのか、長椅子二脚を巻き込み、粉々の木片へと変えた。

 幸い、後ろのほうの席だったので、瓦礫の落下や謎の物体に潰されるような被害を受けた人はいなかった。

 結婚式は必然的に一時中断となった。まず、猫も杓子もその何かに釘付けになっており、式どころではなかった。

 何かの周りにはもう野次馬と化した元立会人達が群がっており、牧師はその隙間を縫って、何かを視認した。

 正体は、なにやら大きな球体だった。直径は二メートル弱。表面は漆黒一色で、未確認物体の雰囲気が満載だった。球体はなぜか高熱を帯びており、一瞬隕石か何かかと誤認しそうだった。吸熱性が高い黒であるせいなのかは分からない。だが、あれだけの衝撃を受けたにもかかわらず、表面にはたいした外傷が見られない。

 皆が皆じろじろと物珍しそうにその何かを観察していると、突然球体が砕けた。亀裂も入らずに割れていくそれは、漆黒の表面は細かい破片となり、しかしそれらはどれも下には落ちず、その大きさを小さくしながら空気中に消えていく。

 漆黒の球体の代わりにそこに見えたのは、一人の少年だった。

 全身を黒色の服装で纏った身形で、左の腰には一振の剣を提げている。黒髪から覗く双眸は固く閉じられている。おそらく気を失っているのだろう。

 よく見れば、顔は砂埃で汚れ、服も至る所が傷んでしまっている。眠っているだけなのに、満身創痍の姿がやけに痛々しかった。

 漆黒の球体から出てきた少年という特異な外見で、いつの間にか勝手な憶測が飛んでいた。屋根からこの結婚式を覗いていたら屋根が抜けて落ちてきたとか、人間大砲として少年が入った黒い砲弾が教会に被弾したとか、球体は実は卵でそこから生まれた少年は何かの新種生物だとか、ありそうでなさそうなことばかりの戯れ言だった。

 見ているだけの人々より先に、牧師は少年の傍へ駆け寄った。

 まず、首筋に手を当てた。・・・・・・・・・・・・脈を感じた。心臓は動いている。

 次に、自分の頬を少年の口元に近づけた。・・・・・・・・・・・・弱い風を感じた。呼吸をしている。

 大丈夫だ、何とか生きているようだ。

 だが、この少年は一体何者なのだろうか。

 牧師は憶測を並べる衝動を抑え、少年の肩を揺らした。気絶しているだけなら意識を戻せるはずだ。

「おい、君っ! 大丈夫か!?」

 揺らすと同時に声をかける。名前を呼べればいいのだが、分からない以上、二人称で呼びかけるしかない。

 何度か揺らすと、「ぅ…」と小さな呻き声が漏れた。

 しばらく様子を見ていると、少年の目がわずかに開いた。

「気がついたかい?」

 その声が聞こえた瞬間、少年の双眸がかっと見開き、瞬時に覚醒し、すぐに体を起こした。だが、

「ッ!」

 聞こえない呻き声を上げ、少年は両腕で自分を抱くように蹲ってしまった。

「お、おい、どうしたんだね?」

 声を掛けるがそれには答えず、少年は周囲を見回し始めた。現在地を確かめようとしているようだ。

「ここは?」

 少年は英語で問いかけてきた。言葉は通じるらしい。

「ここは、教会だけど?」

「どこのだ?」

 少年は抑揚のない声で訊き返してきた。

「どこって、マンチェスターのだよ」

 それ以外にあるのだろうか。自分の落下地点すら分からなくなるなんて、何があればそうなるのだろうか。

「マン…チェスター、だと…?」

 少年は牧師を見ながら、表情を変えずに驚いていた。器用だと思う。

「憶えていないのかい? 君はさっき屋根を突き破って、ここに落ちてきたんだよ」

 それを聞くと、少年は頭上を仰いだ。確かに、屋根には一つの穴がぽっかりと空き、星空が見えている。

 少年がこの教会に闖入してから今に至るまでの数分間だけでも、いくつもの謎が浮かぶ。なぜ屋根を突き破ってきたのか。なぜ都市名を聞いただけで驚愕したのか。あの黒い殻のような物は何だったのか。なぜ気絶していたのか。そもそも、この少年は何者なのか。

 そして、知らないうちに注視してしまったが、少年の左眼の色は何なのか。あんな虹彩を持つ人種は聞いたことがない。

 考えれば考えるほど謎が増えていくばかりだ。

 少年は穴と周囲に散らばっている椅子と床の欠片を確認すると、ズボンのポケットからパースカードを取り出し、なにやら操作している。

「目算だが、屋根の修理費と結婚式の慰謝料だと、思ってくれ」

 差し出されたパースカードは贈与モードに切り換えられており、ディスプレイには巨額の寄贈金額が表示されていた。どうやら少年は、今が結婚式の最中だということまでも読み取ったらしい。

「そんなことより、まずは自分を心配しなさい! 新郎新婦や親族には私が説得しておくから」

 子供がどうしてそんな巨額の財産を持っているのかということよりも、それを教会側に寄付しようとしていることに気が引けた。いくらなんでも金額が大きすぎるのだ。修理費と慰謝料を差し引いてもかなり余るだろう。

「本人が希望しているんだ。気が変わる前に貰っておかないと損をする」

 少年は抑揚を付けない口調で答えた。見た目の年齢に不相応なくらい落ち着きすぎた口調だった。

「いいのかい? こんな…大金をもらってしまって」

「早く受け取れ。腕が疲れる」

 牧師は躊躇いながらも、その大金を受け取った。

 自分のパースカードに加算された金額を呆然と見つめる牧師の横で、少年は衣服に付いた埃を叩いていた。案外身形をきちんとする性格なのかもしれないと周囲の人達は見て思った。

 ようやく我に返った牧師は面を上げ、少年に尋ねた。

「その眼は…君は、まさか―――」

 少年は手を左目に当てて、いつも装着していた物がないことに気づいたのか、慌てて辺りを見渡して探し始める。ちゃっかりと左の瞼を閉じながら。様子からすると、見せたくはなかったことだったのだろう。

「あの…」

 今まで周囲を囲んでいた、人の壁の一部から声が聞こえた。

「もしかして、お探し物はこれですか? そこに落ちていたんですけど」

 声の主は、この式の主役の一人、新婦だった。隣には新郎もいる。二人は人の輪の外から、無事かどうか様子を見ていたようだ。新婦は純白の手袋に覆われた両手で何かを握っている。

 その手の中に包まれていたのは、右側のレンズがないサングラスだった。

 少年は立ち上がり、新婦の手から丁寧にそれを受け取り、すぐに掛けた。

 少年は、未成年ながらも多少厳粛さを持った容姿と顔立ちを、直立させた。新婦と正面で向き合う。

「お騒がせした。大事な式を台無しにして申し訳ない」

 そう謝罪の言葉を述べ、少年は頭を深々と下げた。

 長く下げていた頭をやっと上げると、

「お二人の幸福の果実が実り続けることを祈る」

 そう言い残して、少年は出入り口へと走り去って行った。

 いくつもの謎を残し、真相を訊く間もなく去ってしまった。本当はもう少し話す時間があれば良かったのだがと、牧師は残念に思う。

 だが、全てが謎に終わることはなかった。牧師は、昔に警察を公務する旧友から聞いたことがある逸話を思い出した。警察内部の極秘情報は外部へ漏出させてはいけないはずなのだが、旧友は朗々と話してくれたことがあったのだ。

 異様な眼を持ち、異常な力を振るい、異質に生き続ける存在を。

 一連の様子が終わって呆然としていた一同に、牧師の声が掛かった。

「皆さん、今日はこのような事態が起きてしまい、不安を抱いた方もいらっしゃることと存じます。私も、こんなことが起きたのは生まれて初めてです。…ですが、これは不幸なことではありません。むしろ…」

 そこで区切り、満面の笑顔で説いた。

「これは、とても運が良いことなのですよ」





 驚いた。まさか結婚式に乱入することになるとは思わなかった。

 俺は教会から脱走するようにそそくさと移動していた。可能なら誰にも知られたくはないのだが、あの教会に居合わせた者達には完全に顔を、ついでに眼も見られてしまった。自分が(特別な組織の一味であるかどうかは知っていなくとも)ただの人間でないことを知られてしまった。今後に悪影響や悪い展開に傾かなければいいんだが。

 走りながら、先程の件の後悔に悩む。

 言い訳をさせて貰えば、自分のような能力を持っていても、あの状況から生還するだけでも死力を尽くす程だったのだ。全身打撲で全身が痛いが、今こうして生きていられるだけでも賞讃だと思える。

 『狂乱者(レイジャー)』が『阻格者(チェッカー)』に着弾する寸前の事だ。磁力で引き寄せ、時間内に間に合う所まで接近させた。その着弾寸前、手を叩いた記憶はないのに、いつの間にかシールドが張られていた。耐熱作用が施され、更に可視光線も遮断するためか表面が黒くなっていた。そのお陰で任務に支障を来す大怪我を負わずに済んだのだ。

 しかし、防ぐ必要があったのはそれらだけではなかった。残っていた激烈な衝撃波が襲ったのだ。彼は衝撃波をまともに受けてしまい、緩衝剤もない小さな球体の中で揺らされ、結局気絶した。その間にも圧力に押され、遂には数百キロもあるアイリッシュ海を横断してしまった。

 きちんと備えていられれば良かったのだが、時間がなかったので手が回らなかった。故意ではないし理由もあるので(爆発に巻き込まれてここまで吹き飛ばされたなどと誰も信じないだろうが)、密入国者扱いにはされたくない。

 兎にも角にも、今は生きているのだ。悪夢のような相手と対峙し、死にかける経験もしたが、生きているのだ。

 図書館を破壊して道路を破砕して犠牲者を出して建物を蜂の巣にして隕石でも落ちたのかと疑われるような巨大な穴を空けて俺の体を飛ばしかけ鼓膜を破り掛けたが、『阻格者』は予定時間に着弾することは出来なかった。

 そんな偉業を成し遂げたのが、たった一人の少年だったなどと誰が信じられるだろうか。

(アトラクションには不向きなイベントだろう…)

 着弾阻止という偉業を遂げた張本人は、この場にそぐわない長閑な感想を述べていた。

 一難が去って一息つきたい所だが、悠長ではいられなかった。

 早くソミアが居る場所に戻らなくてはならない。

 可能な限り早く、彼女の下へ帰らなければならない。

 俺はそれだけを考え、両足を稼働させ続けた。




婚姻の祝詞は映画「インデペンデンスデイ」を参考しました。

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