狂乱者と阻格者 3
「先ず、何から買い揃えるか?」
オルパニルが本題について尋ねた。
「え、っと…」
少し、落ち着いてきた。鼻を啜らせるのはどうしようもないが、だんだん涙も止まってきた。
買う物はだいたい決まっている。とにかく文房具屋その他授業に使う物だ。
とりあえず手短な店へ向かおうと、私はきょろきょろと周りを見渡した。
すると、
「…あ」
一つの店舗が目に入った。
「目星を付けたか?」
「い、いえっ、なんでもないですっ」
「…本当か?」
なんとか誤魔化そうとしたが、オルパニルの眼力は私の黙秘力を容易く屈服させた。もうこの人には敵いそうもない。
私はその要望を言っていいものか迷った。自分が目を付けた店は、本来立ち寄る予定のない種類の店なのだ。
自分が向いている先にある、他より眩しい光が漏れている、一軒の店。
アクセサリーショップ。
私が無くした鞄には、夕方に買ったばかりのイヤリングも入っていた。また改めて買い直したい気も起こるが、今は駄目だ。それを買うためにここにいるんじゃない。オルパニルは忙中にも拘わらず、自分のために買い物に付き合ってくれている。早くやるべきことに戻ってもらえるように、買うものはできるだけ最小限に留めなくてはならないと思っている。
だから、迷惑をかけちゃいけないんだ。
それを買うのはあとでもできる。
本当はすぐにでも買い直したいけれど、今はねだらずに、我慢しなくちゃいけないんだ。
「あの店か。では、行こう」
「へっ?」
予想外の言葉に、思わず声が裏返ってしまった。
「だ、だって、あそこは関係ないのに」
「紛失した物があの店に在るのだろう? 別に構わない」
そう言って、オルパニルはアクセサリーショップへ向かってしまった。
「…」
彼の背中が店に向かっていくのが見える。
本当に、申し訳ないというか、感謝の気持ちでいっぱいになった。
アクセサリショップに入店した直後に、私は気が重くなった。
店内は、夜であることを忘れてしまうくらい明るかった。純白色に光る天井だけでも充分なのに、同色の壁が光を反射して倍に眩しい。目に悪そうだ。
前回の店と比較すると、店内は同じくらいの広さだが、品揃えはやや少ないように見える。雰囲気も私にとっては落ち着かない。強いて言えば、今時の元気溌剌な若者向けの店のようだ(現に店内にいる客はみんなオシャレな若い人ばかりである)。
その、蛍光灯の光で満たされた店内を、真っ黒なオルパニルが立っている。ジャケットは私が羽織っているが、その下は同じく無地の黒いシャツだ。さらに腰には凶器付きである。それはそれは目立つ。舞踏会で雪だるまの格好をしているくらい目立つ。
オルパニルは相変わらず周囲からの視線など気にしていないようだが、傍らに立って連れの立場となる私には酷だ。オルパニルが見られているのなら視線は自然と自分へと向けられる。
これでソミアの今日の運勢は最悪だったことが確定した。
オルパニルは店頭の店員に素っ気なく挨拶をして、私も大人しめに挨拶をして、入店した。
「目標は何だ?」
至って自然体なオルパニルを倣って、私もできるだけ平常にいようと腹を括った。
「はい、イヤリングなんですけど…」
「了解」
オルパニルは即答して、その場からある程度店内を見渡して、視線がある一点で止まり、歩き出した。
私は置き去りにされないように、周囲から妙な目で見られながら、店の奥へと入っていった。
辿り着いた場所は、注文の通りイヤリングが売られている区域だった。
「先代のと同種の物は望みにくいため、気に入った商品を選べば良い。値段は気にするな」
とは言ってくれたものの、気にするなと言われると余計気にしてしまう私の性格。やはり遠慮してしまう。
とりあえず選ぼう。強制されたことではなく自分から要求したことなのだから。
並べられた品々を吟味する。やはり種類は豊富とはいえない。人気のあるデザインか、誰にも注目されなかった種類を並べただけに見える。人気商品か発掘品か、極端な品揃えだ。
私は傍にいた店員に試着の許可をもらって、その中の、比較的簡素なデザインのイヤリングを取り出してもらった。マグネットピアスで、浅葱色の小さな玉をぶら下げたものだ。値段は気にするな、と言われてもどうしても気にしてしまうので、“値段がそんなに高価でなくて気に入ったもの”という基準で選んだら、これが一番だった。
「それか?」
「はい。これがいいです」
「遠慮していないか?」
「えっ、い、いえっそんなことないです全然全くこれっぽっちも!」
「ならば良い」
オルパニルは右手を差し出した。
「会計を済ませてくる。ここで待機していろ」
「は、はい。わかりました…」
オルパニルは私からイヤリングを受け取り、店員とともにレジへ向かって行った。
しばらく待つと、小さな袋に包装されたイヤリングを抱えて戻ってきた。
オルパニルは袋を自分へ渡さないまま、開封し、中身を取り出す。余計な物が付いていないことを確認して、ようやく渡してくれた。
「塵を廃棄してくる。再度待機していろ」
たぶん、余計な荷物を作らないようにしたいんだと思う。
再び待ちぼうけをくらった私は、たった今、他人に買ってもらったイヤリングを見る。
オルパニルはあくまで償いとして購入したのだろうけど、私にとってはプレゼントのように思えた。
そう思うとなんだか気恥ずかしくもなるが、購入してくれた人へのお礼としてふさわしい態度は何かと考える。
私はフックを耳朶に引っかけて、イヤリングを着けた。
そこへ、ゴミ捨てを終了したオルパニルが戻ってきた。
そっちに向き直る。
同時に、イヤリングが揺れた。
「…丁度似合うと思う」
それを見つけたオルパニルは一言だけ漏らした。
茶色の髪と眼を持ち、気の弱い性格の私に、淡い緑のアクセサリは違和感がなかったらしい。
あまり感情的じゃない彼に真顔でそんなことを言われてしまい、私は下を向いた。
「あ、ありがとう、ございます…」
なんとかお礼を言った。本当は笑顔で言いたかったが、今は赤面しているだろうから、向き合ってなんてできなかった。
口調はいつも通りぶっきらぼうだが、ちゃんと見てくれたあとの感想で褒めてくれたことが嬉しかった。
「ここで購入する必要があるのは、他にあるか?」
「いえ、もう大丈夫ですよ。急がないといけないんでしたね。早く済ませないと」
私は明るく答えた。なんだかよく分からないけど、気持ちがすごく軽く感じた。
兎にも角にも、ここの店で購入すべき物はもうないので、次の店へ移動することにした。
自分の持ち物を元に戻すまで揃えるには、これから沢山の店を寄らなくてはならない。残量に限度がある貴重な時間を序盤で浪費したら、今日中に必要品を買い揃えることができなくなる。それに、オルパニルの任務復帰の時間が遅れてしまう。だから余計な時間を掛けるわけにはいかない。
店を出て、私は再びオルパニルの腕に掴まった。掴まっているうちに、一つの煩悩が浮かんだが、してもいいか、しないべきか、葛藤した。ただ、なんとなく、大丈夫と思った。確かな根拠や証拠があるわけではないが、これまでの過程で、窮地を助けてくれたり、自分の秘密を真面目に聞いてくれたり、蟠っていた自分の悩みに一つの答えを出してくれたり、高額な買い物を嫌な様子も見せずに請け負ってくれたりしたことが、自分の領域に入ることを許せる材料になった気がした。
掴んでいた手の力を緩めて、代わりに彼の腕を抱くようにしがみついた。
ただそれだけだが、私にとってはとても勇気のいる行動だった。
こんなことをしている自分が恥ずかしくなる。
けれど、やめたくなかった。
オルパニルは相変わらず表情どころか眉毛一つ変化していないが、振り払おうとしないからには許してくれているのだろう。
勝手な憶測だが、もし嫌でないなら嬉しいと思う。
次の目的地までこうしていられたら、いいと思う。
運が悪くて色々あったけれど、今日はとても嬉しい日だと思えた。
そんなこれからの行動予定は、一つの物事によって粉々に粉砕されることになる。