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狂乱者と阻格者 2

 彼からの質問に、私は思わず歩みを止めてしまった。

 オルパニルにとっては、さっきの説明を聞いた感動から何気なく口に出した尋問なのだろう。

 でも、私にとっては少し困った尋問だった。

 私の止まった歩行に合わせて、彼もその場で止まった。

「お前の記憶力は驚嘆した。讃美すべき能力だ。だが、お前のような実力を持つ者が未だ高等学校に通うに等しいとは腑に落ちない。この国には飛び級などの特進制度が設置されている筈だ」

 私は困って俯いた。

 なんとか、誤魔化しておきたい。今だけでいいから、納得してもらえる“嘘ではない理由”を考えた。

「高校生なのは本当です。一度だけ飛び級を利用しましたので、年齢と学年が違うのはそのためです。科学の知識は、昔参考にした資料を閲覧して、その時に覚えてしまったんです。今の時代になっても環境問題は解決しきれていないし、無関心でもいられないし、知らないよりは知っておいたほうがいいと思って。そしたら読んでいるうちに、なんだか面白くなって、自然に…」

 そこまで説明してオルパニルを見ると、彼はまだ自分を見ている。納得していないのか、説明に不足があったのを不満に思っているようだ。

 短い時間だったが、二人は視線が重なったままでいた。

 オルパニルの眼を見ていてもさっきと変わらない、無表情のようだが追求しようとしているような目をしている。

 そんな眼を見ていると、なんだか心の中まで見透かされそうな気分になった。

 たぶん、分かっているんだ。自分がまだ何かを隠していることを。

 口に出さないのは、私から話してくれるのを待っているためだ。

 強制するわけではない、そんな少し不器用な気遣いを感じた。

 相手から話してくれるのを待つ、という行動は、まるでさっきの自分のようだった。

 もしかしたら、その仕返しかもしれない。違うだろうけど。


 これを話すのは、すごく勇気が必要だった。

 勇気というか、気持ちとして嫌だっていうのがあった。

 誰にも話したくない。

 誰にも晒したくない。

 誰にも笑われたくない。

 誰にも否定されたくない。

 自分以外の誰かに話した瞬間、今まで自分の築き上げてきた理想を崩されてしまうような錯覚があった。もちろん、それが起こるかどうかなんて話さなきゃわからない。それくらいならわかっていた。

 不安だった。

 怖かった。

 自分が一番恐れていることを、今自分から起こそうとしている。

 話したあとで私がどうなるかは、これから話を聞く相手にかかっている。

 すべて、相手次第だった。

 私は、その相手になる人を見つめた。

 目の前にいる、真っ黒い格好をした無愛想な少年。

 名前は、オルパニル。

 不思議な力を持っていて、世界中を回っているという人。

 この人でいいんだろうか。

 本当に、本当に、この人を信じていいんだろうか。

「説明するに当たって不安要素があるならば、予め言え。俺はそれらの事項について禁制すると約束する」

 オルパニルが言った。

 無表情な彼は、まるで私の気持ちを読み取っているみたいに、私が不安に思っていることに対して提案してきた。

 彼は一度図書館で私の考えを読み取ったことがあったから、今回も同じかもしれない。集中の度合いがどうとか言っていたけど、落ち着いていればなんだかんだでできるんじゃないかな。

 また心を見透かされたと思って嫌な気分になったけど、知ったからこそ私を気遣ってくれる言葉をかけてくれたのかもしれない。

 そう思うと、感情的でない彼のことがとても紳士的に思えた。

 彼だって、ただの口約束で自分のことについて話してくれた。信用のない私に対して嘘をつかず、自分について話してくれた。

 だったら、話す前から疑っている私はただの臆病者じゃないか。

 話すのが嫌だってことは変わらない。

 でも、なんとなく、なんとなく、彼になら話しても大丈夫な気がした。

 彼なら信じても大丈夫な気がした。


「…私、昔は独りだったんです」


 ぽつりぽつりと、声が上手く出ないけど、少しずつ言葉を繋いでゆく。

「いつからだったのか、よく憶えていないんですけど…私、中学生まで友達がいなかったんです。たぶん、成績のせいでしょうね。自惚れですけど、昔から他の生徒より上のところにいました。いい結果を出せば、先生も両親も褒めてくれましたし、正しいことだとも信じていました。けれど、それが他人と無意識に距離をつけちゃったみたいで、友達が全然いなかったんです。時には、陰湿な嫌がらせや虐めを受けたこともあります。出る杭は打たれるらしくて。初めのうちは、悲しいっていうよりも、混乱しました。どうしてこんなことになるんだろう、って。自分は正しいことをしていて、なんにも悪いことなんかしてないのに、って。人の中には、自分より秀でると、嫉妬や不快心から、軽蔑したり、距離を取ったりする、と分かるまで、混乱し続けて…。気づいたら、私自身もクラスメイトと関わるのが嫌になっちゃって、周りから逃げていました…」

 私は、リストバンド型端末のあった箇所を、カーディガンの上から撫でた。

「一度だけですけど…耐えられなくなって、したことがあります。けっこう強く切ったんですけど、だめでした…」

 オルパニルは静かに耳を傾けてくれている。


「高校は、同級生と会わないように、できるだけ地元から離れた学校を受験しました。私にとっては無理なく入学できるところだったので、無事に進学して。初めて教室に入った時には、誰一人として顔を知っている人がいなかったので、それはそれで安心しました。でも、その教室で新しい友達を作ろうと強く思ってはいたんですが、いざ話しかけようとすると、嫌がられるんじゃないかって、今までの思い出が全部甦ってしまって…。結局、自分から話しかけられなくて、またクラスの人と離れてしまったんです」


 私は一度そこで話を切って、深呼吸をしたあと、再び話し始めた。

「新学期開始からしばらく経って、周りのみんなが新しい友達としての輪ができあがってきた頃、まだ独りだった私に、声がかかったんです。女の子の三人組でした。その人達は、その日に提出する予定のレポートがまだ終わっていなくて、私のを見せてほしいって頼んできたんです。…はじめは戸惑いました。同級生と話をすることなんて、本当に久しぶりだったから。少し怖かったんですけど、必死で頼む様子に嘘はないみたいだったし、私のことも嫌がらずに話しかけてくれたので、私はレポートを貸しました。それ以外はいつもと変わらない一日を過ごして、どこにも寄らずに帰宅するつもりでした」

 あの時は、そんなふうになるなんて、考えてなかった。ぜんぜん思ってもいなかった。


「けれど、その日の帰りに、さっきの三人に呼び止められたんです。その人達は私に『お礼がしたいから、これから一緒に遊びに行かない?』って言われたんです。…正直、信じられませんでした。また私を虐める口実かと卑しい想像をしましたが、和やかで、真っ直ぐ笑ってくれた顔にそんなものは感じられなくて、それが、嬉しくて…。今では、私の大切な友達になりました」

 ちょっとだけ目に涙が浮かんだ。

「それからその三人は、何度も遊びに誘ってくれます。私が勉強ができるほうだって知ったら、分からないところをよく訊きに来てくれます。…今までに何度か学校側から飛び級を勧められたことがあったんですけど、その三人の友達と別れるのが嫌だったから、断っています。たぶん、これからも…」


 そこまで話し終えて、オルパニルのほうに振り返った。

「オルパニルは…こんな私は…間違ってますか…?」

 訊くのは怖かった。

 不安で仕方なかった。

 もし否定されたら、と思うと不安になって、言葉が少し変になっていた。

 オルパニルは理解しているからこそ、そこを指摘せず、本題を指摘した。

「自分では、どう思っている?」

 彼は私自身について訊いてきた。

 簡単な質問に、私は即答することができなかった。

 だが思い直す。


 すべてが悲しかった、あの気持ち。


 どこでも寂しかった、あの気持ち。


 なにより嬉しかった、あの気持ち。


 友達を想う、この気持ち。


 自分の取った行動が間違いだと思いたくなかった。

 だから、

「間違っていないと、信じたいです」

 力強く、そう答えた。

「…ならば、間違っていない」

 彼の答えはとても短かった。というか、彼の考えが入っていないように思えた。

「えっ、これでもいいんですか? オルパニルは、正しいと思うんですか?」

 オルパニルはただでさえ三百年くらい生きているのだ。人生経験が豊富なのは自然に推測できる。

 だから、人生の先輩として、自分の生易しい思想を評価してほしかった。

 必死で理由と訊こうとする私を見たせいか、オルパニルは小さな溜め息を一つついた。

「そのような例は、特に規則や道理が在る訳ではないため、正しいかどうかなど問題ではない。大切なのは、その者にとって後悔しない選択をする事だ。人の行動には必ず理由が伴う。外観だけの判断では不当でも、本人からすれば正当なのかも知れない。他者が客観的に合否を批評するものではない。…お前の様子を見たところ、損をしている訳でもなく、寧ろ逆に満足しているようだ。間違いではないと思うのなら、それで良い。俺がとやかく言う必要は無い」

 そう、助言にも似た意見を述べた。

 答えになっていないような返答だが、確かに答えてくれた。

「正しいと思うのなら、これからもその信念を貫けばいい。でなければ、今迄のお前を信じてきたお前自身が哀れだ」

「…」

私はこの時、オルパニルに話して良かったと、感謝にも似た気持ちになった。

 今まで自分の秘密を他人に話したことなどなかった。

 いや、話そうともしなかった。

 両親は自分が虐待を受けていることを、鞄の切り傷などから知られてはいたが、親に言えば心配させてしまうと誤解して自分から直々に話すことはなかった。

 高校で友達になった三人、ジャスミンとローレンスとアナリアにも話したことなどない。話せば笑われてしまうという先入観を抱いてしまっていたからだ。

 話すまでは、不安がいっぱいで怖かった。けれど、話したあとは、なんだかとても清々しい気持ちになったように感じた。今まで無理に自分を隠してきた負担が軽くなったみたいだ。

 さっきまでにじみ出ていた涙は、もうすでに頬を伝って流れていた。

 別の話を切り出そうとしたらしいオルパニルは、私の様子を見て動きを止めた。

「どうした? どこか痛むのか?」

「あ…ご、ごめんなさいっ。なんか…勝手に出てきちゃって…」

「…何か、不快な部分に触れてしまったなら謝る。済まない」

「ち、違うんです、っ、オルパっ、ニルはっ、悪くなっ、ぃんです」

 止めようと思っても涙は止まらず、とうとうしゃくり上がるようになってしまった。

 悲しいんじゃないのに。

 嬉しいのに。

 気持ちが軽くなっただけなのに、彼にまだ心配をかけてしまっている。

 言いたいことが、涙に邪魔されてちゃんと言えなかった。

 オルパニルは、私に掴まれている左腕を動かさないように、私が羽織っているジャケットの袖で涙を拭ってくれた。

「…あ、あり…がとう、ございます…」

 やっと、なんとか言えた。ぐずぐずな声だったけど、言いたいことをようやく伝えられた。

「Not at all.」

 オルパニルは無表情で応えた。

「…英語、とても上手ですね。発音も正しいし、聞き取りやすいし、ネイティブくらいに流暢で、外人じゃないみたい」

「馬鹿みたいに長く生きてもいれば、世界中を徘徊してもいるからだ。優勢の言語程度ならば会話できる」

 オルパニルの自慢と自虐が混合したことを言い、少しだけ笑えてしまった。

 話す前の不安なんて、もうどこにもなかった。

 最初に話した人がこの人でよかった。




Not at all.

「どういたしまして」

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