歴史ある跡無し者 2
「オルパニル…ですか。なんだか、不思議な響きがします」
「確かに普通ではない身分だ」
サングラスをかけた少年―――オルパニルは自嘲気味に言った。
私はまず、一番疑問に思っていることを訊くことにした。
「あの…あれは何だったんですか? 路地での、あなたの行動のことなんですが…」
私は自分の中で一番気になることを訊いた。というより、一番新しい記憶では、薄暗い通りで見たオルパニルの姿が焼き付いていた。なぜそんな場所に自分がいて、そこに彼と自分が居合わせたのかは記憶が薄ぼんやりとしているが、今は置いておくことにした。
オルパニルは説明に困ったように少し目を泳がせたが、「まぁいい」と呟いて、説明し始めた。
「Seeing is believing。先ずはこれを見ろ」
オルパニルはあの時のように両手を叩くと、私に近い左手の掌を開いて、私が見やすい所で固定した。
すると、オルパニルの掌から突然火が灯った。何もない掌の上にある空中で静かに燃えている。不思議に眺め、気づけば火はすでに変化し始めていた。火の下から水が生まれ、まるで蛇のように火の周りを螺旋状に取り囲んでいく。水に覆われた火は音もなく消え、残った螺旋状の水は下から凍っていった。徐々に上へと氷り、ついにすべての水が凍った。途端、氷の表面に亀裂が入り、瞬く間に砕け散った。目の前に分散した氷の粒子は視界の端から順に消えていき、気づいた頃には何も残っていなかった。
私はその異常な光景に釘付けになっていた。
「い、今の…なんですか…? 魔法、みたいな…」
「今のが、俺に授けられた『思』の能力だ。思念の具現化、簡潔に説明すると、俺の思考を材料に、この世に本物として実現させる。俗に言う魔法とも表現できるかも知れないが、原理が違う。魔力も呪文も存在しないし、杖も不要だ。用いるのは思念と発現する力のみ。今見せたのも勿論、俺の思念を使った物だ。呪文らしき言葉を唱える事もあるが、直接的な影響は無い」
オルパニルは説明した。そして、今私が着ているジャケットにも、着用している人の周囲の温度を暖めるようにしてあることも説明された。
話を聞いても、全然信じられない。しかし、今自分が夜風に当たっていても首から下は寒さを感じないのは不思議でしかないので、彼の言うことを信じる要因になった。
「思念の具現化…? 何でそんなことが…?」
「それは俺達にも推理できない。気付いたらこの力を持っていたと言う感覚だからだ。だが、この能力を持つ者達には共通点がある」
説明される私には理解しがたい内容だらけだが、オルパニルにも判らないことがあるようだ。
それに、オルパニルが言った台詞には疑問点があった。共通点? 俺達?
「それは虚無だ。自我喪失とも言って良い。帰る場所、愛する者、信じる物、有らゆる全てを失い、深い絶望に堕ち、悲哀を知った者。未来を見失い、社会から拒絶され、存在を忘れられ、生きる事を止めた、廃人の成れ果てだ。しかし、人間を捨てた大罪への懲罰として、神はそのような者達に懲役一生の刑を与えた。それは、自然界に存在するエネルギーの根源を、空いた虚無の精神の隙間に憑依させ、化身にさせるという物だ。与えられた者は強大な力を得る代わりに、半永久的に生き続けなければならない。…その一人が俺だ」
この時点でもう私にとって想像の範囲を超えていた。最早常識など無視しているような真実だった。
私は理解できるかどうかはともかく、何とか頭に入れた。その後数十秒間の時間を使って自分を落ち着かせて、先程疑問に思った点を尋ねてみた。
「あの…あなたみたいな人が、他にもいるんですか?」
私の問いに、オルパニルは力強く回答した。
「居る。一人一人の能力に違いはあるが、同士と呼べる者達が存在する。俺のような者達を纏めて『ゲイブディパーソーズ』と呼称されている。聞いた事は、皆無だろう」
最後に彼と自分とのいる場所が全く異なることを言われた気がした。これまでいろんな分野に手を伸ばして知識を広げてきたが、正直言うとそんな単語を聞くのは初めてだった。それゆえか、自分で思う以上に関心が湧いていた。
「その…お仲間は、今どこに?」
質問内容に気を遣ってみたが、
「それは俺の知る範囲外だ。誰に限らず、全員が個別で活動しながら世界を漂泊している。ゲイブディパーソーズの一人一人には役目が決められていて、全員がその役目を懸命に行っている。だから知る術もその必要も無い」
返答は実に素っ気なかった。
「役目?」
「各自が担当している仕事の様な物だ。主に国連環境開発会議で策定されたアジェンダに基づいている。因みに、俺は“オゾン層の再構築”を担当している。他にも、これは全員が共通した役目だが、暇な時は各国治安管理を活動している」
暇な時に治安管理とは、やけに悠長な活動だと思う。
「そう、なんですか。知らなかったです。世界には、あなたのような人がいるなんて、思いもしなかった…」
話を聞いた私が正直な感想を漏らすと、オルパニルは律儀に答えてきた。
「罪悪感を持つ必要は無い。知らないのが普通だし、顕揚されないように徹底している」
「何でですか?」
「ソミアのように理解を示す者も居れば、あからさまに精神異常者として奇異な目で見る者も居る。俺達が関わった事で怨恨を抱いた奴も少なからず居り、下手をすると居場所が発覚されて殺されるからだ。過去に、そういう例があったと聞いた」
殺される、という単語を聞いて、私はびっくりした。
「どっ、どうして殺されるんですか?私たちのためにいいことをしてくれているじゃないですか!」
「今までの話から総合すれば、俺たちは献身的な活動団体に思えるだろう。しかし、それだけに限らない。任務上、人間と対立することは少なくなく、怨恨も数多く買っている。また、俺たちの存在自体が狙われて仕方のない代物でもある」
「存在するだけで狙われるなんて、そんな話が…」
私は否定したかったが、オルパニルは説明してくれた。
「俺達は自然界に存在するエネルギーを操作する事が可能だ。意の儘に操り、新たに産出する事も出来る。そのような膨大な力の塊と呼べる存在を、軍やエネルギー開発研究所が黙認する訳がない。俺達の一人でも人間に洗脳、懐柔された場合、現在も人類を苦悩させているエネルギー開発問題を即座に解消させる事が出来るし、生身の人間では到底適わなくなる最強の殺人兵器へと化す。どの国のトップとしては、俺たちのようなエネルギー資源は是か非でも入手したい魂胆であるし、他国に渡れば外交の際などの関係に変化が生じて自国の立場が危ぶまれる。他の国に渡るくらいならば居なくなればいい、と考えるのも納得がいく」
納得できるとか、そんな問題じゃないのに。
自分の命が危険に晒されているというのに、この人はどうしてこんなにも無感情に話すのか。
私はいい感想も慰めの言葉も思い浮かばなかったので、誰でもわかっているようなことを独り言のように答えた。
「…難しいんですね」
オルパニルはそれに答える。
「そう。生きると言う行為は難儀だ。自分でも理解できない程次々と障害が阻んでくる。だが、それらを乗り越えてこそ人生とも呼べる。…次は、あの三人組の事だ」
一つの話題が終わり、オルパニルは今度は事後の様子を話し始めた。
あの火事はオルパニルが鎮火しておいたこと。建物内部にも火は回っていないから心配はいらないこと。あのあと警察と消防隊が駆けつけて後始末をしてくれたこと。おそらく、上がっていた煙を発見して通報したのだろうということ。消防隊は、もちろん出火を確認できなかったが、現場には焼け跡に残る可燃物質が確認されたこと。さらに、現場には三人の男が意識不明で倒れていて、まだ三人の意識は戻っていないが、警察は放火と見て、男達を逮捕がてら警察病院へ搬送する首尾にしたこと。
「以上が事後要約だ」
「そう、ですか…。よかった、火も大きな火事にならなくて、放火犯も捕まって」
私は胸を撫で下ろした。
が、
「余談だが、通報された時は四人の人物が居たと証言されていた。暗くて明瞭に目視した訳ではないらしいが、四人は確かだそうだ。だが、警察が現場に駆けつけた時には三人しか居なかった。あと一人も仲間で逃走していると見て、捜査を続けているそうだ」
新事実を聞かされて、また気が張りつめてしまった。
「うそっ? 四人って、私達違うのに。…って、あれ? 人数が合わないような…」
あの時居合わせたのは、放火犯の男三人とオルパニルと自分の、合計五人のはずだ。これでは計算が合わない。
私が困った顔でオルパニルを見ると、
「確かにあの時居合わせたのは合計五人だが、暗所だった。それに、ソミアはあの時男達の背後に居た。通常でも外からでは視認し辛い場所だった。ソミアが数に入っていなくても不思議ではない」
彼は正解を答えてくれた。
だが、説明されても納得いかなかった。
「それじゃだめですよ! オルパニルは犯人の仲間じゃないのに、このままじゃ捕まっちゃいますよ!」
「心配してくれるのは感謝するが、それはいずれ杞憂に変わる」
「どうしてですか?」
「何故なら捕縛されるような常人ではないから。追求されたとしても、正面から反抗できる力も持っている。万が一捕縛されてもすぐ脱獄できるし、俺は元から警察とは干渉しない質だ。俺はあの時一番出入り口に近い場所に位置していたが、証言者が目撃したのは薄暗闇に見えた後ろ影だろうから、証拠不十分だ。逮捕には力不足だろう」
どこまでも冷静に考えるオルパニルに感心してしまう。自分が決して良い立場に置かれているわけじゃないのに、焦るどころか表情一つ変えない…というか、初めて会った時から無表情なのだが。
そして、オルパニルがどれほど強くて、それゆえに他人と過剰な干渉をしていないことを悟った。
会話が途切れてしまった二人の間に、昼間の温度がすっかり冷まされた夜の風が、二人の身体を控えめに撫でた。
「他に尋問したい事は?」
オルパニルが尋ねた。
「えっと…あっ、そうだ! 図書館でのことなんですが、なんで私の考えてることが分かったんですか? それも能力なんですか?」
できるだけこれは初めのほうに確認したかった。なにせ、自分が恐怖心さえ抱いてしまった体験であり、これの追求心が事件に関わることになったのだから。
「ああ、丁度近くに居たし、無断で失礼とは思ったが、関与する事は無いと予想して、練習台になってもらった」
れ、練習台…。
「で、でも、手を叩く音は聞こえませんでしたよ?」
この言葉にオルパニルは驚いたようで、ほんのわずかに、ミリ単位の変化だけど、目を開いた。それは、おそらくソミアが今までで初めて見た、オルパニルの表情の表れだった。
「お前の観察力には正直驚かされる。…種を暴くと、本来は能力発現に拍手する必要は無い」
「じゃあ、どうして叩くんですか?」
「それは、俺にとって“呪い”のような物だからだ。俺の能力は思念を材料にするから、必然的に一意専心する必要がある。故にと言うか、理由にはならないかも知れないが、今の俺はこの行為に依存しないと集中出来ない。図書館の時は静閑な場所だったから、叩かずとも集中出来たが、読心術はかなり接近した者にしか使用できないし、読み取れるのは断片的な物だから使い物にならない。辛うじて読み取れたのがあの三つの単語だったと言うだけだ」
信じられない現象を操っているんだけど、そのための集中力のようなものがたくさん必要だということがわかった。
能力は凄いが、なんか苦労しているんだなぁと感心してしまう。
「そういう訳だったんですか…。疑問がまた一つ晴れました」
答えを聞いていくと、どんどん霧が晴れていくような錯覚を覚える。
「他には…それ、そのサングラスです。それは趣味なんですか?」
私は、オルパニルが書けている、片方のレンズしかないサングラスを指した。
「これは、少し個人的な理由がある。先刻のゲイブディパーソーズの共通点の話に戻るが、俺達は能力が身に付いた事に加えて、もう一つ、外見上の変化が現れる。それが眼だ。能力の憑依の証拠に、眼の色が変化する。能力の違いがあるように、色も赤、青、白等というように、それぞれが違う。そして、その変化は虹彩と瞳孔に及ぶ。それ故、目敏い者には一目で正体が見破られる」
「…ゲイブディパーソーズは一般的には知られていないんじゃないんですか?」
「一般的には、だ。軍人や憲兵、政治家などの上層部には殆ど顔が割れているし、過去に関与した者は無論だ。あと…その手のマニアも存在する」
最後のは危険度が感じられないが、共通して“見つかるとまずい”のだろう。
「でも、オルパニルの右目はなんでもない、普通の焦げ茶色ですよね?」
「それは右目だけだ。左目は抜かりなく染色している。俺はこれを露顕させたくないから、こんなサングラスを装着してまで隠匿している。何故片目だけなのかは知らないが、仲間曰く、“精神が不安定だから”だそうだ」
「ちゃんと見えてるんですか? その、染まっているほうの、ですけど」
「機能としては問題ない。使えなければ眼帯をしている」
「はぁ…。見てみたい気もしますが、ダメですか?」
「断固拒否する」
「…なら、仕方ないですね。あとは…あ、そうだ、この剣は? ずいぶん大きな物ですけど、アクセサリーですか?」
そう言って私はオルパニルの右腰に納められている一振の剣を指した。
「これは装飾具ではなく、本物の凶器だ。『日本刀』と呼び、その名の通り、東洋の島国の独特な製法によって生まれた、芸術的な武器だ。金属製の刃物の中では最高の切れ味を誇る。古い英国広辞苑なら『刀』と記載されている筈だ」
私は聞き取った一つの国名を聞いて、
「日本って、あの『国際共同環境保全支援事業施設列島』ですか?」
驚愕した調子で訊き返し、
「そう。あの『国際共同環境保全支援事業施設列島』だ」
対してオルパニルは平然と答える。
日本は二十一世紀に入ってから出生率の低下が目立ち初め、百五十年前にはついに人口が一億人を切った。経済的な困難により他国に救命措置を依頼したが、大きな支援を受けることはなかった。それから百年前が経過して、純血の日本人は希有な存在になった。
問題として、残った日本列島及びその領土の島々をどうするかと議論が開かれた。案として、植民地にするとか大富豪に区分した面積を売却するとかが挙がったが、それらは身勝手であり不平等だと却下された。結論として、重要文化財や天然記念物はアメリカやヨーロッパに移築させて、残った土地面積全てを廃棄物の集積及び処理場、また南北に伸びて多様な温度環境が揃っている条件を活かして、絶滅危惧種を保護するための島として利用する旨が正式に決定した。
日本は国土面積の約七割が山岳地帯であるため、廃棄物処理場が平野・盆地に、動物保護地域はそれ以外の山岳・湿地に設置されることとなった。
集積された廃棄物は様々な形式で処理される。
可燃ゴミは、そのまま焼却処理し、その時発生する熱を発電力として利用している。不燃ゴミは、有害物質を発生させない工夫を施されてはいるが、百パーセント発生しないというわけには至っていない。そのため、プラズマなどを当てて、水素燃料を抽出したり、可能な限り最小化して道路のコンクリートなどに混合し使われている。また、プラスチックは植物から加工して作り出したポリ乳酸で造られているため、リサイクルを可能としている。生ゴミは、巨大な粉砕装置に掛けて粉末状にし、堆肥量の原料として出荷したり、これもまた植物性プラスチックに加工されたりしている。缶・瓶・ペットボトルは、従来とほとんど変わらず、再利用しやすい形状に加工して出荷している。粗大ゴミは、種類にもよるが、家具などの有機物は紙類の元となる木片チップへ、電化製品などの無機物は、修復利用できる物は分解修理し、不可能な物は分解した後に溶解して金属塊へと変換している。
島の保護目的である絶滅危惧種は世界各地から収容されくる。
ゴリラやジャイアントパンダなどの穏和な動物は本州で保護し、特別な環境が必要な動物は周辺の孤島を改装してそこで飼育している。野生の動物は警戒心が過剰に高いものが多いために、最善の注意を払わなければならない。
ちなみに、沖縄県人のほとんどはそこに永住することを希望し、今も文化と伝統を後世に伝承させている。今では『日本』ではなく『沖縄』という国名として、経済を維持している。沖縄には二十世紀中盤からアメリカの空軍基地が設置されていたが、日本の他の土地を代替とすることを条件に沖縄から撤退した。珊瑚礁や広大な山林は、世界文化遺産として登録されているため、現在も変わらぬ姿のまま存在している。
記憶が正しければ、ソミアは学校でそう学んだ。
「これは、二百年程前に腕の良い刀匠に無理を言って製造してもらった物だ。打刀『漣哭』。素晴らしい名刀だと今でも賞讃している。現在ではこの技術を継承している者は現存していないだろうから、大切にしている」
私は刀に惹かれて思わず聞き流しそうになったが、ある一点が非常に気にかかった。
「………って、え! 二百年前!? オルパニル、あなた、いったい何歳なんですか!?」
「肉体年齢は、数え年で十五歳だが、実年齢は三百歳を多少下回るくらいだ。正確な年齢は、忘却したため不明だ」
オルパニルは刀を鞘の上から撫でていた。私はオルパニルをよく観察してみる。
黒髪に茶褐色の瞳。この国でも黒髪の者はいるが、茶褐色の瞳を持つ者は珍しい。
白くはない、しかし日焼けをしたわけでもなさそうな、黄みがかった色の肌。黄色人種は古今東西、東洋の民族だけだ。
そして、『サザナキ』という名の、刀という剣と、日本という国への思い入れ。
だとしたら、答えは一つ。
「オルパニルは、純血の日本人…なんですか?」
「…そうだ。俺が、生き残りの一人だ。…生まれた国を嫌った人間がその所為で生き残っているのだから、皮肉な物だ」
これにはさすがに衝撃を受けた。もう希少といわれている民族が生き残っていた事実。そして、その少数民族が自分の目の前にいる。
もう、感動や衝撃で頭がいっぱいだった。
Seeing is believing.
「百聞は一見にしかず」
日本刀『漣哭』
読みは「さざなき」。
「漣(さざなみ)」に、大泣きの意味を持つ「哭(コク)」を合わせ、韻を踏ませた当て字。
名前の由来は彼の過去にあるのですが、それはまた別の話です。というかまだ書けてません;;
イメージだけラフってあるので、仕上がったらうpしますm(_ _)m