ああ!困ります、勇者サマ!〜聖女様に勇者パーティーを追放されたら、王太子殿下に求愛されました〜
『小説家になろう』様で初めて書いた小説を掲載してからちょうど一年。
一周年の記念に、思いきりやりたい放題した短編を書いてみました。
いつも読んでくれる皆様が、少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。
勇者と王太子殿下とアリスの物語を、どうぞ!
水平線の向こうから日が昇るのを窓越しに確認したアリスは、座っていたベッドの端から腰を上げた。
体が怠くて動かすのも億劫だったが、もう、ここには居られない。居ては、いけないのだ。
重々しいため息を吐いて、アリスはのろのろと身支度を始めた。
「さぁ、グズグズなんてしていられないわ。おかみさんがカウンターに立ったら、すぐにでもチェックアウト出来るようにしておかないといけないのだから」
いつものように前髪を上げてポンパドールにしようとして、今日はローブを羽織るから要らないのだったと、アリスはブラシをカバンへしまった。
鏡の向こうから、目の下にべったりとクマをくっつけた顔色の悪い少女が、今にも死にそうな顔でこっちを見ている。
目は真っ赤で、まぶたはぽってり。泣きましたと主張しているようなものだ。
私だ、と気付くまで、アリスは数秒を要した。
それほどまでに、ひどい顔だったのだ。
窓の外で、ウミネコが「みゃあみゃあ」と鳴いている。まるで、アリスを笑うように。
「ぼんやりしている場合じゃ、ないのよ。アリス、しっかりしなさい」
気合いを入れるように両頬をパチンとたたいて、アリスは支度を再開した。
ここは、ネリアン王国の最南端にある港町、リビアンダラスである。
町の南西には真っ白な砂浜が広がり、コバルトブルーの美しい海が観光客を待っている。
町中に巡らされた水路では毎日たくさんの船が行き交う、とても活気がある町だ。
始まりの村、コイズから始まった旅路は、予定のやっと半分といったところだろうか。
「半分。そうよ、まだ半分しか来ていなかった」
だけど、アリスの旅はこれで終わり。
だって、言われてしまったのだ。
「アリス。あなたは、クビよ」
薔薇の花びらのように可憐な唇から告げられたのは、解雇通知だった。
「えっと……ちょっと、待って……? いきなりの話で、状況が理解出来ないのだけれど?」
戸惑うアリスの前で、女神に愛された聖女は死んだ魚のような目をしている。それなのに口元には笑みが浮かんでいて、とても歪だった。
「もしかして、冗談……?」
「こんなひどい冗談、わたしが言えるわけないでしょ〜。もう〜……いくら温厚なわたしだって、怒っちゃうぞ! ぷんぷん!」
両腕でぎゅっと胸を押し上げて、顎に拳を当てながらわかりやすくぶりっ子なしぐさをする少女を、アリスは冷ややかに見つめた。
少女の名前はミモザ・セルラータ。勇者オリヴァーのパーティーメンバーの一人、神官である。
女神の守護色である黄色の神官服を身にまとい、宝石がついた杖で勇者一行を癒やすことが役割だ。
こう言うと清楚でシック、お淑やかな女性を想像しがちだが、実際には黄色いフリフリドレスを身にまとった甘めのロリータスタイル、という表現が正しい。
「そうだ、そうだ! ひど過ぎるぞ、アリス! だからおまえは駄目なんだ!」
「ミモザちゃんを困らせるなよ! ほんっと、使えない女だな、おまえは!」
ミモザの両隣には、まるで神社の入り口にある狛犬のような男が二人。ミモザはさながら、鳥居といったところだろうか。
ふわふわの癖があるピンクブロンドが愛らしい少年は、魔法使いのアスター・シモン。可愛らしい見た目に騙されそうだが、彼の得意とする魔法はえげつない闇魔法である。
炎のように真っ赤な髪を撫で上げた、筋肉もりもりマッチョは、戦士のグロリオ・マルバル。あらゆる戦場を駆け抜けてきた百戦錬磨の猛者。見た目は少々怖いが、裁縫が得意という意外な一面を持っている。
二人は、今まで見たことがないような醜悪な顔でアリスを睨み、罵声を浴びせてきた。
(まるでグロテスクみたいだわ……)
グロテスクとは、中世ヨーロッパの教会建築の装飾に見られる、奇怪な生物の彫刻のことである。
向けられる罵声をどこか人ごとのように聞きながら、アリスは三人を見つめた。
「本気、なの……? 理由……理由を、教えてちょうだい」
震えそうになる声を絞り出し、なんとか問いかけたアリスに、ミモザは目を吊り上げて笑った。
「理由? そんなの一つしかないじゃない〜。あなたが、お・に・も・つ、だからよ。あなたはまるで役に立ってない。敵にダメージを与えることもできず、逆に狙われて、わたしたちの足を引っ張ってる。できることといえば、古の言葉の翻訳と宿の手配くらい。翻訳なんて学者にも出来ることだし、宿の手配だって勇者様ご一行なら喜んで部屋を用意してくれる……ねぇ。これを役立たずと言わずして、なんて言うの?」
「そんな……私、は……」
「アリス。これ以上わたしたちを、失望させないで?」
一気に畳み掛けるように好き勝手言われて、アリスの中で何かがプツンと切れた。
「分かった。明日の朝早くに出て行くわ」
「安心してちょうだい。勇者様はわたしたちがちゃーんとお世話してあ・げ・る!」
「……」
三人の嬉しそうな笑い声を聞きながら、アリスは退室した。
そして今が、その明日の朝早く──。
身支度を整え、カバンの中身を整理して、すっかり準備を整えたアリスは、いつもは羽織らないローブを目深に被って部屋を出る。
知り合いであるおかみは、アリスを見るなり「おはよう」と優しくほほ笑みかけてくれた。
「朝が早いわね、アリス。もう出かけるのかい?」
「ええ、そうなの。東のダンブリにある古代遺跡の調査を、手伝わなくてはいけなくて」
「おやまぁ。アリスも大変ねぇ」
「ええ、本当に」
チェックアウトを済ませたアリスに、おかみは「ちょっと待ってね」と言うと厨房に入って行った。
(早くしないと、あの人が起きてきてしまうわ。いえ、でも……もう少し待ったら、最後のお別れを言えるかもしれない)
この期に及んで未練がましく階段の上を見つめたけれど、上からは物音一つしない。
「忘れ物でもしたのかい?」
おかみの声に、アリスは弾かれたように階段から目を背けた。
「いいえ。忘れ物なんて、していない」
「そうかい? まぁ、あったとしても大事に保管しておくから、安心おし。ほら、朝ごはんにサンドイッチを包んだから持ってお行き。気をつけてね」
「うん。ありがとう。じゃあ、また……」
アリスはおかみから紙包みを受け取ると、小さく手を振ってから駆け出した。
走って、走って、走って、走って。
息が切れるまで走ったら、南東にある広場に着いた。
ゼェゼェヒューヒューする喉を宥めるように水を飲んで、端に置かれたベンチへ腰掛ける。
心臓が痛いのか、心が痛いのか、アリスには判断がつかない。もしかしたら、どっちもかもしれなかった。
宿に残してきた、大切な人。
オリヴァー・ハミルトン。
「バイバイ、勇者サマ」
オリヴァーに教わったお祈りをするように、両手を組んで、アリスはそっと目を閉じた。
(もう私はおとも出来ないけれど……どうか、どうか、あなたの行く未来が幸多からんことを)
◆◇◆◇◆
「────ヒナギク? こんな時間に、こんなところで何をしている?」
不意に降ってきた声に、アリスは祈りの姿勢を解いて顔を上げた。
目の前に立っている人は、朝日をバックに立っているせいで顔がよく見えない。
眩しさに目を眇めていると、その人物は許可も取らずにアリスの隣へどかりと腰を下ろした。
隣に来ると、よく見える。
森の妖精と評される美しい母にそっくりな、深緑色の髪。ちょっとばかり脳足りんだけれど愛嬌があってみんなに愛される父に似た、人懐こい整った顔。
いつもの煌びやかな衣装は目立つからか、今日は下位の貴族のような格好をしているが、それでも滲み出る気品は隠せやしない。
「──殿下」
ネリアン王国、現国王陛下と王妃の第一子、マシュー・ネリアン。つまり、王太子殿下である。
甘やかされて育った為に少々おつむが足りない国王に代わり、この国の政治は彼の采配で回っている──なんて国民は冗談めかして言っているが、実のところ真実だ。
先程彼は「こんな時間にこんな場所で」なんて言ったが、彼の方こそ、なのである。
「ここでそんな無粋な名を呼ぶものじゃないよ。どうか、マシューと」
「そうですか。では、マシュー。同じセリフをお返しします」
「僕か? 僕は休養だよ。いくら施政者とはいえ、休みなしで働くなど愚の骨頂だ」
「そうですね……働きすぎは、体に毒です」
「だろう?」
「ええ」
無理に聞き出そうとしないマシューに、アリスはありがたく思った。
流れる空気の柔らかさに、ぐちゃぐちゃに絡まった気持ちが少しずつ解れていくようである。
もしかしたら、この空気こそが彼の政治手腕なのかもしれないと思いながら、アリスはぽつりぽつりと言葉を漏らしていく。
「勇者と旅をするようになって、半年が過ぎました」
「ああ、そうだな」
「私がこの世界へやって来たのは、もう随分と前のような気がします」
「そうだな。君がやって来たあの日のことを、僕も覚えている」
昔を懐しむようにそっと目を閉じると、あの日のことが色鮮やかに蘇る。
アリスの口は、すらすらと語りだした。
◆◇◆◇◆
そもそもの始まりは、マシュー殿下の父、現国王陛下にある。
国王陛下が宝物庫から持ち出した、呪われしティアラが原因だった。
呪われしティアラ。
それは、とても美しく繊細なデザインで、見る者全てを魅了する。
それだけなら、まだ良かった。
呪われしティアラは、身につけた者に強大な悪の力を注ぐ、曰く付きの代物だったのである。
ある日、国王陛下はお気に入りのジェリー──ソーダ味のゼリーのようなモンスターのことである──を着飾ろうと、鼻歌を歌いながら宝物庫を物色し、宝物庫の奥深くに封ぜられていた呪いのティアラを発見した。
そして、ティアラの存在をすっかり忘れていた国王陛下は、「良いものがあったぞい」と、ほくほく顔でジェリーの頭にちょこんと載せてしまったのだ。
ティアラを載せられた瞬間、可愛らしい半透明のジェリーはみるみる姿を変え、クイーンジェリーへと進化した。
情けなくもその場でへなへなと腰を抜かした国王陛下は、なんとか振り絞った声で衛兵を呼ぶも、その声はあまりにも小さくて、衛兵たちに届くことはなかったのである。
クイーンジェリーとなった元ジェリーは容量を増やし、王城の一室はあっという間に狭くなった。
耐えられなくなった石造りの壁がドカーンと崩壊してようやく、城の者は異常を察したというわけである。
衛兵が駆けつけた時、すでにクイーンジェリーは何処へか姿を消し、国王陛下しかいなかった。
「遅いではないか!」
やって来た衛兵に、国王陛下はプリプリと怒った。
衛兵たちは部屋の惨状を見て、何が起きたのか推測することもできず、ただただ困るばかり。
そこへやって来たマシューは、すぐさま衛兵に現場検証を命じ、自らは国王陛下の聴取をした。
結果──、
そこで明かされた事実に、城中が「マジかよ」と突っ込みたくなるのを全力で我慢することになった。
呪いのティアラの存在は、城中どころか国中が知ることだったからである。
この事実に、マシューは片頭痛を悪化させることになった。
しかし、クイーンジェリーをこのまま放置すれば、呪いのティアラの力でどんどん悪の力に染まり、王国を、ひいては世界を破滅に導いてしまうかもしれない。
そこでマシューは、王家に伝わる秘術を用いて、かつてこの世界を危機から救ったという【伝説の勇者】を召喚することにしたのである。
この秘術には、膨大な魔力と王族の大事なものが必要不可欠。
幸い、魔力に関しては王国が所有する採掘場で魔石がたくさん手に入ったので、安易にクリアすることが出来た。
しかし、王族の大事なもの──これを手に入れることは非常に困難を極めた。
「父上。事の発端は、あなたにある。王族の大事なもの、とやらはあなたが用意してください」
原因は国王陛下にあるとして、マシューは父にそれを差し出すように進言した。
国王陛下の大事なものといえば、妻、息子、娘、それから祖母にもらったクマのぬいぐるみに父から譲り受けた短剣──などなど。
この緊急事態に、国王陛下はなかなか首を縦に振らなかった。
国民が総出で「クーデターを起こす」と騒ぎ、妻と娘が「この緊急時のためならば」と身を差し出そうとしてようやく、国王陛下は大事な大事なくまちゃんを手放す事に決めたのである。
特殊な魔法陣の上に魔石とくまちゃんが捧げられ、国一番の魔法使い、アジュガの指揮で秘術は執り行われた。
そうして召喚されたのが、アリスである。
何もない中空から魔法陣の上へ降り立った少女に、その場に居た男性の目のほとんどが釘付けになった。
白い肌に、スラリと若々しい体。サラサラの長い髪はお姫様のよう。
短めのスカートから伸びる太ももに、男たちは衝撃を受けた。
この国の女性は例外なくロングスカートが普通で、異世界の女子高生の服装は非常に刺激的だったのである。
「よくぞ、召喚に応じてくれた! 感謝するぞ、勇者よ!」
美女に耐性のある国王陛下は、どの男よりもいち早く我に返ると、厳かにそう宣言した。
突然召喚されて、見覚えのない場所で大勢の人に取り囲まれたアリスは、恐怖を覚えてギュッとスカートを握る。
少しだけ肌面積の増えた太ももを凝視していた男たちが「おおっ」と歓喜の声を上げた。そのせいで、アリスがますます体を縮こませるとも知らずに。
「あ、あの……」
恐る恐る声を発したアリスに、場が静まり返った。
しかし、それも一瞬のこと。
国王陛下の「声までかわゆいのぉ」という言葉に、男たちはコクコクと頷いて同意を示している。
「そなた、名前は?」
「あ……有栖川雛菊、です」
「アリスガワヒナ……随分長い名前だの。呼びづらいからアリスで良いか?」
「え……ああ、はい。大丈夫です」
国王陛下とアリスのやりとりを見守りながら、男たちは鼻の下を伸ばしてニヘラとしていた。
「かわいい名前だな」
「アリスちゃんか」
ざわつく男たちを黙らせるように、国王陛下は持っていた王笏でカンカンと床をたたく。
「では、アリス。そなたにはまず、やってもらわねばならないことがある。……これへ!」
国王陛下の声を合図に、布で覆われた巨大な物体が広間に運び込まれる。
アリスは、不安いっぱいの顔でそれを見つめていた。
彼女の不安は、当然である。
学校帰りにマンホールを踏んだら、地面が光り出して異世界へ──なんて、非現実的すぎてついていけるはずがない。
それでも彼女が暴れることも喚くこともしないでおとなしくしていたのは、ただ逃げるチャンスを探っていたからだ。
「勇者アリスよ。わが国には言い伝えがあってな。聖剣を手にした者でないと、勇者と認められないのだ。よって、可憐な乙女であろうと、やらねばならぬ」
芝居めいた口上に、アリスはだんだんと胸がドキドキしてくるのを感じていた。
(こういう雰囲気、ちょっとワクワクする……かも?)
太鼓が連打され、場の空気が振動する。
アリスの気分は、ますます盛り上がっていった。
──ダラララララ、ダンッ!
布が取り払われ、アリスの目の前に現れたのは大きな岩だった。
よく見ると、岩の上には何かが刺さっている。
(あれが、聖剣……?)
柄は黄金、柄頭には水晶が嵌め込まれている。
その剣は、この世界ではオートクレールと呼ばれていた。
天井から吊り下げられたシャンデリアの灯りに照らされて、黄金の柄が煌めいている。
アリスは「さぁ」と促す国王陛下の言葉に従って、ゆっくりとした足取りで岩へ近づいて行った。
「登るのは大変でしょう。お手伝いしますよ」
そう言って、近くにいた男たち数人がアリスに手を貸してくれる。
なんとか岩に登り、彼女は聖剣を見つめた。
そこでふと、アリスは岩の上の台座に文字が刻まれていることに気がついた。
台座の文字は、このように刻まれている。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
Youkiyottana.
Okuchinicyakkusite,yonndattena.
Koregayomeruttyuukotowa,jibunn,yuusyanotekiseigaarehenn.
Kennganukehennfuriwosite,nigetahougaeede.
Jibunnniwa,arayurukotobaworikaisuru,chikaragaannde.
Yakudatsutoeena.
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
台座に刻まれた文字は、一見すると英字のようである。
しかし、よく読んでみると、それはローマ字で書かれた関西弁のようだ。
二行目に刻まれていた『お口にチャック』という助言に従って、アリスは黙読した。
訳すると、こうである。
『あなたには勇者の適性がありません。
剣が抜けないふりをして、逃げましょう。
あなたには、あらゆる言葉を理解する能力があるので、役に立ててね』
どうやら、勇者の証であるこのイベントは、形式上のもののようだ。
きっと、剣は誰にでも抜けるようになっているのだろう。
(……知ってる。こういうの、茶番って言うのよね)
読み終えたアリスは、スンとした顔をしていた。
(なにが勇者よ、もう)
周囲を見渡せば、何やら熱心に下から見上げている視線が突き刺さる。
(……知ってる。これ、駅の階段でたまにあるやつ……!)
アリスは、慌ててスカートを押さえた。
途端に、広間には不満げな空気が漂う。
(こんな……痴漢紛いの男たちがいる国の勇者なんて無理!)
そうしてアリスは、一世一代の名演技をするに至った。
どんなに踏ん張っても、岩の台座から聖剣オートクレールは抜けなかったのである。
国王陛下は、スカートの中を覗き見るというマニアックな嗜好を教えてくれたアリスに対し、とても感謝した。
感謝の意を表して、彼女がこの国にいる限り衣食住に困ることがないよう、王族にのみ与えられるゴールドカードを与えたのだ。
国王陛下のこの対応に、マシューは当然だと頷いた。
アリスは勇者の適性がないとされたが、召喚したのはこちらの勝手なのである。
帰す方法がない以上、手厚く保護するのは当然だった。
ゴールドカードがあれば、どんなことだって出来る。豪華な食事も、豪奢な宿での宿泊も、買い物だって困らない。
冒険者ギルドで配布している、レベルに応じて色が変わる身分証なんて必要がないのである。
アリスはゴールドカードをありがたく貰い受け、旅に出た。
数年後、彼女はネリアン王国のあらゆる場所でコネを作り、異世界コーディネーターとして起業したのである。
古代語ですら読み解ける彼女は、学者たちから引っ張りだこだった。
少数民族の特殊な発音も理解出来るので、交渉の場に同席することもある。
充実した日々を送るアリスのもとへ、ある日、国王陛下から手紙が届いた。
『ようやく勇者が現れたので、アリスの力を貸してほしい。
どうやら彼は、古代語どころかこの国の言葉も少々怪しいようだ』
そのようなことが書かれた手紙を読み終えたアリスは、困ったように眉尻を下げた。
「本当に、勇者なのかしら……?」
たまたまアリスはあの文字に気付けたけれど、勇者となった人は運悪く気付かなかっただけなのでは。
そう思うと、一抜けした自分にも責任があるような気がして、アリスは複雑な気持ちを抱きつつ、異世界コーディネーターとして助力することを決めたのだった。
◆◇◆◇◆
ネリアン王国の端には、コイズという村がある。
通称、はじまりの村。
そこは、異世界から召喚された勇者が、最初に訪れる村ということで有名だった。
コイズ村には特産品もなく、有名なものは何一つない。
あえて挙げるとするならば、宿屋の一人娘が、田舎に置いておくには惜しいくらいの美人だということくらいだろうか。
宿屋の一階にある酒場は、彼女目当ての男たちで毎夜大盛況である。その恩恵を受けて、客室のグレードは王都のそれに及ばないものの、田舎にしては豪華だと評判は上々だ。
村の周辺では、ただの村人が鍬や鎌といったどこにでもある農具で倒せそうなくらい弱っちいモンスターたちが、のんびりと草原を散歩している。
主に生息しているのは、サイダー味のゼリーみたいなモンスターとか、毛玉にコウモリの羽が生えてるみたいなモンスターである。
つまり、勇者なりたての新米を放り出すのに、ちょうど良い環境なのだった。
「ああ! 困ります、勇者サマ!」
コイズ村の村人Dことダグラスの家に不法侵入を果たしているのは、何を隠そう新米勇者のオリヴァー・ハミルトンである。
陽の光が当たるとキラキラと光り輝く金の髪。前髪は年頃の青年らしく綺麗にセットされている。
サイドをツーブロックに刈り上げているせいか、少々ヤンチャそうな印象ではあるが、それを補うくらい、オリヴァーの顔面偏差値は素晴らしい。
まさに世界屈指の美術館に飾られた絵画のモデルのように、その顔にはあらゆる宝が寄せ集められていた。
綺麗な弧を描く眉、スッと通った鼻梁、厚すぎず薄すぎない絶妙に上品な唇。
そして何より印象的なのは、その目だ。清く美しいその目は赤子のように曇りなく、翠玉を削って嵌めたとしてもここまでの凛々しい輝きは放っていないだろう。
だが、彼の素晴らしさは顔面だけに留まらない。
今は質素に村人と同じような布の服を着ているが、だからこそ、彼の肉体の素晴らしさが際立っている。やり過ぎない程度に鍛えられた筋肉、スラリと長い手足、しゃんと伸びた背。やはりこちらも、美術館に納めたい彫刻のような肉体美である。
およそ欠点らしい欠点が見当たらない。
そんな彼は、村の外にある森で木こりをしているダグラスが家にいないのを良いことに、鍵のかかっていない扉から無邪気に不法侵入を果たした。
この村は非常に弱っちいモンスターしかいない上、はじまりの村として有名なおかげで悪党が寄り付かないため、村人たちの防犯意識は非常に低い。
つまり、平和な田舎あるあるの、玄関扉に鍵をかける習慣がないのだった。
なんなら、家によっては常に玄関がフルオープンで、辛うじて目隠しの暖簾が下がっているだけということもある。
そんなわけで、オリヴァーは目を輝かせて不法侵入を果たしたわけである。
他人の家に勝手に上がり込んだオリヴァーは、何をするのか。
そんなものは決まっていると言わんばかりに、彼は真っ先にこの家の広くはない土間へ向かい、片隅に置かれていた壺を持ち上げ、落とし、粉砕させ、中身を拾った。
入れておいたことを忘れていたような干からびた薬草や、ポケットから出す際にうっかり失くしてしまったようなコイン。
勇者オリヴァーはそれをニッコニコの笑顔で拾い集め、腰につけたカバンに丁寧にしまい込んだ。
これだけで止しておけば良いのに、オリヴァーは粉砕した壺もそのままに、小さな家に似合いの質素なクローゼットの扉を、遠慮なく開いた。もはや、勇者というより盗賊である。
「あ、あった!」
テレレレッテレー……。
なんだか得したぞって感じの効果音がつきそうな勢いで、オリヴァーは細長い何かを持って拳を振り上げる。
その手には、なぜか竹刀が握られていた。
というか、どうしてしがない村人Dでしかないダグラスの家のクローゼットに、竹刀があるのか。甚だ、謎である。
とはいえ、これは立派な窃盗である。
壺については、もしかしたらついうっかりもあるかもしれない。だが、クローゼットはそうもいかないだろう。
だというのに、オリヴァーは純真な眼を少年のようにキラキラさせて、達成感に満ち溢れていた。
まるで、「念願叶ったぞ」と言わんばかりである。
そんな彼の後ろで、アリスは「はわわわわ」と目を白黒させていた。
「ほら見て、アリス! ボクが初めて手に入れたアイテムだよ!」
そう言ってウキウキとカバンの中身を見せてくるオリヴァーに、アリスは「あーあ」と天を仰ぎたい気分だった。
(やっちゃったよ……)
いくらなんでも、ないと思っていた。
他人の家に勝手に入って、不法侵入。
許可もないのに勝手に物を壊して、器物破損。
クローゼットを物色して、窃盗。
この短時間で三つもの罪を重ねた勇者サマに、アリスは頭を抱えてしゃがみ込んでしまいたくなった。
「はぁ……どうしてこんなことに……」
「そうだね。困った勇者様だ」
頭上から声をかけられて、アリスは「え」と顔を上げた。
「……どうしてここへ?」
アリスの問いかけに、誰かは勢いよく木の上から降ってきた。
風の魔法でも使っているのか、着地音もしない。
「勇者様の記念すべき第一日目を、目に焼き付けておこうと思ってね。でも、来て正解だったかもしれない。勇者様が犯した罪をもみ消せるのは、僕しかいないだろうから」
国を動かす彼ならば、それも可能だろう。
止めきれなかった自分の未熟さを恥じて、アリスは「申し訳ございません」と項垂れた。
「ヒナギクが謝ることはない。勇者様は、異世界に召喚されたばかりで、この世界の常識をまだご存じないのだ。同じ立場であるキミがフォローしてくれたら、きっとうまくいく」
マシューの大きな手が、アリスの頭を優しく撫でる。
王太子殿下という立場ながら、マシューは気安い。
こうして頭を撫でられるのは、もう何度目だろうか。
異世界へやって来てから定期的に顔を合わせているが、彼のスキンシップはいまだに慣れない。
頭を撫でられるなんて序の口で、指先にささくれができていた時は、まるでお姫様の手のように大事に手当てしてくれて、「早く治るおまじないだ」と言って指先にキスまでされたこともある。
(は、恥ずかしい〜〜)
その時のことを思い出して、つい頰が赤らむ。
マシューは善意でやっていることで下心なんて一切ないのだから、こんな風に恥ずかしがるのはおかしいのだろうが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
(……知ってる。男の人に触れられる経験がなさ過ぎるから、殿下を意識してしまうのよ)
日本で女子高生をしていた時も、女子校だったせいで彼氏がいなかった。
この世界にやって来て数年たっているが、コーディネーターになることに必死で、彼氏をつくる暇もなかったのだ。
その上、ここ数年で最も会う回数が多かったのはマシューである。身分違いとは分かっていても、一番身近な異性が彼なのだから、多少意識してしまうのは仕方がないだろう。たぶん。
この世界では、十六歳から二十歳あたりが結婚適齢期とされている。
アリスの年齢は、二十二歳。結婚適齢期は、とうに過ぎていた。
周囲からも「そろそろ身を固めては?」と打診されているところでもあるし、勇者のおともが終わったら、考えてみても良いかもしれない。
(気が重いけど)
日本に帰れるかもしれない可能性は、まだなくなったわけじゃない。
もしも帰れるとなった時、帰らなくても良いと思えるほど好きになれる人なんて、現れるのだろうか。
黙りこくるアリスが、勇者のおともに難色を示していると思ったのか、マシューが「まぁまぁ」と言いながら彼女の手を取る。
「この件に関しては、僕もフォローするから。問題があったら、遠慮なく頼ってほしい。それ以外でも、僕が力になれることがあったら連絡してくれ。だって僕らは、友人だろう?」
誓うように手の甲にキスを落とされて、アリスの顔にボッと火がつく。
友人というには過激なスキンシップだが、なにせ、彼には友人と呼べる人がいない。
距離感を見誤ってしまっていることを伝えられないまま、今日もアリスは押し黙った。
(この人は……もう〜〜!)
アリスは精一杯平静を装って、「ありがとうございます」と深々と頭を下げる。
まさかその向かいで、マシューが彼女に愛おしげな視線を向けているとは、知る由もなかった。
◆◇◆◇◆
その後も、勇者の冒険は問題だらけだった。
日本の某RPGゲームをこよなく愛する勇者は、花壇の中に入って立札を読んだり、夜の街で美女に誘われてホイホイついて行った挙げ句に身ぐるみ剥がされたり、死体に話しかけて「返事がない。ただの屍のようだ」とナレーションしてみたり──と枚挙に暇がない。
何度、マシューに助けられたことか。
助けを求める手紙を書くたびに、情けなくてたまらなくなった。
『大変な役目を負わせてしまってすまない。だが、僕が信頼できる者でないと、任せられないのだ』
あなただから、任せられる。
多忙な中、気遣う手紙とともに贈られる菓子に、どれほど感謝したことか。
勇者パーティーらしく神官、魔法使い、戦士を迎えてからは、さらに悪化した。
アリスを出し抜こうと考えた聖女様が暴走した結果、目的地を間違えてレベルに見合わない強いモンスターに倒されたり、ミモザに魅了された魔法使いが戦闘中に混乱して味方を攻撃したり、戦士がカジノにどハマりして一文無しになった挙げ句にアリスのゴールドカードを持ち出そうとしたり。
そしてついには、
「────私は勇者パーティーを追放になったのです」
もともと、アリスは非戦闘員として同行している。
だというのに、理不尽な理由で追い出された。
勇者のことはそれなりに責任を感じているので大切にしてきたが、こうなるともう、アリスにはどうにも出来ない。
突然の解雇通知に当惑し、逃げ出してきてしまったのだと告げたアリスに、マシューは自分のことのように煩悶の表情を浮かべた。
「……そうか。全て報告は受けていたが、それ以上に大変だったのだな。ありがとう。そして、すまない。僕が頼んだばかりに、ヒナギクにはつらい思いをさせた」
険しい顔で、マシューはアリスに謝罪する。
彼に、謝る理由なんてないのに。
アリスに勇者のおともを依頼したのはマシューだ。だが、今回の追放はミモザがしたことであり、マシューにはなんの罪もない。
「いえ、そんな……私が不甲斐ないばかりに、殿下には多大なご迷惑をおかけして……」
「迷惑ではなかった。ヒナギクからの手紙を、僕は毎回楽しみにしていたのだ。それがたとえ、助けを求める内容だったとしても、僕は嬉しかった」
秘密を打ち明けるようにひっそりと告げてきたマシューに、アリスの胸がキュンと弾む。
彼女の脳裏に、春のあたたかな日差しと満開の桜が一気に広がった。
想像してみてほしい。
どこをどう見ても麗しい美貌の青年が、アリスからの手紙を待ち遠しく思っていたと、いたたまれない様子で告げてくるのである。
ついさっきまでアリスのことを心配し、凛とした表情を浮かべていた男が、今度は打って変わって可愛らしい一面を見せてきたら。このギャップに、大抵の女性はクラリとするのではないだろうか。
恋愛初心者のアリスが、身分差を忘れてときめいてしまっても、致し方がないだろう。
「殿下……」
「だが……そうだな……ヒナギクを傷つけた聖女とやらは、許せそうにない」
ときめいた気持ちも一瞬で凍るような恐ろしい声が、形の良い唇から漏れ聞こえた。
アリスは一瞬、聞き間違えかと思った。「え?」と尋ね返した彼女に、マシューは口元だけの笑みを浮かべて言った。
「ヒナギク。僕に任せてほしい」
ゴゴゴゴ。
そんなはずはないのに、何故だか地震の音がする。
さきほどとは違った意味で胸をドキドキさせながら、アリスはマシューを見た。
「な、何をでしょう?」
「さぁ、行こうかアリス」
有無を言わさず手を握られて、立ち上がらされる。
そうして連れて行かれた先は、王都でも有名なお針子を抱える、ポーチュラカ商会だった。
◆◇◆◇◆
今宵、王城で開かれる舞踏会は、勇者一行をねぎらうためのものである。
国のため世界のために戦い続ける勇者たちにつかの間の休息を、ということらしい。
舞踏会が開かれる会場を前にして、アリスは自信なさげに立ち竦んでいた。
この扉が開けば、追放された勇者一行と顔を合わせることになる。
聖女様をエスコートするのは勇者だろうか。もしかしたら、魔法使いと戦士がボディーガードよろしく両隣を固めているかもしれない。
(ああ、嫌だな。でも、殿下の命令を無視できない)
半分とはいえ、勇者一行を助けていたアリスにも、褒美は必要だ。
そう言って、マシューはアリスにすてきなドレスを贈ってくれた。
マシューの髪色にそっくりな、深緑色をしたドレス。銀糸で薔薇や蔦の繊細な刺繍が施されている。
とてもすてきだが、お値段を考えるとクラクラしてしまいそうだ。
友人に贈るには、あまりにも値が張りすぎている。
さらには、アリスが装飾品の類を持っていないことも知れていて、そちらについてもばっちりフォローされていた。
なんというか、やはりマシューには一度、友人同士の適切な距離というものを話す必要があるかもしれない。
「あの、アリス様?」
うんうんと一人決意を固めていたら、控室から会場まで案内してくれたメイドが、申し訳なさそうに声をかけてくる。
「……ごめんなさい。すぐに行きます」
考え事を頭の隅に押しやって、アリスは背を伸ばした。
大きく深呼吸をして、覚悟を決める。
(聖女様がなんぼのもんじゃい)
らしくもないセリフを心の中で言いながら、アリスは一歩踏み出した。
久々のヒールの靴と、重たいドレス。慣れないものばかりで、いつものように歩けない。
ゆっくり慎重に歩くせいで、いつものガサツさが薄れ、まるで貴族令嬢のような優雅な足取りになっているなんて、彼女は気付いていなかった。
扉を護る騎士たちが、アリスに気がついて扉を開けてくれる。
大きく開いた扉から見えた会場は、まさに絢爛豪華という言葉がピッタリの様相だった。
会場のそこかしこに花が散りばめられ、まるで花畑のよう。テーブルに並べられた料理は芸術作品かのように美しい。会場を埋め尽くすように華やかな衣装を身にまとった紳士淑女たちが、和気あいあいと談話を楽しんでいる。
アリスはゆっくりと、足を動かした。
会場の中央で人だかりが出来ているのは、おそらくマシューだろう。
王太子でありながら、彼は執務に追われてなかなかこういった場に顔を出さないから、ここぞとばかりに捕まっているらしい。
さて勇者一行はどちらに、とアリスは会場を見回した。
誰とも会わずに済ませられるなら、それに越したことはない。
オリヴァーのことは気がかりではあるが、今更だ。別れも告げずに逃げ出したアリスに、オリヴァーを心配する権利なんてないのだから。
と、その時だった。
「あーら、アリスじゃないの。役立たずのくせに、ちゃっかり会場に潜り込んで……恥ずかしくないわけ?」
甲高い声で嫌味ったらしく。忘れもしない。この声は、ミモザだ。
アリスは「見つかるの、早すぎ」と肩を落とした。
ミモザにはアリスを見つける探知機でも搭載されているのではないだろうか。
会場は広いのに、ものの数分で見つかってしまった。
せっかくのかわいい顔を醜く歪めて、ミモザは足早にアリスへ向かってくる。
途中、飲み物を配るボーイからワインを奪うのも忘れない。
その後ろを、忠犬アスターと忠犬グロリオがついてきていた。
(まさか……まさかとは思うけど、それを私にかけるつもり⁈)
グラスを持つミモザの手が、大きく振りかぶられる。
(いやいや、待って! このドレス、マシュー殿下からの贈り物なのよ⁉︎ 台無しにするわけにはいかないわ!)
カツン、とアリスの足が後退る。
だけど、それくらいで避けられるものではない。
グラスからワインが飛び出て、アリス目掛けて降り注いで──
──バシャン。
ワインが滴る。
ドレスと同じ、深緑色の髪から。
(……知ってる。ミモザはこういう女だった)
ミモザはアリスのことを、敵視している。
こんな華やかな場であっても、アリスに恥をかかせるためならば、喜んでワインをぶっかけるだろう。
そのあとは決まって、「わざとじゃないんですぅ」だ。
(だけど、この場合はどうするのかしら?)
アリスを庇うように前に立っていたのは、人だかりの中心にいると思っていたマシューだった。
すらりとした長身に、アリスの髪と同じ色をした黒い詰襟の服を着ている。
襟にはアリスのドレスと同じような刺繍が刺されていて、まるでペアルックのようだった。
「あっ……」
ミモザの喉から、短い悲鳴が上がる。
やっちまった。そんな表情を一瞬浮かべたものの、場数を踏んでいる彼女はすぐに立て直したようだ。
「申し訳ございません、マシュー殿下。普段、このように華やかな格好をする機会などないもので……ワインをかけるつもりなどなかったのです。どうぞ、このハンカチをお使いくださいませ」
悲劇のヒロインぶって目に涙を浮かべ、沙汰を待つ。それでいて、ハンカチを渡してマシューに近づくチャンスを得ようとしているのだから、あざとい。
「ヒナギク、大丈夫かい?」
「え、ええ。殿下が庇ってくださったので、ドレスも私も無事です」
「そうか。キミが無事で良かった」
マシューは、濡れた前髪を無造作に掻き上げた。
男らしいしぐさに、会場の乙女たちが「ほぅ」と桃色のため息を吐く。
会場中が、アリスたちに注目していた。
ワインに濡れた王族と、王族にワインをひっかけた聖女。気にならないわけがない。
(あらら?)
アリスは見てしまった。
マシューの口が、一瞬だけ「クッ」と笑う。途端、背筋がゾワリと戦慄いた。
「ところで、ミモザ嬢」
「はい」
「なぜ、アリスを勇者パーティーから追放した? 彼女に何か、粗相があったのだろうか?」
マシューの言葉に、アリスは体を強張らせた。
なぜ、この場で? どうして、それを問うの?
衆人の前でアリスを吊し上げたいのだろうか。
(いいえ。彼に限って、そんなことをするわけがないわ)
マシューはアリスの友人だ。
彼は友人に対し、とても誠実な男である。
ミモザは受け取ってもらえなかったハンカチをしまうと、芝居がかった痛ましげな視線でアリスを見て、恭しく首を垂れながらマシューに言った。
「はい、その通りでございます。アリスのせいで、私たちの旅は散々なものでした。騙されて身ぐるみを剥がされたり、レベルに見合わないモンスターと戦わされたり、カジノに案内して依存症にしようと画策するなど、それはもう、数えきれないほど……」
「それは本当なのか? ミモザ嬢、彼女はそれ以外にどんなことをした?」
「は、はい……ですが、それ以上はわたしの口からはとてもとても……」
アリスを気遣うフリをして、ミモザは俯いた。
しまったばかりのハンカチを取り出して、「ううっ」と泣きまねをしながら目元を拭っている。
「そうか。ヒナギクをキミたちに同行させた僕にも非がある。謝罪しよう。すまなかったな」
「いえ、そんな……殿下が謝られることなんて……」
顔を上げた瞬間、ミモザの目がカッと開いていたのを、アリスは見逃さなかった。
涙が滲むのは、きっと俯いている間にまばたきを我慢していたせいだろう。
いかにも泣いていましたと言わんばかりの顔で、ミモザはマシューに手を伸ばした。
「そうだね。僕が謝る必要も、ヒナギクが追放される理由も、ない」
「え……?」
何を言っているのだという顔で見上げるミモザを、マシューは無感情な顔で見下ろした。
どんな時でも笑みを絶やさない彼が、微笑すらも浮かべていない。
彼の足元から、ヒヤリとした冷気が漂ってきた。
「さて、ミモザ嬢。あなたが言ったアリスの失態についてだが。それぞれ証言者を呼んである」
「え?」
「まず、騙されて身ぐるみを剥がされた件。これは、勇者だな?」
マシューの声に、人だかりの中心が割れて、オリヴァーが出てきた。
さきほどの人だかりはオリヴァーを中心としたものだったらしい。
どおりで、マシューがアリスを庇えたわけである。
今宵のオリヴァーは、白を基調とした詰襟の服を着ていた。マシューと並ぶと対照的な色合いである。
「ええ、ボクです。かわいこちゃんが僕を誘うものですから、ついうっかりついて行ってしまって……ああ、アリスは何も悪くないんですよ? 夜に外出してはいけませんって言われていたのに、ミモザが少しくらいなら大丈夫って言うものですから」
悪気なく無邪気に答えるオリヴァーに、ミモザが「うっ」と声を漏らした。
悔しそうに唇を噛み締めていたかと思えば、つい先ほどまで「勇者様♡」と媚び売っていたのがうそのように、憎しみに満ちた目でオリヴァーを睨みつけている。
そんな彼女を守るように、グロリオが立ち塞がった。
猛犬が吠えるように、彼は叫ぶ。
「アリスは俺をカジノ依存症にしようとしたんだぞ? これについてはどうなんだ⁉︎」
王太子に対して、この態度。
無礼な物言いに、場にいた貴族たちが眉を顰めてヒソヒソと声を漏らす。
「ああ、それはワタクシが」
衆人の中から一人、手を挙げて出てきた。
小さく醜い姿をした彼は、ゴブリン。
仕立ての良い服には見覚えがある。
ゴブリンは、カジノスタッフだった。
「グロリオ様はもともと、カジノに入り浸っておられました。勇者様のパーティーに加わってからは足が遠のいておりましたが……。それに、アリス様はパーティーの皆様が全財産をスらないよう、あらかじめワタクシどもに根回しをしておりました。万が一、大損をするようなことになったら、勇者の名に傷がつく。だから、そうなる前に止めてほしいと。グロリオ様はわれわれがお止めするのも聞かず、それどころかアリス様のゴールドカードを担保に、借金をしようとしていました」
「ヒナギクは、あなたのために、大事なゴールドカードを渡したというのか? まさかとは思うが、勇者パーティーの一員でありながら、盗みを働いたのではないだろうな。確か、あなたの職業は戦士だったはず。いつの間に、転職したのか」
神殿で職業の確認をする必要があるとして、グロリオは衛兵に連れて行かれた。さすが戦士と言おうか、衛兵は束になって立ち向かっていたけれど。
残された忠犬アスターは、小さな体を張ってミモザを庇った。
長い前髪越しに睨みつけているようだが、その足は生まれたての子鹿のようにガクガクと震えている。
「アスター・シモン。キミは魔法使いだと名乗っているが、まだ魔法使い見習いらしいな? キミの師匠が血眼になって探していたから、僕が連れてきてあげたよ」
マシューの言葉を待っていたかのように、彼とアスターの間に魔法陣が浮かび上がる。
シュワシュワと泡のようなものが溢れ、それらは寄り集まって人の形になった。
漆黒の髪に真っ赤な目。ボンと丸い胸に、キュッとくびれた腰、ポンと突き出た尻が艶かしい。
絶世の美魔女を前に、会場中の紳士が思わずゴキュンと喉を鳴らした。パートナーは、扇子を片手に「チッ」と苛立たしげである。
アスターは、かわいそうなくらい顔面を蒼白にして美魔女を見つめていた。
ガクガクと震えていた足が、ペタリと床につく。
まるで狼に遭遇した、か弱いチワワのようだ。
「マシュー殿下。このたびは、愚弟子を見つけてくださり、ありがとうございました。半人前で闇魔法しか使えない分際で勇者パーティーに入るなど……なんておこがましい子なのかしら。ほら、いらっしゃい。帰ったらお仕置きですからね」
魔女は持っていたランタンの扉をおもむろに開いた。
中からゴオォと炎が飛び出し、アスターを取り囲む。
助けを求めてミモザに手を伸ばしたアスターに、しかし彼女は救いの手を差し伸べなかった。
アスターの目が、絶望色に染まる。
炎はアスターを包み込み、そのままランタンへと戻っていった。
ランタンの中から、「出して! 出してよ!」と悲痛な叫びが聞こえてくる。
魔女はランタンを小脇に抱え、マシューに会釈をしてから、再び魔法陣を出して消えていった。
あっという間の出来事に、会場がシンと静まり返る。
だが、マシューの話はまだ終わっていなかった。
何事もなかったかのように、守りを失った聖女に彼は言う。
「レベルに見合わないモンスターの件。これについては、目撃者がいる」
「目撃者……?」
「ええ、俺です」
手を挙げて衆人の中から出てきたのは、獣人の青年だった。
そういえば、とアリスは思い出す。
リビアンダラスへ向かう途中、彼から助けを求められていたのだ。ジェリーの大群が村を襲っているから、手を貸してほしい、と。
だが、気づけばアリスだけを置いて勇者一行は先へ行ったあと。仕方なく、アリスだけが村へ向かったのである。
「勇者一行は、俺がアリス様に助けを求めて事情を説明している間に、さっさと行ってしまいました。聖女様が、レベル上げに良い場所があると言って、勇者様がたを連れて行ったのです」
そうだ。
その結果、アリスは村で大量のジェリーを倒し、レベルが爆上がりした。
対する勇者たちは、全滅して教会のお世話になっていたのである。
全員を復活させたことで旅の資金が底をつき、マシューに泣きついたのは言うまでもない。
「そっ、そんなのうそよ! 殿下、汚らわしい獣の言うことに耳を貸してはいけません。わたしは女神に愛された聖女。どちらの言い分が正しいかなんて、賢明な殿下にはお分かりでしょう⁈」
「聖女ともあろう者が、そのようなことを仰るとは、嘆かわしい。わが国を守護する女神は、種族の差なく分け隔てなく見守ってくださるはずでは?」
ミモザは再び「うっ」と押し黙った。
そんな彼女へ、追撃とばかりにマシューが言葉を連ねる。
「しかも、助けを求めてきた村人を無視するとはどういうことか。もしも、村を襲ってきたのがクイーンジェリーだったら、それは勇者一行のクエストではないのか?」
「え……あの、それは……」
「ところで、ミモザ嬢。貴女を愛するという女神様は博愛主義なのかな? わが国は一夫一妻制なのだけれど、調べてみたら、貴女と婚姻していると言い張る者がたくさん出てきてね。どういうことだろう、これは。まさかとは思うが、聖女ともあろう者が、結婚詐欺なんて働いていないだろうな?」
会場の奥から、殺気が漂ってきていた。
ミモザにもてあそばれた、男たちの視線だろう。
「なぁ、ミモザ……俺が本命なのだろう?」
「いいや、オレだよな?」
俺が、オレが、僕が、ボクが。
男たちの集団が、ミモザを取り囲む。
あっという間に壁際に追い詰められて、彼女は「あ……う……」ともはや言い訳すら思いつかないらしい。
「あ!」
その時、不意にミモザの目に飛び込んできたのは、端っこのテーブルで口いっぱいにケーキを詰め込むオリヴァーの姿だった。
「助けてください、勇者様! わたしが本当に愛しているのはあなただけなの! わたしの全てはあなたのもの。どうか、攫ってお逃げになって!」
ついさっき、憎々しげに睨んでいた相手に助けを求めるとは。
呆れ返りながら、アリスは傍観し続ける。彼女の隣では、マシューが悪人のような顔でニンマリと笑っていた。
(うーん……こういう顔、嫌いじゃないかも)
人懐っこい王子様然した彼はもちろんすてきだけれど、怒ったり悪巧みしたり、綺麗なだけじゃない彼に、アリスは親近感を覚えた。
もぐもぐ、ごっくん。
ミモザに助けを求められて、オリヴァーはケーキを飲み込んだ。
嫉妬にまみれた男たちのどす黒い視線に晒されてなお、オリヴァーは物怖じしない。
それもそのはず。だってオリヴァーは──
「え、嫌だよ。ボクは勇者だからね。クイーンジェリーを倒すまではここに残る。それにさ? ボク、キミのことタイプじゃないんだよね。こう見えてボク、バリネコだからさ」
「は……ネコ? なに、それ……」
ミモザの視線が、オリヴァーの頭上に向かう。
おそらく、オリヴァーの言葉を聞いて、猫の獣人かと疑ったためだろう。
もちろんオリヴァーに猫耳なんてついていない。アリスとオリヴァーが生きてきた世界には、獣人なんて存在しないのだから。
「だからね。ボクは女の子に抱かれるのが好きなの」
「なに、言って……」
ネコはネコでも、オリヴァーが言っているのは性行為において完全に受け身側である者のことである。
「オリヴァーは女だぞ」
チェックメイト。
追い詰めた獲物を前にして、マシューが人の悪い笑みを浮かべる。
アリスは場違いにも、そんなマシューがカッコイイと思ってしまった。
「はああああ⁉︎」
目を剥いて叫ぶミモザに、アリスは笑いを堪えるので必死だった。
隣では、マシューが耐えきれずにクツクツと笑っている。
黙っていれば人畜無害な好青年に見えるオリヴァーだが、その正体は、日本の某RPGゲームをこよなく愛し、イケメン主人公のコスプレ中に召喚された、同性愛者の女性であった。
この世界に召喚されたばかりの頃は、ボーイッシュな女性だったのだが、化粧品を手に入れてからは水を得た魚のように男装姿で活動している。
オリヴァーというのは、コスプレネームだ。実際の名前は、オリビア・ハミルトンという。
叫ぶミモザを取り囲んでいた男性陣は、お粗末な結末に戦意喪失してしまったらしい。一人、また一人とその場を後にしていく。
残されたミモザは、もう抵抗する意思さえ打ち砕かれたのか、衛兵に引き摺られて会場を後にした。
ひとしきり笑って、マシューは満足したらしい。
パンパン、と手をたたいて注目させると、王太子らしい柔らかな微笑みでもってこう言った。
「さぁ、余興はこれで終いだ。みんな、あとは楽しんでいってくれ」
それを合図に、演奏がゆっくりと始まる。
マシューは手早く魔法で濡れた髪と服を乾かすと、チョイチョイと指先で前髪を直した。
無意識にそれを目で追っていたアリスに気付くと、いたずらっぽくウインクする。
「ヒナギク、一曲お願いできるだろうか?」
差し出された手に手をのせれば、見たこともない甘い顔で微笑まれた。
ドキン、とアリスの胸が高鳴る。
(きっと、距離が近いせいよ)
曲に合わせて、くるくる回る。
気づけば、周りは見えなくなっていた。
アリスの目に映るのは、嬉しそうに微笑みながら自分をリードしてくれるマシューだけ。
お揃いの衣装で、手に手を取って踊る二人。
誰がどう見たって、お似合いの二人である。
ゆっくりと、一曲目のワルツが終わりへと近づいていく。
あと一小節で曲が終わる、という瞬間、
「ヒナギク。キミを愛している」
耳にささやき掛けられた言葉に、アリスの足が止まる。
曲の終わりよりも早く足を止めたアリスを、周囲は訝しげ見遣った。
(そ、それは、友愛という意味ですよね……?)
アリスの思っていることが分かったのだろう。
マシューの目が、獲物を前にした猛禽類のようにギラつく。
なんということだ。
分かっていなかったのは、アリスの方だった。
友人というには近すぎる距離も、贈られたドレスも。
これで全て、合点がいく。
「今すぐとは言わない。だが、そうだな……再び勇者と旅に出て、クイーンジェリーを倒すまでには返事をしてもらえると嬉しい。まぁ、僕だってただ待っているだけは嫌だからね。これからは本気で口説かせてもらうよ」
手始めとばかりに、つながれたままだった手にキスを贈られる。
「〜〜!」
顔が熱い。頰が火照る。
思わずアリスは、顔を伏せた。
「そうだな……実は僕の職業の一つに魔法使いもあってね。パーティーの空席を埋めるにはもってこいだと思うのだが」
え、いや、まさか、そんな。
アリスはじわじわと追い詰められていく。
いつの間にか近くに立っていたオリヴァーが、ハハッと楽しげに笑う。
アリスは、ギュインと素早い動きでオリヴァーの方を見た。
(やだやだ、やめて。まさか、良いとか言わないよね⁉︎)
「ふぅん……」
「ああ! 困ります、勇者サマ!」
同行の許可を出さないで!
アリスの制止は聞き入れられず、多忙なはずの王太子殿下は、新たな勇者パーティーの一員に加わった。
残り半分の旅路の先が、どうなったのか。
オリヴァーが魔女王に恋をしたのは、また別の話である。
読んでくださり、ありがとうございます。
少しでも「面白い」と思っていただけましたら、下部よりポイント評価をお願いします。
ブックマークや感想も、非常に励みになります。
ぜひよろしくお願いいたします!
実はこの作品、連載にしようか悩んで短編にしました。機会があればじっくり連載してみたい欲はあるのですが、果たして需要はあるのか……。
読みたいってご意見があればホイホイ書くので、遠慮なく教えてくださいね!