表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

《 刑事課長・朝見陽一の事件簿 》 第一話 京都慕情

作者: 軽井沢康夫

            短編推理小説

       《刑事課長・朝見陽一の事件簿》

         第1話 京都慕情



京都慕情1;海外出張からの帰国

1994年の秋 スイス連邦(共和国)のボーデン湖畔にあるアルボン市


1994年の秋、スイスのチューリッヒから約60Kmと、それほど遠くないボーデン湖畔で自称フリージャーナリストの日本人・松崎重成まつざきしげなりが水死しているのが発見された。松崎は観光目的と云う事でドイツ、オーストリアを旅行したあと、スイスのアルボン市にある名門ホテルに三日前から宿泊していた。

ボーデン湖はコンスタンツ湖とも呼ばれており、ドイツ語を公用語とするスイス、ドイツ、オーストリア三国に跨って居り、三国の国境に位置する湖である。また、ドイツのライン川の上流にある湖でもある。

外務省から事件の連絡を受けた警察庁は、ドイツ語が話せる警備局外事課課長の朝見陽一と数名を現地に派遣した。

朝見陽一は殺人事件と判断している現地警察のフェデラー警部の説明を受け、遺体発見現場へ向かう段取りをしていたが、スイス政府から突然に捜査中止の指令が出された。朝見陽一も本国に連絡を取り情況を確認した。回答は『政治的な問題』で捜査中止、であった。


皇居桜田門近くの警察庁の刑事局長室


警備局長の村越栄一から刑事局長の部屋へ行くように言われた朝見陽一が刑事局長室を訪れていた。

「お帰り。海外出張はご苦労だったね。」と刑事局長の橘倖史朗が言った。

「まあ、官僚ですから・・・。それで、お話と云うのは?」と朝見陽一が言った。

朝見陽一34歳。将来を約束されたキャリア官僚である。陽一の父親も祖父も国家官僚であった。

「君の今後の事だが・・・。」と刑事局長が申し訳なさそうに言った。

「何か?」

「京都府警本部に行って貰いたい。それも、警備部ではなく刑事部へ行ってもらいたい。」

「京都ですか・・。」と陽一が呟いた。

「スイスで死んだ松崎重成だが、京都の暴力団・会津山城会の舎弟のようだ。会社を経営する企業舎弟の他に、最近はジャーナリストの中に暴力団の息が掛った奴が現れている。暴力団が警察の動きやマスコミの動きを把握する目的で、それらしい人物を人選してバックアップしているらしい。まだ詳細は掴めていないが、関西方面の暴力団たちの情報収集活動が密かに進行にしているようだ。」

「会津山城会がスイスの水死事件に関係しているのですか?」

「それは判らない。しかし、会津山城会への潜入捜査官からの情報ではドイツかオーストリアの裏社会の組織と連絡を取っているらしい。その組織の事はまだ何も判っていない。」

「今度の政治問題はスイスではなく、ドイツかオーストリアにあるその組織が関係しているのですか?」

「その辺の事を君に調べてもらいたいのだ。京都府警本部の刑事部に組織犯罪対策国際課を新設することにした。そこの課長として仕事をしてもらう。当面、部下はいないが、捜査一課の遠藤達男係長と本年4月から派出署勤務から捜査一課に転任した藤田誠刑事が援護をしてくれることになっている。遠藤係長は京都生まれの京都育ちで京都の事なら粗方知っている人物だ。藤田刑事は大阪生まれだが京都で外人旅行者の道案内がしたいと云うことで京都府警の巡査になった人物だ。小学時代は大阪で育ち、中学高校時代は神戸に住んでいたそうだ。京都、大阪、神戸周辺の土地鑑がある。」

「承知しました。ところで、松崎重成に関する新しい情報は何かありますか?」と陽一が訊いた。

「松崎は神奈川県川崎市に住んでいたが、多摩川を挟んだ東京都稲城市の上野家によく出入りしていたらしい。」

「上野家とは?」

「江戸時代からの名家で現在の稲城市一体に多くの土地を持っていたらしい。戦前の軍部計画や戦後の農地改革などでかなりの土地は没収されたようだが、それなりのお金持ちではあるようだ。現在、それ以上は判っていない。」

「松崎は上野家に金の無心でもしていたのでしょうかね?」

「そうかも知れない。もしも、上野家の弱みを何か握っていたのなら、週間誌の記事にするとでも言って脅した可能性も考えられるが、それも推測の域を出ない。松崎が書いたという記事は京都のローカル雑誌だけで、その雑誌社はどうも、会津山城会の企業舎弟らしい。」

「会津山城会と政治家の繋がりはあるのですか?」

「それはハッキリしていない。それらしき政治家の名前も浮かんでいない。」

「松崎死亡事件が政治問題になるとはどういう事だったのですか?」

「ここだけの話だが、当初考えられていた戦前の日本帝国とナチスの盟約が関係しているのではなく、江戸時代末期の鳥羽伏見の戦いに端を発しているようだ。」

「薩長の官軍と会津を中心とする徳川幕府軍との戦いですか・・・。125年くらい前ですね・・・。」

「敗れた会津兵士の遺体を葬ったのが、当時、会津藩京屋敷の中間部屋を管理していた仙造と云う男だった。そして、死亡した会津藩士の遺品を会津まで届けたと云う話だ。仙造がオーストリア人医師のシーボルトの娘で、医者であるオランダおイネに会津兵士の負傷者への助けを求めた関係から、当時イギリス公使館で通訳をしていたシーボルトの息子であるアレキサンダー・シーボルトと知り合いになった様である。当時、おイネは長州藩医師であり西洋兵学家でもあった村田蔵六に師事してオランダ語を勉強していた。蔵六と共に長州軍に随行して大阪に来ていたらしい。そのころ、村田蔵六は大村益次郎と改名して長州藩の軍事に関係する役目をしていたようだがね。そして、明治時代になって仙造は新撰組局長・近藤勇の苗字を取って、近藤仙造と称して侠客一家の会津虎徹組を起こす。しかし、明治18年に仙造が死亡した時、京都出身の山城粟蔵と云う仙造の右腕だった男が会津虎徹組から別れて会津山城会を興した。仙造の息子が組長を継ぐことによって山城粟蔵との力関係で組が分裂することを恐れたようだ。粟蔵は会津山城会を会津虎徹組の傘下に位置付けて、会津虎徹組が京都府下で他の組織と対立事件を起こした時には会津虎徹組に協力したそうだ。この習慣が現在でも残っていて、京都府下に他府県の暴力団が進出しようとして来た場合には京都の暴力団は一致団結して排除に対応するという暗黙の了解が存在するようだ。まあ、他府県からキャバレーなどに遊びに来る分には文句は言わないようだ。

先年、神戸に本部を置く暴力団の組長が京都市内のキャバレーで遊んでいるところを、大阪の暴力団が派遣したヒットマンに襲われると云う発砲事件があったが、京都の暴力団は無関心だったそうだ。

この山城粟蔵が、オーストリアを盟主とするドイツ帝国の人物と懇意にしていたと云う噂だ。」

「ナチスが作った偽札がオーストリアの湖に沈められていたのも関係するのですかね?」

「それはどうかね。明治末期に山城粟蔵が死亡した後も会津山城会がドイツ帝国と関係していたかどうかは判然としない。潜入捜査官からの情報が正しければ水面下での関係が続いていた可能性も考えられる。あるいは、一度関係が崩れたが改めて関係が出来たと云うことも考えられる。また、スイス、ドイツ、オーストリアにとっては『ナチス』は禁句だ。日本の外務省がそのあたりを考慮してボーデン湖での松崎死亡事件の幕引きを画策したようだ。君が京都で調査を進めてくれれば、そのあたりの事も判明するかも知れない。新設の国際課の使命は京都の暴力団と外国勢力との繋がりを確認することだ。なお、組織犯罪対策などを担当している捜査4課との連携行動は禁止だ。理由はマスコミ対策と政治問題化を防ぐ為だ。捜査4課にもその旨は伝えてある。そのために捜査一課の二人を協力者に選んだ。この二人は暴力団との接点は全くない。まあ、よろしく頼む。」

「承知しました。それで辞令はいつになりますか?」

「12月中の移動になると思う。それまでに京都に行って住居を探しておいて欲しい。」

「畏まりました。」



京都慕情2;京都着任

1994年の12月19日 午前9時過ぎ 京都府警本部 刑事部捜査一課


「おい、藤田。」と遠藤係長が席に着いた藤田刑事に声をかけた。

「はい。何でっか?」

「今日から組織犯罪対策国際課の課長が出社や。」


刑事たちは自分の属する警察署の事を隠語で『会社』と呼ぶ習慣がある。

その為、朝見陽一が警察本部に出勤してくることを遠藤係長は『出社』と表現したのである。


「そうでしたな。」

「今から挨拶に行くで。」

「今すぐでっか?まだ私、出社してきたばっかりでんがな。ちょっと待って下さいな、係長。」

「そんなこと言うとらんと、行くで。」

「どうせ本庁から左遷で来た人でっしゃろ。もうちょっと後でよろしおまんがな。私は出世を諦めてまっさかい。」

「アホ言え。34歳で課長や。優能な人に決まっとるがな。キャリアが出世するためのワンスッテプは地方を経験するこっちゃ。査定する権限を持ってはる人やぞ。それに、今度でけた国際課は課長一人やが、いつ何時、我々が捜査一課から国際課に転籍になるかも知れんのやぞ。いま直ぐ行くで。」

「そうでんな。ほな、行ってゴマをっとかなあきまへんな。」

「出世は諦めとるんとちゃうんかい。」

「出世できんでも、給料は多いに越したことはありませんよって。」

「現金なっちゃな。まあ、何でもええわ、行くで。」


1994年の12月19日 京都府警本部 刑事部組織犯罪対策国際課


突然の創設のため空部屋が無く、国際課の部屋は刑事部長の応接室を当てがわれた。

『コンコン』と扉をノックする音が聞こえた。


「はい。どうぞ、お入りください。」と朝見陽一が言った。

「失礼いたします。」と言いながら遠藤と藤田が部屋に入って来た。


扉を開けた正面に大きな木製の黒光りする机が置かれ、その上に『組織犯罪対策国際課長・朝見陽一』と書かれた名札が置かれている。その事務机の向こう側に陽一は立ち上がっていた。

「はい。何かご用でしょうか?」と陽一が言った。

「捜査一課の遠藤と藤田です。」と遠藤が言った。

「ああ。お話は伺っています。国際課に協力をしていただける捜査一課の遠藤係長と藤田刑事ですね。」

「はい、そうです。よろしくお願いいたします。」と遠藤が言い、ふたりはお辞儀をした。

「こちらからご挨拶に伺わなければいけませんのに、わざわざ来室していただき、ありがとうございます。」と陽一が言った。

「課長さんからそんな勿体ないお言葉をいただき恐縮です。」と遠藤が直立不動で言った。

「いえいえ。協力をお願いするのは私の方ですから、お二方には御迷惑かも知れませんが、よろしくお願いします。京都は旅行では来た事がありますが、何ぶん、土地鑑がありませんのでいろいろとお世話になると思います。」

「畏まりました。何でもお申し付けください。」

「それで、はじめにお願いしておきますが、国際課の捜査で知った事は他言無用にお願いします。国際課に関係する事件や調査内容がメディアなどに漏れると政治問題になる可能性がありますから。」

「『禁句』でありますね。」

「『禁句』? ええまあ、そういう事です・・・。よろしくお願いします。」と朝見は遠藤の所謂『禁句』の意味を『口外無用と云う事』かなと思いながら返事した。

「承知いたしました。」と遠藤が直立不動で言った。

「それで、早速ですが、本日夕食に付き合ってもらえますかな。夕方6時になったらどこかへ食事に行きましょう。良い店を紹介してください。」

「それでは、寒いよって、三条寺町を下がった京極のすき焼き屋にでも行きますか。6時半からで3人で予約しておきます。」

「すき焼きですか。いいですね。では夕刻6時に玄関で待っています。」


京都府警本部はJR京都駅から烏丸通りを真北に上がり、烏丸丸太町の北東角にある京都御苑(御所)の西側、烏丸下立売から通りを3筋西に入った新町下立売の北西角にある。京都では、北向きに向かう事を『あがル』、南に向かう事を『くだル』と云う。北に向かって緩やかな登り坂になっているからである。交叉点から東側に向かう事を『東入ル』、西には『西入ル』と表現する。例えば、南北に走る烏丸通りと東西に走る今出川通りの交差点は『烏丸今出川』と云い、そこから東に向かった住所表記は『烏丸今出川東入ル○○町』である。


三条寺町下ルのすき焼き屋『三条亭本家』


京極寺町通りは京都御苑(御所)の東側を南北に走っている通りである。

三条から四条にかけての寺町通り商店街は俗に京極と呼ばれている。三条亭本家は寺町通りに面した3階建て和風建築の建物である。

京極寺町通りの一筋東側には新京極と呼ばれる通りがある。

寺町通りは寺社のある通りであったが、縁日などに屋台や出店があった。その名残が京極商店街であり、明治になって見世物小屋や芝居小屋を開くために京極通りに平行して新設された通りが新京極である。現在の新京極には映画館などが多くある。


三人は2階の和室に案内され、席に着いた。

仲居がすき焼き鍋に火をつけ、「ご飯はどうされます?」と訊いた。

「すぐに持て来てくれるか。」と遠藤が言った。

そして仲居は出て行った。

テーブル上の鍋の横には牛肉と白菜・白ネギ・焼き豆腐・エノキタケ・糸コンニャクが皿に盛られて置かれている。また、ビール3本とガラスコップが置かれ、3人の座っている前にはそれぞれ2個の玉子が入った小鉢が置かれている。

まず、3人はビールで乾杯をした。

鍋が熱くなって藤田が鍋に油をひき、牛肉を入れ、すき焼きのタレを注いでいる。


「この店は明治6年に創業された昔からの老舗どす。」と緊張の解けた遠藤が京都弁丸出しで言った。

「明治時代からのすき焼屋ですか・・。」

「江戸時代までは牛肉を食べる習慣がなかった日本人が西洋帰りの役人の要望で実現した店どす。」

「明治時代の出来事などの話を店主の方は代々引き継がれていますかね?」

「さあ、どうどすかね。ちょっと訊いて来ます。」と言って遠藤が1階の事務所へ下りて行った。

しばらくして、席に遠藤が戻ってきた。

「隠居した先代が知っているらしいのですが、北白川の自宅に居るそうで、今は店に居らんそうどす。」

「そうですか。御苦労さまでした。」と陽一は遠藤をねぎらった。

「そろそろ煮えてきたよって、食べましょか。」と藤田が言った。

3人は自分の前にある小鉢の玉子を割り、よくかき混ぜた後、鍋の中にある煮えた肉や野菜に手を伸ばした。


「課長はんはご家族はらはりますか?」と遠藤が訊いた。

「妻と3歳の女の子と1歳の男の子が居ります。」

「もう京都こちらに来てはりますので?」

「いえ、まだ東京です。来年4月から上の女の子が幼稚園にはいりますから、3月頃に京都に来る予定です。今はまだ保育園へ通ってます。どこか良い幼稚園はありますかね?」

「それやったら、ノートルダム幼稚舎がよろしおますな。」

「ノートルダム幼稚舎ですか。」

「そこは大学までエスカレータで入学できまっさかい、入試勉強は要りまへんで。」と藤田が言った。

「お前アホか。課長はんの娘さんが大学に行くのは10年以上後や。課長はんが10年も京都にりはる訳ないやろ。」と遠藤が言った。

「はあ、そうでんな。」と藤田が照れくさそうに言った。

「まあ、未来さきの事はどうなるのか判りませんが・・・。」と陽一がやんわりと言った。


その後、陽一や遠藤、藤田の経歴・経験などを話し合いながら食事はなごやかに進んだ。



京都慕情3;四条河原町界隈

1994年の12月19日 午後8時過ぎ 河原町蛸薬師東入る 洋酒喫茶『ワインリバー』


朝見陽一たち3人は三条亭を出て、蛸薬師通りを東に進んで河原町通りを西側から東側に渡り、木屋町通りの手前にある洋酒喫茶『ワインリバー』に3人は入った。『ワインリバー』はカクテルを飲ませるバーである。遠藤係長が学生時代から利用しているバーである。大学生はコンパの後の二次会で利用し、サラリーマンになってからも利用する習慣ができていた。しかし、近年はかってほどの学生の飲酒習慣がなくなり、カクテルブームも去って客足は減って来ていた。


カウンターで3人はそれぞれ好みのカクテルを飲んでいる。

カウンター内にはバーテンダーが二人いてシェカーをシャカシャカと振っている。

陽一はウオッカギムレット、遠藤はジンベースで桜色に着色したピンクレディ、藤田はブランデーにレモンを加えたサイドカー。


突然、「止めてください。」と、カウンターの端に座っている若い女性が大きな声を出した。

一人の若い男が、女性の背後に立って腕に手を掛けて引っぱりながら何か言っている。

陽一郎が歩いて行き、声を掛けた。

「どうかしましたか?」

「うるさい! お前は関係無いやろ。」と立っている男が言った。

「女性が嫌がっているように見えますが。」

突然、男の右拳を陽一に向けて飛んできた。短気な男である。

左に身をかわした陽一は右手でその拳の手首を掴んだ。そして、男の右腕を後手にひねり上げ、男の背後から左肩を左手で押さえた。

ててててっ。」と男が叫んだ。

「ここではお店に迷惑ですから、外に出ましょうか。」と言いながら、男を右腕と左肩を押さえてドアーの方へ押して行った。

「バーテンさん。あの男の勘定は?」と遠藤係長がバーテンダーの一人に訊いた。

「あの方はいつも付けで、翌月の15日払いです。」

「そうか。」と言って遠藤は藤田も一緒に出て行くように目配せした。

3人が出て行くと、「大丈夫ですか?」と女性が心配そうに遠藤に言った。

「課長は合気道の有段者やよって、心配せんでよろしおます。」

「そうですか?」

「警察に電話しましょうか?」とバーテンが言った。

「心配せんでええ。」と遠藤がなだめるように言った。


店外に出て、陽一は男の手を放した。

バーテンが心配そうに店の入口ドアーの前で成り行きを見守っている。

「こう云うもんやが、まだやるか?」と藤田が言いながら警察手帳を男に見せた。

ワインリバーの面している通りは他の店々のサインスタンド灯の照明でほの明るい。

警察サツかいな。参ったな。ほな、ぬは。」と云って、高瀬川が流れる木屋町通りの方へ男は歩いていった。


2分足らずで陽一と藤田はドアーを開けて再び店に戻って来た。

「ありがとうございました。助かりました。」と若い女性が席に座ったままで言った。

「お1人で京都観光ですか?」と陽一が訊いた。

「ええ、まあ。申し訳ありませんが、私、これで失礼いたします。」と女性が言いながら3人に会釈し、横の座席に置いていた赤いコートを手に取った。小さな郵便封筒が落ちたので陽一が拾って女性に渡した。

そして、女性はカウンターテーブルに置いてあった注文票を手にしてレジに歩いて行った。

「おい、藤田。」

「何でっか?係長」

「さっきの男が待ち伏せしっとたらアカンから、あの女性ひとを河原町通りまで送ってタクシー捕まえたれ。」と遠藤がレジの方を見ながら言った。

「へい。判りました。」と言って藤田は女性と外へ出て行った。

暫らくして、バーテンもカウンター内に戻ってきた。


「バーテンさん、あの女性はよく来られるのですか?」と陽一が訊いた。

「いえ。年に1回、今頃来はります。いつも7時ころで、客が居ない時刻ときに来はって、あの端の席に座りはります。まあ、指定席ですかね。私も3年前まで気が着かんかったんですが、話を聞くと5年前から毎年来てはるらしいですわ。」

「5年前からね。この年末の寒い時に京都観光と云うのも妙ですな。」と遠藤が言った。

わけ有りですかね。」と陽一が言った。

しばらくして藤田が戻ってきた。

「タクシーの運転手に行き先を教える為に聞いたんやが、あの女性ひと、JR京都駅前の京都Tホテルに宿泊してるそうでっせ。」

「そうか。明日もどこぞへ行きはるんかいな?」

「そこまでは訊きまへんでした。」

「まっ、わしらには関係ないこっちゃ。」


その後、3人は追加注文したカクテルを飲みながら互いの学生時代の話しや子供のころの話をし、親交を深めていった。話は陽一がいろいろと質問する形で進んでいった。

突然、遠藤のポケベルが鳴った。

「会社からの呼び出しですわ。ちょっと、電話掛けてきます。」と遠藤が陽一に言った。

「御苦労さまです。」と陽一が言った。

「バーテンさん。河原町通りに公衆ボックスあったかな?」と遠藤が確認した。

「ええ。河原町に出て南に下がったとこにある喫茶店『古城』の前にありますわ。」

「そうか。おおきに。」と言って、遠藤は出て行った。


暫らくして遠藤が戻ってきた。

「課長、急な仕事ができましたんで、これで失礼さしてもらいます。」と遠藤が朝見に言った。

「そうですか。御苦労さまです。今日は付き合って頂き、有難うございました。」

「いいえ。こちらこそ御馳走になり、有難うございました。」

「私はもう少し此処で飲んでから帰ります。」

「それでは。藤田、行くで。」

「はいな。課長、御馳走様でした。」と藤田も陽一に言った。

そして、二人は慌ただしくワインリバーから出て行った。



京都慕情4;木屋町殺人事件

1994年の12月19日 午後9時過ぎ 木屋町三条下ルの高瀬川沿い


南北に走る河原町通りの100m東側に木屋町通りが平行して走っている。

木屋町通りとは、北は二条から南は七条までの間を云う。

その木屋町通りには通沿いに歩道があり、その横を通りに沿って高瀬川が流れている。

高瀬川は江戸時代初期に伏見から京都御所まで間の街々に米俵などの荷物を高瀬舟で運ぶために掘られた運河である。舟底が平らな高瀬舟は水深が浅い川にも浮かぶ船であったので、高瀬川は水深が30〜50センチメートルくらいである。

三条木屋町から蛸薬師木屋町までは沿道に桜が植えられており、4月には桜見物が出来る。

ワインリバーを出て5〜6分の三条から少し下った所にある桜木の下の歩道上に男が倒れていた。腹部2か所と頭部1か所から血を流していた。拳銃で撃たれた模様である。

遠藤係長と藤田刑事が到着した時には救急車がすでに来ていた。

鑑識課員はまだ来ていない。


「もう死んでるのか?」

「はい。瞳孔が開いて、脈も呼吸もありません。ほぼ即死でしょう。」と救急隊員が言った。

「ショック死か。」と遠藤が呟いた。

近くにパトカーが3台止まっており、警察官が飲食店から出てきた客を待つタクシーを誘導している。

「目撃者はいるのか?」と遠藤が警察官に訊いた。

「それが、タクシーの運転手も、通行人も犯人らしき人物を見かけたものは居りません。通行人が110番通報して来ました。あそこに立っているのがその人です。」

「そうか。それで銃声を聞いた人間はるんか?」

「あの人は聞いとらんそうです。タクシーの運ちゃんも聞いた人間は居りません。」

消音器サイレンサー付きの拳銃を使いよったんかな?」

「係長。この男、さっきのワインリバーの男でっせ。」と藤田刑事が叫んだ。

なんやて。さっきの女性にチョッカイ出しとった奴か?」

「間違いありまへんわ。」

「藤田。ワインリバーへ行ってバーテンにこの男が何処の奴か聞いて来い。確か、付けで飲んどるとか言うとったから名前と住所くらい判ってるやろ。」

「課長がまだはりまっせ。」

「しょうがないがな。殺しや。バーテンに警察手帳見せたれ。」

遺体のある現場はワインリバーから歩いて5分くらいの処であった。


再びワインリバー


「あの男は会津山城会の構成員で、名前は谷村浩一です。」とバーテンが言った。

「ここは会津虎徹組の縄張しまとちゃうのか?」と藤田が言った。

「そうですけど、お客様ですから来るのを断れません。」

「まあ、それはそうやな。それで、住所は判ってんのか?」

「谷村さんの住所は知りません。」

「そしたら、月末の付けの支払いは谷村がこの店に持ってよんのか?」

「いいえ。九条にある山城会の組事務所まで集金に行きます。」

「谷村は事務所にるんか?」

「いいえ。山城会の会計係の人が払ってくれます。」

「何やて、谷村は組の金で酒飲んどんのか。」

「まあ、そのようです。」

「谷村云うて、下っ端の組員やろ。そいつが組の金を使ことんのか?」

「どうも、組の命令で会津虎徹組の動向を調べてるのと違いますかね?」とバーテンが推測で言った。

「そう云う事か。なるほど。しかし、集金の時に組員からいちゃもん着けられんのとちゃうか?」

「それはありません。毎回の事ですが、事前に組に電話を入れて金額と訪問日時を伝えておきます。ですから、会計係の事務机の上に金額分のお金が入った封筒が置いてあり、領収書を交換に置いてくるだけです。ですから、直ぐに事務所を出てきます。」

「そうか。」

「ところで、谷村は月に何回くらいこの店に来るのですか?」と陽一が横から訊いた。

「週に1回から2回です。月に5〜6回ですかね。」

「会津虎徹組はそれを知っとんのか?」と藤田が訊いた。

「さあ、それはどうですかね?私どもから虎徹組に山城会のことを通報したことはありません。」

「会津虎徹組へみかじめ料は払ろとんのやろ?誰ぞが集金に来よるんやろ。」

「今は口座振込みです。警備料の請求書が毎月来てから銀行振込みです。振込みの相手先は有限会社木津川警備保障です。刑事さん、これ忘れてくださいね。喋った事が判ったら後で組から仕返しされますから。」

「儂は丸暴相手の刑事とちゃうから、心配せんでええ。殺人事件の捜査や。」

「それで、谷村さんはどうやって殺されてたんですか?」

「拳銃で腹に2発、頭に1発撃ち込まれとった。」

「凶器はピストルですか・・・。」とバーテンは呟いた。



京都慕情5;嵐山界隈

殺人事件の翌日の夕刻  桂川に架かっている渡月橋南端の嵐山公園中之島広場


♪また逢う日まで 逢える時まで♪

♪・・・・・・・・・・・・・・♪

空が夕焼けに染っている。

尾崎紀世彦が歌う『また逢う日まで』が土産物屋や飲食店が並ぶ場所の傍にある有線放送のポールに取付けられた屋外スピーカから広場に流れている。

安在良美は嵐山公園中之島広場にある茶屋でスイーツを味わいながらくつろいでいた。

「また逢う日は天国でしょうね、公宏さん。」

尾崎紀世彦の歌声を聴いて、良美は5年前の事件を思い出し、茜色に染まる雲を見つめながら古峰公宏に話しかけていた。

「あれは祇園での出来事だったわね。私たちは何故にあそこにいたのかしら・・。今日のように嵯峨野を散策し、嵐山で湯豆腐を食べたわね。竹林を抜けて、この茶店に来たのはついこの間のような気がするわ。あなたは抹茶に和菓子を頼んだのよね。私は、莓パフェだったわ。」

良美の胸中に過去の様々な二人の記憶が蘇っていた。

5年の歳月が悔しさを消し、楽しかった思い出が懐かしく思い出されていた。

銀閣寺、金閣寺、龍安寺、仁和寺、哲学の小道、南禅寺と蹴上の水門、それに大原三千院と寂光院等々。

京都での思い出だけでなく、東京ディズニーランド、東京タワー、銀座、渋谷、新宿など東京での思い出も蘇る。

「あなたと初めて出会ったのは学生時代の合同ハイキングだったわね。貴方たち男性陣は同命社大学の学生、私たちは京安女子大学の東山寮に住む3年生だった。あの時もこの近くの桂川の河原でお弁当を食べたわ。あなたが私の作ったサンドウィッチを美味しいと言ってたくさん食べたわね。あの時も『また逢う日まで』が流れていたわね。そして夕食は京極のすき焼き屋さんで御馳走になり、最後はワインリバーでカクテルを少々。そして、皆さんに寮まで送ってもらった。楽しかった思い出だわ。」


そして、5年前の祇園での事件を思い出していた。

クリスマの一週間前の夜、安在良美と古峰公宏はワインリバーを出て木屋町を南下し、4条大橋を渡り、祇園界隈を歩いていた。

二人は遠距離恋愛中である。公宏はこの年の4月から人事異動で丸角銀行京都烏丸支店に転勤になり東京から京都に引っ越していた。良美は東京丸の内にある丸角銀行本店に勤務しているが、休暇を取って結婚式の相談をするために京都に来ていた。宿泊先は京都駅前にある京都Tホテルである。

「まだ、8時過ぎよ。」と良美が言った。

「今日は嵐山を散々歩いたから疲れたよ。」と公宏が言った。

「ねえ、八坂神社にお参りしましょ。」

「そうだね。結婚式のお願いもあるしね。」

二人は、来年の6月に八坂神社で式を挙げることになっている。


四条通りの北側歩道を歩いて南北に走る東大路通り前にある八坂神社の近くまで来た。

その時、角を走って曲がってきた男が公宏に勢いよくぶつかった。

30歳くらいのその男と公宏は歩道に倒れた。

男が立ち上がって何も言わず立ちあがった。

「君、注意したまえ。」と男が立ち去るまえに公宏が声を荒げた。

男は口答えもせずオーバーコートのポケットから取り出した拳銃を公宏に向け、2発撃った。

『ピューン、ピューン』と銃弾が風を切って公宏の頭部と胸に命中した。

銃口には消音器サイレンサーが着いていた。

そして、人をかき分けながら男は四条河原町方面に向かって走り去った。

古峰公宏は目撃者が119番通報した救急車で病院に運ばれたが、死亡が確認された。

安在良美も一緒に病院に行ったが、警察が何を聞いても泣き崩れるばかりであった。



京都慕情6;捜査会議1

殺人事件の翌々日の朝  京都府警本部刑事部捜査1課での捜査会議


「帳場(捜査本部)を開くのは明後日あさってからや。」と捜査1課の立澤課長が事務机に座っている刑事たちに行った。

「遠藤。今までに分かった事を整理してくれるか。」

「はい、承知しました。ええっと、被害者は谷村浩一。会津山城会の組員で29歳。」とメモを見ながら遠藤係長が話を続けた。

「谷村浩一は木屋町で殺害される直前に、近くの河原町蛸薬師東入ルの洋酒喫茶ワインリバーで酒を飲んでおり、そこでお客の若い女性にちょっかいを出しているのを藤田と私が確認しております。当時、組識犯罪対策国際課の朝見課長と3人で打ち合わせを兼ねた歓迎会をしておりました。朝見課長が谷村を外につまみだして事無きを得ましたが、その直後に谷村は木屋町の桜並木の下で殺されたと思われます。時刻は午後8時半頃でした。射殺ですが銃声を聞いた人間が居りません。たぶん、22口径のサイレンサー付拳銃で撃たれたものと思われます。鑑識課の話では、銃弾たまの線条痕が5年前にあった祇園のキャバレー『舞子山』での発砲事件の時、祇園四条の八坂神社前で民間人を射殺したものと同じと云うことです。この事件は神戸の丸暴の山菱組の組長が狙われたものです。組長は首に軽傷を負っただけでした。流れたまで他の客が一人死亡してます。それから、発砲したこのヒットマンは逃走の途中で衝突した一般市民の男性を一人殺しました。ただ、組長を撃った拳銃弾の線条痕と一般市民を撃った拳銃弾の線条痕は異なっていました。どちらも同じ22口径の銃弾でした。したがって犯人は2丁の拳銃を持っていたという結論になりました。当時、別犯人ではないかとの意見も捜査刑事から上がっていましたが、それぞれの事件の目撃証言では犯人の服装がどちらも白っぽいコートであったことから同一犯と決まりました。犯人は阪急電車で河原町から大阪梅田まで逃走した事が駅の監視カメラの記録映像から判明しました。このヒットマンは大阪にある弱小暴力団・龍昇会の組員で鳴川清次でしたが、事件の半年後に大阪湾に死体で浮かんでいるのが発見されています。鳴川清次を殺害したのは山菱組と噂されてますが、犯人は不明のままです。山菱組が龍昇会の縄張りで活動を始めたのを怒った鳴川の単独犯行とされていますが、拳銃の入手経路は判明してません。」

「鳴川清次が使こた拳銃がまた使われた訳か。」

「そう云うことに成ります。どう云う経路で拳銃が流れたのか、ですかね・・・。」

「谷村浩一が殺される理由は判ってんのか?」

「それはまだ、判ってません。これからです。」



京都慕情7;北白川の高級邸宅

事件の翌々日  京都市左京区北白川仕伏町の「三条亭本家」隠居の住む邸宅


京都市内から琵琶湖へ通じる道筋は3本ある。

一本は三条・五条から山科を通って大津市街に通じる国道1号線に出る道路。

2本目は白川に沿った道で北白川から比叡山南麓を通る山中峠越えと呼ばれる府道30号線で宇佐山の麓にある近江神宮近くに出る道。

3本目は大原を北上して途中峠越えと呼ばれる国道367号線から477号線を通って琵琶湖大橋に至る道筋。


その山中越えの入り口に当たる左京区北白川にある御蔭通りを少し南に下がったところの閑静な住宅街にその邸宅はあった。

昨日の午後、陽一は三条亭本家に立ち寄り先代の隠居である藤川藤衛門の住所を確認していた。

今日、その住居を訪問していた。

奇麗に手入れされた庭を望む応接間で二人は話している。

藤川藤衛門、75歳。三条亭本家の主人の座を息子の鍛冶朗に譲ったのは3年前の72歳の時であった。75歳とはいえ、まだまだ元気である。応接室に入って来た足取りなどは50歳代に見える。喋り方もしっかりしている。当人の話によると、白川上流沿いの渓谷や南禅寺に向かう哲学の道を散歩がてらに歩いているようである。


「それで、御用の向きは?」と藤衛門が訊いた。

「三条亭本家が明治時代にすき焼きを提供し始めて頃の事をお聞かせいただきたいのですが。」

「息子の鍛冶朗がそのような事を私が知っていると話しましたか?」

「はい。左様です。」

「まあ、先代から聞いた話ですから、どの程度が事実なのかは知れませんが、幾つかのエピソードは知っております。何からお話いたしましょうかね・・・。」

「会津虎徹と呼ばれた近藤仙造氏のことなど何かありますか?」

「会津虎徹はんの事どすか。おます。ちょっと待ってておくれやす。」と言って藤衛門は応接室を出て行った。

数分後、真新しい写真アルバム1冊を抱えて藤衛門は応接室に戻ってきた。

「アルバムは先日に取り換えたので新しおますが、中の写真は明治から昭和初期のものどす。」と云いながら、藤衛門はアルバムのページを開いた。

「これが明治6年に創業した当時の三条亭の建物どす。今と同じ3階建どす。」

写真はセピア色にくすんでいる。

「店の前に立っているのが創業者の藤川健吉どす。江戸時代はお公家さんに奉公しておりましたが、明治2年に天皇はんが東京に行く時にそのお公家はんも東京に住みはりました。それで初代は長崎へ行き、牛鍋の作り方を学んで来て、この三条に牛鍋屋を開業しはりましたんどす。」

「明治6年といえば1874年の創業ですか・・・。丁度、120年前ですね。」と陽一が考えながら言った。

「もう120年になりますか。そうどすか・・。」

「当時のお客さんはどのような方々だったのでしょうか?」

「次のページに創業の頃のお客様の記念写真が何枚かあります。」

越後屋などの商売人の写真、政府や京都府のお役人などの写真が真新しいアルバムのページの透明シートに覆われて出てきた。

そして、A5版くらいの大きさのセピア色の写真に5人の男性と女性が一人、合計6人が牛鍋の後ろに並んで写っている写真が出てきた。西洋人と思われる男性1名、女性1名が含まれている。

その写真の下にそれぞれの人物名が書かれてた紙がある。

左端から槇村正直男爵、近藤仙造、山城粟蔵、アレクサンドル・シボルト、楠本イネ、長谷信篤子爵と書かれている。

「楠本イネはドイツ人医師であったフィリップ・シーボルトの娘。アレクサンドル・シボルトはフィリップの息子で幕末の江戸時代はイギリス公使の日本語通訳であったな。明治になって政府の顧問的役割をした御雇い外国人。それに槇村正直は京都府の大参事。今でいえば副知事。そして、長谷信篤は初代の京都府知事。確か、槇村男爵は長谷子爵の後を継いで京都府知事になった人物。錚々たる顔ぶれだな・・・。明治6年か7年頃だな・・・。」と陽一は京都に赴任して来る前に俄か勉強した知識を思い出していた。

「そこに侠客の近藤仙造、山城粟蔵が同席しているとは如何どういうことだ?何か土木工事でも関係しているのか?シーボルトが絡んでいるのは何故だろう?いや、待てよ。近藤仙造は明治元年に侠客組織の会津虎徹組を結成したが、京都の町火消し組でもあったな。明治4年の廃藩置県でできた京都府は府令で防火消防組を上京区と下京区に造った。その関係で近藤仙造と山城粟蔵が長谷初代京都府知事と面識が出来ていた訳か。近藤仙造がアレキサンダー・シーボルトを府知事に紹介したと云うことか・・・?」と陽一は考えを巡らせた。

「朝見様。このページは如何どうどすか?」と藤衛門が次のページを開いた。

山城粟蔵が近藤仙造の遺影写真を持って、三条亭の玄関先に立っている。その横にはアレクサンドル・シボルトが立っている。名前が書きには、オウストリア・ハンガリア帝国シボルト男爵となっている。

「オーストリア・ハンガリー帝国といえばハプスブルグ家が統治していた国。また、ドイツからイタリアにかけての地域を支配した19世紀初頭まで存在した神聖ローマ帝国の一部に相当するオーストリア帝国を改組した帝国だったな。アドルフ・ヒトラーのナチスは神聖ローマ帝国、ビスマルクのドイツ帝国に次ぐ理想の第三帝国を標榜した。会津山城会を立ち上げた山城粟蔵はオーストリア・ハンガリー帝国と関係が出来ていたのか・・・。」

「朝見様の目的はこの写真どしたかな。」と藤衛門が言った。

「そうですが、もう少し他の写真も見せていただけますか?」

「それでは、次の写真をどうぞ。」と言って藤衛門はアルバムのページを捲った。


「この写真の長谷信篤子爵の隣に座っている橘公徳という方はどのような人ですか?」と、すき焼き鍋を前にして二人の男性が座っている写真の下に書かれている名前を見て陽一が訊いた。

「ああ、この人ですか。この方は戦前の橘財閥を起こした方どす。江戸時代は両替商で財をなした方どす。お公家さんやお武家さんにお金を用立てておりはった方です。そやから、明治になってもお公家さんやお武家さんのお知り合いが大勢にりはったそうどす。」

「京都の名士と云うところですかね・・。」

「まあ、そう云うことどすな。戦後は財閥解体され、今は橘証券が会社としては残ってますな。今でも、橘家の方々には三条亭をご贔屓ひいきにしてもろてます。」

「そうですか。ところで、ご隠居が三条亭のご当主をされていた頃、会津山城会の方々はお店に来られていましたか?」

「はい。別に暴力を振るう訳でもありませんよって、お肉をたくさん食べていただきました。今でも時々、組員の方がお見えになりはりますな。」

「その時、外国人が同席していたような事はありましたか?」

「そうどすな・・。白人の方が同席されていたのを二、三度見かけましたね?どこの国のお方かは存じませんが・・。」

「そうですか・・。」

その後、藤衛門からすき焼きのおいしい食べ方などを聞かされた後、朝見陽一は北白川の邸宅を辞した。



京都慕情8;情報収集

殺人事件の3日後  兵庫県警本部刑事部組捜査一課・応接室


京都府警の遠藤係長と藤田刑事は5年前に祇園で発生した神戸・山菱組の組長狙撃事件の犯人・鳴川清次が殺害された状況と京都祇園での犯行に使われた拳銃に関する情報を求めて兵庫県警本部を訪問していた。

5年前に鳴川清次の遺体が神戸港中突堤沖に浮かんでいた事件で、兵庫県警は捜査本部を置いたが、山菱組の緘口令が徹底されており捜査は困難を極めた。そのため、順次、捜査本部は縮小され、今年からは捜査員3名体制になっている。


兵庫県警本部はJR元町駅の少し北西側に歩いた所にある。南側に少し歩くと神戸港中突堤がある。三ノ宮駅辺りからJRの線路は高架になっており、阪神高速道路が出来るまでは元町駅のホームから赤色に塗られた鉄骨の美女と呼ばれる神戸ポートタワーが見えた。明治元年に開設された兵庫港第3波止場(通称メリケン波止場)の西端に立っている高さ108mのスリムな鉄骨組の鉄塔である。メリケン波止場と呼ばれるのは開設当時、近くにアメリカ領事館があったからである。中突堤はメリケン波止場の西側に隣接して大正時代に建造された。ポートタワーは昭和38年(1963年)に竣工した。

1998年に竣工した中突堤中央ターミナルの建設のため、中突堤西側の海は埋め立てられ、ポートタワーは現在の中突堤上には無く陸上になった。中突堤の先端付近には税関や出入国管理室などがある中突堤旅客ターミナルビルがある。


「死亡していた鳴川清次の住居や龍昇会の組事務所など関係各所を捜索しましたが拳銃は見つかっとりません。京都の事件で使われたチャカ(拳銃)は、ドイツのカール・ワルサー社製のワルサーPPK22口径でしたよね。」と小山刑事が言った。

「はい、そうどす。電話でも話しましたが、今度の木屋町の殺人事件で、その22口径が使われました。」と遠藤が言った。

「京都の事件のヒットマンやった鳴川は死んどるよって、その拳銃が何処から流れたんかをお知りになりたいわけですね。」

「まあ、そう云う事どす。」

「こっちも捜査が行き詰まっとうから丸暴担当の組体課刑事からの情報をろとうとこですわ。先週も京都の会津山城会の若頭が山菱組本部に来たという情報があっとります。」

「会津山城会の若頭云うて、秋山健太どすか?」

「職務質問ではその秋山とか云う男ともう一人、辰巳とか云う組員が名乗ったそうですわ。何でも、毎年2回、お中元とお歳暮を持って来とうそうです。祇園での事件以後、一般市民に迷惑が掛る云うて、山菱組の組長は京都での遊びを止めてもうたから、そのお礼やそうや。律儀なこっちゃ。丸暴担当刑事からは確かに年2回、会津山城会の訪問報告を捜査一課に連絡してもろとります。」

「狙撃事件のあった祇園は会津虎徹組の縄張りやが、会津山城会が挨拶でっか。」と藤田刑事が言った。

「昔から会津虎徹と会津山城は親分子分関係や。そう云うこっちゃ。」と遠藤係長が言った。

「鳴川清次は何処で山菱組に拉致されたかは判っ取らんのですか?」と藤田が訊いた。

「大阪府警からの情報では大阪府豊中市に隠れとったところを拉致されたものと推定されてます。」

「豊中ですか。」

「何でも、阪急電車宝塚線の豊中駅からバスで10分くらいの所に隠れ家があって、朝方に拉致されたと云う目撃証言があったそうです。」

「その隠れ家は今でもありまっか?」と藤田が訊いた。

「さあ、どうでっしゃろか?鳴川の遺体を発見した当時は龍昇会の組長所有のマンションでしたが、現在はどうですかな?龍昇会の吉本組長も事件後に逃走したままで行方不明ですわ。自分で身を隠したのか、山菱組に殺されてどこぞに捨てられとるのか。どうですかな。」

「組長が居らんでも龍昇会は潰れていないんでっか?」

「どうも3人の若頭が相談しながら組を動かしてとうみたいです。」

「その3人は仲がええんでっか?」と藤田が訊いた。

「大阪府警の丸暴担当の話では、それほど問題はなさそうだと言っとりました。もしかして、吉本組長からの指示を誰かを通じて受け取ってのかも知れん、とも言ってましたな。」

「大阪府警は何かを確証を掴んでますのかな。」

「いや、それはなさそうでっせ。単なる推測でしゃろ。」

「いちおう、その組長所有のマンションの住所を教えてもらえます?」

いですよ。捜査資料をとってきますよって、ちょっと待っとって下さい。」

「そうどすか。よろしゅう頼んます。」


暫らくして、小山刑事が戻ってきた。

「住所は、豊中市東豊中町○○でグランドマンション303号室ですね。3階建ての高級マンションで、部屋サイズは3LDKでした。管理会社は大阪市中央区にある丸菱工務店分譲マンション管理部ですね。電話番号は06−○○○○−○○○○です。マンションの入ったととこに小さな管理室はありますが、管理人は常駐しとりません。」とファイルを確認しがら小山刑事が言った。

「拉致された場所の写真はありますか?」

「写真はありませんが大阪府警からもろた情報ではそのマンションの前の道路に黒っぽい乗用車が3台止まっとって、その一台に鳴川らしき男が6人くらいの男に囲まれ、抱えられて押し込まれたようですな。そこから3台とも道路を北に向こうて走り去ったようです。」

「目撃した人物の名前と住所は判っとりますかな?」

「近くのマンションに住む山田幸一さん。63歳ですな。住所は、東豊中町○○−○○ですな。早朝の散歩が日課で、散歩中に拉致現場に出くわしたとのことです。」

「事件解決に対する今後の見通しは如何ですか?」

「あきませんな。お宮入り覚悟ですわ。別の事件で逮捕したやつからの情報が頼りですわ。」

「今までに何か重要な情報は掴みましたか?」

「2年くらい前ですかね。山菱組と対立する大庭組の組員からの情報が1件だけあったんですが、それも重要参考人が輸送トラックに轢かれる交通事故で死によりましてな。ハイいそれまで、ですわ。」

「その事故は偶発的でしたんか?それとも意図的にやったとか。」

「まあ、何とも言えませんな。運転手は福島県の運送会社の社員で山菱組との関係はありませんでした。」

「福島県ですか。その運送会社の住所と会社名は判りますか?」

「待って下さい。」と云って小山刑事はファイルのページを捲った。

「会津若松市○○町○○の有限会社白鶴運送ですな。運転手は松島五郎です。」

「会津若松どすか・・。」と遠藤が呟いた。

「会津山城会に繋がりますかね・・・。」と藤田が言った。

「調べてみる価値はありそうやな。」

「京都で何か判ったら教えてください。」と小山刑事が言った。

「はい。もちろんお知らせします。」


京都慕情9;

数日後、京都府警本部 刑事部組織犯罪対策国際課


遠藤係長が朝見陽一に呼ばれて国際課室に来ていた。

陽一は三条亭の隠居に見せられた写真に写っていた橘公徳と長谷信篤子爵、そして侠客の近藤仙造、山城粟蔵との関係の有無について関心があった。

応接用にソファーを挟んで二人が話している。


「遠藤係長は京都の事に精通されていると聞いています。教えていただきたい事がありましたので、お呼びしました。」と陽一郎が言った。

「如何云う事でしょうか?」

「橘証券の事をご存じですか?」

「橘証券の如何云った事でしょうか?」

「戦前の橘財閥のことや、財閥解体されてからの橘証券の取引状況などをご存じの範囲でお聞きしたいのですが。」

「橘財閥は江戸時代に両替商で小判を貯めて込んでいた橘徳七と云う人物が明治になって銀行を創業したことに始まります。江戸時代のお公家さんやお侍さんが子爵や男爵に成らはってからもお金を融通して、その見返りに商売人や企業人を紹介してもらいはって、資金貸与し、利子を稼いだらしいどす。子爵はんや男爵はんは京都府や京都市の役人や議員が多かったんで、役所に絡んだ商売人や企業家を紹介されてはったと云うことです。そやから、倒産するような企業はほとんどのうて、橘はんはお金を仰山ぎょうさん儲けとったんとちゃいますかな。京都では橘家と云えば名門でとおっとります。お役所のいろんな事業にお金を融通してはったと、私の祖父から聞きました。また、戦前は軍関係者も橘家に出入りしていたそうです。そのため、終戦直後はアメリカさんにえろう睨まれとったようです。そのため、戦前にあった橘銀行は完全に潰され、大正時代に創立された橘証券だけが生き残ったということですわ。戦前は満州国設立での日本国債の発行業もしていたようです。」

「簡単に云えば、人脈が広かったと云う事でしょうか?」

「まあ、そう云う事でしょうか。今でも、その人脈は生きていると謂われ、橘証券の顧客企業には安定した会社が多いと聞きます。」

「橘家の住所はご存知ですか?」

「正式な住所呼称は知りませんが、東山の麓にある南禅寺の北側すぐそばに和風の大邸宅がありよります。橘別邸と呼ばれて、京都人の間ではちょっとした古風建築物として有名です。古風な池や枯山水のお庭などが敷地内にあり、その邸宅の隣に橘美術館と云うのがます。大財閥の名残ですかな。公益財団法人橘財閥の運営する美術館です。日本画や茶道具、能面、水墨画、有名人の文筆墨書の掛け軸などが展示されておます。冬場は休館しとりますよって、いま行っても閉まっとります。私の知っているのはこんな(この様な)とこどす。」

「ありがとうございます。大変参考になりました。」

「それは良かったどす。」

「ところで、殺人事件の方の捜査は進んでいますか?」

「まあ、ボチボチと云うとこどすわ。会津山城会の歴史を遡ることになりました。」

「えっ、会津山城会の歴史ですか?」と、三条亭の隠居に見せられた近藤仙造と山城粟蔵が長谷初代京都府知事と写っている写真を思い出した陽一が、驚いたように言った。

「はい。会津若松の運送会社が捜査線上に浮かんできよりました。江戸末期の鳥羽伏見の戦いでの因縁が尾を引いているようです。」

「如何云う事ですか?」


遠藤係長は兵庫県警で訊いた話や自分たちが調査して判った事などを陽一に話した。


「その白鶴運送と会津山城会の関係は明治時代にできたという事ですか。」

「はい。会津若松署で調査した結果、個人営業の白鶴運送のご先祖は鳥羽伏見の戦いで戦死された会津藩士でした。その遺品を、会津藩邸の中間部屋頭であった近藤仙造とその片腕であった山城粟蔵が官軍の支配する城下に入って来て遺族に届けたそうです。その時に関係が出来た可能性があります。」

「ところで、組長狙撃に使われた拳銃と八坂神社前の四条通りで一般人を銃撃した拳銃が異なっていましたね。」

「そうです。」

「もしもですが、二つの狙撃事件の犯人が別々であったとしたら、如何なりますかね。」

「一般人を射殺した犯人は鳴川清次とは違うと云うかていですね。」

「そうです。」

「京都府警では鳴川が死亡したことで、事件は一件落着しております。事件を蒸し返すことはご法度です。」と遠藤が言った。

「まあ、そうでしょうが、なんとなくすっきりしないですね。近距離から組長一人を狙うのに2丁のサイレンサーを付けた22口径の拳銃を準備する必要があったのかどうかです。一丁が故障した場合の予備としても、拳銃の引き金を引いた時に故障に気づいたその瞬間には組長のボディガードが狙撃者に気づき、2丁目を取り出す時間はありません。両手で2丁拳銃をそれぞれ握っていた使った場合、命中精度はかなり落ちるのは判っていたはずです。サイレンサー拳銃と云えばちょっとした長さで、更に2丁をコートのポケットに入れていては重たくなって、走って逃げるにはちょっと大変ですよね。太腿にサイ・ホルスターを着けて22口径を装着していれば走り易かったでしょうが。」

「祇園のキャバレーの時は判りませんが、八坂神社前の四条通りでの目撃者の話では、犯人は白いコートのポケットから拳銃を取り出したと証言しています。ホルスターは着けていなかったと思われます。」

「それで、四条通りで殺された一般人の方の素性は判っていますか?」

「はい。古峰公宏と云う方で丸角銀行京都烏丸支店の社員です。」

「銀行員ですか。」

「はい、左様です。」

「事件当時、銀行で何かトラブルはなかったのですか。」

「私も捜査本部の一員でしたが、犯人の目的は組長の狙撃で、四条通りも同一犯と云う事で捜査は進展しました。ですから、鳴川の消息を追いかけるだけでした。銀行員に関する調査は全くしていません。」

「5年前の事を調べるのは大変ですか?」

「いえ、別に難しいと云うことはありませんが・・。」と遠藤は嫌そうに答えた。

「事件を蒸し返したくない、ですか?」

「まあ、捜査一課の課長が如何言うかですが・・・。」

「ちょっと会津山城会の事が気になりますから、私が調べてみましょう。その銀行員が勤めていた場所を教えて頂けますか?」

「はい。確か、丸角銀行京都烏丸支店でした。場所は四条烏丸上ルです。行けばすぐに目に入ります。」



京都慕情10;

翌日、丸角銀行京都烏丸支店の応接室


丸角銀行烏丸支店長の山形一郎が朝見陽一の相手をしている。


「当時、古峰君は融資担当の仕事をしておりました。ご質問の通り、ちょっとした問題がありました。まあ、融資を希望される企業さんとは大なり小なり、様々な問題は発生します。私どもといたしましては、貸付金に対する担保をどうするかとか、利息回収の可能性はどの程度の確率にあるとか、その他、様々な観点から融資を検討いたします。」

「それで、問題があった企業と云うのは何処でしょうか?」

「有限会社竹中産業と云う従業員が20人くらいの食品や工業品の輸入業者です。小売店に輸入した商品を卸しています。」

「それで問題と云うのは?」

「古峰君の調査によると、どうも密輸入をしているのではないかとの噂があるとのことでした。」

「どのような商品を密輸入していると?」

「東南アジア、中南米、アメリカ、欧州から輸入している食品や工業品に紛れ込ませて密輸入しているようだとの話でした。そこで、竹中産業の株主を調査しましたところ大阪の暴力団の企業舎弟だと警察から頂いた全国要注意リストに載っている投資ファンド・ライジングドラゴン社が竹中産業の全株の60%を所有していました。」

「ライジングドラゴン社はどこの暴力団の企業舎弟ですか?」

「はい。警察のリストでは龍昇会となっていました。」

「龍昇会ですか・・・。」と呟きながら陽一は山菱組組長狙撃事件のヒットマンであった鳴川清次の事を思い出していた。

「古峰公宏さんはどの程度まで竹中産業の事をしらべていたのですか?」

「私が聴いたのは、今お話したことだけです。もう少し詳しく調べていたかどうかは判りません。社内会議で融資の可否が出るまでは調査は継続するのが当行の習わしです。結論を出すのはその年の12月のクリスマス明けの会議の予定でした。その前にあの事件が起こってしまいました。」

「密輸入の噂の情報源はどこでしたか?」

「確かなことは聴いておりませんが、学生時代の友人から聞いて来たような事を申しておりました。」

「どのようなご友人でしたのでしょう?」

「さあ、判りません。」

「古峰さんはどちらの学校を出られたのですか?」

「京都の今出川通りにある同命社大学の法学部出身です。」

「そうすると、京都の事は詳しかったのですね。」

「どうですかね。ある程度のことは知っていたと思いますが。故郷が九州の鹿児島だったので大学時代は下宿をしていたそうです。」

「そうですか。ところで、竹中産業の会社がある場所を教えていただけますか?」

「下京区の九条あたりでしたが、ちょっと正確な住所を確認して参ります。」といって支店長は応接室を出て行った。

数分後に支店長は戻ってきた。

「この住所です。」と云って住所が書かれたメモを陽一に手渡した。

「京都市南区西九条○○町○○ですか。」と陽一がメモを読み上げた。

「五重塔で有名な東寺の近くです。」と支店長が言った。


「事件の時、古峰さんと一緒に歩いていた女性がいらっしゃったと思いますが、どのような方なのかご存知ですか?」

「ああ、安在ですね。下の名前は、えーっと・・・。ああ、良美ですね。安在良美です。当銀行の東京本社に勤務しておりました。まだ、勤務しているかどうかは本社に確認しなければ判りませんが。」

「角丸銀行にお勤めの方でしたか。」

「はい。事件あった翌年の6月に古峰と結婚する予定でした。八坂神社で結婚式を挙行し、京都Tホテルで披露宴を行うと聞いておりましたが、とんだ不幸に見舞われたものです。私が結婚式の仲人を頼まれていました。」

「そうでしたか。お気の毒な事でした。それで、安在良美さんの現在の住所を知りたいのですが、東京の本社に問い合わせてもらえますでしょうか?」

「畏まりました。本社へ電話してきますので、お待ちください。」と云って支店長はふたたび応接室を出て行った。



京都慕情11;

更に翌日、九条大宮近くの会津山城会の事務所


朝見陽一と藤田刑事が九条大宮近くを歩いている。目的は竹中産業を外から見てどのような会社であるのかを確認することである。

そして、その道の途中にある会津山城会の事務所の前まで来た。


「ここが会津山城会の事務所ですわ。九条署の交番で警邏けいら巡査をとしとる時にはちょくちょく訪問したもんですわ。」と藤田刑事は言いながら小さな3階建てのビルを右手で指し示した。

「藤田さんは暴力団との接点はないと上司から聞いていましたが・・。」と陽一が言った。

「報告書にはここの事務所を訪問したことは書いとりません。事件があった訳とは違いまっさかい。まあ、警邏中にお茶を飲ましてもらいに立ち寄ってだけですわ。朝見課長やから話しましたが、これは遠藤係長には秘密でっせ。」

「判りました。禁句ですね。」

「禁句? 係長みたいなこと言わんとってくださいな、課長。ドッキリしまんがな。」

「そうすると、藤田さんは組員に面識があるのですね?」

「全員を知っている訳ではありまへん。まあ、5人くらいは知っとりますが。」

「では、木屋町で殺された谷村浩一のことは知っていたのですか?」

「いいえ。谷村の事は知りませんでした。あの晩、ワインリバーで見たのが初めてですわ。」

「谷村浩一はどのような人物だったかは調べたのですか?」

「それは、私の担当ではないのでまだ知りません。太田刑事が調べてます。」

「ちょっと寄ってみませんか?」と陽一が事務所の入口を見た。

入口の上には『山城商会』という看板が掲げられている。

「えっ。寄るんでっか、課長?」と藤田が驚いたように言った。

「谷村浩一のことを聞いてみましょうよ。」とやや語気を強めて陽一が言った。

「はい、判りました。それでは、入りましょか。」と覚悟したように藤田は言って、事務所のドアを開けて中に入って行った。陽一も後に続いた。


「あれ、藤田さんやおまへんか。」と組員たちの一人が言った。

「おう、八坂やないか。久しぶりやな。」

「今日もお茶でっか?」

「あほぬかせ。今は刑事やど。」

「へい。お見それしました。」

「今日は、木屋町で殺された谷村のことを聞きに来たんや。」

「あれ、二日前も刑事さんが谷村ことを聞きに来たんとちゃうかったっけ。」と八坂が仲間に聞くように振り返って言った。

「それはそれ。俺は俺や。」と藤田が言った。

「それで、何を知りたいんでっか?」

「谷村とは如何云う人間や?」

「まあ、一口で言うて・・俗に言う『インテリやくざ』ですかね。」

「それは、如何云う意味や?」

「大学出ですがな。」

「谷村云うて、大学を出とったんか。」と藤田が言った。

「何処の大学を卒業してたのですか?」と陽一が訊いた。

「あんた、誰や?」と八坂が言った。

「あほ。今度京都府警に新しゅう着任した刑事部国際課の課長さんや。失礼があったらあかんぞ。」と藤田が朝見の苗字を出さずに言った。

「それはどうも。谷村は同命社大学の法学部を出とりますわ。法律に強いよって、組長の相談役でしたわ。あの若さで、えろう優遇されとったわ。そやけど、死んでもたらパアでんがな。」

「谷村さんは何歳だったのですか?」

「さあ、30歳くらいやったかな・・。よう知らんわ。」

「大学を卒業してすぐに組に入ったのですか?」

「ははあ、そら無いわ。」

「谷村が組に来たんは7年前からや。」

「何で組に入ったのでしょうか?」

「さあ、それは知らんな。組に来る奴はみんな何かある奴や。それをしゃべる奴はほとんどおらん。」

「最近、谷村さんは何かトラブルでも抱えていたのですか?」

「そら知らん。もし知ってても言えんな。個人の情報ことは勝手にしゃべられへんわ。」

「そう堅いこと言わんで、教えたりいな。」と藤田刑事が言った。

「なんぼ藤田さんでも言えんことは言えんな。」

「いろいろ、ありがとうございました。藤田さん、これで失礼しましょう。」と八坂が他の組員から見られていることを考慮して陽一は言った。

「あんた、ええ人やな。警察にしとくのん惜しいな。」と朝見の気持ちを感じた八坂が言った。



京都慕情12;

九条大宮近くの竹中産業


会津山城会の事務所を出た朝見陽一と藤田誠は3分足らずで竹中産業の前に来た。

竹中産業と会津山城会は同じ道路の並びにあり、200メートルくらい離れた場所にある。

竹中産業は3階建て小さなビルの倉庫兼事務所となっている。一階が車庫と倉庫で2階と3階が倉庫と事務所になっている。


「ここですね。中に入りますか?」と藤田が陽一に訊いた。

「いえ、今日は会社の様子を見るだけにしましょう。この会社を見張れるようなアパートかマンションはありませんかね・・。」と云いながら陽一が周囲を見渡した。

「それでしたら、あそこに見えるマンションはどうでっしゃろ?」

「あの8階建てのマンションですね。6階より上ならここが見えますね。」

「はい、そうです。あそこは丸菱工務店の賃貸マンションです。1年前は空き室がいくつかありました。四条西洞院の近くに丸菱工務店の京都支店がありますから、この後で寄って空き室があるかどうかを訊いてみましょうか。」

「そうですね。そうしましょう。」



京都慕情13;

竹中産業近くの9階建てマンションの706号室


朝見陽一はウエストナインパレスと呼ばれるマンションの7階の明き部屋を借り、部屋のベランダ側に向けて天体望遠鏡を2台設置していた。一台は竹中産業の倉庫兼事務所ビル、もう一台は会津山城会事務所ビルに向けられている。それぞれのビルに出入りする人物を観察するのが目的である。朝見にとっては会津山城会が主眼であるが、竹中産業の密輸も気になるところであった。そして、会津山城会と竹中産業が200メートルしか離れていない事がなんとなく気に入らなかった。

部屋に置かれている応接テーブル上には会津山城会の組員と竹中産業の社長をはじめ、従業員の顔写真がばらばらに置かれている。顔写真の裏には氏名と役職が書いてある。



「今日で正月が明けてから2週間目になるか。会津山城会と竹中産業がこの様に近くにあるので何かあると思ったが、取り越し苦労だったかな・・・。竹中産業の社員や山城会の組員の顔は粗方覚えたが、来訪する人物にはこれと云ってあやしそうな人物が見当たらないな。出入りするのを見られたら困るから用心しているのかも知れないかな。まあ、最低でも3カ月は見張る必要があるか・・。」と取り留めもなく考えながら陽一は望遠鏡を覗いている。

遠藤係長と藤田刑事は木屋町殺人事件捜査本部の捜査途中に時々はこのマンションを訪問し、朝見と交代して見張り番を受け持っていた。

そして、1995年1月15日が来た。


「あの顔は・・・。そう、ワインリバーのバーテンだ。谷村の付けの集金に来たか。谷村が12月に死んで、これが最後の集金だな。」と山城会事務所に入るバーテンを見て陽一は思った。


そして、2分足らずでバーテンが出てきた。

そのバーテンは近くの竹中産業ビルに入って行った。

「竹中産業にも集金か?」と陽一は思った。

しかし、バーテンは15分経っても出てこない。

「裏口から出て行ったのかな?それともお茶でも飲みながら世間話をしているのか・・・。」と思った時、バーテンが社長と一緒に出て来た。そして、ビルの前に停まっている黒い乗用車に二人で乗り込んだ。

如何どう云うことだ?」

朝見陽一はインテリジェンスを働かせ始めた。

インテリジェンスとは、対象に関するいくつかの断片情報から、その対象の全体像を推測する能力のことである。

「竹中産業は龍昇会の企業舎弟。会津山城組の谷村浩一はワインリバーを出た後に銃で撃たれて殺された。ワインリバーのバーテンは竹中産業の社長の知り合い。竹中産業は龍昇会の企業舎弟であるという情報は丸角銀行からのもの。龍昇会の鳴川清次と思われる人物に5年前に祇園で殺された古峰公宏は丸角銀行で竹中産業の融資判断の調査をしていた。竹中産業が密輸をしているという情報は古峰公宏の学生時代の友人からのもの。古峰公宏は同命社大学法学部卒。そして、谷村浩一も同命社大学法学部卒。谷村の年齢は不明だが、古峰公宏31歳と同じくらいの年齢に見えたな。線条痕から古峰公宏と谷村浩一を撃った拳銃は同じものと断定できる。そういうことか・・・。同命社大学法学部の卒業者名簿を調べてみる必要があるな。あと、古峰公宏と一緒に歩いていた安在良美の証言も必要かな・・・。場合によっては、古峰の実家へ出向かねばならないか・・・。まず、バーテンの名前を遠藤係長に確認してもらう必要があるな。」



京都慕情14;

日曜日の午前10時頃  東京都品川区南大井にある安在良美の住むマンション近くの喫茶店


京浜急行の立会川駅で降りた朝見陽一は駅の西側に出て、線路に平行して走る第一京浜(国道15号線)を渡ったところにある喫茶店『かもめ』に入った。立会川には東京湾のカモメが時々飛んでくるのでその名がついたようである。

目黒区の碑文谷公園にある池を水源とする立会川はJR大井町駅を過ぎた南大井付近まで暗渠あんきょになって流れている。南大井から川の姿を現した立会川は京浜急行電鉄の高架線路と直角に交わって東京湾方向に流れていく。立会川駅から東向きに歩いて行くと東京モノレールの高架線路と交わる。そ南西角に1950年に開場した大井競馬場がある。大井競馬場は1986年に日本で初めて夜間のレースを実施した地方競馬である。夜間レース呼称を『ツインクルレース』と名付け、種々のイベントを開催し、女性客が競馬場に来易くしたことで知られる。

更に東に歩いて行くとJR新幹線基地越え、東京港の大井埠頭に突き当たる。そこには船便輸入貨物の入国検査をする東京税関大井出張所がある。この付近一帯は倉庫ターミナル群であり、岸壁にはコンテナを陸揚げするための背の高い大きなガントリークレーンが十数台ある。


「お待たせしました。朝見陽一です。」と、すでに席に座ってクリームソーダを飲んでいる一人の女性に向かって言った。

「安在です。どうぞ、お掛けください。」と云って女性は着席を促した。

「ありがとうございます。」と言って陽一は席に座り、店員を呼んだ。

「いらっしゃいませ。ご注文は?」

「コーヒーをお願いします。」

店員が去り、話を続けた。

「昨年の12月に京都でお会いしましたね?」と陽一が言った。

「京都で?あっ、洋酒喫茶のワインリバーで助けて頂いた方ですわね。」と安在良美が思い出して言った。

「お会いしていた方とは思ってもいなかったので失礼しました。警察の方でしたのね。」

「私も、ここに入ってきた時には驚きました。安在さんがあの時の女性とは思いもしませんでしたから。」と言いながら陽一郎は安在良美の記憶力の良さを確認した。

「恩人をわすれるなんて、すいません。」

「ははあ、恩に着ることはありません。当然のことをしたまでです。あの時の男は、あの後、木屋町通りで殺されました。」

「えっ。殺された・・。」と良美は驚いた。

「ええ。銃で撃たれて倒れているのを通行人が発見しました。」

「まあ、それは。でも、私は何も知りませんわ。」と弁解するように良美が言った。

「もちろんです。あなたを疑っているのではありませんので、ご安心ください。」

「それで、5年前の事件の時の何をお話すればよろしいのでしょうか?」

「実は、木屋町の高瀬川沿いで殺された男性は谷村浩一と云う暴力団員でした。そして、使われた銃は古峰公宏さんを殺害した銃と同一であると判明しました。」

「公宏さんを殺した犯人がまた殺人をしたと云う事でしょうか?」

「まだ、そこまでは判明していません。犯人を特定するために5年前の事件当日に安在さんの見たことを知りたいのです。」

「例えば?」

「事件調書には『犯人が東大路通りを北から走って来て、東大路四条の角を西に曲がったところでで公宏さんと衝突し、公宏さんと犯人が倒れた。犯人は立ち上がり、公宏さんが注意すると、男はコートからサイレンサー付拳銃で公宏さんを撃ち、立ち去った。』と目撃者の証言として書かれていました。これに間違いはないでしょうか?」

「少し違います。」

「どこが違いますか?」

「男が銃を取り出そうとコートのポケットに手を入れたのは公宏さんが注意する前でした。何故に右腕をコートに入れるのか不思議に思ったのを覚えています。そして、まだ立ち上がれずに地面に座ってた公宏さんが何かを叫んだ瞬間には拳銃がポケットから出ていました。そして、ピュン、ピュンと2発の音声がしました。」

「それは確かですか?古峰さんが叫ぶ前に犯人は銃を取り出していたと謂うのは。」

「はい。あの時の映像ははっきりと記憶に残っています。私は、犯人も公宏さんに対して怒りを抱いたのだと思っています。しかし、銃で殺すなんて・・。犯人は大阪の暴力団員で鳴川清次と云う男で、6か月後に神戸の暴力団に殺されたと新聞で知りました。」と良美は言った。

「そうですか。ご自分で古峰さんの復讐をしたかったですか?」

「ええ。気持としては、出来ることならば。でも、そのような事は出来るはずはありませんわ。」

「そうですね。ところで、木屋町で殺された谷村浩一と云う暴力団員ですが、古峰さんとは大学の同期生です。」

「えっ、あの男がですか?」と驚いたように良美が言った。

「はい。古峰さんと同じく同命社大学法学部を1984年に卒業しています。」

「あの男とはワインリバーであの時に初めて出会ったのです。公宏さんとの思い出のカクテルを飲んでいると、肩をトントンとたたかれ、振り返るとあの男が立っていました。」

「男から何を言われたのですか?」

「『ちょっと話がしたいから外まで着きあってくれるか?』と云われました。拒否すると腕をつかまれ、引っ張られました。そこへ、朝見さんが来られたのです。」

「谷村浩一が古峰さんの友人であったかどうかご存じないですか?」

「はい。初めて聞く名前です。結婚披露宴に招待する予定の学生時代の友人の中にもその名前はありませんでした。まして、暴力団の友人がいると銀行に知れたら、公宏さんの出世にも影響が出たでしょう。」

「そうですか。まあ、卒業生は108名も居ましたから、谷村とは親しくしていなかったとしても不思議はありませんね。でも、谷村はあなたを知っていたのかも知れません。」

「どうしてですか?」

「さあ、それはまだ判っていませんが、私の第六感ですかね?ワイリバーのあの時、私はあなたの腕を掴んでいる谷村浩一の素振から安在さんの知人かと思いました。何故にそう感じたのかは私も判りませんが・・・。」と陽一が言った。

「第6感。そうですか。」

「その他、どのように些細な事でもいいのですが、事件現場で見たこと、感じたことはありますか?」

「そうですね、見て、感じた事ですか。」

「何でも良いのです。思い出してみてください。」

「そういえば、公宏さんが銃で撃たれて地面に倒れた瞬間、何か言ったような気がしました。言葉ははっきり聞き取れなかったのですが、犯人を見つめながら『あなたは・・』と言ったように感じました。」

「『あなたは・・』と言ったのですね。」

「はい。そう感じました。」

「事件調書で安在さんは、犯人は野球帽をかぶっていて、更に白いマスクをしていて顔は判らなかったと仰っていたことになっていましたが、古峰さんは犯人の顔が判ったのですかね。」

「さあ、私には判断出来かねます。いずれにしても、私は犯人の顔、形が判りませんでした。」

「犯人の目は見えていたのですね。」

「はい。目にはサングラスも眼鏡もなかったですから、公宏さんには目の形は見えていたと思いますが・・・。」

「あと、古峰さんの遺品は何かお持ちですか?」

「実は、京都での事件から3か月後に妊娠していることが判りました。そして、その年の9月に公宏さんの子供が生まれました。男の子でした。その報告を鹿児島にいらっしゃるご両親にお知らせしたところ、公宏さんの遺品が入った段ボール箱が二箱送られてきました。子育てで忙しかったものでまだ箱を開けておりませんが、今もマンションに置いてあります。子供が小学校に上がったら開けるつもりでした。」

「今日は、お子さんは如何しているのですか?」

「私の両親に見てもらっています。」

「ご両親と一緒にお住まいなのですか?」

「はい。私は富山県の出身で、両親も富山に住んでいましたが、子供を育てながら仕事をするのは大変だろうと言って、私が今住んでいるマンションの住みこみ管理人の仕事を見つけ、富山の実家の管理は親戚にお願いし、父母が東京に引っ越してきました。それで、私もそのマンションの一室を借りて引っ越して来ました。それが、この近くにあるマンションです。ここから歩いて5分の所にあります。」

「ダンボールの中身を見せていただけますか?」

「何をご覧になりたいのですか?」

「古峰さんのアルバム写真があるかどうかです。その中に谷村と写っている写真があるかどうかを確認したいのですが・・。」

「そうですか。ではマンションに戻りましょうか。」



京都慕情15;

東京都品川区南大井にある安在良美の住むマンション


古峰公宏の遺品が入った二箱の段ボールの中身を見ながら陽一と安在良美が話している。

「これが公宏さんの学生時代の写真が入ったアルバムです。」と云って良美が陽一に手渡した。

「ありがとうございます。」

陽一がアルバムのページをめくっていくと、ヘルメットを被らず停止したオートバイに二人乗りして記念撮影している古峰公宏と谷村浩一のツーショットが見つかった。

「やはり、古峰さんと谷村は親しい友人だったようですね。この写真は1982年7月8日となっていますね。大学の構内で撮影されたようですね。」と言って陽一が良美に写真を見せた。

「知り合いだったのですか・・・。」と良美が呟きながら写真を見ている。


陽一はアルバムをひととうり見終えると、次に良美は日記帳を出した。

「これは公宏さんの死亡直前の日記帳です。」

「すいません。」と云って陽一が日記を受け取り開いた。

そして、最後に記入されているページから読み始めた。

そして、1994年12月3日のページを読んだ。

「これは・・。」と陽一が呟いた。

「如何されましたか?」と良美が訊いた。

そこには、公宏が竹中産業の社長を尾行して行った先で見たことが書かれていた。


『平成6年11月15日:今日、竹中社長の乗った自家用車を尾行した。途中の三条木屋町で待っていたひとりの男を乗せた。到着した場所は大原から更に北上した所にある滋賀県朽木村の若宮神社近くの古民家だった。大阪ナンバーの乗用車が古民家の玄関前の空き地に停まっていた。社長が到着すると家の中から暴力団風の若い男が一人出てきた。中にはあと二人いた。家に近づいて中の様子を窺がったが密談と云った雰囲気で何も聞こえなかった。大阪ナンバーから推測すると3人は龍昇会の組員たちかも知れない。やはり、竹中産業への融資は断った方がよさそうだ。ご近所の方の話では、古民家は樋口秋雄という人物のもので、両親が亡くなって遺産相続したらしい。今は京都市内に住んでおり、時々帰ってくると云う。最近はよく大阪ナンバ―の車が来ていると云う。知り合いを連れて来て家の中で話し込んでいるようだ。知り合いとは龍昇会の組員のことかも知れない。』


陽一は日記を読んで、「古民家の持ち主である樋口秋雄と云う名前がワインリバーのバーテンと同姓同名であるな。そして、この時に古峰公宏が古民家の様子を窺っていた事に社長の竹中武史が気が付いたとしたら、古峰さんの殺害を考えた可能性が考えられる。」と思った。


「融資先会社の社長の動向が書かれています。その会社は暴力団が出資して出来た会社です。」と陽一が良美に言った。

「そうですか。その暴力団は鳴川が所属していた組ですか?」

「その通りです。」

「融資を断ったので、公宏さんは撃たれたのでしょうか?」

「いえ、公宏さんが撃たれた日にはまだ融資の結論は出ていなかったそうです。この日記に書かれているこの部分です。」と言って陽一は朽木くつき村の古民家での出来事の部分を良美に見せた。

日記を読んだ後、良美が言った。

「ちょっとお見せしたいものがありますので、お待ちください。」と言って良美が部屋を出て行った。

そして、戻ってきた安在良美は封筒から取り出した2枚の写真を陽一に見せた。

その写真には白いコート来た人物が写っている。

「これは・・・。」と陽一は考えるように写真をじっと見つめた。

そして、良美が付け加えた。

「この写真は、ワインリバーで私が帰りかけた時、朝見様が私に渡して下さった封筒に入っていました。あの時は私もお酒に酔っていましたから、自分の封筒だったかどうかの判断が出来ないまま受け取ってしまったのですが、翌朝、コートのポケットに入っているのを見て中を開けました。その写真の他にこの預金通帳と印鑑が入っていました。」

「古峰公宏さん名義ですね。印鑑も古峰になっていますね。」

「はい。入金日を見てください。公宏さんが死亡した以降に入金されています。」

「なるほど。死人が口座を開いて預金するはずはありませんな。4か月ごとに入金されていますね。400万円。年間で1200万円ですか。4年間の合計で4800万円ですか。大金ですね。」

「はい。コートの人物は祇園で公宏さんを撃った時の人物のようでしたので、どうしたものかと思い、今まで保管していました。」

「通帳の口座は丸角銀行の京都九条支店のものですね。名儀人について何か確かめましたか?」

「いえ。個人情報は開示されないことになっていますので、問い合わせはしていません。」

「そうですか。警察の方で確認してみます。通帳を預かってよろしいですか?」

「はい。どうぞ。」

通帳を上着のポケットに入れた陽一は、日記を更に読み続けた。


京都慕情16;

日曜日の夕刻6時過ぎ  銀座のステーキレストラン「マツヒロ」の個室


ステーキに野菜サラダと黒ビールで食事をしながら二人は話している。


「京都はどうですか、朝見君」と警察庁警備局長の村越栄一が言った。

「まあ、少しづつですが新しい情報を得ています。」

「仕事のことではなく、君の生活状況です。生活が上手くいかないと仕事に悪影響が出ますからね。」

「ご心配無用です。捜査一課の遠藤係長から京都の事をいろいろと教えてもらっています。」

「それは何よりです。」

「ところで、局長にお願いがあるのですが。」

「何かね?」

「京都に有限会社竹中産業と云う暴力団の企業舎弟の孫会社があるのですが、どうも密輸をしているようです。」

「それで?」

「財務省管轄の大阪税関と神戸税関などからこの会社の過去10年間の輸入物品情報を手に入れてほしいのです。」

「何か事件に関係しているのかね?」

「はい。5年前にあった組長狙撃事件に付随した民間人殺人事件です。例の会津山城会が関係しているかどうかは不明ですが、竹中産業とは何か曰くがありそうな臭いがするのです。」

「直感かね?」

「はあ。直感と云うか、第六感と云うか・・。」

「政府機関内では、君のお父上やご祖父も感が鋭かったと云うもっぱらの評判だ。血は争えないね。」

「はあ。私にはよく判りません。」

「判った、有限会社竹中産業だね。企画課総合情報分析室の吉見君に調べさせましょう。」

「7係の吉見さんですね。」

「知ってるのかね。」

「はい。何回かお話を聞いたことがあります。情報収集の仕方、分析の仕方などをレクチャーしていただきました。頭の切れる方でした。」

「そうか、彼は頭が切れたか・・・。」

「はい。ところで質問が一つあるのですが。」

「何かね。」

「何故に、私を京都府警の警備部ではなく刑事部に出向させたのですか?」

「今回の君の京都での使命はオーストリアの事件に指定暴力団の会津山城会が絡んでいるとの噂があることから決めました。そこで、刑事部捜査第4課からの情報が必要と考えました。すでに4課には課長がいますから、組織犯罪対策国際課を創設して君が自由に動けるように配慮したのです。」

「納得しました。」



京都慕情17;

 京都府警本部 刑事部組織犯罪対策国際課室内


応接テーブルを囲んで、遠藤係長と藤田刑事と浅見課長が京都市内の地図を見ながら話している。


「事件現場のキャバレー『舞子山』はここ、花見小路通りに面しています。四条花見小路までは120mくらいです。四条花見小路から四条木屋町にある阪急電車の地下道入口までは300mくらいです。鳴川清次が走って逃げたとしても、歩道の人の混み具合を計算に入れて、100mを30秒くらいでしょう。すると、420mでは126秒、約2分です。信号は無視して渡ったでしょう。地下道入口から改札までは早足で30秒として、『舞子山』から阪急電車の河原町駅東口改札まで2分30秒で改札に着けます。また、山菱組組員の追跡の目をごまかすために逃げ道を東にとって東大路通りに出たとして、花見小路通りと東大路通りの距離が120mくらい。

往復距離で240m。走って1分12秒くらい余分に掛りますから改札まで3分42秒、約4分です。」と朝見陽一が言った。

「『舞子山』の壁に掛かっておった時計が流れ弾に当たって壊れた時刻が午後8時16分32秒。改札の監視カメラに映っていた鳴川が通過した時刻が午後8時19分22秒。2分50秒どす。」と遠藤が言った。

「鳴川は八坂神社前は通っていないと云う可能性が大きくなりますね。」

「古峰公宏を殺した犯人は別人と云う事やな・・。犯人は誰や?」と藤田が言った。

「古峰さんは竹中産業の密輸の実態を調査していたと考えられます。」

「竹中産業の密輸の事実を掴んでいたと云うこっちゃな。それで殺されよったか・・・。」

「そこまでは断言できません。龍昇会が山菱組組長の殺害計画を密談しているところを見られた思って殺害を決行した可能性の方が高いです。」

「どこで密談しとったんですか?」

「滋賀県朽木村の若宮神社近くの古民家です。」

「もしかして、龍昇会組長が雲隠れしとる場所はそことちゃいますか?」と藤田が遠藤に言った。

「調べてみるか・・・。」と遠藤が言った。


「税関の資料から推理して、密輸入している物品は拳銃と思われます。警察庁警備局からの情報ですが、その拳銃を龍昇会が全国の暴力団などに大阪にある企業舎弟を通じて販売している可能性があります。」

「拳銃の密売が龍昇会の資金源でっか。」

「密輸で手に入れたサイレンサー付22口径拳銃で鳴川清次は山菱組組長を狙撃するのを知っていた竹中武文は古峰さん殺しを鳴川の犯行に見せかけたのです。古峰さんは撃たれた時、『あなたは・・』と言って倒れたそうです。マスクをしていた犯人の顔を見知っていたのです。犯人の目、それは融資話で再三会っていた竹中産業社長の竹中武史の目であると感じたのでしょう。」と陽一は自分の推理を話した。

「竹中武史を逮捕するには物証がないですね。別件でもええからで何かないかな。」と遠藤が言った。

「3日後に大阪港に到着するベルギー王国のアントワープ港を出港した貨物船『サン・ファーター』号に竹中産業が輸入する工業製品が積まれています。そして、その翌日の午前10時に大阪税関検査の予約が申請されています。この輸入品を調べると拳銃が出てくる可能性があるとの警察庁警備局からの情報です。大阪税関には警察庁から京都府警として検査立会いの連絡を入れてあります。」

「我々も立会に参加させてもらえまっしゃろか?」

「私を含め、3人で行きましょう。私から警察庁経由で頼んでおきます。」と陽一が言った。



京都慕情16;

 大阪税関のコンテナ貨物検査場


全国の税関は9か所ある。函館、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、門司、長崎、沖縄である。

それぞれの税関は管轄区域として税関本関と税関支署を有している。

大阪税関の管轄区域には大阪税関本関と伏木(富山)、金沢、敦賀、舞鶴、京都、堺、関西空港、和歌山の税関支署8か所である。そして、税関支署は出張所を有している。大阪税関本関には大阪南港出張所と大阪外郵出張所がある。

大阪税関の前身は1867年(慶応3年)に開設された川口運上所である。そいて、1868年(明治元年)大阪港の開港と同時に大阪運上所に改名され、更に明治5年に大阪税関と改称された。大阪南港出張所の設置は1970年(昭和45年)であった。そして、2004年(平成16年)にX線検査などが行える南港コンテナ検査センター開披検査場が竣工した。

1994年のコンテナ貨物検査は貨物の梱包を開く開披検査が主体であった。

一般的に税関検査申請・立合は財務大臣の許可を請けた通関業者が行い、荷主、荷受人を代行する。


検査職員がコンテナから取り出した木枠貨物の木枠を外して大きさが60センチ四方のジュラルミンケースを取り出し、通関業者から預かっているキーで錠を外し、蓋を開いた。


「このケースは上げ底になっていますね。重量は工業製品輸入申請書に記載された通りですがね。」とケースの蓋を開いて中を見た検査官が言った。

「よく判りますね?」と朝見陽一が言った。

「先ほど、ケースの底をプラスチックハンマーで叩いたでしょ。その音で怪しいなと思いました。このケース底に空洞があるような音でした。」

「底を開けられますか?」

「はい。しばらくお待ちください。工具を取ってきます。」

工具を使って内底を外すと、エアキャップでくるんだ拳銃が5丁出てきた。

「ブローニング自動拳銃ですね。ベルギーのFN社の刻印があります。」とエアキャップをはずして陽一が言った。



京都慕情17;

 京都府警本部刑事部捜査第4課の取調室


銃砲刀剣類所持法違反などの容疑で逮捕された竹中武史が取り調べを受けている。

そして、捜査一課の遠藤係長と藤田刑事が同席している。

拳銃密輸入の取り調べがひと通り終わった後、遠藤係長が話し始めた。


家宅捜索ガサイレでお前さんの自宅のクローゼットから出てきた22口径のサイレンサー付拳銃の線条痕は、木屋町で殺された谷村浩一の体内から出てきた銃弾のものと一致した。それに、5年前に祇園であった銀行員の古峰公宏氏を殺したものでもあった。なぜ、二人を殺した?」

「さあ、そんな話は知りませんね。」

「お前の会社は龍昇会の企業舎弟であることは調べがついとるのや。それに、お前の本名は谷田貝為吉や云う事もな。竹中産業が出来でける前は龍昇会に出入りしとったことも、大阪府警から聞いとる。」

「そうかい。そやけど、俺が二人をった証拠は何処にあるねん。殺人に使われた拳銃を持っとっただけやないけ。誰ぞが俺の部屋に置いて行きよっただけや。殺しなんか知らんな。」

「警察をなめんなよ。」

「ははっ。そんな汚いもん、よう舐めんわ。」

「この写真、見てみい。」と云って遠藤が竹中に2枚の写真を見せた。

それには、白いコートを着た竹中がタクシーから降りる場面と、竹中産業に入る場面が映っていた。夜であるが、タクシーのヘッドライトや道路を通行の車のライトで竹中の姿がはっきりと見てとれた。

「この日付と時刻は、5年前の祇園での事件の日付と、事件から約20分後の時刻や。ここに写っとるタクシー会社で記録を調べたら祇園の四条花見小路から九条大宮まで乗せたことになっとった。」

「・・・・・・。」竹中は黙っている。

「この写真はな、谷村の住んどるマンションの部屋には無かったんや。お前、谷村の部屋へ入って家探ししたやろ。木屋町で谷村を殺して部屋のカギをポケットから奪い、その足で谷村のマンションに行った。マンションの監視カメラにお前の姿が映っとた。残念やったな、この写真とネガは何処にあったと思う?」

「知るかい。」とやけになって竹中が叫んだ。

「古峰公宏氏のフィアンセが持っとたんや。お前が谷村を殺したあの夜に、谷村がワインリバーで飲んでいた女性のコートに入れとったんや。」

「谷村から強請ゆすられとったんや。」

「いつからや?」

「5年前からや。祇園の事件の一週間後くらいやった。会津山城会を名乗って会社に来よった。」

「何ですぐに殺さんかったんや?」

「山城会の組長も知っとると言いよったから、谷村だけを殺してもあかんと思っとった。それが、最近になって山城会の組長は何も知らん事が判ったんや。それで、奴を殺すことにしたんや。月100万。5年間で6000万も取りやがって、谷村は絶対に許せんかったんや。」




京都慕情18; エピローグ

 京都市右京区御室にある市営の住吉山霊園墓地


住吉山霊園墓地は仁和寺前からきぬかけの路に沿って龍安寺りょうあんじ方向に700メートルくらい歩いて左折した住吉山の麓にある墓地である。この周辺には平安時代以後から天皇の別邸が作られた地域である。第59代の宇多天皇大内山稜をはじめ、第62代村上天皇稜、第97代後村上天皇稜等がある。それに付随して天皇を警護した大伴一族や薩摩隼人たちの墓が住吉山周辺に昔から出来ていた。それを京都市が整備し直して霊園としたのである。


鹿児島県出身の古峰公宏は学生時代に龍安寺りょうあんじ近くに下宿していたこともあり、両親が公宏の遺骨を住吉山に葬ったのであった。

安在良美とその子である安在彰宏4歳が、供花と線香の煙が香る古峰公宏の墓石に向かって手を合わせている。


「公宏さん、彰宏も4歳になりました。あなたの面影が顔に現れています。性格も似てきたみたい・・・。先日、あなたを殺した竹中武史が逮捕されました。あなたの親友であった谷村さんのお陰です。でも、谷村さんも竹中に殺されました。京都府警察本部の浅見課長様のご尽力で谷村さんが公宏さん名義で残してくださった4800万円が公宏さんの遺産となりましたが、ご両親が相続放棄をされ、彰宏が相続しました。公宏さんの日記には、八坂神社での挙式の後に京都Tホテルで行う予定だった私たちの披露宴に谷村さんをお招き出来ない理由が大変残念そうに書いてありましたね。お気の毒な身の上だったというか、先祖からの因縁を引き受けられた谷村さんの心情がなんとなく伝わってくる日記の文面でした。この後、あなたとの思い出の地である嵐山に彰宏を連れて行きます。あなたと休憩したお茶屋で甘いものを二人で食べます。」


京都慕情19;エンディング

 桂川に架かっている渡月橋南端の嵐山公園中之島広場にあるお茶屋


安在良美と彰宏は住吉山霊園墓地から嵐電と呼ばれる京福電鉄北野線の御室駅(現在は御室仁和寺駅)まで歩いた。

北野白梅町発の列車に乗車し、帷子かたびらの辻駅で嵐山本線に乗り換え、嵐山駅に着いた。

嵐山駅からすぐ近くに在る桂川に架かる渡月橋を渡ると嵐山公園中之島広場である。

御茶屋に入った二人は莓パフェを頼んだ。

テーブルを挟んで座っている彰宏の顔が安在良美には古峰公宏に見えていた。

そして、公園広場から渚ゆう子が歌う『京都慕情』が聞こえていた。


♪ あの人の姿なつかしい ♪

♪ 黄昏の河原町 ♪

♪ ・・・・・・・・・・・♪

♪ あの人の言葉思い出す ♪

♪ 夕焼けの高瀬川 ♪

♪・・・・・・・・・・・・♪

♪・・・・・・・・・・・・♪

♪ 遠い日の愛の残り火が ♪

♪ 燃えてる嵐山 ♪

♪ ・・・・・・・・・・・♪

♪ ・・・・・・・・・・・♪

♪ ・・・・・・・・・・・♪



      第1話  京都慕情   完

          軽井沢 康夫

    2019年 7月13日 午後5時15分 脱稿



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ