彼方ルート10
俺は受話器を下ろす。
此方先輩に電話を借りて家に連絡したのだがーー
「めっちゃ怒られた……」
電話に出たのは麻衣だった。
事前に泊まりのバイトとは伝えていたがーー
『一ヶ月も泊まるって何考えてるの!?』
そっからは小言の嵐。
俺は受話器を握りながら何度も頭を下げていた。
周りから見たら滑稽な姿だっただろう。
「とりあえず課題は送ってくれるように頼んだし、あとは」
俺は再び受話器に手を伸ばす。
スマホで番号を調べる。
それを見ながらダイヤルを回す。
今どき黒電話って。
『……はい。神崎です』
不安そうな声。
声が聞けただけで思わず微笑んでしまう。
「さくらちゃん。私、立花」
『え、りっちゃん?』
電話の向こうでさくらちゃんが驚いてる。
「ごめんね。知らない番号で怖かったでしょ」
『もう! 本当だよ! びっくりしたんだからね?』
俺だと分かったから声が明るくなる。
『でもどうしたの? バイトなんだよね?』
「それが場所が田舎でスマホ通じないんだ。だから電話借りてる。黒電話なんて初めて使ったよ」
『あ、おばあちゃん家で見たことある!』
そんなことで互いに笑う。
「温泉に行くんだよね。もう着いた?」
『今は車の中。あと一時間くらいかな。お父さんが運転してくれてる』
「良かったね。家族で温泉なんて羨ましいな〜」
あー。
俺も早く風呂に入りたい。
『えへへ。一週間入り放題です!』
でも、と声が小さくなる。
『りっちゃんに会いたい。寂しくなっちゃった』
「ごめんね。電話しないほうが良かった?」
『ううん。嬉しい。声聞けて良かった』
「ふふっ。私も」
ああ、会いたいな。
ちくしょう。
昨日、学校で会っただろうに。
こんなに恋しいなんて。
変わったな、俺も。
『ねえ』
「ん? うん」
『夏休み会える? 帰ったら会いたい」
「え? あー」
どうしよう。
俺、一ヶ月ここに居るんやけど。
『りっちゃん?』
「あー、えっとね。ここのバイトの期間長いんだよ」
『そうなの? 泊まり込みだと二週間ぐらい?』
「それが一ヶ月も居なくちゃいけないんだよ。本当に参ったわ。あはは」
笑ってごまかそうとしたのだがーー
『帰る』
さくらちゃんの冷えた声。
『りっちゃん今どこ? 迎えに行くよ』
「いやいやいや。何言ってるの。旅行中でしょ?」
『だってバイト先女性ばかりなんでしょ? そこに一ヶ月もなんて無理』
やべえ。
さくらちゃんのヤンデレが発動してしまった。
このままでは水入らずの旅行が俺のせいで台無しになってしまう。
「私は大丈夫だからさ。せっかくの家族旅行なんでしょ? 楽しんできてほしいな」
『私がヤダ』
ダメだ。
話を聞いてくれない。
仕方ない。
使いたくはなかったが。
「……そうか。ごめんね。私のこと信用出来ないよね」
『りっちゃん?』
俺の声音が変わったからだろう。
さくらちゃんから困惑の声。
「うん。バイト辞めさせてもらうね。恋人に信用されない人なんてそもそも雇ってもらえないだろうし」
『ずるい』
電話からは拗ねた声。
『りっちゃんのことは信用してるもん。周りの人がりっちゃんにちょっかいを出さないか心配なだけだもん』
「じゃあさくらちゃんを好きな私のことを信じて待っててくれる?」
『……分かった。気をつけてね』
「ありがとう。大好きだよ」
『ふふっ。私も』
何とか無事に通話を終える。
「ふう。危なかった〜」
「ずいぶん長い電話だったわね」
「うおッ!?」
背後からの声に俺は跳び退いた。




