お姉さん傘の思い出
あらすじまま) 子供の頃に使っていた幼児言葉やおかしな丁寧語なんていうものは、大人になってからもふとした瞬間に飛び出してきてしまうものだ。特に、子供の間に誤用を矯正されなかった言葉は、大人になって違和感を覚えても「そういうもの」と流してしまって矯正されぬままになることが多くある。
これはそんな言葉のやりとりで思い出した、子供の頃の話。
「佐藤さんの傘、濡れにくそうで良いですね。」
しっとりと雨が降る夜、一緒に会社を出た後輩はコンパクトが売りの折り畳み傘になんとか肩まで納めて歩きながら、俺の傘を見上げ言った。
俺の傘は紳士用傘の中でも大きな部類で、その上骨の湾曲が強いため深くさすことができるから肩を竦めずとも濡れる心配はない。
「あぁ、お姉さん傘の中でもデカい方かもな。」
「お姉さん傘?お父さん傘じゃなくてですか?」
傘をちらりと見上げて返すと、後輩は素っ頓狂な声でそう言った。その場では「それもそうだな」なんて笑って、この話題は流れた。
言われてみれば、俺の傘は『お姉さん傘』というより『お父さん傘』や『お兄さん傘』という方がイメージに合う。差し渡しの広い暗色の傘は、女性より男性の方が差しているだろう。
ではなぜ俺は、このような傘を一纏めに『お姉さん傘』と呼んでいたのか。それも自身の中では疑問に思うこともないくらいに心底、そう思っていたのか。
駅で、反対路線に乗る後輩と別れてからもそれを考え続けていた。我ながら暇なことだと思うが、一度気になってしまうとどうにも落ち着かない。
自宅の最寄駅で降りたのが午後7時のことで、街灯やネオンは燦然と輝き、空は暗い。駅前の大きな交差点で信号待ちに立ち止まると、俺の少し前には子供が立っていた。学童か、それにしては時間が遅いから塾帰りかなのだろう。黄色い帽子を被ってランドセルを背負った中学年くらいの男の子は、まだまだ小さなその体を雨から守るには十分ながらも大人からすれば小さく見えるビニール傘を差している。
信号が青に変わる。
見るともなしにその小さな背中を眺めて、信号を渡る。信号を渡りきった辺りでその子を追い越して、俺は晴れやかな気持ちで家路に着いた。
なぜ大きな傘を『お姉さん傘』と呼んでいたのか、その理由をすっかりと思い出していた。
+ + +
俺と『お姉さん』の出会いは、俺が小学三年生の梅雨のことだった。
当時うちは共働きで、俺は授業が終わったら学童で過ごし、学童が終わる五時過ぎに下校していた。初夏も過ぎた季節だから、俺の地元ではこの時間もまだまだ明るかったように記憶している。
雨の日は傘を持たせてもらえるし、鮮やかな水色の長靴が履ける。なにより、びちゃびちゃに濡れて遊んでもあまり怒られない。俺は雨が好きな子供だった。
校門を出て右へまっすぐ進むと大きな交差点がある。そこをまっすぐ渡って左に渡るか、左に渡ってまっすぐ渡る。スクランブル交差点なんてものはなかったから、いつも信号を二回待たなくてはいけなかった。
その日は、左へ渡る信号が先に青になった。
ここの信号は長いから、渡った先で信号を待っているうちに後ろから近づいてきた足音は余裕を持って隣に立ち止まった。
その時、横に立っていたのがお姉さんだ。
その日、お姉さんがどんな服を着ていたのかは覚えていないけれど、紺色の大きくて立派な傘を差していたことはよく覚えている。
俺はお姉さんの傘をかっこいいと思ったけれど、あまり興味がなかったからチラリと見ただけで視線を信号へ戻していた。
渡ってきた方の信号が点滅して赤に変わり、進行方向の信号が青へ変わる。
俺は体を前へ少し傾けて足を一歩踏み出しかけたところで、歩く準備ばっちりだった全身に待ったをかけて歩道へ戻った。
古今東西、小さな子供は誰しも言い聞かせられる『信号を渡る時のお約束』を忘れていたからだ。
歩道ギリギリで素早く左右確認、傘を左手に持ち替えて右手をピンと上げて堂々と横断歩道を渡る。
横断歩道の渡り始めたすぐのところで歩調を緩め、不思議そうに俺を見ていたお姉さんは声を出さずに笑っていた。
「えらい」
さっきチラリと見たときは仏頂面というか無表情だったお姉さんが笑顔のまま褒めてくれて、とても誇らしかったのを覚えている。
その後の俺は超ご機嫌で調子に乗った。子供らしい万能感と警戒心の無さをガソリンに、お姉さんに様々な話をした。
内容は覚えていないけれど、小学三年生が話すことだ。学校のことや家のこと、その日あった些細な出来事、お気に入りのアニメ、そんな話をしたんだと思う。
お姉さんはにこにこと俺の話を聞いて、たまに楽しそう相槌を打ってくれていた。
交差点を渡って道なりにまっすぐ進み、横に伸びる路地の四本目で左に曲がる。俺の家はこの路地の先にある閑静な住宅街の一軒だった。
俺が曲がってもお姉さんは曲がらなくて、残念な思いでお姉さんを見た。
「ぼうや、気をつけてお帰りよ」
「うん!お姉ちゃんもね」
お姉さんはひらりと左の掌を振って、そう言った。おばあちゃんみたいだなと思ったけれど、俺も笑って手を振った。
+ + +
それから、雨が降った日はたまにお姉さんに会えた。
多分、お姉さんと俺は帰る時間が近かったのだろう。けれど俺はあの立派な傘がないとお姉さんを見つけられなかったし、お姉さんもまた俺が話しかけないと俺に気づけなかったんだろう。だから俺は雨の日にしか、お姉さんを探せなかった。
夏が過ぎて秋になり、紅葉が足元を彩って冬を迎え、雨ではなく雪の日もお姉さんは立派な傘を差していた。そして立派な傘を差したお姉さんは、会う度いつも俺の話を楽しそうに聴いてくれた。
+ + +
冬は溶けて春が立ち、気温はまだあまり上がっていないけれど、もう少しで桜が咲くそんな季節のことだった。
その日は昼過ぎに降り出した雨が、轟々と降っていた。花散らしだとか春雨なんて呼べるほどの可愛らしい降り方ではなく、まさしく豪雨であった。
俺はそんな日に限って傘を玄関に忘れてきていて、そしてそんな日だから学校の置き傘もみんな貸し出されていた。
土砂降りの中を走る。運動靴も服も校庭を校門まで突っ切る間にびしょびしょに濡れてしまったから、もう走らなくても変わらない気はしたけれどそれでも足は緩めなかった。
交差点の青だった方を走り抜ける。左に渡りきったところで信号は点滅をはじめて、これは運がいいと俺は少し気分が上向きになった。
喧しいくらいに豪快な音を立てる雨だれの中、信号を待つ。後ろから傘が雨を弾く音が近づいてきて、その音が真上から聞こえるようになった時、急に体を打つ雨が止んだ。
「傘、忘れちゃったの?」
見上げると、紺色の、骨が沢山あって大きな傘に入っていた。傘を持ったお姉さんは心配そうな顔をして、俺を見ていた。
信号が青に変わる。
お姉さんは俺を見ていて、俺が歩き出すとお姉さんも歩き出した。俺は秋頃から信号で手を上げなくなっていた。同級生に「ガキっぽい」と言われたのが悔しかったからだ。もう何度も見ているからか、お姉さんは何も言わなかった。
「ぼうや、少し待っていてね。」
信号を渡りきると、お姉さんは俺の手を引いて民家の軒に入り、鞄からタオルを取り出した。
顔や手や半ズボンから出ている足を優しく拭いて、くるくると濡れてない面が上に来るようにタオルを巻くと、俺の首に巻いてくれた。ただのタオルなのに、巻いただけで随分と温かく感じてびっくりした。
お姉さんはそのままそこで鞄から細長いメモ帳を取り出し、何事か書き付けると俺に後ろを向かせてランドセルに放り込んだ。
「よし、行こうか」
お姉さんはランドセルを閉じてぽんと軽く叩くと、俺の手を取って立ち上がった。雨ですっかり冷えてしまった俺の手を包むお姉さんの手は柔らかくて温かくて、お姉さんが初めて手を握ってくれたことも相俟って俺は凄く気分が良かった。
お姉さんはいつも通り、俺の話を笑顔で聞いてくれた。傘の差し渡し分離れて歩いていたいつもよりずっと近い距離だからか、俺はいつもよりもっと楽しかった。
いつもお姉さんと別れる曲がり角について、俺は困惑してしまった。
ここでお別れしたら俺はまた濡れてしまう。それは嫌だ。春と呼ばれる季節になったとはいえ、今日はまだ冷える。けれど優しいお姉さんから、この寒いのに傘を取るなんて出来やしない。
懊悩する俺の頭に掌を乗せて、お姉さんは笑った。
「ぼうや、この傘を差してお帰りなさい。私はもうすぐここから越してしまうから、傘を返してもらうことは出来ない。だからぼうやにあげる。傘のこと、タオルのこと、キチンとお母さんに話してね。背中に入れた手紙も一緒に見せるんだよ。」
お姉さんはそう言うと、俺に傘の持ち手を渡して立ち上がる。傘の持ち手は木製で、ずっしりと重くてお姉さんの手のように温かかった。
「気をつけてお帰り」
それだけ言うと、お姉さんはお腹に鞄を抱き込んで背を丸めて走り出した。
なんとか背中に「ありがとー!」と叫んだけれど、雨がひどくてお姉さんの姿はもうよく見えなかった。
+ + +
俺は家に帰ってすぐに体を拭いて服を着替えた。
そして帰ってきたお母さんに傘と手紙を見せながら、素敵なお姉さんの話をした。お母さんは一頻り聞いた後、俺を風呂へ放り込んだ。
その日から我が家では、お姉さんがくれた紺色の大きくて立派な傘を『お姉さん傘』と呼ぶようになった。そしてそれが癖付いて、いつしか暗色の大きな傘をみんな『お姉さん傘』と呼ぶようになっていた。
まだまだ不審者だとかいかのおすしだとか、そんなものが声高に叫ばれていなかった時代の、とある田舎であったこと。
いかのおすし:犯罪標語。「いかない、のらない、おおきなこえをだす、すぐにげる、しらせる」の略。