黄龍降臨
停電はいまだ復旧しておらず、真っ暗の空に瞬く青龍達は旧千本通りを上がった北の空に移動して戦っていた。
俺達も青龍達の光を頼りに北へと向かった。
大分体の痛みに慣れてきた俺は、走る事は出来なかったがなるべく早い速度で歩いて向かう。
通りにいた物の怪達の姿は見当たらず、さっきの星宿達がこの辺りの物の怪を退治してくれたのだろうか、雨の勢いも弱まり小雨に変わってきて、道路の水かさも幾分収まっていた。
魑魅魍魎の類いに会う事もなく八条通りまで来る事が出来たが、そこから先は京都路線で道は寸断されて北側へは大分大回りをしないといけなかった。
青龍達は京都路線内上空にいて、俺達はそれ以上進む事が出来ない。
「あそこにいるよ」
笛を咥えながら一樹が言ってきたが、俺達の前には高架と柵で立ち往生していてどうしたものかと考え込んだ。
「向こう側に行くにはかなりの遠回りになる、仕方ない……ここを乗り越えよう」
少し西に行けば線路内に入れそうな柵があり、周囲を確かめてから柵を越えて線路内に入っていく。
電車も停電の影響で止まっているらしく静かで、青龍達の戦いが終わるまでは町の復興は始まらないだろうと踏んだ俺は、この際、非常事態という口実を脳裏に浮かべて柵を乗り越えていく。
線路をまたいで向かい側の梅小路蒸気機関車館へと入っていった。
SL機関車が保管してある車庫の上空で、青龍達は朱雀を止めるべく奮闘していた。
青、赤、緑、白の四色の光が光線を描いて、何度もぶつかっては弾けるのを繰り返していた。
「……あれは!」
真上を見上げる所まで来た時、視界に飛び込んできた青龍の姿に俺は驚いた。
青く長い尾をなびかせた龍の姿で、特徴ある鱗の身体に髭を生やした龍の顔、長い体は思い浮かべていた青龍そのものだった。
「あれが青龍の本当の姿ですか」
「すげぇ」
彩夏と一樹が感嘆の声を上げる、俺も息を飲んでその姿に目を奪われていた。
青龍は長い体で朱雀を縛り上げようとするが、速さでは朱雀に分があり、難なくすり抜けては羽根を飛ばして青龍の体に突き立てていた。
玄武は朱雀の動きについていけずうろうろとしながら、時折隙を見ては尻尾の蛇を伸ばして攻撃を加えていたが、中々当てる事が出来なかった。
「すざぁぁく!」
突然、何処からか朱雀の呼ぶ声が聞こえてきた、すると上空にいた朱雀の姿が消え光の玉が車庫の建屋の近くにいた男の身体に吸い込まれてしまう。
男は直ぐにその場を離れて走り去っていく。
「誰だ今のは!」
男がいた場所に向かう。
建屋の裏に回り込むと男の後ろ姿が見えた。
「彩夏さん、一樹君あの男を追って! 俺も後で行く」
「うん」
「はい」
胸の痛みで走れなかったので二人に頼んだ。
「青龍」
上空から青龍が降りてきた。
間近で見るともの凄く大きく、顔だけでも俺の体の長さほどはあった。
「お前も俺の中に戻って休め、二人にさっきの男を追って貰ってる」
(かなり疲れていたのじゃ、人の姿を保つほど余裕もなかったのでな)
「朱雀にも身体を借りている人間がいたんだな」
(何じゃお主怪我しとるではないかえ)
「ああ、ちと無理な相手と戦ってしまって胸と脇腹をやられた、玄武様が助けてくれたから死なずに済んだけどな」
(仕方ないのう妾が治してやろう、あの男をさっさと捕まえるのじゃ)
じんわりと痛かった体が熱くなると同時に痛みが和らいでくるのがわかる。
玄武も白虎も彩夏と一樹の身体に戻っていく。
(人に入られては妾達では人に危害を加えられぬしのぅ、お主に暫く任せる)
「ああ、それと四神二十八士ってのが来たぞ、町に入り込んだ物の怪を退治してくれるそうだ、名前は何だったかな……」
(奴らも来たか、あやつらなら任せて置いて問題なかろう、それより朱雀じゃ、あ奴にあれ程の力があったとは知らなんだわ)
「やっぱり巨椋池が無くなった事が朱雀を狂わせていたみたいだな、それに朱雀大路も今じゃ千本通りに変わってるから、朱雀にとっては自分の名が消えていくのを知れば知るほど動揺が大きいんだろう」
彩夏達の後を追いながら青龍に答えていると、青龍達の戦いが止まったせいか、町に明かりが戻って来たみたいで周囲の家々やビルに電気が点き始めた。
梅小路の常夜灯にも明かりが灯り始め、暗かった地面が陽が差したように照らされ眩しく見える。
その常夜灯の下で、彩夏達が逃げようとする男の腕にしがみついて逃がさないようにしているのが見えた。
「捕まえたみたいだ」
何ともあっけなく男を捕まえる事が出来たのは、近くに行って分かった。
男はかなりの年配で俺達から見ればお爺さんだ。
「お爺さん、何で朱雀と一緒にいるんだ」
俺は息を切らしながらお爺さんに聞いてみた。
「煩い……放さんか」
「駄目です、理由を教えて下さい」
彩夏の力でも何とか捕まえられるほど、お爺さんの振り解く力は弱いみたいだ。
一樹も必死にお爺さんの腕に掴まっている。
「お爺さん、話を……話をさせて下さい、貴方は京都が壊れていくのを見て楽しいんですか? 朱雀を市内に連れてきたのはお爺さんですよね」
「京都はもう壊れとるわ、何もかも……今の京都が京都だと言うのか、お前達には本当の京都が分かっとらん」
お爺さんは怒りで凄い形相をしながら怒鳴ってくる。
歳老いた顔の皺が深く影を作り、まるで物の怪のような強面になっている。
「お爺さんの言う京都って言うのは昔の姿の事ですか、それなら俺達だって青龍に会ってから色々と調べましたよ、昔に何があり何が無くなっていったか、でもそれは人が生活をしていくのに必要だったからだと思いますよ、俺でも小さい頃の京都の姿と今とでは随分と変わったと寂しくなる事だってあります、そこの一樹君だって今の京都が懐かしい姿に映っていくでしょう、でもそれが時代というのではないですか、時間が流れれば自ずと変わっていくのは仕様が無い事だと思います、それなのに朱雀をけしかけて京都を壊そうなんて許せませんよ」
「餓鬼が生意気を言うな、儂はな朱雀に会ってもう十年じゃ、ずっとずっと朱雀は悩んでおった、大池が無くなってしもうた、これからどうすればいいのかとな、儂と朱雀はずっと語っておったのだ、巨椋池の在りし日の事を……儂が子供の頃よく遊んだ巨椋池を埋め立ておった者共は今でも憎いわ、儂の思い出……儂の思い出を消し去りおった者共に復讐するんじゃ、ええい放せ」
お爺さんは涙を流しながら俺達を睨んでいた。
「行け朱雀、お主の名の物はもう無い、お主の守るべき場所がどのように壊されたのか見てくるがいい」
(ケェェェ……)
お爺さんの言葉で体から抜け出た朱雀は、上空へと飛び立ち甲高い声が梅小路に鳴り響いた。
「まって……」
「うわぁ」
「きゃあ」
飛び出した朱雀に驚いた彩夏と一樹が手を放した。
「……どうして」
(ちっ)
僅かな休息しかしていない青龍、玄武、白虎も身体から飛び出して朱雀を追って抜け出ていく。
「京都に住んでいる人達は関係無いだろう、巨椋池が無くなった原因も生活排水が入ってきて水質悪化でマラリアが発生したから埋め立てたんだ、其処に住んでいたのなら貴方だってその原因の一因なんですよ」
「やかましい、餓鬼に何が分かる、あの広い豊かな池は儂らの生活の一部じゃったんだ、儂らを余所へ追いやり惨めな生活をさせた国が許せん」
「酷いわ、朱雀はあの辺りの守り神なのにそれをけしかけて暴れさせるなんて」
彩夏が言う。
「そうですよ、今となっては巨椋池は戻らない、けど代わりに農業生産が上がって交通も便利になり生活も豊かになったんだ、時代の移り変わりは発展の移り変わりでもあるんです、いつまでも昔のままって訳にはいかないんですよ」
俺にだって思い出の場所がなくなっていくのは寂しく感じるが、だからといって固執して何かを恨むような事はしない。
「儂は朱雀をけしかけとらん、ありのままの事実を教えただけじゃ、朱雀が真かどうか、この目で見たいと言っとったから連れてきただけだ」
と、お爺さんが反論するが俺は納得しなかった。
「朱雀がおかしくなったのは貴方が吹き込んだ所為だろ」
「朱雀は出会った時からおかしかったわ、まだ話を聞くだけの知性はあったが、いつもいつも巨椋池のあった上を飛び回って大池を探しておった、儂が教えたのは市内にあった朱雀大路も朱雀門ももう無いと言っただけじゃ、それからは京都に入ってくる物の怪を始末もせず狂ったように飛び回っておった」
「俺は貴方を許せない、四神達がどのような想いで京都を守っていたのか分かっていないんだ、長い時の中、京都を見つめ厄災から人知れず守ってきたんですよ、助けようとするならともかく、相手の悩みを利用して自分の恨みを晴らさせようだなんて……」
「儂は生きてる間に何としても大池を無くした奴らに一矢報いねば、死んでも死にきれんわ」
爺さんは頑なに意志を曲げようとしないの対し、
「……そんな、その当時の人なんて殆ど居ないのに……生きてたとしても百歳を越える人達ですよ、そんな人達に復讐をしても何も変わらないじゃないですか、京都に住んでる人達には今が思い出の場所なんですよ、それを壊したらお爺さんがされた事を皆にするのと変わらないですよ」
彩夏はそんな理由で京都に住む人を苦しめるなんてと憤りを見せた。
「貴方を人の法で裁けないのが残念だ、けど俺達は貴方の罪は知っています、青龍達に判断して貰うまで俺達と行動を共にして貰いますよ」
「…………」
雨が止んで町では外の様子を見るために、人々がぞろぞろと道へ出て来ていた。
空は相変わらずのどんより雲であったが、町は電気の復旧と共に京都の全貌が見えてきた。
あちこちで消防車とパトカーのサイレンが聞こえて、ここからでも幾筋の煙が確認出来た。
「これは貴方が起こした事ですよ」
雲の合間から時折鳴る雷の音は青龍達の戦っている音だった。
青龍達が朱雀の暴走を止めてくれるのを信じて見守っていると、甲高い声が俺達に向かってやってくる。
(ケェェェ)
朱雀が大声と共に地面に落ちてきた。
羽根はぼろぼろになり身体にもいくつか大きな爪痕が見える、朱雀は巨体を起こして羽ばたこうと翼をばたつかせるが上手く飛ぶ事が出来ないようだ。
(妾の大池返さぬか返さぬか、妾が任された大池じゃぞ、戻さぬか戻さぬか妾の美しい大池を……)
そこに青龍達が降りてくる、皆身体に幾つもの傷を負っていたが致命傷となる物は無いようだが息は荒く大きく切らしていた。
(やっと大人しくなったかえ朱雀よ)
青龍が言った。
(全く面倒を起こしよって)
と白虎は体に付いた羽根を落としながら言葉を吐き捨てた。
(ふうむ、老体にはきついのぅ)
固い甲羅で守られていながらも、腕や蛇の尾を傷つけられた玄武は大きく溜息を吐いて、やれやれといった風に言った。
(邪魔をするでない妾は大池を任された朱雀じゃ、大池は何処じゃ何処へやった妾は朱雀じゃぞ、なぜ妾の名の路が無いのじゃ、どうして妾の名を奪う……何故奪うのじゃぁぁ)
ふと上空を見るといつの間にか星宿達が来ていた。
物の怪達の排除が終わったみたいで、続々と各地からここに集まっていた。
「青龍あれを」
俺が青龍に声をかけると星宿に気付いたようだ。
(お前達、物の怪共の退治はどうなったのじゃ)
青龍が声を掛けると、上空から降りてきた星宿の一人が跪いた。
(ともぼしか)
巫女姿の女性がふわりと地に膝をついて頭を垂れた。
(はい、物の怪共の力のある物は粗方片付けました、残っているのは魑魅魍魎ぐらいで放っておいても支障はないかと……)
(そうかご苦労であった)
(それと間もなく黄龍様がここに来られるかと存じます)
(なんと、黄龍様が……)
青龍が驚いた。
「あ、そうだ言うのを忘れてた」
(響……知っておったのか、この馬鹿者! 何故早く言わぬ)
「忘れていたんだ」
青龍は怒っていたが、それどころでは無い様子であった。
(何故わざわざ黄龍様までもが出向いて来られるか……)
(黄龍様も京の異変にお気づきになられておりました、結界を解き私ども星宿をお呼びになりまして、異変の原因を探るよう命を受けまして京の現状をお伝え致しました所、黄龍様がお出になると……私共には物の怪の退治をして来るようにと)
ともぼしという女性が恭しく答えた。
(ううむ……)
青龍が何ともいえない表情で考え込んでいると、上空から声がかかる。
(黄龍様のご来着)
一斉に星宿達が降りてきて、全員人の姿に変わると規則正しく青龍達の後ろに並んで跪くと、青龍達も振り向き頭を垂れる。
北の方角から巨大な金色のたてがみを揺らしながらやってきた黄金の龍は、俺達の上空で止まると一同を見下ろした。
青龍を大きくしたような体躯は、見る者に圧迫感を与えるほどに威風堂々としており、何事も見逃さない大きな目で四神達を見つめていた。
黄龍の姿は青龍とは違う所があった。
強面の龍の顔に長い髭、口は馬みたいに幅広で、頭頂部には太く長い角が一本伸びていた。
他にもがっちりとした四本の蹄があり、体には光り輝く鱗、胴は龍のように長くは無い、尾には牛のような毛の無い尻尾が伸び、先端にだけふさふさの毛が生えている。
そして何より目をつくのは体中に纏ったような金色の炎が黄龍の全身を金色に輝かせていた。
「黄龍……麒麟か」
青龍達が皆、頭を垂れている中で俺達だけは黄龍を見上げていた。
黄龍は青龍達を見下ろしたまま怒ってるように睨んでいたのだが、その目は怒りとも優しさとも付かぬ眼差しで、一人一人を見つめていく。
あの朱雀は黄龍を見つめたまま石化したかのように動かず、滂沱の涙を流していた。
青龍達は黄龍が口を開くまでじっと下を向き続けていると、ようやく黄龍から重く低い声が漏れてきた。
(皆の者、面を上げよ)
すると一斉に皆が黄龍を見上げた。
(此度の顛末、星宿より聞き及んでおる、朱雀答えよ、何故京を荒らした)
何者も嘘はつかせぬぞという重圧が言葉に孕んでいて、朱雀の顔に焦燥仕切った表情が伺えた。
(あ……ああっ……こ、黄龍様)
朱雀は言葉に詰まって上手く言葉が出なかった、その目は視点の定まらぬ狂った目ではなく、重圧と恐怖を宿した目になっていた。
(何故京の町を荒らしたと問うておる、答えよ)
もう一度ずっしりとくる言葉が投げかけられた。
(おお……大池が……大池が妾の守るべき大池がありませぬ、守護を任された大池はどこにも……ありませぬ)
朱雀は頭を力なく地面に落として泣いていた。
(大池はお主の拠り所、その大池が無くなった事は我も知っておる、無くなった事には同情はするが、お主の守護の第一は京を守る事、それを忘れ京に物の怪を招き入れるとは何事じゃ)
(ああっ、し……しかし大池は妾の……)
(大内裏が無くなって既に八百年、我もまた守護する場所はない、じゃが其れは些細な事、我らの守護は京を厄災から守る事こそが使命、守るべき地が無くなろうと人から忘れられるまで我らは京を守らねばならぬ、それこそが我らの唯一の使命たるぞ)
(……妾は、大池の人々を……守れず、人の笑顔を失くしてしまい……)
朱雀が力なく答える。
(黙らぬか)
黄龍の角からバシッと雷が朱雀に落とされた。
(あ……ああっ……)
のけぞった朱雀が地に伏して動かなくなる、それに気をとめる事なく黄龍は話を続けていく。
(して青龍、此度の一件、お主もまた守護する地を離れていた事、弁明はあるか)
黄龍は次は青龍に目を向けた。
(申し……訳ありませぬ、何も弁明はありませぬ)
青龍は恐れる余り身を震わせ頭を下げ続けた。
(白虎、玄武お主達も心得て聞くが良い、我らが京を守るは天命、全うしてこそ存在を許されるものぞ、心して守護せよ)
(ははっー)
二人が頭を垂れる。
それを確認してから麒麟の目が俺達に向いた。
(人の子らよ、我らの問題に巻き込んでしもうて済まぬ事をした、我らの為に社を建ててくれた事には感謝しておる、町は変われど京が此処にある以上、我らもまたこの地を守るが使命、人の子よ京を大事にして給え)
俺達に向けられた言葉は優しく穏やかだった。
「俺達人間も昔から大事にされてきた物に対して敬意が足りなかったと思います、人間も又、反省すべき事です、それに原因はこのお爺さんが朱雀に余計な事を吹き込んだ所為でこんな事になってしまったんです、今回の事は人で罰する事が出来ないので黄龍様にこの爺さんの処遇をお願いしたいです」
俺は後の事は黄龍や四神達に託そうと思っていた。
黄龍は黙って俺やお爺さんを見ていたが、
(そこの老人も京に住む者じゃろう、京に住む者を守るのが我らの役目、その者がいかに罪があろうと我らは罰せぬ、それをすれば京を変えてきた者達にも罰を与えねばならぬからな、今も昔も京は我らにとっては大事な場所じゃ、我らから伝えるのは京を大事にして貰うと言う事だけじゃ)
「それだけ……ですか」
(それ以上に何を望む、時は流れ人も町も変わろうと我らの使命に揺るぎがあってはならぬ)
「ぐっ……くく、ううっ……ううう」
お爺さんが膝をついて泣きじゃくった。
(青龍お主には後ほど処遇を言い渡す故、八坂で待つように……朱雀にも追って処罰を与える故、城南の地で待つように、宿星達は京に入った物の怪を鎮めた後は各自各々の地へ戻るよう)
(……はっ)
一斉に青龍達全員が頭を垂れた。
黄龍はそれだけを言うと身を翻し元来た北の方角に戻っていく、その姿が見えなくなるまで青龍達は身じろぎ一つしないでじっと佇んでいた。