京都氾濫
京都駅に戻った俺は中央口からタクシーに乗り込んだ。
既に空は夜のように薄暗く、今にも雨が降ってもおかしくないぐらい湿り気を帯びて強い風が少し開けていたタクシーの窓を鳴らす。
松尾大社まで行く間、二人に何があったのか考えを巡らせてみる。
朱雀が京都を壊そうとしている、この一言で何か朱雀にとって許し難い問題が起こり、それを止めようとした青龍だったが簡単にはいかなかったようだ。
何故、暴走しているのかという事だ。
それは青龍でも止める事の出来ない程の怒りが朱雀にはあるのか、やはりそれは青龍と話していた巨椋池の消失に関係があるのだろうか、守るべき場所を失った事による存在意義の欠落が朱雀を狂わせているのだろうか……。
あの大量の物の怪達が京都で暴れたらどんな現象が起きるかは分からないが、少なくとも青龍の慌て振りを見て状況は切迫していると見ていいだろう。
運転手にラジオをつけて貰い、ニュースを聞いてみる。
ラジオからは京都の午後の天気について流れていた。
「現在京都では大雨、洪水注意報が発令されています」
と、突然の天気の変わり様に予報士も驚き、動揺を隠せないでいて言い訳がましい理由を述べている。
それもそのはず、二日前までは全国的に快晴の予報を出していて、しかも京都市内にだけ局地的な大雨が発令されたのだ、人々もいきなりの天気の様変わりに傘すら持って来ていない人が殆どだった。
青龍と別れてから既に一時間は経っている、雨がぽつぽつとフロントガラスに当たり始めたと思ったら、一気にどしゃ降りに変わっていった。
松尾大社に着いた時には滝のような雨で、タクシーから降りた俺の服の色を一瞬にして変えてしまう。
走って神社に入った俺は本殿をくぐって白虎を探した。
人の姿が無いのを確認してから、口に青龍石を含むと大きな声で白虎を呼んでみた、すると本殿から白虎が顔を覗かせ俺を見てきた。
(なんじゃ小僧、何用じゃ)
「青龍から頼まれて来た、朱雀の様子がおかしくて物の怪を沢山引き連れて京都市内に向かってるんだ、青龍だけじゃ朱雀は止められなかったみたいで、白虎様を羅城門まで連れて来いって云われたんだ」
(…………)
白虎が空を見上げて様子を窺っているみたいだった。
(小僧の言うとおり何かしら町の方が騒がしいのぅ、不穏な空気が流れておるわ、小僧、青龍は何処に行った)
「玄武様を呼びに行くと一旦八坂神社に戻った」
(そうか……では誰でも良い、人の子を連れてこい)
「は? なんで」
(何を言う、儂もこの地より離れる為には依り代がいるんじゃ、誰でもよいから連れてこい、強引にでも入ってやるからのぅ)
「って言われてもな、こんな雨じゃ人が歩いているわけもないし……」
(何をしておるさっさと行かぬか、時間が無いんじゃろうが)
「……くそお」
俺は境内を見回しながら走り回る。
多分、人に見られていたら雨の境内を走り回ってる俺の姿は異様に思われているんだなと思いながら、何処かに人がいないか探し回った。
さすがにここに来る人はおらず外に行こうかと思っていたら、ちらりと一瞬何かが視界に入った。
「あれは!」
鳥居と楼門の石畳でやっていたフリーマーケットの出品者が、荷物を抱えて木の下で雨宿りをしているのを見つけた。
俺が来た時は後片付けが終わった人が走って帰っていったと思っていたが、帰りそびれた人だろうか女性が一人俺と目が合った。。
まだ若そうな髪の長い女性で、俺は偶然を装いながら彼女の元に近寄った。
近くで見るとかなり可愛い小顔で俺のタイプだ、とそんな事より何と言って連れて行こうかと戸惑ってしまい、言葉を掛け損なってつい愛想笑いをしてしまった。
「……ふう」
取りあえず持っていたハンカチで顔を拭いた、びしょ濡れで拭いても意味が無い事は分かっていた。
「大丈夫ですか、これ使います?」
これは良い切っ掛けを作ってくれた、彼女から差し出されたタオルを手に取って礼を云うと、
「有り難うっていうか……違うんだ、あのぅ……いきなりで悪いけど俺と付き合って……、いや付き合うというのは変な意味じゃなくて本殿まで付いて来てくれないかな、理由は向こうで話すから……本当に悪いと思うんだが説明しても多分信じて貰えないと思う事なんだけど、直接見て欲しい物があるんだけど……駄目かな?」
「え……と」
彼女が後ずさりをして距離を取った。
完全に変質者扱いされてるなと思いはしたが、
「いやいや、違う違う軟派とかそう言うのでは無いんだ、どう言えば良いのか急な出来事で俺も困ってるんだよ助けて欲しい」
もうプライドや羞恥心などをかなぐり捨てて、とにかく白虎を羅城門まで連れて行くのが今の役目なんだと自分に言い聞かせながら彼女に頭を下げて懇願した。
「何かあったんですか」
「えっと、その質問にすぐに答えられるほど俺にもうまく説明は出来ないんだ、とにかく本殿に来て貰えないかな、行って貰えれば理解は出来ると思うんだが……、今は君しかいないんだ」
「…………分かりました、でも変な事をしたら大声を出しますよ」
長い沈黙と怪しむような眼差しの時間を耐えて、ようやく返事をしてくれた。
「当然だ、ごめんよ」
荷物は雨に濡れない場所に置いて、二人で走って本殿に戻ってきた。
「連れてきたぞ」
「え……?」
本殿の前に座っている白虎に声を掛けた。
何も見えない彼女にとってはいきなりの言葉に、騙されたのかと辺りを見回し不審そうに俺の方を見てくる。
(早かったな……女か、まぁいい)
「俺がどれだけ恥ずかしかったか……」
(では、入るとするか)
そう言って白虎は飛び跳ねると、彼女の身体の中に吸い込まれていった。
「え…………? きゃあ、何……誰です」
(儂は白虎じゃ小娘、少しばかり身体を借りるぞ)
「今君の中にいるのはこの地を守護している白虎だ、四神ぐらいは知ってるだろうか、京都を守護する四獣だよ、よくアニメとかで題材にされている」
「頭の中に声が聞こえてきます、白虎って……」
「精霊みたいなものだよ、この西の地を治めてる四神だ、初めのうちは煩いと思うかも知れないけど気にしないで、まずは話を聞いて欲しいんだ」
「何、何をするんですか」
彼女が身をこわばらせて、俺から逃げようとしていたので、手を出して何もしないというアピールをした。
「今、京都が危ない、京都を守るために君の中に居る白虎を市内にまで連れて行かなくてはいけないんだ、その為に君に協力して欲しい」
「あの、私……そんな力なんて無いですよ」
「力はいらない、今から羅城門に付いてきて欲しいんだ、経緯はタクシーの中で話すよ、とにかく今は時間がないんだ、本当に急なお願いで済まないと思ってるけど一刻を争うんだよ、礼はするから来てくれないかな」
彼女にとっては何が何だか訳が分からず、胡散臭い話に警戒が解けないでいるみたいだった。
「白虎様、彼女には丁寧に接してくれよ」
(煩い、さっさと羅城門に行け!)
白虎の怒鳴り声が頭に響いてきた。
「ひっ……」
彼女がどこからともなく聞こえる声に驚く。
「俺は雪仲響、響でいいよ、君は?」
「えっと、西之森彩夏です」
「じゃあ彩夏さん、本当に急な事で悪いんだが少し付き合って欲しい」
彼女は少し躊躇い頭を下げていた俺をじっと見つめると、行きますと言ってくれた事に胸をなで下ろした。
彩夏の荷物を担いでまたタクシーに乗り込むと、今度は羅城門に向かった。
車内では出来るだけ簡潔に事の成り行きを彩夏に伝えたら、俺も巻き込まれた者だという事を分かってくれたみたいで少し距離が縮んだ気がした。
「その朱雀ってのが京都を壊そうとしてるんですか?」
「うん、そうなんだ、どういう風に壊そうとしてるかは知らないけど、青龍が言うには京が無くなるって云うんだよ」
「でもどうして羅城門に?」
「さぁ、それは俺にも分からないんだけど……」
彼女の質問に答えられなくて黙ってしまうと、白虎が代わりに答えてくれた。
(そりゃあ、あそこが南門だからよ、昔はあそこに門があったんじゃ、直ぐに潰れはしたがな、羅城門を潜ればそこから北に朱雀大路が大内裏の朱雀門へと続いておるんじゃ、門自体は昔に大風で倒れ一度再建されたみたいじゃが、またもや風で壊れてからはそのまま再建されずに廃れてしまったんじゃ、それからはあの辺りでは死人を捨てる場所となってからは魑魅魍魎、奇々怪々な物の怪や鬼どもが集まる処となったんじゃ)
「そこに朱雀がくるって何故分かるんだ?」
(朱雀大路や門は奴が認められて付けられた場所じゃからな、奴にとっては特別な場所だろうと青龍は考えたんじゃろう、じゃから朱雀の奴が京に入るならあそこからと思うたのだろう)
「朱雀も可哀相ね、守護する場所が無くなってしまって」
彩夏がぼそりと呟いた。
「人の身勝手さが原因だ、人は生活が豊かになるためには発展という建前で色んな物を壊してきた、病気にならない為には原因となる大元は消したいと思うだろう、巨椋池だって病気が頻繁に起こらなければ今でも残っていたかも知れなかったし、マラリアの原因も結局は人が生活用水を池に流して水質が悪化したのが原因だから朱雀には同情はするけど、それで京都を潰されても困る」
ラジオからは大雨に関するニュースが繰り返し流れてくる。
国道一号線が大雨の影響で渋滞が起きていて、視界の悪さとスリップで玉突き事故が数件発生しているとの事だった。
注意報も警報へと変わって町の中では混乱が始まってきていた。
「京都は盆地だから治水が行われていると言っても限界がある、つい数年前だって桂川の氾濫で嵐山の観光地が水浸しになったばかりだ、市内には桂川みたいな大きい川がないから水が溢れたらどうなるか……」
「白虎様は朱雀を止められますか?」
彩夏は外の景色を見ながら不安を感じ聞いてみた。
(儂を誰だと思うておるんだ小娘)
「けど相手の数は並大抵の数じゃなかったぞ、青龍でも抑えられなかったんだし」
(たわけが、青龍と一緒にするでないわ、酔いが醒めとる今なら一人で十分じゃ)
「……期待してるよ、あっ、それより彩夏さん何か手持ちで口に含めるものは持ってないかな、もしあるならそれに白虎の気を送り込んで貰ってよ、四神達は自分達の守る場所に縛られているんだ、だから身体から出ると自分達の居場所に引っ張られて戻ってしまう、俺ならこれに……」
頬から青龍石を吐き出して見せた。
彩夏の表情が怪訝に変わる。
「ちょっと汚いけどこれに青龍の気が送り込んであるから俺の所に戻ってこれるんだ、簡単に言えばリンクしてるって言えば分かりやすいかな、それにこれを体内に入れておけば物の怪や四神達を見る事も出来るんだよ」
「……口に入れるんですか」
「青龍は飲み込めって言ってたんだけどさすがに石は……ね、苦肉の策だよ」
「……じゃあこれでもいいかな」
彩夏が鞄の中から銀の指輪を取り出した。
「フリマで売ろうと思ってた品なんだけど……」
「それに気を送り込んであげてよ、白虎様」
(面倒くさいのぅ……ほれ、肌身離さず持っておれ)
ぼんやりと白い光が指輪から発せられた。
「それを口にいれて外を見てごらんよ」
彩夏は指輪を丁寧にハンカチで拭いてから口の中に入れた。
それを見た俺は、青龍石を拭かずにいた事に苦笑いをする。
「……きゃ」
彼女が車の外にいた物の怪を見て驚くと、俺の方を見た。
「俺も初めは驚いたけどあれが物の怪だよ、これで信じてくれるよね」
「えっ……あんなのがいるんですか」
彩夏は驚きながらも小さな物の怪をじっと見ていた。
「これからあれを山程見る事になるかも知れないよ」
タクシーは今、九条通りまで南下して東に向かっている、もうじき羅城門に着くはずだが、道路は水浸しで排水口は既に限界を迎えており溢れ出た水が噴水のように水しぶきを上げていた。
渋滞で車は進んでは止まってを繰り返し、変わらぬ風景に進んでいるようには見えなかったので、
「凄い渋滞だ、これじゃあ歩いた方が早いかな」
「でも、外にあれが……」
彩夏が指を差すのは物の怪の事だった。
「相手にしなければこちらに危害は加えないよ、あいつらだって俺達が見えているなんて思っていないんだし、行こう」
二人は車を降りて大雨の中を走って羅城門に向かった。
何処の店もシャッターを下ろし、大慌てで店の前に土嚢を積み重ねる作業をしている人達がいた。
歩道の排水口にも道路から溢れた水が流れていってるが、いつまで持つかは時間の問題だ。
走り始めて新千本通りまで来た時、彩夏が俺を呼び止めた。
「響さん、白虎がそれ以上行くなって」
「……え?」
彩夏が俺に寄ってくるのを立ち止まって待った。
(お前達はここで待っておれ、かなり物の怪どもが集まっておるわ、儂が退治してくるまで此処におれ)
白虎は彩夏の身体から白い光りとなって飛び出していくが、こんな道端で待ってられず、俺と彩夏は近くのガソリンスタンドの屋根の下に雨宿りのために入る。
髪も服も既にずぶ濡れになっていて、
「何処かコンビニでカッパを買おうか、もう手遅れだけど」
「乾いたタオルが欲しいですね」
来る途中、道路の反対側にコンビニがあったが、そこまで戻るのも水浸しの道路にも入る気にはなれなかったので、仕方なく白虎が戻ってくるのを待つほか無かった。
彩夏から渡されたタオルを絞っては何度も体を拭いたが、唯の気休め程度にしかならない。
「彩夏さんは何処に住んでるの?」
腕や頭を拭きながら何気なく聞いてみた。
「私は桂ですよ、響さんは?」
「俺は滋賀なんだ、出身は京都なんだけどね」
「へぇ、だから京都の事を知ってるんですね」
「まぁ道ぐらいはね、でも久しぶりに来ると随分と様変わりしてびっくりするよ」
濡れたタオルを絞って彩夏に返した。
「さっき私の身体から出ていったのが白虎ですよね、白い光なんですか」
「いや、あの時に指輪を口に入れていたら白虎の姿を見られたんだけどね、ホワイトタイガーを大きくした姿だよ、力は四神の中でも青龍と互角ぐらいだそうだ」
「見とけば良かった」
彩夏は指に付けた指輪を見て呟いた。
羅城門の上空でゴロゴロと雷が鳴り響き、今にも落ちてきそうだと前までの俺ならそう思っただろうが、今では白虎が物の怪と戦っている音なんだと知る事が出来る。
「青龍の奴、玄武様をまだ連れて来れないのか」
「玄武も私みたいに誰かの身体を借りてくるんですよね」
「ああ……そっか、そうだね、それで時間かかってるのかな……」
突然、バリバリッという轟音と共に空が真昼のように真っ白に変わり、周囲の音が一瞬、何もかも掻き消された。
「…………」
彩夏の叫ぶ声も何も聞こえない。
雷は何度も轟き、俺達は目と耳を塞いで耐え続けた。
そして、雷が止み目を開けて見たものは……そこは真の暗闇の世界だった。




