玄武との会合
携帯で船岡山を調べると今の場所から北西にあるみたいで、三条大橋から道路に出てタクシーを拾う。
そこから河原町通りを北上して西へと曲がった。
(おうおう、なんとまぁ緑の無い町になったものじゃ、京の中央はこんな風になっておったのか、よくまぁこれほどの石を集めてきたものじゃな、なんとまぁ人の往来が激しい事じゃの、これでよくぶつからずに進めるものじゃ)
頭の中で騒いでいる青龍は興奮して一人でずっとしゃべっている、俺は車の中で話すわけにもいかないのでだんまりを決め込んで聞き流していた。
千本北大路の交差点より東側に二筋行けば船岡山公園の入り口が見えてくる、公園入り口でタクシーを降りた俺は公園に入って行った。
山と言っても標高百十二メートルの丘といった山であり、応仁の乱の時にここに西軍が陣を敷いた場所でもあるので、以後この付近を西陣と呼ばれているらしい。
「さて、着いたがどこに玄武がいるんだ」
(妾も初めてじゃ、話でよくここにいると言っとったからのぅ)
「取りあえず登ってみるか」
自然に囲まれた間の石段を登っていくと広場に出る、そこからは京都の景色が一望出来て五山の送り火のうち四つが見える場所でもあった。
「こうしてみると京都も緑が多いよな」
(山に囲まれた盆地じゃからの、人は色々と景色を変えよるわ)
山腹に大の字が見えた、あれが左大文字なんだなと眺めていると、
(おおい、玄武爺何処じゃ、何処におるんじゃ)
青龍の声が周囲に木霊した。
声は遠くに響いていたが公園のベンチに座っている老人には聞こえていないようで、静かに景色を眺めている。
俺の視界も青くなり周りの景色が一変した。
薄青い視界の中には物の怪とおぼしき小さな生き物が足元を通り過ぎたり飛んでいたりして、一人で踊っているように見られたかも知れない。
「あれは?」
ふと上を向くと空高くに丸い物体が浮かんでいた、それは北の方角からゆらゆらとこちらに向かってやって来ている様に見えた。
(おおっ、あれが玄武爺じゃ、おおい玄武爺こっちじゃ)
近くにきた玄武が広場に降り立つ。
大きな巨体は広場の半分を占めるほど大きく、漆黒の体に巻き付いた蛇すらも黒く、甲羅には緑の髭のような苔がうねうねと生えていた。
大きな亀の頭の上に蛇の顔をちょこんと乗せて、俺を見下ろしてくる玄武は訝しんでいるように睨んでいた。
(儂を呼んだのはお主か? 人如きが儂を見る事が出来るとは不思議な事じゃな)
白い顎ひげを生やした玄武が顔を近づけてまじまじと見てくる、大きな目は俺の顔ほどもあって全身をねめつけるように上下に目が動いていた。
「いや、呼んだのは俺じゃ無いんだが……」
恐る恐る鼓動が早くなるのを我慢しながら答えた。
(妾じゃて、玄武爺)
青龍が俺たちの会話の間に言葉を挟んでくる。
(んん、その声は青龍か、何処におる)
首を左右に振って青龍を探していると、
(我はこの此奴の体を借りてここに来たのじゃ、こっちを見よ)
(ふうむ、何故人の体を借りておるんじゃ、東の守りはよいのか)
舌を出す蛇とゴツゴツした亀の顔がこちらを睨んでくる。
(そのような事は心配せぬとも良いわ、最近地脈の乱れが酷くて皆との会話が出来んようになったから何かあったのかと思ってのぅ、原因を探しに来たのじゃが何かあったのかえ)
(ふうむ、そういえば最近誰とも話しておらんかったな、他の者は元気かえ)
玄武の話し方はゆっくりとしていて重圧感が凄かった。
(じゃから話が出来ぬからこうして出向いてきておるんじゃ、全く呑気な亀爺じゃな)
青龍と玄武の会話は微妙にかみ合わず、ああだこうだと言い合っては青龍が怒っては玄武はのらりくらりと受け流していた。
二人の会話を客観的には聞いていられない、まるで面と向かって俺が話しているように玄武の言葉が俺に投げかけられている錯覚がして緊張していた。
(ふむふむ、そういや物の怪どもも少し増えてきたか、儂の所は問題ないがのぅ、さっきまで賀茂別雷神社で休んどった所じゃ)
(そうかえそうかえ、それならいいんじゃ、そんじゃあゆっくり寝ときゃええ)
青龍が呆れて言い返した。
「あのぅ、俺からも聞きたい事があるんだけど、いいかな玄武様」
(響や、爺に様はいらんぞ、耄碌爺とでも呼べばええ)
青龍からの横やりが入ったが俺は構わず玄武に話しかけた。
「玄武様は山の守り神でいいんだろ、それなのに船岡山は山というには低すぎやしないかなと思うんだが山というならほら、大文字山とかもっと大きい山があるのに何故かなと」
(ほほっ、儂は山を守るというより北の門を守っとると言った方がええかのう、青龍然り他の者達もそうじゃ、人は何と言っとったかのぅ、おおっそうじゃ山川道澤というものに当て嵌めて儂らの守護する地域を此処だと決めとったんじゃ)
「山川道澤とは?」
(作庭記という庭作りの書物に載っとる言葉じゃったな、庭の理想の形を表す意味らしいがの、それを儂達に照らし合わせると北は山と言うことに成っただけじゃ、他の者は知らぬが儂はそれほど気にしてはおらぬ、儂らはそれほど細かく何かを守るということはしておらぬ、儂は北を青龍は東を白虎は西、朱雀は南とだたそれだけじゃ、人が山川道澤をもって表したときにたまたまその方角に山、川、道、海があったというだけなんじゃ)
玄武の話に聞き入ってる内にいつの間にか玄武の顔が俺の目の前まで近づいていた。
「うっ……それじゃあここは特に意味が無い場所だということなんだ」
大きな目がぎょろりと俺を見定めた。
(ほほほ、そうでもないわ、人が勝手に決めたことではあるがな、長い間この地にいるうちに愛着が湧くものじゃ、儂らの本来の目的は平安京を守る為、儂は北からの災いを食い止めるのが役目)
(おい、響やもう話はいいかえ、そんな下らぬ事を聞いてどうする、玄武爺のとこが問題ないとうことは他の二人の所に行かねばならぬ、早うするのじゃ)
「お前が何も教えなかったから聞いてただけだ」
青龍は此処が問題ない事が分かればこんな所は用済みだと言わんばかりに俺を急かせてくる。
(まったくお主は物事に落ち着きが無いのぅ、この小僧に何も教えとらんとは可哀相にのう)
(ええい、うるさい爺だ、長くは生きられぬ人の子に教えた所で何も変わらゃせんだろうに、短い生を血に変え争い、幾たびもの天災に一体どれ程の儚き命が消えていった事か、人など簡単に消えてまた直ぐに生まれてくる、響も例外では無く須佐の間のごとく消えていくじゃろうて)
青龍はぶっきらぼうに言い放った。
(青龍よ人は短い時間しか生きられぬが賢き者達よ、ここでずっと人を見てきてどれ程困難な事が起きてもそれを乗り越え、生きる糧として京の町を造ってきたことか、火事が頻繁に起きたなら延焼を防ごうと道を広くしたり、川が氾濫すれば土を高くし流れを変えたり橋が落ちたなら頑丈に作り替える、そうやって町を良くしようと努力をしよる、昔に比べりゃ町も随分と様変わりはしたが人の子はいつでも健気に生きておる)
玄武は昔を思い出したかのようにゆっくりと語った。
(また耄碌爺の昔話とな、町など治める者が代われば変わるが必然、平安京など今やもう見る影も無くなっておるのじゃ、それでも我らはかの地を守り続けねばならぬのじゃ)
「確かに俺達人間はあんた達に比べたらカゲロウのような存在だろうな、その中で俺たちはあくせく藻掻き、悩んでは時に幸せを感じて生きている、一人の一生では出来なくても次の世代、またその次の世代へと引き継いで消えていく、引き継がれた知識は積み重なって国を造っていくんだ、それが人の強みだと俺は思う、だから知る事は人にはとても重要な事なんだ」
(なんじゃ、お主ら二人して妾を愚弄するかや、口惜しや口惜しや、爺ならともかく響に言われとうないわ)
青龍が俺に対してああだこうだと頭の中でわめき散らし続けていたが、疲れたのか急に静かになったのを確認してから玄武に話しかけた。
「玄武様、じゃあこの辺りでは特に大きな変化はないと言うことでいいんですね」
(ふむ大事ない、じゃが何かあればいつでも呼んでくれて構わんぞい、儂もちと見回って調べてみるとしようかの)
(年寄りは動いとかんと知らぬ間にあの世に行ってる事になるでな)
青龍が嫌みを言ったが玄武は動じず笑っていた。
(ほほほっ、久しぶりに主の口の悪さが聞けて楽しかったわい、ではのぅ小僧、我儘じゃが青龍のことを頼むのぅ)
「乗られた船です、付き合うしかないですよ」
(ええい煩いぞ響、代わりに人の子では見えぬ世界を見せてやっとるではないか、さぁもう行くぞえ、もうここには用はない、次じゃ次)
「では玄武様、いってきます」
(ではのう)
玄武の体がふわりと浮かぶと空高く舞い上がり、北の方角に飛んでいった。
(全くお主と爺は気が合うのぅ)
「そうだな、玄武様に乗り移って貰った方が良かったかもな、くくっ」
(何じゃと、身をわきまえよ人の子が、妾がどれ程偉いか知らぬのか)
「いくら偉くとも性格がなぁ」
(くうぅ、響め覚えておれ、後で泣き叫んでも知らぬぞえ)
「分かったから次行くぞ」
一悶着の後に青龍から白虎の居場所を聞いてみた。
(白虎はのぅ、西の地じゃがあ奴の守っておるのは確か大道じゃったな、山陰道にいると聞いたことがあったが我はそこが何処かは知らぬぞ)
「はいはい調べるよ、けどもう時間が……俺の貴重な休みがこんな事で潰されるなんて参ったな」
(何をぶつくさ言っとるんじゃ、さっさと行くのじゃ)
「いや、時間が時間だし、今から行ったら家に帰るのが何時になるか……明日また家から出て来るのも面倒だしな」
いまはもう十六時だ、このまま調べて白虎に会いに行くには遅い時間だろうと思い、仕方なく京都駅前のホテルに泊まることにして船岡山公園を出て、タクシーで安いホテルはないかと尋ねて送って貰う事にした。
京都アバンティ斜め向かいのホテルで降ろされて中に入っていった。
京都周辺には沢山のホテルがあるが今日一日泊まるだけで一万も二万も使う気にもなれない、入っていったホテルは手頃な値段だったので直ぐに部屋を取った。
「何か疲れた、腹も減ったな」
ベッドに倒れ込むように横になる、暑さと奇怪な出来事の緊張で疲れが溜まっていたのか体がだるい、腹は減っていたがそれ以上に眠かった。
(ふむ、人はこのような所で寝るのか、この寝床は柔らかくて気持ちが良いのぅ、のう響やいつまで寝とるんじゃ、はよう白虎の居場所を探さぬか)
「眠いんだ、寝かせてくれ」
(何とまあこれだから人の子は仕方ないのぅ、起きたら直ぐに探すんじゃぞ、それまでは妾も休むとしようかのぅ)
俺は朝まで着替えもせず落ちるように寝てしまった、目が覚めると体のだるさは残っていたが起き上がって顔を洗った。
「取り憑かれているから体が重いのか」
窓から外を見ると明け方の人通りの少ない京都の街が見える、薄暗い道路は静寂の中、電車の走る音だけが響いていた。
「まだ朝飯には早いか」
時間を潰すために今のうちに山陰道について携帯で調べておこうと思った。
五畿七道、現在は北海道を入れて五畿八道になっている、山陰道はその中の一つであるということ。
呼び名は時代で色々と呼ばれていたみたいだが明治に山陰街道に統一された。
京都からだと九号線から亀岡、福知山に向かい兵庫県香美町の日本海に出て、そこからは鳥取、島根と海沿いに周防国の小郡町、今の山口県山口市に行くまでの街道で今も大体同じルートが残ってるみたいだ。
白虎はこの大道を守護しているらしいが、道という曖昧な場所だとどの辺りにいるのか所在を限定しにくい、休暇も限られているわけで今から山口県に行くぞと言われたら断固拒否する、これは青龍にもっと場所を絞るヒントを貰わないわけにはいかなかった。
「これは探すのに時間がかかるな」
(何が時間が掛かるのじゃ?)
「起きてたのか」
(起きとるも何も寝取りゃせんからのぅ、ずっとこの辺りの気の流れを感じておったのじゃ、それより何か分かったかえ?)
「山陰道というのを調べていたんだが、余りにも場所を特定するには広すぎて困っていたんだ、もっと具体的な場所は分からないものか?」
(ふうむ、あやつは西京の地の守りじゃから京極に行けば何か分かるやも知れぬ)
「西の京極って西京極のことか、なんでそこなんだ?」
(何を言う、妾は東京極、白虎は西京極、そこより内が平安京じゃからだよ、京の町と言えば我らは平安京のことじゃからな、西の大道と京極の辺りなら居るかもしれんじゃろうて、もしおらなんだら松尾神社に行けば良かろう)
「東京極なんて名前は聞いたことがなかったな、四条だと新京極の辺りになるのかな」
後で分かったことだが東京極は今で言うと寺町通りになるらしい。
(地域ではないがな、まぁよい、それより妾もちと気になってることがあるぞ、その袋は何が入っておるんじゃ)
「ん? これは祇園さんで買ったお守りと青龍石のお土産だ、それと四神五社巡りの色紙ぐらいだ」
袋から取り出して見せてやった。
「帰ってから細工して首飾りにしようかなと思ってな」
(ほう響は細工が出来るとは器用なんじゃな、してもう一つは何じゃ?)
「これは縁結びのお守りだ」
(ほほほ、何じゃお主は女子との縁をお守りに託しとるのかえ)
青龍が盛大に笑った。
「…………そんなに可笑しいか」
(いやいや、響じゃから可笑しいのじゃ、ほほほっ)
「もういいだろ、なんでお守りだけでそんなに笑えるんだ」
(人の子は面白いのぅ、響よお主なら自分でよい女子ぐらい出来るじゃろうて)
「色々あるんだよ」
(おおっ、そうじゃそうじゃ)
「どうかしたか?」
(ほれほれ、その石をもっと良く見せい)
青龍石を掲げてみせると輝きだして部屋中に青い光が充満していく。
「……熱くない」
(ほほほっ、その石に妾の気を送り込んでおいた、それを肌身離さず持っておいておくれや、さすれば妾が響の体から出ても暫くはその石がつなぎ止めて置いてくれるからのぅ)
「ほう」
(今はお主の体には入っとるから良いが、繋ぎ止めておくものが無いと出た瞬間に妾は祇園の地に引き戻されてしまうからのぅ)
「ふむ」
(響やその石を飲みや)
「は?」
青龍が何か訳の分からない言葉を言ったように聞こえた。
(飲み込めと言っておるのじゃ)
「何でだよ、出来るわけ無いだろ」
(全く早よぅ飲まぬか、その石を体内にいれときゃ妾が外に出た後もお主にも物の怪が見えるようになるというのに、さぁさぁ飲みや)
「嫌だよ、どうやって取り出すんだよ」
(そんなの勝手に出てくるじゃろうて)
「それをどうやって取れと……絶対に嫌だぞ」
(何かあったときの為じゃ)
「何もなかったらどうするんだ、飲み損じゃないか」
(ええい煩い、飲めと言ったら飲まぬか!)
「ああ、その時が来たらって……飲まないぞ」
(口惜しや腹立たしい人の子め、殴れる物なら直ぐにでも殴ってやるというのに)
二人で言い争いをしてる内に朝食の時間になったので、喚く青龍を無視してホテルの朝食を取った。
食べてる間も青龍の飲めと言う言葉が頭の中に響いていたが、もくもくと朝食を取ってチェックアウトを済ませた。
「そんなにお前の姿を俺に見せたいのか?」
(ほっ、うぬが見たら卒倒するんじゃ無かろうか、妾の優雅で綺羅びやかな姿はお主の目には毒じゃのぅ、惚れるでないぞ、ほほほっ)
「ソリャタノシミダ」