ボロ小屋にて英雄に遭う3
私はあくまで警戒を続けながら、『静剣』とエピーモナス様の戦いを見守ることにした。
「どうやら、話し合いは終わったようですね」
「ああ。我を勇者候補などと言ったことは許せんのでな。一人で相手しよう」
「ええ、構いませんよ。どうせ見つかった時点で、皆殺しにすることは決まっていますので。あなたを処分してから、後ろのメイドさんを殺します」
「皆殺しか。どうやら貴様は我の特性というものを甘く考えているようだ」
見下すように言うエピーモナス様に、英雄『静剣』のクワイエットさんは微笑んだ。
「確か……『しぶとさ』と言っていましたね。……ですが、エピーモナスさん、甘く考えているのはあなたの方では?」
クワイエットさんは饒舌に続ける。
「勇者ほどの理外の力ならばともかく、あなたの特性はただの『しぶとさ』なのでしょう? 『しぶとさ』とは詰まるところ、簡単には敗北しないという意味でしかないでしょうに。それをまるで大層な特性のように語っていますが、負けにくいだけの人間に、技術を研鑽し続け、英雄まで上り詰めた私に勝つ道理はありません」
「ふむ。それもまた真理ではあるのかもしれないな。我はこれまで千年王国以外の国に出向いたことはないから、貴様の言う英雄という存在がどれほどのものなのか知らない」
あれ……思ったよりもエピーモナス様が呆気なく認めてしまった。でも、どうしてだろう。あれほど自信過剰の人間がようやく思い上がりに気づいたのか、なんてまったく思えない。
「潔いことは美徳ですね」
素直にエピーモナス様が認めたことに満足したのか、クワイエットさんの声が少し弾む。
「ただなあ。一つ、不思議でならないことがある。それを尋ねても良いだろうか?」
エピーモナス様の顔が醜く歪む。
その表情の変化を見てとって、私は悪い予感が当たったことを察した。
「『静剣』と呼ばれているそうだが、貴様にはまだ隠し玉などあるのかな? ああ、言わなくともわかっている。あるに決まっているのだろう。……もしも、万が一、あるいは天変地異でも起きるくらいの確率で、貴様の力量がさきほどフィデリタスにしていたような、ただの技術だけのものなのだとすれば……」
「……何だと言うのです?」
クワイエットさんもエピーモナス様の邪悪な笑みを見て、何か悪い予感でもしたのか、目つきを鋭くして、一層警戒する。
個人的に言えば、私はエピーモナス様が冷徹な目をしていた段階で、悪い予感があったのだが、初対面の人間にその機微を悟れというのは、無茶な話だろう。
それに今のエピーモナス様の悪鬼にでも憑かれたような悪そうな笑み。
これを見れば、今までずっと難解であったどうして『大陸統一をして千年王国を超える国をつくる』なんて大言壮語な夢を言い始めたのか。ようやく、その答えを知れたような気がする。
何も難しいことではなかった。要は、エピーモナス様は元々こうだったのだろう。
幼少の頃から世界の全ては己のものであると、傲慢にも思い続け、そして、その傲慢な思い違いを現実のものとするために、行動を始めた。
クラウン様は、エピーモナス様は偏屈な、頑固者と言ったけれど、それは間違いだ。
彼はそんな生易しい、独りよがりな人族とは違う。
おそらく、今後本当の意味で夢を叶えてしまうような、言ったことをその通り実現してしまう、傲慢で、強欲で、自己中心的な、もっと性質の悪い人間だろう。
「英雄が全て……とは言うつもりはないが…………少なくとも貴様に関しては、我の相手にすらならないだろう」
大陸で、上位から数えた方が早い強者である英雄『静剣』に堂々とそんなことを言ってのける。
自分に向けられた、不敵な言葉をどう解釈したのかはわからないが、クワイエットさんは爽やかな笑顔を取り戻していた。
「まあ、それは議論するまでもなく、剣を交えればわかることです」
互いに会話をしながらも、間合いを図る。円を描くようにして、少しずつ位置を変えていく二人を見ながら、私はふと思った。
ところで、エピーモナス様の迫力と自信に驚き、あっさりと一騎打ちを始めてしまうことを止めなかったけれど、本当のところ、エピーモナス様の実力はどの程度なのだろうか。
見た感じ、クワイエットさんと睨み合いを続けているエピーモナス様は素人が適当に切っ先を相手に向けているようにしか思えないのだが。私の目が悪いのだろうか。
そんなことを考えていると、エピーモナス様が唐突に走り出し、クワイエットさんに剣を突きつけた。
その動きはまるっきり素人のもので、正直私でも余裕で回避できるくらいには遅く、未熟なもので、狙いすら定まっていない。
当然そのような攻撃が『静剣』に当たるはずもなく、半身になって最小限の動きで回避されてしまう。
そして、剣を振り下ろして、隙だらけのエピーモナス様に『静剣』の静かで、確実に命を奪いにくる剣がエピーモナス様の胸元に添えられる。
――しかし、その完璧な攻撃はまたもエピーモナス様に命中することはなかった。
クワイエットさんの剣は不可視の手に乱暴に持ち上げられるようにして、上空へと弾かれる。
その逸れ方はさきほど私を助けたときとは、はるかに上回っていて、それこそ『しぶとさ』というエピーモナス様の特性が嘘ではないかと疑ってしまうくらいには強力であった。
その証拠に、攻撃を逸らされた『静剣』の利き腕は――――。
本来の関節の可動域とは真逆に――圧し折られていた。
「ぐあああああああ!」
そんなグロテスクな骨折の仕方をして、大丈夫であるはずもなく、クワイエットさんの装飾過多の薄い剣は、呆気なく地面へと落下。
想定外の損傷を受けたからか、痛みに蹲る英雄、『静剣』クワイエットさん。
英雄がたった一度の攻防で、戦闘不能の状態に陥る。
まったく現実味のない現実に、私は主のエピーモナス様に対する評価を上方修正する。まさか、これまで口先だけのお坊ちゃんだと思っていた主が、英雄を倒してしまうようなそれこそ先刻の『業火』とか言う情緒不安定の勇者と同じステージに立っていたなんて。
そこまで考えて、私はこれまで自分の振る舞いを慌てて、振り返る。
幸い、内心でエピーモナス様を見捨てようなどと考えていたことを口に出してはいないので、心配はいらないだろう。しかし、そうは言っても私は今まで結構雑に彼を扱ってきた。
具体的には、あまりの自信過剰な物言いに、彼のいないところで陰口はもちろん、たまに彼の部屋の掃除をサボってしまったこともあるし、どうせ使わないだろうと彼用に用意されていたお金で買い物に行ったこともある。
どうしよう。よくよく考えてみると、恨まれるようなことしかしていない。
むむむ……。これは今すぐに謝罪しておくべきだろうか。
しかし、これまで勘違いとはいえ、散々エピーモナス様の尊大な態度と接してきた私だ。ここで謝罪しようとしても、つい緊張で殴ってしまうかもしれない。最近、雇い主も殴っちゃったし。
――ともあれ。
私が今後の身の振り方を考えている間も、クワイエットさんとエピーモナス様は睨み合っていたけれど、どうやら既に戦闘の雰囲気ではないようだ。
「エピーモナスだったか。まさか謀られるとは……。まあ、敵が卑怯な手を使ってこようと、敗れてしまったのは私の未熟さが原因です。……負けたよ」
どこか穏やかな表情のクワイエットさんに、エピーモナス様も笑顔で応じる。
「嘘偽り――そう思いたい気持ちは察するが、我の特性は『しぶとさ』だぞ」
そう言う、主をよく観察してみると、その笑顔は真っ黒な方の、笑顔だった。完全に勝ちに酔っている。酔いしれていると言っても過言ではないだろう。それほど、今のエピーモナス様は生き生きとしていた。
最低な人だと思う。
「まあ、勝負はついた。貴様も既に敗北を認めたのだ。殺すことはしない。そうは言っても、また我を勇者候補などと不名誉きわまりない名で呼ぼうものなら、次は利き腕だけでは済まんぞ。英雄、『静剣』クワイエットよ」
本当に勇者候補と言われたことが気に食わなかっただけなのか。
そんな私の思いと同様だったのか、クワイエットさんはこれまでの丁寧な口調ではない、気安い態度で返答する。どうやらこっちが素らしい。
「わかっているさ。でも、一つだけ最後に教えて欲しいことがある。僕が君の仲間と戦ったときは、さっきほどの、腕が折られるほどの強烈な抵抗は感じなかった。――君の特性は本人により強く影響を及ぼすものなのかい?」
片腕を折られている人間のものとは思えない、腕の痛みなどはまったく感じさせない爽やかな様子に私は改めて、クワイエットさんが英雄であると思った。
しかし、その質問に関しては私も気になっていたのだ。クワイエットさんの骨折の具合はそれこそ彼の予想通りなのだとすれば、納得のいくものなのだ。でも、私はエピーモナス様の特性について、『しぶとさ』であるとは聞いていたものの、それに強弱があるとは聞いたことがないのだ。
もちろん、エピーモナス様からすればいくら専属のメイドとはいえ、そんな切り札的な情報を簡単に開示はしなかったと思えば、私が知らなかったのは当然のことなのかもしれないけれど。
だから、もの凄く興味がある。
しかしながら。
「もしそんな特性であったならば、我にとっても喜ばしいことだ。しかし、そうではない」
私の期待に反して、エピーモナス様が語る特性には秘められた力はないようだった。何だ、ないのか。期待して損した。
エピーモナス様は不敵に、続ける。
「我はただ貴様の剣の切っ先から逃れないように進み続けただけだ」
「「は?」」
あまりにも突拍子のない言葉に、不覚にも私はついさっき自分のことを殺しかけた英雄と息を合わせて間抜けを晒してしまった。
剣の切っ先に自分からを突っ込むだって? いやいや、無理でしょ! 死ぬって!
「そんなことしたら、それこそ一瞬で剣に貫かれて死んでしまいますよ!」
気が動転していたのか、私は心の内で思っていたことを口に出していた。一応、これまで公爵家のメイドとして暮らしてきた身の上で、このように声を大にして騒いでしまうことは恥ずべきことなのだろう。
しかし、どうやらそんな心配は無用のようだった。
「あり得ない……。君の特性が敵の技量など無視して攻撃を無力化してしまうならばともかく、僕は英雄だぞ。そんな特性だけに頼り切った戦い方で負けるなんて……」
自信を欠片すら残らないくらいに粉々に砕かれてしまった英雄には、恥じらうメイドの姿などよりも大事なことがあるようで、私のことなど見向きもしなかった。
ただし、エピーモナス様にとってはいけ好かない英雄よりも、専属メイドとして働いてきた私の方が優先だったようで、打ちひしがれた英雄の言葉は無視された。
「確かにそこで落ち込んでいる英雄がパワータイプの英雄であったのならば、我の特性が通用するのかは怪しい。だがな、フィデリタス。特性と一言で言ってはいるが、この力には相性というものがあるのだよ」
自慢することの味を占めたのか、顔を綻ばせながらエピーモナス様は長々と説明を始めた。
「我の特性、『しぶとさ』は生き残るということにおいては四天の勇者すらも超える。それは世界にある一定の条件下で強引な修正を強いる特性の性質上、変えることができない。となると、どのような特性が強力な力を発揮するのか?」
「その問いは簡単だ。……要は、ありとあらゆる面で使用でき、どの特性よりも世界への優先順位のある汎用性の高いものが強いのだ」
汎用性。
私が思うに『しぶとさ』は生き残るという点では優れているのかもしれないが、そこに汎用性はあるのだろうか。
「特性に強弱などないのだ。あるのは、ある条件下で最も優先される特性と優先順位の低い特性があるだけ。改めて言おう。我の特性は『しぶとさ』。生き残るということにかけては四天の勇者を凌ぐ特性である!」
そこまで言われて、私はどうしてエピーモナス様が英雄と、特性を操る勇者と対等に戦える戦士と戦って、圧勝することが出来たのか、ようやく気づいた。
生き残ることにかけては四天の勇者すら凌ぐとは、つまり世界への強制力が『生き残る』という点においては、どの勇者よりも優先されることに他ならない。
ならば、さっきのエピーモナス様の発言であった、「剣の切っ先から逃れないように進み続けた」という台詞から予想すると、あんな結果にも納得がいく。
エピーモナス様は自ずと死に向かっていき、彼の特性である『しぶとさ』は自殺志願な彼が向かう先にある『死』という結果から『しぶとく』生き残るため、世界に彼が生き残るための道筋を強制し続けた。
結果だけ見ればそれだけだけれど、特性という不確かな力に容易に命を預けるような真似をする。こんな死をも恐れないことを実践できる人間はそうはいないだろう。。
しかしながら。そうは言っても、そんな強引な特性の利用をして、失敗する危険はなかったのだろうか。
……危険はもちろん、あったのだろう。ただし、その危険はあまり大きなものではなかったのだろうと、私は推測する。
エピーモナス様は言ったのだ。特性は優先順位を競うものだと。
ならば、生き残ることにかけては四天を凌ぐ特性が高々『剛剣』の傘下程度の英雄に敗れるはずがない。それこそ、『剛剣』が直々に相手をしなければ敗れないと思う。
どうしようもないくらい特性を活かしたその戦い方は素直に称賛したい。私ならばたとえ特性で命の保証がなされていようとそんな死にに行くような真似は絶対にしない。
「というか、そんな器用な真似できたんですね」
よくよく考えていれば、器用さだけは目を見張るものがあると思っていたが、特性を活かすためだったのかと納得する。
「力は持っているだけでは意味がない。使えてこそ意味をなすのだ」
「…………」
なんか格好つけて、主が言っているけれど、私は無視する。どうも私は彼のこういう調子に乗ったときの顔が嫌いなようで、この顔を見るくらいならば、寝返ることを一考するくらいには嫌いだった。
ふと、気になって(それとこれ以上エピーモナス様を見ていると殴ってしまいそうだった)、『静剣』の様子を伺ってみると、彼は一層項垂れていた。
「なるほど。僕はそれこそ真っ向から戦って負けてしまったのか。これは隊長に合わせる顔がないな。このまま逃げてしまおうかな」
思った以上に落ち込んでいるようだった。
私からすれば、『しぶとさ』という特性が十分にズルだと思うのだが、自力だけで英雄に上り詰めたクワイエットさんからすれば、それも含めてエピーモナス様の力だということなのだろう。
流石は英雄、そこのところ文句ばかり言っている私と違って潔い。
――ともあれ、そんなこんなで、エピーモナス様は無事、ビクトリア公爵家を飛び出してからの初戦闘に勝利した。