沸点の低い襲撃者
一話あたりの長さがバラバラで読みにくいとは思います。
ストックを吐き出してからは一定にしようと思いますので、最初は耐えてください。
この世界には救いようのない愚者がいる。
私、フィデリタスは最近そういった価値観を持つようになった。
原因は現在、私が腕を天へと伸ばし、片手で持ち上げている男にある。
男は控え目に言っても痩せているとは言えない、丸々としたシルエットで、その姿からは男が常日頃、運動をしていないことは明白である。
そして、そんなシルエットのわりに髪だけは無駄にサラサラの金髪というアンバランスさが、男にどこか憎めない印象を与えている。
男の名は、エピーモナス・ビクトリア。千年王国という大陸でも最大規模の勢力を誇る大国、その公爵であるビクトリア家の次男として生まれた貴族……だった男だ。
「エピーモナス様。私、少し時間が経って頭が冷えました。千年王国に匹敵する国家なんて私達が生きている内に実現できるわけがないです。ここは潔くクラウン様に頭を下げて、再びビクトリア公爵家に戻りましょう」
あのときは私も突然のことで混乱していたのだ。そもそも何だ、国をつくるって。子どもでももう少し現実を見ている。
しかし、エピーモナス様にそんな常識的な、あるいは俗物的な価値観は存在しないようで、私が手を放してしまいそうになるくらいの勢いで暴れた。
「ならん。ならんぞ、フィデリタスよ。既に賽は投げられた。我はこれから英雄諸国に行き、この大陸全土に覇を唱える。今更、後戻りなどするものか!」
投げられたんじゃない! あんたが勝手に投げたんだ! そして、やめろ、自分の体重と運ばれていることを思い出せ!
くそ……仮にも私に運んでもらっている人間が言える台詞ではないと思う。
ともあれ、内心の不満を隠しつつ、私は主にバレないように溜め息を吐く。
やれやれ。傭兵家業をやめてから十数年、ようやく戦いの日々から解放されたと思っていたのに、どうして私は今、英雄諸国になど向かっているのだろう。
現実を直視しているとこれ以上、歩く気力すら失われそうだったので、少しでも前に進むために、私は先刻の、私と主、エピーモナス・ビクトリアの運命を決定づける契機となった出来事を思い出す。
千年王国のビクトリア公爵家の次男という恵まれた立場であったエピーモナス・ビクトリア。そんな彼がどうして今、森の中を歩み(正確には私が運んでいるので違うが)、英雄諸国などに行くことになったのか。
その原因を問われれば、答えるのに長ったらしい口上を述べる必要ははない。
簡単に、わかりやすく言おう。
エピーモナス様が家出した。
それだけである。
お家騒動だとか、呪われた子であったとかならば、彼のメイドであった、そして今も不覚にもあり続けている私は勿論、彼は不幸に見舞われたのだと悲愴感たっぷりでそう言っただろう。
しかし、だ。彼は公爵家の中で、不遇の立場にあったか? 答えは否だ。むしろ、満足に勉強できるように家庭教師を雇ってもらっていたようだし、この戦乱の世界で生き抜けるよう、公爵が直々に戦闘訓練を施してくれていた。
不遇どころか至れり尽くせりの生活だ。傭兵として地獄のような思いをして、ビクトリア公爵に拾ってもらった私の過去に比べてみれば、殺意すら湧いてくる、愛され過ぎの男児である。
そんな順風満帆ライフを送りながらも、私の主、エピーモナス・ビクトリアはその善意を全て……一つたりとも受けつけることなくこれまで生きてきた。
勉強は当たり前のように欠席。戦闘訓練でも強制されて仕方なくといった具合で嫌々やる。公爵の説教は完全無視。
はっきり言って、ビクトリア公爵はこんな子どもは勘当すべきだと個人的に思う。
そうは言っても、彼は何もせず安穏と生きてきたわけではない。
彼はただ文句を言うだけの人間ではなく、一度、決めたポリシーは必ず貫く偏屈で、頑固な人間であったのだ。
彼のポリシーは『全てを己で得ること』。だから、自分が得るはずのものは誰にも譲らないし、奪わせない。
――彼は、自分の食事は野生の動物を仕留めに行って、調達し、屋敷で振舞われる料理には見向きもしない。
――彼は、誰の教えも請わない。本を読むことすら拒み、俺の経験と思考で得た予測からだけで学ぶ。だから、文字を覚えるのが遅くなったとか。そりゃあそうだ。
――彼は誰にも従わない。従えばそれは自分を曲げることになると信じて疑わない。
そんな彼のような生き方が常識人であるビクトリア公爵に理解できるはずもなく(私にもできない)、今日をもってエピーモナス・ビクトリアは、ただのエピーモナスとなった。
まあ、それを本人に言ったところで、「我の名を親というだけで奪うとは許せんな。たとえ殺し合いをしてでも、我はビクトリアを名乗り続けよう」と、尊大に一蹴されて終わりだろうが。
――――ともかく。
そういう因果をもって、今、私とエピーモナス様は公爵家から追い出された。
そして。
公爵家という隠れ蓑で隠されてきた偏屈は、なんと突然、夢に向かって走り出したのだ。本人曰く、「年齢的にちょうどよかった」らしい。何がちょうどよかったのか知らないが、推測するに若い頃から始めないと間に合わないとでも考えたのだろう。
『千年王国を超える国をつくる』。
それが彼の夢らしい。
当初、私は彼の頭がやられてしまったのではないかと心配したものだけれど、心配は無用で、むしろ無駄だった。
仮にも三王に、四天などという自然災害じみた奴らがのさばるこの時代において、そんな無謀な夢もないと思う。
しかしながら、ここで彼の偏屈が最悪の形で効力を発揮した。
血迷っているとしか思えない彼の選択。それを否定することを彼自身の偏屈が許さないというジレンマ。
とは言っても、彼にしてみれば夢を実現させることの一択であろうが。
――かくして。天変地異でもおきない限り敵わないであろう夢を口に出した彼が、その後、取った行動は至ってシンプルだった。
国をつくるにも、何をするにも、戦乱の世の中では力こそが全て。
力こそが世界の唯一不変のルール。
よし、なら一番熾烈な戦いが続いている場所に行こう!
そこで力を示してやろう!
そんな気軽な感じで、彼は英雄諸国に旅立つことを決意したそうだ。
彼にしてみれば、英雄諸国に行くことは決意にも満たない当然のことかもしれない。だが、そんな軽い決定だと私が納得いかないので、決意だとしている。そうだと信じている。
「おい、フィデリタス。心なしか運び方が雑になっているような気がする。気をつけよ」
頭上で何か聞こえた気がするが、無視だ。よくよく考えれば、全てこの男のせいだ。そう思うと扱いが雑になることくらい我慢しろと思う。
それにあなた、さっき暴れただろう? 他人に迷惑をかけるくせに自分の不満だけはすぐに改善されると思うなよ!
クラウン様といい、親子揃ってまともじゃない!
「どういうことだ? 扱いがさらに雑になった。下手に文句を言うのは逆効果であったか……」
うるさい。ぶつぶつと頭の上で呟くな。
軽はずみな気持ちで思い出したせいで、もはや自分の怒りを制御できなくなってしまった私だが、幸いというべきか、自分の怒りを鎮める必要はなかった。
というか、呑気に考えている余裕がなかった。
唐突に。
エピーモナス様を運搬する私の前に現れたのは。
炎だった。
強弱を図る距離すらない。ゼロ距離に存在する炎。
視界を炎が埋め尽くす。
回避行動すら諦める場所に現れたその炎に――。
私だけならば助かる見込みなど微塵もないと思いつつも。
……今の私ならば生き残れるという確信から、私の身体は私の意志に関係なく動き出す。己の限界すら超えて、風を切るような速度で炎から遠ざかる。迷いはない。迷う必要がないのだ。
蛇を連想させる動きで追撃してくる炎が目につく。
気づけば私は炎の全容を認識できるところまで退避することができていた。
そして、未だ追い縋る炎に対して、私は安堵する。
ああ、この炎は私には当たらないだろうな、と。
――――結果、炎は私の予測通り、私とは見当外れの方角へと飛んでいった。
…………。
目先の危機から脱した私は、腰のベルトに下げている剣に、今更ながら手をかける。
出遅れたことは反省して、今後に活かそうと思う。
今はまだ炎を放った襲撃者への警戒を優先する。
しかし、その行為は事前に止められた。
「フィデリタスは心配性だな。確かに奇妙ではあるが……なに……気軽にしておればよい。心配せずとも襲撃者は自ずと姿を現す」
私に運ばれているエピーモナス様は落ち着いていた。いや、むしろここはどっしり構えてないで、慌ててくれないだろうか。命を失いかけたんだぞ!
既に主に対してピークを迎えていた怒りが臨界に達する。
くそっ、ここに襲撃者がいなければ、私が襲撃していたのに。
私が心理的に、襲撃者側に立っていることを見越していたのかはわからないが、襲撃者は空から現れた。
それも、体中を炎で包んで登場するというなんとも絵になる登場。
しかし、そんな粋な感じで現れた襲撃者だったが、私は襲撃者を見て……襲撃者の纏うその炎を見て……。
速攻でこの場から逃げ出したくなった。
「なるほど。不覚にも我に攻撃が当たりかけたことが不思議ではあったが、その全てを焼き尽くすような業火を見て、納得した。我の力も万能ではないからな。……それが現四天の一角を担う者であればなおのこと。そう易々とはいかないということだろうな」
四天の勇者、『業火』。
四天という言葉を知らない者はこの世界にいないだろう。それほどに有名な怪物だ。
それに、四天に関して言えば、千年王国ではもっと知名度がある。
当然だ。
何せ千年王国が千年王国などという大層な国名を名乗っていられる理由そのものなのだから。
四天は千年王国の所有する最強の四人の勇者を指す。
冗談ではなく、一人で国を相手取る規格外だ。
「………はははっ」
絶望のあまり乾いた笑い声を上げることしかできない。
私の人生、終わった。
「随分と態度のデカい……図体もデカいホールケーキみたいな奴だ。ここは素直に俺様の炎から逃げ延びたことを誇りに思えばいいものを」
襲撃者が虫でも見るかのような冷たい視線を私とエピーモナス様に向ける。
彼にとっては、私達など虫のようなものなのだろう。
相手が四天となっては、いつも不満を呼吸と同じくらい自然と貯め込む私ですら、反抗しようと思わない。どう思われようと今すぐにでも逃げ出したい。
だから、早くどっか行け!
「貴様こそ自惚れが過ぎるぞ。新しく四天に昇格した、『業火』などと名前負けしている勇者ごときが、不遜にも我に攻撃を加える一歩手前まで辿り着いたのだ。まず、己の運の良さに感謝するべきだと思うがな」
「なんだとっ! てめえっ、手加減した炎を回避できたくらいで調子に乗ってんじゃねえよ!」
あーあ。私は子どもすら産めずに死んでいくのか。ごめんよ、顔も知らない母さん。元々戦災孤児だから顔なんて知らないけど、私は子孫を残すことすらできそうにないよ。最悪の場合、骨すら残らないかもしれない。
「我が調子に乗る? 馬鹿を言うな。何を勝手に我が乗るものを決めておる。我が乗るものは玉座のみ。四天などと呼ばれて調子に乗るしか能のない貴様と一緒にするな」
「は? 玉座? おいおい、てめえの脳味噌は練乳で出来ているのか? 甘い、甘すぎるぜ。現実をもっと直視して、もう少し俺にわかるように説明してくれよ」
本当、公爵家のメイドになるまでは自分でも良かったと思ってたんだけどなあ……。私は何を間違ったのだろう。
………考えるまでもないな。エピーモナス様に仕えたことだ。きっとそれが人生最大の汚点だったのだ。
「貴様にわかるようにだと? 無理を言うな。どうして我が言語能力が低い貴様に合わせて、未熟な言語を使用しなければならないのだ。貴様が勉強して理解しろ」
「くそがあああああああっ! てめえ、さっきから言わせておけば好き勝手言いやがって」
「いや、貴様が口喧嘩に弱いだけ……
「黙れえええええええええええええ‼」
うん? そう言えば、どうして私はまだ生きているのだろう。確か四天の一角、『業火』に襲撃させたよね。
あれ?
「あ……あの、エピーモナス様、これは一体どういう状況なのでしょうか? どうも私、混乱していたみたいで……『業火』に襲撃される白昼夢を見ていたようでして……」
どうも記憶があやふやだ。
クラウン様を殴って、私は何をしていたんだっけ? そして、どうして今、森にいるのだろう? あれ?
混乱が止まらない。
そんな私の動揺が伝わったのか、エピーモナス様は言う。……何故か、私の頭上で。
「残念だったな、それは白昼夢ではなく現実だ」
えっ? うそ? まじでっ?
「そして、正気を取り戻したフィデリタスには本当に申し訳ないが、現状だと『業火』は怒り心頭、奴の内面を覗けば、尋常ではなく、ドス黒い炎が立ち昇っていることだろう」
「はい?」
主からもたらされた驚愕の事実についていけない私は慌てて『業火』に目を向けてみる。
そこには……、
「くそがあああああああ! スムージーみたいにてめえの肉体をかき混ぜてやるからなあっ! 覚悟しろよおおおおおお‼」
バカでかい青い炎を纏いながら、罵詈雑言を放つ、精神的にも物理的にもヤバイ奴がいた。
「なんでっ?」
意味が分からない。私がトリップしている間に何があった! 誰だっ、語り部の私の許可なくページを飛ばしたのはっ。
自分でもわけのわからないことを考え始めた私ではあったが、少なくともこれに至るまでに状況を知っている主を睨みつける。
答えろ。何があった?
私の思念が通じたのか、エピーモナス様はきまり悪げに、
「まさか天下の四天がこれほど口喧嘩に弱いとは思わなくてな、つい」
と、言った。
………………………よくわかった。今回もあなたが原因なんですね。
なら、仕方ない。もうあなたに文句を言っても無駄だということは理解している。主を間違えた私が悪いのだ。
「それで、どうするんですかあれ? 今は目玉が飛び出るくらい目を見開いて、髪を掻きむしって錯乱していますが………戦いますか?」
私の提案に数秒、エピーモナス様は悩む素振りを見せた後、答えを出した。相変わらず決定が早い。
「放っておこう。あれと戦う理由も、利益もない。ああいう馬鹿は遠く離れたところで、眺めるに限る」
どこか達観した顔つきで言うエピーモナス様の意見に、今回は私も賛成だった。
もう四天がどうとか、勇者がどうとか以前にあんなヤバイ奴の近くにいたくない。普通に怖い。
「そうしましょう。なんというか、『業火』には悪いですが、独りで勝手に燃え盛ってもらいましょう」
「うむ」
こうして、私とエピーモナス様は英雄諸国の方角に向けて、全速力でその場から離れた。
どうやら怒りで暴走しているようで、背後から爆発音が絶え間なく聞こえたけれど、追撃はなかったので逃げきれた。