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戦鬼

作者: あびす

「……クリストフ殿、我々に力を貸しては頂けないだろうか?」

 地方都市、ノールのとある料亭で、二人の男が会談していた。

 童顔の男―とは言っても、結構な年齢まで達しているようだ―と、顎鬚をたくわえた男である。

「…またその話か。アガレス殿も懲りないお方だ」

 顎鬚の男が口に料理を運ぶ手を休めて喋る。

 局地戦の天才、「戦鬼」との異名を持つ男、クリストフである。

 彼は長い間、この地の地方領主としてふるまっており、どこの国に味方することもなかった。

 ……最も、その単純な性格ゆえに利用されてはいたのだが。

「これ以上乱世を騒がせられるな。我々と共に乱世を鎮めないか……?」

 童顔の男―アガレス―は、机に身を乗り出して語る。

 その容姿はまだ30歳程に見えるが、彼は軍事大国であるハイランド帝国のナンバー2だ。皇帝はまだ幼く、政治に口出しをしないため、実質的なナンバー1である。

「……アガレス殿、俺は何の為に生きていると思う?」

 クリストフが酒をすすりながら喋りだす。

「……貴方の生き方は解らぬ。だが、私の天命は、とうの昔から皇帝陛下の下にある」

「いや、俺が聞いたのは天命のことではない。天に意思などあるはずがなく、確たる歴史なども存在しない。俺は、天命といった言葉を信じん」

 クリストフは杯を置いた。空であった。彼は手酌にて杯を満たし、それを再び口へ運ぶ。

「……まぁいい。アガレス殿、俺は戦さえできればいい。それだけで構わない。唯一つ、誇りさえ守れればな」

「クリストフ殿」

「戦の意味はマチルダが考えてくれる。俺はただ、その意味に従って戦うのみだ」

「ならば、どうして……」

 アガレスの言葉を遮るかのように、クリストフが杯をテーブルに置く。

「俺から後一つ質問する。お主は何故皇帝の座に就かないのだ?」

「……フ」

 アガレスは少し笑いつつ、酒を口に運ぶ。彼は軍事、政治を共に司る実力者であり、人望も厚い。

 皇帝はまだ幼いうえに、人が良いだけの凡庸な人物である。彼の能力はアガレスに遠く及ばない。

「……血のついた甲冑を纏う皇帝はおるまい」

 アガレスは皇帝というものに対して、潔癖すぎるほどの思想を抱いていた。

 皇帝は、無垢でなければならない。

 血を被るのは自分の役目。

 怨みを被るのも自分の役目。

 それでよい。

「……お互い、変わった奴だな」

 クリストフは空いた杯に酒を注ぎ、口に運ぶ。

 沈黙の時間が流れる。

 何か、満たされているような感じがした。

 これは、酔いのせいではない。クリストフは酒豪である。この程度で酔いを感じる事はなかった。

 ならば、何のせいだろうか。

 ふと、部屋の扉がノックされた。その音でクリストフは我に帰る。

「……アガレス殿、あんたと飲む酒は旨い。本来ならもっと飲みたい所だが、生憎、時間と立場がそれを許してはくれないようだ。名前だけだが、領主だからな」

 クリストフが席を立ち、アガレスに背を向けて部屋を出て行く。

「再び今のように杯を交わせる事を祈っている」

 クリストフと入れ違いに、部屋の外にいたアガレスの副官であるマリアが入室した。

 長い茶髪と眼鏡が印象的な、なかなかの美女である。

「……クリストフ殿は、やはり……」

「ああ。彼は戦さえできればいいらしい。そして、その意味はマチルダが考えてくれると言っていた」

「マチルダ……あぁ、クリストフ殿の軍師ですね。……それにしても勿体無い……」

「ああ。もっと早く、陛下のような主に出会っていれば……」

「今までさんざん利用しておいて、こう言うのも何ですがね……」

 マリアが自嘲気味に笑う。クリストフは、その武力と性格から、様々な群雄に利用されてきた。

 もちろん、アガレスとて例外ではなかった。

 そして、北方の群雄達はあらかたハイランドによって平定され、残るのはクリストフが領有しているノールのみである。

 ここさえ平定すれば、大陸の四分の一はハイランドの物となる。

 そうすれば、この乱世も少しは治まるかもしれないのだ。

 ノール平定は、アガレスにとって急務であった。それ故に、今回の会談を開いたのである。

「しかし、羨ましいな……。あれほど己を『武人』として割り切れるとはな」



 数ヵ月後、ついにハイランドが動いた。

 指揮官はアガレス。その兵力は六千。

 クリストフ軍はたったの三千。兵力差は歴然としている。ただ彼らのうちの二千は騎兵であり、その力はおそらく大陸一であろう。

 アガレスにとって、油断は許されない状況である。

「伝令! クリストフは城外に陣を敷いている模様!」

 先行している武将の一人、スタッカートの部隊から伝令が入る。

 やはり、野戦を挑んでくるようだ。

 ここまでは、こちらの読み通りである。

「決して自分から仕掛けるな、と伝えろ。我々の到着を待て」

「ハッ!!」

 伝令は走り去っていく。

 スタッカートは、自分を抑えられる武将だ。用兵も下手ではない。地味ながらも信頼できる。

「フェルマータに連絡。馬止めを準備するように」

 もう一人の伝令が馬を飛ばす。

 フェルマータもスタッカートと同じく先行している武将である。勝気な性格ゆえに少々感情的になりやすいが、やはり優れた武将である。

 先行している二人は他国から『ハイランドの二枚看板』と評されているほどだ。

「陣形は方陣。硬く、地味に仕上げろ」

 方陣。それは呼んで字の如く、四角形の陣形である。防御面に優れる陣形だが、攻めにはぱっとしない。それでも構わなかった。

 まずは馬止めで騎兵を足止めし、そこに矢を射ち込む作戦である。正直な話、クリストフの騎兵に正面からぶつかって勝てる軍など、この大陸にありはしない。


「馬止め、か……」

 馬上で腕組みをしたクリストフは、眼前でしっかりと組まれた陣形を眺める。

「先鋒はあの二枚看板か。流石に良い陣形を組んでいる」

「正面からはぶつかれませんね。機動力が削がれては、騎兵はあまり役には立ちませんし」

「わかっている。……リゲル」

「ハイッ!!」

「歩兵700で馬止めを取り除きにかかれ。援護は行う」

「合点承知!!」

 配下のリゲルが歩兵を率いて敵陣に近付いていった。そこにクリストフ達が後方から射撃を行い、少しづつ敵兵を削っていく。

 もともと歩兵はこのために連れてきているようなものだ。それ故に、リゲル率いる彼らの訓練と経験は豊富であった。

 一つづつ、確実に、馬止めを取り除いていく。その作業速度はかなりのものだ。ハイランド軍は陣を崩さぬよう、射撃のみを行っている。それが幸いした。

「被害こそそこそこ出ていますが……そろそろですね」

「うむ。キリィは右翼から、シャルルは左翼から。左右を崩し、中央を孤立させろ。アガレスはおそらく中央にいるだろうからな」

「任せといて下さいよっ!!」

 配下の一人、シャルルが左翼に突っ込んでいく。単純明快で豪放磊落な性格から、兵卒達に非常に好かれている男だ。己の腕前も用兵も一流で、クリストフ軍の一翼を担う存在である。

「全く、五月蝿い奴だ……。もう少し静かにしてくれないものかね……」

 キリィが続いて右翼に突っ込んでいく。甘いマスクと天才的な剣技を併せ持ち、シャルルが男性からの人気者だとすれば、キリィは女性からの人気者である。


「ええい、馬止めは役に立たないか!!」

 スタッカートはあまりに早い馬止めの退場に苛立っていた。止めるも何も、騎兵が向かってくる前に半分が除かれたのだ。

 目の前では未だクリストフ軍の歩兵が死を恐れていない様子で馬止めを取り除いている。その手際は鮮やかなものであった。

「敵騎兵接近!」

 ここに騎兵?

 ここで僕が迎え撃ったら、アガレス様の救援に向かえるのはフェルマータだけ。

 …それを、敵は見越しているとしたら…?

「……ここは任せた! 僕は中央へ向かう!!」

 スタッカートは副将にこの場を任せ、馬首を返してクリストフの元へと急いだ。

 アガレスはここで死んではならない。

 この戦に負けたとしても、この国、いや、この世界のため、絶対にアガレスは殺してはならないのだ。

 自分の命と、引き換えにしても。


 音がした。

 敵陣の、軋む音。

「狼ども、獲物は多いぞ……」

 クリストフが得物の薙刀を舐め、馬を猛らせた。

 その直後、クリストフの直属100と、騎兵800が中央から突っ込んでいく。

 そして、クリストフは自ら先頭に立って駆け抜ける。これは昔からのことだ。総大将となった今でも、この姿勢を変える気はない。

 彼らが行くところに、次々と血飛沫が景気良く上がっていった。

 速く、鋭く、それでいて強い。

 例えるならば、彼らはまさに暴風であった。彼らの道を塞ぐ者は、片っ端からなぎ倒されていく。

 クリストフが薙刀を振るうたびに、いくつもの首や腕が飛ぶ。

 倒れる者、逃げる者。海を裂くかのように、クリストフらが行く所に道ができていた。

「アガレスよ、お前の肝っ玉、試させてもらうぞ!!」

 アガレスの本陣までは近い。

 ここでアガレスが退かなかったら、奴の首を取れる。

 邪魔な旗本を次々と斬り倒し、ついに本陣である。旗本達は退く微塵も退く様子を見せなかった。優秀な旗本達だ。

 それとも、アガレスが慕われているというだけの話か。

「逃げんかッ! その馬鹿度胸だけは褒めてやるぞ、アガレスよッ!」

 アガレスの目の前にたどり着く。

 クリストフが薙刀を振りかぶった。

「来てみろ、クリストフ! 私の天命を試してみろ!!」

 アガレスはこの戦に望む時点で覚悟を決めていた。そして、完膚なきまでに打ち破られた。

 一か八かだ。自分の天命はここで尽きるのか。ここで尽きたとしても、それが己の天命ならば悔いはない。

「アガレス様ッ!!!」

 横から何者かが飛び出してくる。クリストフの薙刀は、その何者かの長剣に受け止められた。

 剣が折れ、曇り空の下に舞い上がる。

「スタッカート!」

「今はお退きを!」

 クリストフの第二撃を、スタッカートは先程折れた剣の根元と手甲で受ける。

 流石に衝撃が半端ではない。腕が痺れる。しかし、距離を離して時間を稼がねば。

「……流石はクリストフ殿、と言ったところか。見事な武勇、感服する」

 クリストフは一息つき、スタッカートを見つめる。

「二発も受けた、か」

 ふと周囲を眺めてみる。アガレスの姿は確認できない。今の間に逃げたようだ。

 ……それならば、追撃は無意味である。それに、なにかあるかもしれない。

「スタッカートと言ったな。……覚えておくぞ」

「……光栄ッ!」

「もう一度俺と対峙したときに、生き残ることが出来たのなら褒めてやろう。全軍、ここらが潮時だ。撤退する」

 クリストフは馬首を返し、全軍に退却の号令を出した。荒らすだけ荒らし、悠々と立ち去る。彼らはやはり、暴風であった。


「……痛ぅ……」

 アガレスは腕に傷を負っていた。

 無理もない。あれだけの乱戦では、無傷でいられるほうが難しいだろう。

「大丈夫です。傷は浅めですから」

 医者がアガレスの左腕に包帯を巻きつける。

「……なぁ、一つ頼まれてくれ」

「何でしょう?」

「皆を呼んできて欲しい。マリア達だ」

「はい」


「入ります」

 マリアが入ってくる。

 彼女に続いてスタッカートとフェルマータが入ってくる。スタッカートとフェルマータは結構仲が良く、よく噂話のネタになっている。

「マリア、任務だ。敵に情報をリークしろ」

「情報?」

「私が死んだとの情報だ。失敗は許さんぞ」

「……また不吉な」

 マリアが顔をしかめた。先ほどのアガレスの無謀な態度に神経をすり減らされた次にはこれだ。あまり気分のいいものではない。

「スタッカートとフェルマータは落とし穴をいくつも掘れ。元気な者を総動員して、早いうちに仕上げて欲しい」

「落とし穴……?」

「底には槍を仕込め。余っている槍は全部使って構わん。いや、槍といわず、刃物を徹底的に仕込んでくれ」

「なるほど……。罠って訳ね」

「そうだ。敵をこの陣に誘い込み、さっき言った罠で一網打尽にする」

「ハ!!」

 三人は敬礼をしてそれぞれの準備を進めにかかる。

「……正面からは敗れた。だが、今度の見せ場は私のものだ。クリストフ……」




 二日後のこと。アガレスもクリストフも、互いに軍を動かすことはなかった。アガレスが陣に引きこもっている以上、無理に攻める事はできない。

「ダンナ!! 大変ですぜ!!」

 シャルルが息を切らせてクリストフの元へと駆け込んでくる。それを見たリゲルが心配そうに水を差し出した。

 シャルルはそれを一気に飲み干し、一息つく。

「どうした、そんなに慌てて」

「いや、本当にやばい情報が入ってきたんですよ!!」

「アガレスが戦死したそうです」

 キリィが入ってくる。

「あ!! 俺の台詞!!」

「なんでも先の野戦で受けた傷から、病を発症させてしまったとか」

「無視かよ……」

 シャルルはやりきれなそうに眼帯の下を掻く。彼は隻眼ではないのだが、眼帯が格好良いと思っているらしく、普段はつける必要のない眼帯をつけている。……最も、少しの死角が命取りになる戦場ではつけていないのだが。

「……怪しくないですか?」

「そうね……。どうしてそんな情報が洩れてるのかしら。普通、指揮官の死は隠すものなのに」

 軍師であるマチルダは怪しんでいる様子だった。軍師というものは怪しむのが仕事だというが、彼女は少々行き過ぎているところがある。まぁ、そのあたりは性格的な問題だろう。

「現在ウラを取らせています。解り次第、報告いたします」

「頼んだ」


「敵陣には喪旗が立てられており、静かです」

 ハイランド陣を探っていた間者が報告を入れる。

「撤退準備を進めておりました。戦える状態ではないようです」

「ダンナ、攻め時じゃないすかね? 指揮官さえいなけりゃ、敵さんすぐに壊走するんじゃ?」

「私もそう思います。シャルルにしては良い捉え方だと」

「人を馬鹿みたいに言うなよ」

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い」

「うるせぇ、ロリコンは黙ってろ!!」

 シャルルとキリィが口喧嘩を始めだし、リゲルが慌ててそれを止めに入った。よくある光景である。

「……よし、今夜にでも攻めるか。決着をつける」

「じゃ、準備しとくよう言っときますね」

「十分気をつけてください。策という可能性もあります」

「マチルダ、大丈夫だ。いくらなんでも自分の死までも策にはしないだろう」


 ハイランドの陣は、不気味なほど静かだった。

 黒い喪旗が風にあおられ、不気味さを増している。

「……これ、凄く不気味じゃないですか……」

 手綱を握るリゲルの手は震えていた。彼はまだ若い。

「ん? びびってるのか?」

「……ハハ」

 リゲルが恥ずかしそうに笑った。

「ったく、しょうがねぇなぁ」

 陣からは物音一つしない。もう撤退が済んだとでもいうのだろうか。

「……少し突っついてみるか」

「そうですね。……柵を倒せ」

 数騎が柵に紐をかけ、一斉に引っ張った。

 木がへし折れる音がし、柵が倒れるが、反応はない。

「突っ込むぞ。俺とリゲルがまず行く。キリィ達は後に続け」

 クリストフ達が陣内に突っ込む。

 刹那。

 何箇所もの地面が抜ける。

 騎兵がその穴に落ちていく。

 次々と落ちていく。

 勢いがあったぶん、止まらなかった。

 そして、叫び声が響き渡る。

 クリストフは、己の瞳と耳に入る光景が信じられなかった。

 鍛え上げてきた馬と、人。

 それが全て、貫かれていく。

 自分の愛馬も、直属の精鋭も。

 そして自分すらも。

「ダンナ!! 大丈夫ですかい!?」

 シャルルがクリストフの元へと駆け寄る。

 どうにかリゲルが穴の底から這い上がってきた。

 松明の灯がぽつぽつと点いていく。何人もの人影が見えた。

「……シャルル! 弓兵だ!!」

 キリィが叫んだ。

「射て! ネズミ一匹も逃がすな!」

 スタッカートの号令で、矢が降り始める。

 穴の底から這い上がってきた者も、矢に射られて死んでいった。

 阿鼻叫喚が闇の中にこだまする。

「キリィ、ダンナとリゲルは任せる! 早くこの場から退いてくれ!!」

 シャルルが矢を弾きながら叫んだ。それを聞いたキリィが穴へと近付く。

 クリストフもリゲルも、生きてはいるようだ。

「シャルル…………死ぬなよッ!!」

 クリストフとリゲルを馬上に引き上げて、キリィは馬を駆けさせた。

 後に続くのはごく少数。

 頃合を見て、シャルルは撤退を始める。彼の周りには何本もの折れた矢が転がっていた。

 陣は再び元の静寂を取り戻した。


「……被害は大きいわ」

 マチルダが頭を抱えながら入ってきた。

 先の罠で生じた被害は甚大。

 騎兵二千のうち、生き残っているのは四百。クリストフ直属の精鋭百騎も、三十五騎しか残っていない。歩兵も残りは三百のみ。

「野戦は無理ね。篭城しかないわ。…………ああ、頭が痛い」

「クリストフ様の様子は?」

「怪我はほとんどない。運の強いお方ね。……でも、リゲルの怪我は大きかったわ。戦うのは無理」

「そうか……。考えてみれば篭城は初めてだな」

 クリストフ軍はいつも騎兵の機動力を活かせる野戦で決着をつけてきた。それ故に、篭城戦までもつれ込むのは初めてである。

「はぁ……。頭が痛すぎるわ」

 マチルダが頭を抱える。彼女の頭痛は持病である。ノールの外交や民政は全てマチルダが担当していた。

 君主は戦馬鹿、同僚は政治力零、これでは頭痛を起こさないほうが不思議なものだ。


「あなた、無事でしたか……」

「……ああ。なんとかな。それでも、配下はほとんど死んでしまったが……」

 クリストフは妻の許にいた。年上の女であり、お世辞にも美人とは言えない。

 だが、クリストフはこの女のことを愛していた。

 この女といれば、心が落ち着く。

 そんな女は、この女以外にいなかった。

「寝ますか?」

「…………ああ」

 寝たかった。心底疲れている。

 クリストフは女の膝に頭を預け、深い眠りに落ちていった。



「まさか篭城とは思いもしませんでしたな」

 ハイランド軍はノール城を包囲していた。

 それほど攻めにくい城だという訳でもなく、クリストフ軍に篭城戦の経験者はあまりいない。

「騎兵さえ封じることができれば、奴らもおそるるに足りないわね」

「だが、予断は許されない。各門を昼夜を問わずに攻め立てるぞ!」


「篭城でも勝ってみせる……ッ! ここがクリストフ軍の軍師たる私の腕の見せ所!」

 マチルダは自分を勇気付けるかのように呟きつつ、ノールの城壁を駆け回りながら指示を飛ばしていた。

 不安要素は北門である。しかもそこを攻めているのは二枚看板の一枚、スタッカート。

「開門」

 マチルダが北門を見下ろすと、クリストフが単騎で構えていた。門の守備兵が不安そうな目で城壁の上にいるマチルダを見つめる。

 ……ここからたった一人で出撃するっていうの!? 味方の私がここまで驚いてるのなら……敵の驚きは……

「開門してぇぇぇぇぇぇッ!!」

 マチルダが声を振り絞って叫んだ。


「閉門」

 クリストフは単騎で城外に出る。

 ゆっくりと息を吐き、薙刀を振りかぶった。彼の周りにいる兵士の何人かが逃げ始める。

 振りぬいたと同時に、何人もの兵卒が真っ二つになった。

 悲鳴と共に、戦慄が走る。

「どうした? 怖いか?」

 一振りごとに何人もの兵卒が真っ二つになっていく。

 クリストフを囲む兵卒達は身動き一つ取れなかった。

 小一時間ほど暴れた後、クリストフは背を向け、薙刀を振った。その薙刀は空を切っただけだったが、兵卒達を恐れさせるには十分だった。


 クリストフが戻ってきた。兵卒達は大きな歓声を彼に送る。

「……それにしても、なんて人なの……」

 マチルダが苦笑を浮かべた。

 この人には、野戦も篭城戦も関係ない。

 ただ散歩するように城外に出ては、敵味方の士気を逆転させて戻ってくる……。

「……やはり、戦鬼。その言葉しか、浮かばないわ……」



「今日もクリストフは西門から現れております!!」

「東門からも!!」

「北門と西門の二ヵ所から同時に現れたと言う物もおります!!」

 フェルマータはイライラしながら伝令の報告を聞いていた。

 クリストフを止めなければ、兵卒達への影響が大きすぎる。

 だが、到底勝てる相手ではない。

 クリストフの強さは、尋常を数倍したものではない。異常の数倍である。

 いつの間にか、包囲は遠巻きになり始めていた。

 神出鬼没のクリストフに、兵卒達が怯えきっているのだ。

 自分の無力が悔しかった。

 フェルマータは下唇を噛み、少しうつむいた。



 略奪婚のようなものだった。

 かつてノールを支配下に置いた際、地元の商人の側にいた女が目に留まった。

 一目惚れと言うやつであろうか。

 その翌日に婚礼を申し込んだ。

 商人は二つ返事で引き受け、女はクリストフの妻となった。

 無理矢理な感がしないでもないが、クリストフを恐れる商人が慌てて女を差し出した、と言ったほうが正しい。

 だが、クリストフはその事を妻に明かさなかった。

 妻が抱いている幻想を壊してやりたくなかったのだ。悪いのは商人―妻の父―ではない。クリストフなのだと、そう思ってもらっていたほうがいい。

 しばらくの間、妻は口を聞こうとしなかった。仕方ないことかもしれない。

 だが、妻と一緒にいる時間は、凄く落ち着いていられた。

 娶ってよかったと思った。

 どちらも一言も喋らない奇妙な新婚生活が過ぎた後、妻は初めて口をきいた。

「私は貴方の妻となった身。戦鬼の妻として恥ずかしくないようにしてみせましょう」

 事実、彼女はクリストフをよく支えた。

 戦に明け暮れる夫に対し、妻はその疲れを取ってやるかのように優しく接した。

 その、最愛の妻。

 しっかりと支えてくれていた妻。

 彼女が、倒れた。

 彼女のことだ。長い間溜め込んでいたのだろう。夫に気付かれないように。

 だが、この城内ではろくな治療も受けさせてやれない。

 救いたかった。

 そう思うやいなや、クリストフは城壁へと向かっていた。


「アガレス様、クリストフです!!」

 城壁の上にはクリストフが一人立っていた。兵卒からの報告を聞いたアガレスは、マリアを連れて陣の前に出る。

「アガレス、聞こえるか?」

「よく聞こえている。何の用だ? 降伏のつもりか?」

「馬鹿を言え。アガレス、貴様は武運を試してみる気はないか?」

「武運だと?」

「俺がここから貴様の兜の髷を射抜いてみせよう。それが外れなかったのなら、貴様には武運があるという事だ」

「そんなこ……」

「面白い。やってみろ」

 横から割り込もうとするマリアを抑え、アガレスは一歩前に出て仁王立ちとなる。

 城壁からアガレスの位置までは、かなりの距離がある。弓の達人でも難しい距離だ。

 クリストフは弦を引き絞る。

 次の瞬間、矢が空を切った。

 その矢は、アガレスの兜の髷を寸分狂わず射抜いていた。

 アガレスの体に怪我はない。マリアがホッと胸をなでおろす。

「俺は今、貴様を殺そうと思えば殺せた。何故それをしなかったと思う?」

「……何故だ?」

「妻を助けて欲しい。この城の中では十分な治療を施してやることはできない」

「……私の命と、お主の妻の命とで取引するということか。……いいだろう」

「感謝する」

 クリストフが城壁から降りようとする。

 ふと、アガレスの心の中に疑問が浮かんだ。

 勝利すら捨て、妻の命を助けようとするこの男を、ここで殺していいのだろうか。

「クリストフ!!」

 アガレスの声にクリストフは歩みを止める。

「頼む、降ってくれ! 私は君を殺したくない!!」

「……アガレスよ、男が護らねばならないものは何だと思う?」

 クリストフは振り向きもせずに喋る。

「誇りと、愛する者だ」

「しかし、死んでしまっては……」

「俺の誇りは、敗れなかったことだ。俺は、この誇りを抱いたまま死にたい。ここで貴様に降るのは、俺の負けだ」

「クリストフ!!」

「しつこい。もう戻るぞ。約束は守れよ」

 クリストフは城壁から姿を消していった。その姿を見送ったアガレスは、ため息をつきながら、兵卒が持ってきた折り畳みの椅子に座る。

「……主君にならなければ、よかったんだろうな…」

「ええ。君主がプライドを守り抜く、という事は非常に難しいことでしょうから」

「全軍に連絡しろ。クリストフの妻が城を出るまで攻撃を中止」

 甘いな……。

 アガレスはそう自分を嘲笑した。




「…しぶとい。クリストフがあの調子で出てくれば、こちらの被害はさらに増える…」

 アガレスは頭を抱えていた。

 攻撃を始めて二ヶ月になるが、いっこうに落ちる気配は見当たらない。

 持久戦になれば、苦しくなる。

「アガレス様!! 急報です!!」

「どうした!?」

「兵站線が断ち切られました! 山賊に襲われた模様!!」

「……マチルダの差し金ですね……」

 その通りであろう。

 輸送部隊とはいえ、武装した兵士達である。

 それを襲うとは、何か裏があると踏んでいいだろう。

 そして、この状況で動く者は……クリストフ達のみ。

 おそらく彼はこのような策は考えないだろう。配下の者にも思い当たる者はなかなかいない。だとすると、マチルダのみ。

「クソ……ッ! 引き上げるしかないのか……!?」

 アガレスが苛立った様子で机を殴る。

 手持ちの兵糧はあと二週間持つか持たないか。だが、二週間で落とすことは至難であろう。二ヶ月かかっても落とせなかった城だ。

「……失礼します」

 一人の護衛兵が入ってきた。

「面会を求めている者がおりますが……」

「誰だ?」

「……ヘイゼルです」

「ヘイゼル!? クリストフ軍の将の一人だな?」

「はい」

 ヘイゼルとは、クリストフ軍の中堅どころの部将である。

 シャルルやキリィほど有名ではないのだが、それなりの働きをする堅実な武将だ。

「……とりあえず通せ」

「はい」

 何故、ここで……?

 アガレスは疑問を抱く。

「失礼します」

「君がヘイゼルか」

 まだ若い女だった。その顔は、クリストフ軍のリゲルに酷似している。双子というところだろうか。

「何の用だ?」

「……降りたいのですが……」

「な!?」

「私はこれ以上クリストフ様にはついて行けません。あの方は、これ以上戦うのは無意味だというのに、己の誇りを守り続ける為に戦っています。それは、民を苦しめることに直結します」

 ヘイゼルの顔は嘘をついている顔ではなかった。

 ここぞというときに見せる、本気の顔である。

 そしてそれは、信じていい顔であった。

「……君の顔は策を行っている顔ではない。君の言う事は、信じよう」

「ありがとうございます」

「他に君のような考えを持つものはいないのか?」

「……私の知る限りでは居ません。皆、クリストフ様の強さに魅せられて配下になった方々ですから」

「カリスマという訳か……だろうな」

 降ってきたのが彼女だけとなると、内部からの叛乱は難しい。

 しかし、叛乱が駄目でも、使い道はある。

「君の降伏を受理する。しかし、今から言うことを成し遂げてくれればだ」

「何でしょうか」

「マチルダを捕縛しろ。そして、城外に連れ出せ」

「…………はい」

 これで勝てる。

 間違いない。

 退室していくヘイゼルを目で追いながら、アガレスは拳を握った。

「アガレス殿……」

「汚い手段だと思うか?」

 傍にいたマリアが無言で頷く。

「この戦は負けられない。ここで負ければ、またクリストフを担ぎ上げようとする連中が現れる。それは、この地の安定には繋がらん」

 ハイランドはこの周辺をあらかた平定したとはいえ、それでも地盤は固まっていない。クリストフは、存在そのものがハイランドの不安要素なのだ。

「マリア、弓兵を揃えておけ」

「……はい」



「マチルダが連れ去られただと……ッ!?」

 クリストフは突然の報告に耳を疑う。

 腹心のマチルダが連れ去られ、連れ去ったのはヘイゼル。

 信じ難い出来事だった。

「本当なのか……?」

「……全く疑う余地はありません」

「……ならば、連れ戻しに行く」

 マチルダは、必要な者だった。

 至弱だった頃から、自分についてきた優秀な軍師。

 そして、自分の戦の意味を考えてくれる者。

「……止めないのか」

 側にはキリィがいた。

「殿は言い出すと止まりませんしね」

 キリィが笑い、クリストフの後につく。

「……そうか。……そこの者。もし俺が戻ってこなかった場合は、降伏しろ」

「クリストフ様……」

「これだけは絶対に守れ」

 クリストフは馬小屋へと向かう。

 そこには、シャルルと、直属の三十五騎がいた。

 彼らは全て、共に長年戦ってきた戦友達。

「ダンナ、水臭いですよ」

「……すまんな」

「いいって事ですよ。マチルダの代わりは誰もできませんしね」

「シャルルの言う通りです。殿の戦の意味を考えられるのは、マチルダのみ」

「お、久しぶりに意見が合ったな」

「まぁな」

 シャルルとキリィが笑い合う。

「……なら、貴公等の命、預からせてもらう……!!」

 クリストフが掲げた掌に、二人は拳を打ちつけた。

「開門!!!」


「クリストフ達、出陣した模様」

「予想通りだな。包囲しろ!!」

 クリストフの周りに兵士達が群がる。

 だが、クリストフは構わず突き進んでくる。

「囲めないのか……?」

 血飛沫が晴れた空の下に次々と舞い上がっていく。

「囲めないのか、おいッ!!」

 アガレスは思わず歯噛みする。

「殿ォォォォ!! お戻りくださいィィィ!!」

 マチルダが声を精一杯に振り絞って叫んだ。

「ハイランドの兵糧はもう残っておりません!! あと少し持ちこたえれば、勝利ですよォォ!!」

 それくらいは解っている。

 俺は、馬鹿ではあるが愚かではない。

「勇猛果敢、気焔万丈、神速縦横、我が精兵達よ!!」

 クリストフが敵兵を切り捨てながら叫ぶ。

「俺に命を預けてくれたこと、感謝するッ!! お前達にここで報いることはできないが……」

 眼前には見覚えのある男。

 あのスタッカートとかいう男。

「来世でも再び共に戦えることを祈っている!!」

 スタッカートの剣をいなし、すれ違いざまに背中を斬りつけた。

 スタッカートが落馬したのが視界の端に映る。

「マチルダは……返してもらうぞッ!!」

「殿ォォォ!!」

 クリストフの猛進は止まらない。

 十重二十重の鱗を次々と剥がしていく。

 それを見ていたアガレスは、手のひらが汗まみれになっているのを感じた。

 だが、クリストフの周りにいる者は少ない。

 キリィとシャルルはまだ残っているが、直属の騎兵はもう少ない。

 無理もない話である。

「……シャルル、私はここまでだ……! 殿を、頼む……ッ!!」

 全身に矢を受けたキリィとその馬が歩みを止めていく。

「キリィ!!!!」

 思わず正面から眼を逸らしたシャルルの右目に矢が刺さる。

 一瞬だけ動きを止めたシャルルへ、次々と刃が振り下ろされた。

 シャルルはそのまま、力なく落馬していく。

 憧れていた隻眼になれたのが死の間際とは、皮肉なものだ。

「キリィ……シャルル……!」

 自分を支えてくれていた両腕はもうこの世にいない。

 残るは自分一人。

「殿ォォォ!! お戻りくださいィィィィ!!!」

 マチルダはかすれる声でなおも叫び続ける。

 しかし、クリストフの猛進はとどまるところを知らない。

「弓兵っ!! ありったけの矢を射ちまくってぇっ!!!」

 矢の雨が降り注ぐ。

 弓兵を指揮しているマリアは恐怖を隠せなかった。

 これほど感情的になったのは初めてである。

 クリストフはなおも突き進むが、少しづつ彼に矢が吸い込まれていく。

 残る鱗は、あと五枚。

 もう何も考えつかなかった。

 ただひたすら、斬り、突き、刺し、裂き、抉り、砕き、殺すのみである。

 もう限界だ、体はそう告げているようだったが、聞こえなかった。

 だが突然、馬が止まる。

 その隙を逃さないかのように、クリストフに向かって矢が降り注ぐ。

 矢を弾く間もなく、クリストフの体に無数の矢が吸い込まれていった。



 戦い終わって、日が暮れていた。

 クリストフの死とともに、ノール城は降伏。そして、兵卒の多くとマチルダは自害。城では現在、キリィとシャルルの首検分が行われていた。

 そこら中に転がっている屍の上を烏が何羽も飛び交っている。

 夜になれば、「死肉喰い」と呼ばれている魔物が現れるであろう。

 そんな戦の跡に、アガレスは一人で酒瓶を持って、クリストフの亡骸のそばに立っていた。この男の顔は忘れない。検分を行うまでも無い。

「クリストフ、あなたの強さは本物だった。だから私は、あのような形で決着をつけざるを得なかった。……笑うならば笑うといいし、嘲るのもいいさ」

 アガレスは酒を口に運ぶ。

「あの突撃は、後世の誰も真似できないであろう」

 この男一人によって生じた被害は、非常に大きかった。スタッカートは負傷、兵卒達となると、果たして何人やられたのか。

「あなたの事を、後世の歴史家どもは善く書かないだろう」

 確かに、君主としてのクリストフは落第点だった。

 戦の大局を読めず、一人の臣、一人の妻のためだけに勝ちを捨てたのは、愚かとしか言いようがない。

 だが…………

「私は、あなたのような生き方は嫌いではない。むしろ、憧れていた」

 自分の誇りと、愛する者を守り抜くためだけに戦う。

 それが、本来の「武」の姿であるのかもしれない。

「あなたは、君主にならないほうがよかった。一介の武人のままなら、歴史に輝かしい名を残せたであろうに」

 アガレスは酒瓶をひっくり返し、クリストフの遺体に酒をかける。

 酒の粒が、夕陽を反射して輝いた。

「……あの時、ともに飲んだ酒だ」

 クリストフの体は酒を弾き、酒は地面に吸い込まれていく。

 クリストフの血と共に。

「あのときの質問……。私は何のために生きているのか……。それは……」

 アガレスは瓶の中に残っていた酒を一気に飲み干す。

「乱世を鎮め、民の笑顔を見ることだ。それが、私の誇りであり、戦う理由だ」

 夕陽は、烏が飛び交う戦場に少しずつ沈んでいった。

 アガレスの横顔と、クリストフの遺体を照らしながら。

読んでいただき、有難う御座いました。

過去作品の焼き直しゆえ、ところどころに拙い箇所がありますが……。


あと、インスパイア箇所がわかっても言わないであげてくださいw

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