アーサー王体験記
俺は昔からアーサー王物語という本が大好きだった。アーサー王に関する本は多少の違いはあれど大まかな流れは同じだ。アーサー王のもとに円卓の騎士が集い、彼等は勇壮な戦いを繰り広げる。ロマンチックな恋愛やきらびやかな王城での生活、そして剣と魔法が入り乱れるその世界は男ならば誰もが一度は夢見るだろう。しかし、アーサー王物語の最期は人々が逃れられない運命に翻弄され、ついには全てが滅びてしまうという壮絶な終わりを遂げる。俺はそんな物語に魅了され高校生になっても夢中で読み漁っていた。
そう、あれは高校三年生の夏の日だった。
「暑いなぁ」
俺、橘 諒は授業中にも関わらず机に突っ伏していた。
黒板では教師が絶賛解説中である。
「はぁ…」
アーサー王物語が好きだからという理由で選んだ世界史は失敗だった。最初に教科書を読んだ時、俺は絶句した。アーサー王に関する記述は二、三行もないのである。しかし落ち着いて考えれば当たり前の事である。アーサー王物語はあくまで史実ではなく作品。数ある騎士道物語の一つなのだ。当然元となった戦いなどはあるだろうが、そんなことは関係ない。学校の授業でアーサー王物語の内容を勉強することはないだろう。
「橘!生きてるか?」
「は、はい!」
寝ていると思われたのだろう、教師の声に驚いて思わず声が裏返ってしまった。周りのクラスメイトを見ると進学校ということもあってか皆、授業に集中している。
「はぁ…」
退屈だ。もしアーサー王物語が本当にあったらどんなに良かった事か。俺はすっかり授業に集中できなくなり、窓の外へ視線を向けた。空は雲一つなく、青空がどこまでも広がっている。
「ん…?」
心なしかいつもより太陽が眩しい気がする…
瞬間、目の前が光に包まれた。
目を開けると周りに多くの人だかりができていた。全員おかしな格好をしている。鎧を着けているもの、ローブのような服を着ているもの、どれもがファンタジー映画で見るようなものだった。
「貴様、何者だ!」
鎧を着た一人の男が近付いて来る。服装ばかりに目がいっていたが、よく見ると皆一様に俺を見ている。
「ま、待ってくれ!怪しい者じゃない!」
捕まったら殺される、反射的に逃げようとした俺は走ろうとした瞬間に後ろからもう一人の男に捕まってしまった。
「ちょうどいい、丁度新しい王が決まったんだ、裁定して貰おう」
俺は男に引きずられる様にして人だかりの奥へと連れていかれた。
「アーサー王!不審な人物を発見しました。サクソン人の手先かもしれません」
そう言うと二人の男は俺を放り投げた。
「いってぇ…」
顔を上げるとそこには明るい金色の髪と瞳が特徴的な少年が立っていた。年は俺と同じくらいだろうか、骨太で身長は俺より僅かに高いだろう。
「たしかに見ない顔だな。どこから来た。名は何という」
「こっちが聞きたいね!何なんだあんた達は!」
あまりの横暴さに思わず怒りを顕にして立ち上がる。しかし、立ち上がろうとした瞬間に周りの男たちが剣を抜いた。
「待て!」
少年は俺が斬られる寸前に大きな声を出した。
「今のは聞かなかった事にしよう。余はアーサー・ペンドラゴン、この地を統治する王だ」
「アーサー…?アーサー・ペンドラゴン?」
耳を疑った。これは夢だろうか。そうだ、思えば言葉が通じているのだっておかしい。俺は正気を失わないようにするのが精一杯だった。
「こんな事をしている時間はないんだ。名は何という?」
「名前は…橘 諒。日本から来ました」
「リョウ?日本とは何だ?」
頭がクラクラする。答えようがない。もしこれが夢だとしてもアーサー王が日本なんて知っている訳がない。
「まぁいい、時間がない。この者は今のところ害がないようだから牢に容れておけ。マーリンを探さないといけない」
そう言うとアーサーは教会に向かって行く。
「マーリン…?そうか!新しく王が決まったと言うことは石に刺さった剣を抜いたところだな!」
アーサーは驚いた顔をして振り返った。
「マーリンを探しているのはサクソン人から領地を奪い返すための相談だろ!?」
アーサーは真っ直ぐと俺の前に戻ってきた。
「随分と詳しい…マーリンの居場所を知っているのか?」
「え…?」
マーリンはアーサーが王になってからは基本的にずっとそばにいたはずだ。というより、剣を抜いた後にアーサーがマーリンを探す話は見たことがない。俺が答えに窮しているとアーサーは
「サクソン人を追い払うのに新しい剣が必要なんだ。マーリンをどこにいるか教えて欲しい」
と小声で話してきた。
「いやいや、抜いた剣があるだろう?あれでいいじゃないか」
たしかに本によって抜いた剣は一切使わなかったり、壊れたりする話もあるが、そのまま戦う話もある。
「これではダメだ」
何をもってして彼は言っているのだろうか。その剣でも戦えるはずなのに。しかし、俺はもう一つの剣の存在を知っていた。
「なるほど、今回はそっちのパターンでいくのか。オーケー、とっておきの剣を知っているんだ」
俺はまるで自分がマーリンになったかのようで楽しくなってきた。
「本当か?それはどこにある?」
アーサーは俺をマーリンの知り合いだと思っているのか話を信じてくれたようだ。よく考えればアーサーはこの時点だと15~16歳で王に成ったばかり。このままアーサーの助けをしていれば、なんとかなるだろう。俺は急に気持ちが楽になった。
「湖にあります」
「そうか!では連れていってくれ」
アーサーはそう言うと馬を二頭連れてきた。
「え!?いや、悪いけど一人で行ってくれません?湖の乙女がいる場所です」
まずい、俺は剣が貰える場所は知っているがそこが何処にあるのかは知らない。俺が断ろうとするとアーサーは
「知らないな、悪いが連れていってくれ。報酬といっては何だが牢獄行きを取り消そう」
「うっ…」
そういえばそんな話があった。正直、喉から手が出るほど欲しい報酬だ。
「分かりました。ただ一つだけ条件があります」
「聞こう」
「馬に乗ったことがないので、私が乗る馬は大人しい奴でお願いします」
アーサーは一瞬目を丸くしたがすぐにいいだろう、と言って別の馬を連れてこさせた。
森に入ってからどれくらい経った頃だろう、アーサーはあとどれ位で着くか聞いてきた。
「もうすぐですよ」
正直、迷子に近かったがそんな事を言ったらどうなるか分かったもんじゃない。俺は内心震えながら返事をした。
「そうか」
アーサーは大人しくついてくる。これ以上は隠し通せないと思った時、開けた場所に出た。
「ここが…」
アーサーが馬を降りて湖に向かって歩き出した。慌てて俺も後を追おうとしたが、足が動かなかった。
…そうか、あそこに行くのはアーサーだけだ。俺は直感的に理解して、アーサーの馬の手綱を持っていた。
「どうした?」
アーサーは俺が来ないことに気付いたのか戻ってくる。
「湖から突き出ている手が見えますね?その手が持っている剣が貴方が求めているものです。剣の持ち主は湖の乙女です、ねんごろにお願いするのですよ」
俺は物語の内容を思い出しながら、一つ一つ忠告した。
アーサーは頷くと湖の方へ歩き出していった。アーサーは乙女と話していたが暫くすると舟に乗った。舟はゆっくりと剣の方へ進んでいく。物語によるとここはカムランからそう遠くないはずだ。アーサーは未来を見通す目を持っていないが、どの物語でも自らの運命を感じとる場面があった。彼は今、何を考えているのだろうか。
気が付くとアーサーは黄金に輝く剣と鞘を持って戻ってきた。
「急いで戻ろう」
アーサーは剣を腰につけると馬に乗った。剣の光が視界を包んでいく。
あぁ…どうやらマーリンごっこはここまでのようだ。
それでも最後に、彼に言わなければいけないことがある。
「アーサー王、あなたは剣と鞘、どちらがお好みですか?」
アーサーは少し考えていたがすぐに
「鞘も鞘で美しい。だが何といっても剣だ。私は剣の方が好きだ」
そう笑顔で言った。
「そうですね。でもその鞘も大事にしてください。その鞘が剣帯にある限り、王が戦いでどれほどひどい傷を負っても血を失うことはありません」
俺の想いが通じたのか、物語通りだからか、アーサーは剣を鞘に納めて、はい、と頷いた。
馬に乗って走り出す彼の背中はまだ若さを残しているものの、王としての威厳に満ちていた。
「橘!」
教師の声が頭に響く。
「大丈夫か?体調悪いなら保健室に行ってもいいぞ」
気が付くと元の教室に戻っていた。時計を見ると授業はあと5分もなかった。
「いえ、大丈夫です」
俺は頭を下げて謝ると再び視線を窓の外に移した。
空は依然として晴れていたが眩しくはなかった。
あれは夢だったのだろうか。あの後、アーサーはどうなったのだろうか。物語と同じ様にカムランで運命を遂げたのだろうか。
いくら考えても答えは出ない。
俺は教科書を開き、『アーサー王物語』という字を見続けていた。