9
翌朝。
僕は天井に張り付いた恰好で目覚めた。
はっと目をさました瞬間、
ベッドの中で眠るママとヤツが視界にとびこんできた。
幽体離脱?
一瞬そんな超常現象を疑ったが、
昨日眠ったはずの自分の体はベッドの中にはなく、
ママとやつの間にあいた不自然な隙間が、
ほんの少し前まで僕がそこで眠っていたことを物語っていた。
「な……んで?」
小さく言ったつもりが、
その声でベッドの中のママが目覚めてしまった。
うーん、と言いながら
ママの美しいまぶたが開いたり閉じたりしている。
「あら」
天井の僕と目があったママは、
別段驚くでもなく、
しかし冷静というわけでもなく、
僕を見あげた。
ややあって
「降りられる?」
と心配そうに微笑む。
僕も微笑み返す。
だけど、えっと
……降りる?
まさか、
降りられないぞ。
「ママ、起こして、そこの人、お願い」
これは、あいつに聞くしかない状況だ。
確かに昨夜やつが言ったことは正しかった。
もう、天井という天井を這いずり回りたくてたまらない。
体がうずうずして
たまらない。
一刻もはやくこの天井から離れて、
一階へ行きたい。
それからここまで
天井づたいに這いずり回りたい。
「そこの人ぉ?」
ママは起きぬけでとろんとした目で、
わからないというふうに首を傾げる。
「うん、ほら…そこ、横の人」
ママはやく。
じれったい。
動きたくてたまらない衝動にかられながら、
ママに懇願する。
「だ〜れぇ?」
「ほ、ほら、そこ」
やつのように天井に華麗に張り付くためには、
相当時間がかかりそうである。
まだ手も足も動かせない。
だからやつを指さそうにも、できないのだ。
「だぁれ?」
ふふふーと笑うママ。
「…そこ、ほら、もう」
ママがふんわりと微笑む。
その横で、やつが美しい顔をして眠っている。
「そこの。ほら、…パ、パだよ、パパ!」
…とうとう言ってしまった。
今まで絶対に口にしないと決めていた言葉。
ママは僕の口から出た初めての呼称に一瞬きょとんとして、
ちらっと傍らの男に目を落とした。
そして「パパ…」と眠る男の頬に手を伸ばした、その時、
「パパ、ねぇ」
がばりとケットをはねて半身を起こしたヤツが、
にやりと僕を見上げた。
「坊や、今、パパと?」
横にいるママをぐいと寄せて、
「初めてだね坊や。嬉しいよ」
と微笑む。
(こ、こいつ、起きていた…!)
「い、言ってないっ」
「聞いたぞ、坊や」
にんまり笑うトカゲ男。
「言ってないってば!」
「言った。二回も言った」
「っつ…それより、おり方、おり方を教えて!」
ヤツはくくく、と笑いながらベッドから出た。
ママを姫だっこして、これ見よがしに僕を挑発する。
「坊や、『パパ、愛してる』と言ってごらん。
そしたら降ろしてやろう、ふははは」
…きっ、鬼畜…!
僕はその日、終日天井に張り付いたまま、
トカゲ男に産まれた運命を呪った。
*
「それからなんとか自力で床に降りたんだけど、
とっても大変だったってわけ…」
そこまで言い終えて
ふと後ろを見ると、
僕を後ろから抱きかかえていたジョーは、
僕にもたれかかるようにして、
すやすやと寝息をたてていた。
僕は相当夢中で話していたらしい。
全然気付かなかった。
「寝ちゃった…?」
(長くて退屈だったかな。)
けっこう頑張って話したつもりだったんだけど、
すっかりジョーは眠ってしまっている。
可愛い寝顔を見れたことは嬉しいけど、
ちょっとがっかりだ。
「ジョー、起きて、ね?」
ジョーの髪の中に手を入れて、
頭を揺する。
地肌は柔かくて、あたたかかった。
「ん〜…何?」
ジョーがまぶたをあける。
潤んだ瞳がキラキラ、美しい。
「わかった?」
「…な、にが?」
「僕のパパのこと」
ジョーは
「ぜんぜん、わかんない。ごめん」
と笑う。
可愛い。
「最初から、もういっかい。」
ジョーが僕の首に腕をまわして、
小さくささやく。
粘液がどろっと溢れそうな感覚。
「いいよ、でも、今度は寝ちゃダメだよ?」
「うん」