5
「サラ、心配させたね。」
放課後、二人だけの教室で、ジョーは優しく僕を抱きしめた。
「俺、一人であの教会へ行ったんだ。そしたら『汝シルフなり』って声が聞こえてさ」
ジョーの可愛らしい顔をのぞきこんだ僕は
「シルフ?」
と首を傾げた。
「そう、シルフ。風を読む精霊さ。」
「風をよむ?」
「あぁ」
ジョーがうなずく。
「サラはサラマンダーだ。それと同じってことさ。俺はシルフ、風の精霊だったんだ」
ジョーは歌うようにそう言い、優しく僕に口付けた。
あたたかな唇がふれあって、僕の体はとろけそうになる。
「俺、嬉しくって。しばらくぼーっと風をよんでたんだ。
そしたら三週間も経ってた。傑作だろ」
くったくのない笑顔で笑うジョーの笑顔。
そこへ、今度は僕からそっと口付ける。
軽い、小鳥のくちばしが触れ合うようなキス。
「ジョーが無事で、それだけで、僕は良いや」
「サラ。めちゃくちゃ好きだ」
「僕も、ふふ」
またキス。
今度は、ゆっくりと。
唇が触れ合う時間は、どうしてこんなに美しいんだろう。
…
名残惜し気に唇が離れた。
向かい合ったジョーは、ハッとするほどせつなげで、
僕は泣きたくなる。
「特別きれいな風をみたよ。」
そのままの顔でジョーが言う。
「特別?」
「見せたかったな。まるで泣いているみたいな風だった。
苦痛にじゃないんだ。
きっと良い死に方、いや、良い看取られ方をしたんだろうな。」
「そんなふうに風が見えるんだ」
微笑んでジョーを見る。
「うん」とジョー。
「ねぇサラ、キミのこと教えてくれよ」
ジョーが額を擦り付けながら言う。
「僕のこと?」
「そうさ、キミのこと。火を使うだろう?」
僕の左手に自分の手を絡めながら「どんなふうに火が出るの?」と甘くささやく。
そんなふうにされたら…
「あ、あぁ、いいけど、まずは、父さんの話をきいてくれる?」
紅潮した顔を見られるのが恥ずかしくて、さっとうつむいた。
「パパの話ぃ?」
ジョーは少し不満そうだ。
「僕の力は、父ゆずりのものだから…」
「ふぅん」
拗ねたようなジョー。
機嫌を損ねたかと心配になって、慌ててまぶたにキスを降らす。
するとジョーが僕の腰にきゅっとしがみついてくる。
なんて可愛いんだろう。
「僕の話、きいてくれるんだ」
「いいよ」
ジョーの素直さは、前とぜんぜん変わっていなかった。
「僕のママがトカゲ男と一緒に暮らし始めたのは、
今からだいたい十五年くらい前のことで……
ふふ、くすぐったいよ。
それからしばらくして、僕が生まれたんだ。」
「なんだよそれ。パパのことだろう?」
ジョーが耳朶に噛み付く。
「まぁ、聞いて。
僕が産まれた日からそのトカゲ男はパパになったわけで、父親気取りで僕のことを‘坊や’ って呼んだんだ。
でも、僕はあいつを認めなかった。
というより…、受け入れなかった。
嫌いでしょうがなかったんだ、トカゲ男が、ね。」
「トカゲ男って、パパのことか。嫌いだったの?」
「うん。僕がトカゲ男になる前までは、ね」
「それで?」
『パパが嫌いだった』ことに、
ジョーは少し興味を抱いたらしく、
腰にまわしていた腕をほどき僕を床に座らせ、
自分はその横にどっかりと陣取った。
「真剣に聞こう」という合図だ。
「それで? はやく、続き」
「うん。パパは僕の敵だったんだ。」
「敵?」
そう、と頷いて、こつっと額をつける。
「毎日、ママを奪い合ってた。」
ジョーが驚いて目を見開く。
「ママを?」
あぁ、と低く言って目を閉じる。
「それで」
唇にあたたかな肉感。
せっかく横に並んだはずが、また向かい合ってキスしている。
ジョーが離れるのを待ってから
「…それで、十歳になるほんの少し前、ママをパパから奪い取ろうと思って、ね。」
「なんだよそれ。サラ、可愛いじゃない。」
僕の腕のない右肩――本当は腕の生えるべき箇所――を、ジョーが愛撫する。
「今よりは可愛かったのかな。でも、パパのことは本当に嫌いだったんだ。」
「パパ、かわいそうだね」
僕をくるっと後ろへ向かせ、ジョーが背後から抱きしめてくる。
ジョーはこうするのが好きなんだ。
「それで、奪い取れたの?」
ジョーが後ろから耳元へ甘い息をかける。
ドーイのものとは比べられない、いい香りのする吐息だ。
「奪い取れたか」という質問になのか、それとも快感にあらがうようになのか、
僕は首を横にふった。
「ダメじゃん」
ジョーが強く抱きしめてくる。
胸の熱さが背中から伝わってくる。
「でも、やってみたんだよ? 失敗しちゃったけど」
甘えるようにジョーの腕を掴む。
三週間、触れられなかった腕だ。
「で、どんなことやったの? 9歳のサラは」
「…天井からぶらさがる遊び」
少しためらってから、小さく答えた。
「なにそれ?」
後ろにいるジョーが、戯れに首にキスする。
「まぁ、聞いて…ねぇ、くすぐったい」
「きいてる、早く話して」
(ジョーがそんなことするから、うまく話できないのに)
ジョーは僕をむらむらさせる。
なんだかとても幸福だ。
「僕の家ってね」
「うん」
ジョーが僕を抱きしめたままあいづちを打つ。
「ちょっと変わってたんだよ、昔から」
ジョーの体温につつまれながら、記憶が9歳のころへ引き戻されていった。