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salamander  作者: 柳岸カモ
4/9

4

授業の終わりを告げる鐘が鳴った。

容赦ようしゃなくペンをしまうガチャガチャが響いて、教師せんせいの声がき消されてゆく。



ほっとした。

(やっと帰れる。)


粘つく左手でノートを閉じ、荷物をまとめて、帰る支度したくをする。


誰かに気付かれる前に、帰らなければ……


そんな僕を、窓にもたれたドーイがニヤニヤしながら見ていた。

「おいトカゲ、お前がジョーをったんだって? 可哀想かあいそーに。なぁ、みんな?」

ドーイのとりまきがクスクスと笑う。


(馬鹿にしにきた。)


生憎あいにく僕には、彼らの相手をする余裕がない。

なぜって左手が限界だからだ。

もう、いつ火が吹き出てもおかしくない感じがしていた。


やつらにはかまわず、机の中のものを取り出し、かばんに詰め込む。

鞄のなかみは、どれもこれも僕が触ったものは全部、左手からあふれ出る液体がついてべとべとだ。

(家に帰ってかないと…)


そう思って、最後の一冊、美術のテクストを乱暴らんぼうに引き抜いた途端とたん

机の中からぴょろん、と一匹の蜥蜴とかげが飛び出した。

体をくねらせながらザラザラと机の上を這い回ったかと思ったら、ぴょろんと机の中へ入って、

と思ったら、またぴょろんと中から飛び出て、ビタリと床へ落下らっかした。


とつぜんのことに目を白黒させる。


でも、途中からドーイたちの笑い声が聞こえはじめ、その意味を理解した。

かっと苛立ちがこみあげる。

「…なんだよ、これは!」

「いいだろ、それ。お前にやるぜ? はははははっ」

ドーイが高笑い。嫌な声だ。

悪趣味にもほどがある。

「いらない。トカゲなんて…バカにするな」

掌を握って小さく呟いた。

ねちゃっという感触が左うで全体に伝わる。

左手のうるおいが、さっきより多くなっているような気がする。  

…やばい。

止まらなくなっている。


「仲間だろ、仲良くしてやれよ」

ドーイが近付いて、耳元でささやく。

オレンジガムのにおいの息が首にかかる。

胃がムカつくような匂い。


「くちゃくちゃ」とむ不快な音。

ぱっと鳥肌が立った。

「仲間じゃ、ない…」

そう答えるのが精一杯だった。

手の震えがとまらない。今にも左手から何かが出そうだ。


「そうか? じゃあ…」

ドーイが不敵ふてきに笑った。

そのゆがんだ笑みにハッとする。


まさか…

「やめろっ!」


遅かった。

次の瞬間、床でにょろにょろと動いていたトカゲは、ドーイの汚い靴に踏みつぶされてしまったのだ。

容赦ようしゃなく床にこすりつけ踏むドーイ。

まわりのやつらが「ひゅー」と無責任な歓声をあげてはやし立てる。


「おまえ、なにして…やめろよっ」


ぐちゃぐちゃとドーイの足許あしもとから粘着質な音が聞こえてくる。

耳をふさぎたくなるような音。


ドーイは冷めた目で床を見ながら

蜥蜴とかげちゃん、お仕置しおきだよ?」

くちびるはしを上げて笑った。


その表情にぞっとする。


(「た…助けて…サラマンダー…」)

どこからともなく聞こえた声。

悲痛なその声の主は、踏まれている蜥蜴とかげ…?

(「痛いよぉ、助けてぇ…」)

よわ弱しいその声は、僕に助けを求めていた。

やっぱり足の下の蜥蜴の声に違いない。

「やめてっ…」

思わず耳を塞ぐ。


(僕はっ、僕はドーイの足をどかしてあげられないっ…!)


左耳の中で「ねちゃ」という水音が響く。

手からは信じられない量の液が溢れ出てきていた。

腕をつたってシャツのそでの中へみ込んでいく。


(「サラマンダー、お願いだ……その手で…その手でこの足を焼いて!」)

 

僕には右耳をふさぐ腕がない。

だからかすれた声が、右耳から頭の奥までひびいてくる。


「どうしたトカゲ。真っさおだぜ?」

ドーイが笑う。


このままじゃ液が出つくして、火がふき出す。

いつドーイが僕の左手の異変いへんに気付くかわからない。

動揺どうようすると、左手がじくじくと痛んだ。

い、いけない。

ここで火をき散らしたら…

火を出すことを知られたら…


「もう、い、い、たくさん、だ。そいつは、僕がもらぅょ…」

体をふるわせ、ドーイの目を見る。

左手を耳にあてたままゆるしをう。

屈辱くつじょくだった。

「ぺっ。とんだ根性こんじょうなしだな」

屈服くっぷくした僕の表情に満足したのか、ドーイが足をどかす。

と頭が胴体どうたいから切れて、くちゃくちゃになった蜥蜴とかげ死骸しがいが、そこにあった。

「ぷっ」

ドーイと仲間たちが吹き出す。

「あ〜ぁ、トカゲ。また殺しちまったな、オ・ト・モ・ダ・チ。はっ、はははは、可哀想かあいそーによぉ」

ドーイは大声で言うと「いくぜ?」とまわりのやつらに目配せし、

さっさと教室から出て行った。


(終わった…)


と思ったのもつかの間、

入れかわわるようにして今度は学級長のミカエルがやってきた。

つかつかと僕に歩み寄り、めちゃくちゃに怒鳴り始める。

「君! 教室でこんな不道徳なことをして、一体どういうつもりなんだい?

 ときに君、ジョー君を焼き殺したそうじゃないか、え? これは先生方に報告させてもらうよ?

 さぁ、この汚物おぶつ(と言ってミカエルは蜥蜴とかげ死骸しがいを指差した)を始末したまえ。

 そして床をキレイに清掃せいそうするんだ!さぁ、はやく!」


一通り言い終え、ミカエルは「ふんっ」と鼻を鳴らして教室を出て行った。

たぶん、指導教室へ行くんだろう。

あいつは先生達のいこう指導教室が大好きなんだ。

そして風紀ふうきを乱すクラス成員――その筆頭ひっとうは僕だけど――を排除はいじょしないと気のすまない、融通ゆうずうかないやつ。


しだいにミカエルの足音が消えていった。

それにあわせて僕の胸のざわつきも、だんだんと落ち着いていく。


ややあって教室に誰もいなくなった。

ふううと大息をついて、そっと床にひざをつく。

てのひらを見ると、もう液は出ていない。


カラカラだ。

さっきはドーイに挑発ちょうはつされて、れ流してしまったのだろう。

本当にあと少しで火をくところだった。危なかった。

でも、今はもう、大丈夫。


無惨むざんな蜥蜴の死骸に乾いた手をかざし、僕は目を閉じる。

そして

(『ぜんなる火を燃やし…、』)


そう念じると、蜥蜴の死骸からしゅるしゅるとけむりが昇って、一瞬でぼっと火がともった。

小さく微笑ほほえんで

「ごめんよ、僕のせいだね?」

ほのおがすっと僕の手の中に入って、火が消える。


燃えた蜥蜴の亡骸なきがらの前で、そっと十字に左手を切った。

その後は、床に残った灰を手で集め、ハンケチに乗せて包む。

それを窓の外へ撒いた。

ざーっと灰が風に流れてゆく。


「ごめんね」


小さく言って、その風を見送った。






『サラマンダー』


僕の名前、「サラ」の由来。

つずりは「s-a-l-a」。

火の精霊サラマンダーのことだ。


僕は十歳の時、サラマンダーになった。


善なる火を燃やすこと、そして悪なる火を消し去ること。

できるのはたったその二つ、それだけ。


それは右腕を持って生まれてこなかった僕に神様が与えてくれた、ささやかな力、らしい。




風に乗って流れていった灰が見えなくなった。


僕は荷物をかかえて、よろよろと放課後の教室を後にした。







  †




それからまた一週間たって、ひょいとジョーが帰ってきた。

「ただいま」

ジョーはそう笑って、僕の肩をぽんとたたいた。



まるで何もなかったかのようにジョーは復学した。


学校は「生徒様の復学」について、一切何も報告はしなかった。



みんな自主休学には大賛成だったらしく、ジョーにねぎらいの言葉をかけたりしていた。

クラスメイトにねぎらわれているジョーの後姿を、不思議な気持ちで僕は眺めていた。







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