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姫騎士の湯

ダンジョンを抜けると、そこは銭湯だった

 馬車で移動中での襲撃だった。

 近衛騎士であるアンジェリカが駆けつけた時には全てはすでに手遅れで、王であるジントニウスは車内で血塗れになり息も絶え絶えの状態だった


 弟王派の刺客の仕業に違いなかった。

 教会の守旧派を取り込みんだことにより勢いを増していた彼らの行動には目に余るものを感じていたが、ここまでの凶行に及ぶとは。

 だが今はそんな事はどうでもいい。


 アンジェリカは叫び出したくなるのを堪え、必死で応急処置を試みようとした。



「おお……アンジェリカよ……」

「御安心下さい。賊は全て成敗しました」

「……そうか……」

「喋ってはなりません。すぐに司教様も駆けつけます」

「……聞きなさい……わしは……もう保たん……」


 王はアンジェリカの手当をしようとする手を遮ると、僅かに身体を起こして

耳元である事を告げてきた。

 そして震える手で懐からそれを取り出し、アンジェリカに握らせてくると「長い間すまなかった……」という言葉と共にうなだれ、そのまま動かなくなってしまう。


 間もなく司教たちが到着した。

 彼らは懸命に何度も『治癒ヒール』を試みていたが、結局王が目覚めることはなかった。すべては遅過ぎたのだ。それから王の遺体は彼らの馬車に乗せられ、そのまま大聖堂へと運ばれていった。

 アンジェリカにできたのは、ただ呆然とその様子を見送りながら、王が最後に遺した言葉を反芻する事だけだった。



 王にはある習慣があった。

 それは城内にいる者のみが知ることだったが、彼は定期に城から抜け出してはどこかへ通い詰めていたのだ。


 娼館通い。

 愛人との逢い引き。

 他国要人との密談。

 市井に紛れての城下視察。

 場内では様々な憶測と噂が飛び交っていたが、その実、宰相のドワンゴですら知らないようだった。


 王が死の際に、アンジェリカ告げたのは彼のその『お忍び先』についてだった。

 彼女は近衛騎士団のセルブスに現場を任せると、その足で『王のお忍びの場所』へと向かうことにした。


「……」


 狩り場の森を馬で抜け半里程で、辿り着いたのは一軒の廃屋だ。

 元は納屋として狩りの道具や非常食などを収納しておく為の場所のようだったが、今はもう使われている形跡がなく朽ちかけており、とても人が出入りするような場所ではなかった。

 中に入り、言われたとおりに床板を剥がすと階段が見つかった。そこは地下に繋がっており、下ってくと何もない空間に出る。

 あるのはただ床に刻まれたひとつの模様だけ。

 円鐶の中に♨という奇妙な図形――これが転移の魔法陣とやらなのだろう。


「……」


 アンジェリカは懐から取り出したものを確認する。

 王に渡された木札だ。

 木を切り出して作った掌ほどの板には年季が入っており、面には魔法陣と同じ奇妙な模様などが焼印されている。

 王はこの先に『マツノユ』が待っていると仰っていた。


 アンジェリカはごくりと息を飲む。

 それが何を意味するのかは分からないが、王に託された以上、騎士としてここから進まぬ理由は何一つない。

 そして意を決すると木札を強く握りしめ、王の御心を知る為に円環の内側へと踏み入れた。



「この狼藉者め! 私は王属騎士団アンジェリカなるぞ!」

「あーもう久々に面倒臭いのが来ちゃったよ」

「私の剣を返せ」

「却下。店内では武器の持ち込みはお断りさせてもらってる。仮に持ってきた場合は帰るまでは返さん」

「ならば着ていたものはどこへやった」

「血と泥でまみれの服と鎧はコインランドリだ。乾燥まで含めて後三時間はかかるぞ」

「言ってる意味がまるで分からん」

「要は大人しくしてろってことだ」

「くっ……こんな辱めを受けうとは……」


 アンジェリカは与えられた手拭いでは隠しきれない胸を腕で覆い、その場にうずくまりながら羞恥に耐えていた。


 何故このような状況になったのかは分からない。

『転移』魔術によって見知らぬ屋内に出た途端、バントウと呼ばれる目つきの悪い子供に「不衛生だ」と組み伏せられ挙げ句、強引に鎧や布服を奪われてしまったのだ。


 幼少のみぎりから剣の道に励み、女の身でありながら栄えある近衛騎士団にまで登りつめたこの自分がよもや負けるとは思っていなかった。

 しかもこんな子供にだ。

 更に言えばこちらは真剣であるのに対して、相手は束子の付いた棍だった。

 何とも情けない話だ。


「つうか身体洗ってくれ」

「断る」

「ならせめてこのタオルで拭いてってくれ。床が汚れて仕方ねえんだよ」

「……」


 バントウは先程から執拗に、身体を洗う事を勧めてきていた。

 確かに自分の身体は泥濘をかけたせいでついた泥と賊の返り血にまみれている。歩く度に床が汚れるので迷惑しているのだろう。

 だが状況も分からないまま相手に従う分けにはいかなかった。



「どうだい。さっぱりしたろ」

「さ、寒い」


 だが結局、アンジェリカが折れて身体を洗う事になった。


 驚くべき事に、通されたタイル張りの床の室内では水道施設が充実しており、ノブを捻るだけでお湯が出てくる設備までがなされていた。おまけに香水のように良いにおいのする液体の石鹸までが揃っている始末だった。


 だが汚れは綺麗に落とせたものの代わりに身体が冷えてしまった。単に濡れたからというだけではなく、湯を使用したせいで余計に外気との差を感じてしまったせいだ。

 これ以上、敵に弱みを見せるわけにはいかなかったので身体を抱いて堪えようとしたが、残念ながら震えは止まらず歯がかたかたと鳴った。


「唇青いよ?」

「き、貴様のせいだ」

「湯船に入れば?」

「誰があんなものに入るものか」


 バントウが顎で促した先には、巨大な桶があった。

 そこからはもうもうと白い湯気が立っており、並々と湯が注がれいるのが近づいて確認せずとも分かった。


 確かにあそこに入れば身体は温まるのだろう。

 だがバントウの言葉に従うわけにはいかない。弱みに付け込まれ言う通りに従えば相手の思うつぼであったし、何よりそうしてはいけない理由がある。


「ここは公衆浴場だろう?」

「そうだけど?」


この時点でアンジェリカはこの『マツノユ』がどういう場所なのか理解し始めていた。

 公衆浴場はかつて雪月花の国にも存在していた施設だ。それは蒸気で汗を流し、湯で身体を洗い、時には果物で喉を潤した市政の為の娯楽の場所である。

 だが今では取り締まりの対象となっている。


「貴様は、法や、戒律で禁じられているのを知らんのか」


 何故なら公衆浴場は男女関係なく同じ湯に入る場所だ。

 故に娼館を兼ねるような一面もあり、風紀が乱れ、結果犯罪の温床となった過去がある為、国の法だけではなく、教会の教義でも禁じられていた。

 だからもし営業しようものなら、国外追放だけでは済まないだろう。


「王は何故こんな場所に出入りしていたのだ」


 アンジェリカは信じられない気持ちでいっぱいだった。

 彼女の知る王は公正公明な人物だった。

 民衆に厳しく、配下にも厳しく、何よりも自分に厳しいからこそ多くの信頼を勝ち得てきた。

 アンジェリカは近衛騎士団の一員として傍に仕え、その姿を見てきた自分は、その人となりが嘘ではないことを十二分に理解しているつもりだった。

 それが何故、自ら戒律を破るような真似を行っていたか。


「貴様はジントニウスという人物を知っているか」

「ジンさんだろ。常連さんだよ」

「彼は死んだ」


 やはり王はここに出入りしていたのは間違いないようだ。

 ただ彼女の口振りから察するに。雪月花の国の王の地位にあることは知らないようだ。恐らくは身分を隠して訪れていたのだろう。


 バントウはただ僅かに眉毛をしかめて「そっか」とだけ呟いた。


「私は、彼が何故このような場所に出入りしていたのか、その真意を確かめる為にここを訪れた。貴様の知っている事を教えろ」

「……」

「隠し立てをすればただでは済まさんぞ」


 アンジェリカはせめてもの武器として座っていた桶を手にとり構える。

 王が何故、自分をここに向かわせたのか、何を伝えたかったのか。それを知る為には、もう一度このバントウと相まみえるつもりでいた。


「なら湯に入ってみればいいじゃん?」

「……どういう意味だ?」

「いつもジンさんがやってた事だぜ。同じようにしてみりゃ何か分かるんじゃないのか?」。

「……」


 アンジェリカは考える。

 ここで彼女に従えば、自分は戒律を破ることになる。

 だが今は何よりも王の事を知りたい。彼が何を考え、どういうつもりで公衆浴場などに足を運んでいたのかを知るべきだと思った。


 だから、あえて口車に乗る事にした。



 身体が温まる。

 手ですくってみた湯は塵も濁りもない透明なものだった。

 これ程綺麗な水を、これほどの量も湯に変えるには一体どれだけの薪を割る必要があるだろうか、と思った。


 雪月花の国に水浴びの習慣は殆どない。

 身体は水で濡らした布で拭くだけだ。水浴びをするのは雪解けの時期の子供だけ。ましてや湯に入るのは山の動物と狩人だけで、げせんな行為と見なされていた。

 だがこれは案外悪くない。

 いや寧ろいいものだ。溜まっていた疲労と、全身の強ばりが解れていくのを感じていた。


「どうだい。うちの湯は気持ちいいだろう?」


 バントウが桶の外側からこちらの気持ちを見透かすように声をかけてくる。

 アンジェリカははっと我に返り、このままでは相手の思う壺だと思った。ここで彼女の言葉を認めてしまうのは堕落したのと同じではないか。


「そんな事はない非常に不快な気分だ」

「嘘付け。頬が上気してきたじゃねえか」

「……くっ」


 目を瞑り必死で抵抗を試みる。

 耐えろ。どんなに心地良くとも表情に出してはいけない。

 決して自分は寒いから湯に浸かりたかったわけではないのだ。例え心のどこかにそういうやましい気持ちがあったとしてもそれは主ではなく副なのだと、自分に言い聞かせる。

 よし何か話をして気持ちを紛らわせる事にしよう。


「おい。貴様」

「何だい?」

「彼は、ジントニウスという人物は、ここで何をしていた?」

「何も。ただ湯に浸かりにきてただけだと思うけど?」

「思い出せ。あの方が、自分の愉悦だけを優先してここを訪れる理由がない。きっと何か深いお考えがあるに違いないのだ」

「そんな事言ったってなあ。あの人、色々愚痴ってただけだぜ?」

「愚痴……?」

「常連によく相談とかしてたっけな。やれ弟と対立したくないけど立場上厳しくせざる得ないんだとか、やれ教会の連中が全然言うことを聞いてくれないだとかさ。飲み屋のサラリーマン状態だったね」

「嘘を言うな」


 アンジェリカの知る王は決して弱音などを吐かない人物だった。岩のように強固な意志を持ち、鍛えたばかりの鋼の剣のような強さと、鋭さを持った人だったのだ。

 だからバントウの言葉がとても信じられなかった。


「別に信じたくなきゃそれでもいいさ」

「……」

「後はそうだなあ……」

 バントウは棍に寄りかかりながら思い出すように言う。

「よく自分の国にも公衆浴場があればいいって言ってたな。そうすりゃもっと平和になるんじゃないかなってね」


 雪月花の国はその地理のおかげで、敵国からの侵略は少なかったがここ数年、国内での内輪揉めが相次いでいた。城内でも、教会でも派閥争いが起き、それに類する事件が頻発していたのだ。


 だがそれでも国が不安定にならずに済んでいたのは王の采配によるところが大きかった。誰も彼もが王を信頼していた。彼がいれば何が起きようとも政は成功する。安心して生活することができると思っていた。

 

 だがやはり彼も人だった。

 悩みを抱えていたのだ。そんな一面を誰にも吐露する事ができずに、こうして

自分の立場を知らない者たちに向けて吐き出していたのだ。


「……」


 もう少し自分が強ければ、頼りがいのある人間であれば、もしかしたら力になる事ができたかもしれない。

 アンジェリカは自らをふがいなさを呪い、そっと湯船へ溜息をこぼした。



 湯から上がると、差し出されたタオルで身体の水滴を拭いた。もう血の跡も、泥の汚れもない。冷え切っていた身体も今は温かかい。


 だが結局、王の真意は分からずじまいだった。

 この公衆浴場を利用していた事と、他の客に愚痴や悩み事を聞いてもらっていた事を知ることはできたが、何故、アンジェリカに木札を託したまでは理解する事ができなかった。


 ふいにお腹がきゅううと鳴る。


「こんな時でも腹は減るんだな……」


 アンジェリカは我ながら情けない気分になった。

 だが仕方ない。飲まず食わずで森を駆けていたのだ。何も収穫がなく、これからまた森を抜けて、城へと戻ることを考えると憂鬱だった。


「ほら。これを食べろよ」

 バントウが見慣れぬ何かが差し出してくる。

 それは食べ物のようだった。


「冷たい牛乳とあんぱん。ジンさんが風呂上がりによく口にしてたものだよ」

「……」


 アンジェリカは一瞬だけ躊躇したが、ここまできて変なやせ我慢をするのもおかしな話だと思い、素直に受け取ることにした。


「かたじけない」

「ふふっ、ようやく素直になったな」とバントウが八重歯を見せて笑う。


『ぎゅうにゅう』は透明の硝子瓶に入った白い液体がで、『あんぱん』は透明の袋に入った丸い麺麭のようなものだった。


 まず瓶の飲み物を口にする。

 飲み口を塞いでいる型紙をめくり、恐る恐る瓶に口をつけた。よく冷やされた動物の乳のようだ。だが驚くほど獣臭くなくすっきりしており、喉を潤すにはぴったりの飲み物だった。


 次に透明の袋を破り、麺麭を一口かじる。

 焼きたてではないのにこんなにふんわりとした食感は初めてだ。そして二口目で蜜のような強烈な甘味が広がる。驚いて、確認すると麺麭のなかに黒く柔らかい粒の塊が詰まっている。

 蜜や砂糖とは違う、独特な甘みだったが嫌いではなかった。


 すっきりした『ぎゅうにゅう』の飲み口と、『あんぱん』の独特の甘みの相性は非常に良く、気づくと貪るように食べていた。空腹だから言うだけではなくとても美味しい食べ物だと思った。


 王はこんなにも美味しいものを口にしていたのか。

 なんてずるいんだろう。こんなものを食べて喜ぶ一面があるなら教えて欲しかった。愚痴があるなら少しくらいは零して欲しかった。

 勿論、それは何れにしろ叶わぬ思いだったが。


「ああそうそう一個思い出した」

 こちらを楽しそうに見ていたバントウが、ふと口を開いた。


「ジンさんにはさ、公にできない娘さんがいるらしい」

「……」

「彼女に一度も親らしい事ができなくて悔やんでるって言ってたよ。だからせめて一度くらいその牛乳とあんパンを食べさせてやるのが夢なんだってさ」

「そうか……そういう事……だったのか……」


 アンジェリカはようやく王が木札を託した意味を知った。

 気がつくと、目からぼろぼろと涙がこぼれて止まらなくなっていた。

 だが情けない事に食欲を止めることもできずに、嗚咽しながら『あんぱん』を租借し、『ぎゅうにゅう』で飲み込む。

 そして今は亡き父の愛情に感謝した。

松の湯豆知識その③

『松の湯』には売店があります。

あんぱん、カップ麺、駄菓子等を御用意しておりますので是非、番頭台までお買い求め下さい。

 勿論、銭湯では定番の牛乳、フルーツ牛乳、珈琲牛乳も御用意しております。

ちなみに番頭さんが湯上がりに飲みたいのは、やっぱりビールだそうです。

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