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最初の訪問地である山岳部αブロックにある前線基地ロッカへは大きなトラブルもなく、順調に到着することができた。
ロッカは元々炭鉱の町として栄えていたのだが、埋蔵石炭の枯渇と共に一度は寂れた町だ。しかし、オーバード帝国との国境沿いになってからは、前線基地ロッカとして再び繁栄を見せ始めている山岳部の町だ。標高が高いため、冬は厳しい寒さにさらされるのだが、夏場は涼しく、貴族たちの避暑地としても使われることがあるとか。
俺としては、前線基地のある町を避暑地にしようって考えが理解不能なのだが、山岳という地形の関係上侵攻には不向きで、ここ数十年一度も最前線の砦を抜かれたことがないため、問題ないと思っているらしい。それに、基地があるから襲われても何とかなるだろうと考えているのだと、以前バティスが言っていた。
「おお、ここがロッカなのですね! 美しい景色ですわ!」
イネス王女が、魔導車の窓から身を乗り出してロッカの街並みを褒める。
ロッカの町はすでに雪化粧が施されており、町一面に粉砂糖を振りかけたような姿になっている。まだ本格的な冬は訪れていないためこの程度で済んでいるが、後一か月もすれば町は雪に閉ざされることになるだろう。
「イネス様危ないですから、身を乗り出さないでください!」
「そうです。それにお召し物が濡れてしまいます」
魔導車に同乗していた側付きたちが、身を乗り出しているイネス王女の服をつかんで車の中へと引っ張り込んだ。
本来王族にそんなことをしようものなら、不敬罪で首が飛びかねないのだが、そこはイネス王女。こうでもしないとマジで魔導車から落ちるのである。というか、実際に一度落ちた。
あの時は、即座にメイドが魔導車へと回収したから、兵士には気づかれず大事にはならなかったが、もし見つかっていたらと想像するとゾッとするな。
「仕方ないですわね。後ほどゆっくりと見させていただきましょう」
魔導車が町の中を進み、やがて基地への入口が見えてくる。そこにはすでに基地の全兵士が整列していた。
魔導車が基地の入口で止まり、イネス様が降りる。すると、兵士たちの列の中から一人の男が前へと出てきて、イネス様の前で跪く。
「ロッカ基地司令オーメルでございます。イネス王女、ようこそおいでくださいました。基地の者一同歓迎いたします」
「出迎え感謝します。ロッカの美しい街並みに感動いたしました。今日は食糧とお酒を持ってきていますので、みなさんお楽しみください」
相変わらずの完璧な猫かぶりで微笑み、基地の兵士たちを魅了する。今回は胃袋もつかまれているし、こりゃ兵士の王族への反発が少ないはずだ。
「ありがとうございます。歓迎の準備ができておりますので、こちらへどうぞ」
「はい」
イネス様が用意された別の魔導車に乗り込み、基地の中へと入っていく。俺たちはそれを見送ってから、基地の兵士たちの指示に従ってそれぞれの場所へと移動する。
俺は、旗を持った兵士の指示に合わせてオレールさんたちの魔導車と共に、ロッカ基地の格納庫へと向かった。
格納庫はゲートから少し入った場所にあり、兵士の宿舎からは少し遠い場所にあった。有事の際には少し不便かもしれないと思いつつ、機体を中へと入れる。
「ハンガーが三つしかないのか」
そのうちの一つには機体が格納されており、整備を受けている真っ最中だ。残りの二つは空である。
「ロッカは前線基地ですが敵の侵攻はほとんどないんで、機体の常備は二機しかないんですよ。だから、三つでも十分なんです」
「交代で見回りしているのか?」
「ええ、前線の砦に一週間滞在して戻ってくるだけですけどね。あ、三番ハンガーにお願いします」
「了解」
言われた通りに、三と書かれたハンガーに入り、向きを変えて機体を停止させる。
俺が機体から降りれば、すぐに格納庫の整備員たちがオレールさんたちと共に機体の点検を始めた。
それを見つつ、キャットウォークを歩いて降りる。
すると、先ほどから俺にいろいろと説明をしてくれていた兵士が待っていた。
「お疲れ様でした。自分は第三十九アルミュナーレ隊隊長のアズラです」
おっと、普通の兵士だと思っていたら、まさか騎士だったとは。服装が一般兵と同じだから、気づかなかった。しかし三十九隊か――
「第一近衛アルミュナーレ大隊第二王女警備隊隊長のエルドです。騎士の方でしたか。三十九というと、新設された部隊ですよね?」
あの侵攻戦があるまで、王国のアルミュナーレ隊は三十二までだったし、それ以降の数字は俺たちが手に入れたジェネレーターを使った新設部隊のはずだ。アズラもまだ三十は行っていない年齢に見える。
俺より年上で先輩なのは明らかなのだが、近衛隊のほうが騎士の中でも地位が上なため、敬語を使われる。なんだかむず痒いな。
「ええ、今までは十三隊で副操縦士をしていたんですが、大規模編制で移動になりまして」
「そうだったんですか」
「最初はロッカ配属なんて、はずれクジだと思ったんですけどね。ロッカ基地の兵士たちはみんなアットホームで温かい雰囲気なんですよ。それが意外と居心地よくて」
凄いブラックな求人にも思える感想を放つアズラに、俺は思わず吹き出しそうになるも、それをぐっとこらえる。
「けど、ロッカの本番は冬って聞きますよね?」
「まあそれが心配なんですけどね。今は通常の機体でも問題なく動けますけど、雪が深くなれば専用の装備を付けないと歩くこともできないみたいなんで」
「そこまでですか」
「慣れるのに大変そうですよ。っといけない。基地をご案内します」
「お願いします」
思わず雑談してしまったが、俺は王女様の下に行かなければならないのだった。一応近衛兵ですからね。
アズラに案内され、基地の本部へと向かう。
外は少し寒いぐらいの気温だが、基地の中は暖房が効いているのか制服だけでも十分に過ごしやすい。
「こちらです。司令、エルド隊長をお連れしました」
「入れ」
『失礼します』
二人で中に入ると、中にいた全員の視線が集中する。
中央のソファーで座っているのが先ほど入口で王女を出迎えていたオーメル司令だ。丸メガネをかけた初老の男性である。
その隣の男性は副司令だろうか。
「イネス様、お待たせしました」
「ご苦労様です」
俺はイネス様に一言挨拶してから、イネス様の後ろに立つ。近衛なので、ここが定位置なのだ。
そして、いつの間にか俺の隣に移動してきた側付きのメイドから、二人が何の話をしていたのかを簡単に聞く。
どうやら、今日のパーティーについて予定を確認していたみたいだ。
「では予定通り、一般兵の方には大部屋で立食形式のパーティーを。私は開始時に少し挨拶をして、別室にて幹部の方々と食事会ということで」
「よろしくお願いいたします」
長々と話し合っていたようだが、結局は予定い通りに事を進めるということで落ち着き、王女様が席を立った。
「では私は少し部屋で休ませていただきますね。長旅で少し疲れてしまいましたので」
「おお、気づけずに申し訳ありません。部屋はすでに用意してありますので、ごゆっくりどうぞ」
「では夜に」
「楽しみにしております」
王女が部屋を後にするのに続いて、俺たち王女付きの人たちがぞろぞろと退室する。
「エルド、部屋に戻ったら行きますわよ」
「どちらに?」
「もちろん町ですわ!」
「無理です」
即答した。いや、無理に決まってるからね!? 王都なら兵士たちも慣れているから、気づかれないように王女の警備をしてもらっているけど、ここじゃそんなことできるわけないし、いくら近衛や歩兵部隊がいるからと言って、町に出ることなど不可能だ。
「もちろん公式に町に出るわけではありません」
「それはもっと無理ですから! 明日ちゃんと散策の予定が入ってるんですから、今日は大人しくしていてください」
「むぅぅ」
俺がきっぱりと断ると、イネス様は頬を膨らませて俺をにらむ。どうせこうなるだろうと思って、散策の時間をねじ込んでもらったのだ。俺の努力、無駄にはさせんぞ。
「頬を膨らませても駄目なものは駄目です。今日は休んでください」
「仕方ありませんわね。刺繍の続きでもしましょう」
「変な絵はつけないでくださいよ」
「それは付けろという意味ね! 王族にお願いするだなんて、強情な子!」
「マジでやめろよ! つかそんな芸人みたいなネタフリを王族にするわけねぇだろうが!」
「エルド、言葉が崩れていてよ」
「おっと、失礼しました」
後ろに一般の兵士たちがいることをうっかり忘れていた。
「注意してね。私でなければ、首が飛びかねませんわ」
誰のせいだと思いつつ、ぐっとこぶしを握って俺はうなずくのだった。
「ついてねぇよな。今日は王女様がいらっしゃるってのによ」
「まったくだ。まあ、飯は俺たちの分もとっといてくれるらしいけどよ」
ボロボロの椅子に腰かけ、今にも壊れそうなテーブルにカップを置き、二人の兵士が談笑していた。
「けど、基地の連中は王女様を直接見れるんだろ? 超美少女だって話じゃん」
「だよな。はぁ、やめやめこんな話してても気が重くなるだけだ」
「つっても、これぐらいしか話すことねぇじゃん」
国境沿いの砦で、二人の見張りはオーバード帝国へと続く山道を眺めつつ、愚痴をこぼす。
数十年一度も侵攻されなかったこの砦では、兵士たちの危機意識は無いに等しいものだ。
「騎士様もずいぶんがっかりしてたよな」
「そりゃそうだ。こんな辺境飛ばされて、その上このタイミングだからな」
「不運の騎士とでも名乗れそうだな」
「はは」
「不運の騎士か。それは誰のことだ?」
二人は後ろからかけられた声にビクッと肩を震わせ、慌てて振り返る。
そこには二人のよく知る同僚たちの姿があった。
「なんだ、ビビらせんなよ」
「ほら、交代の時間だ」
「あいよ、異常なしだ」
「異常なし了解。監視を続ける」
決まり文句を言って、カップを持ってさっさと砦の中に戻ろうとした男が、ふとその異変に気付いた。
カップの中身が揺れているのである。
「なんだ?」
「どうした?」
「地震か?」
こんなところで珍しと思いつつも、何気なく見張り台から外を眺めた。そして、その光景に目を疑う。
思わず何度も目をこすり、三度目の確認にしてようやく事実を受け止めたその男は、慌てたように声を上げた。
「敵襲! アルミュナーレの隊群だ!」
「なに!?」
「こんなところにか!」
ほかの者たちも慌てて、監視台から外を確認し、同じように目を疑った。
国境のさらに先に見えるアルミュナーレの姿。
それは、まるで蠢く虫たちのように密集し、砦への道を真っ直ぐに進んでくる。
「すぐに伝令を! 敵襲! 敵襲! アルミュナーレが大量に攻めてきやがった! 数は百以上!」
男の声がマイクを通じて、砦全体に知らされる。それと同時に警報が鳴り響き、砦全体が緊張に包まれた。
砦の中からはわらわらと人が飛び出し、城壁の上で大砲を構える。
ここに一機だけ配備されているアルミュナーレの騎士が大慌てで機体へと乗り込み、起動させ、機体のカメラで敵の姿を確認する。
「おいおい、マジで百以上のアルミュナーレってどういうことだよ!」
「分かりませんよ! けど、現に大群で押し寄せてきてるんですから!」
「こんなの俺一人で止められるわけないだろ! 司令に砦の破棄と撤退要請! 道を潰して時間を稼ぐぞ。大砲部隊は岩肌を打ちまくって岩石で敵を潰せ!」
「了解」
アルミュナーレの騎士だけあって、緊急時でもその男の指示は的確だった。
この場で粘ろうなどと言い出せば、一瞬の内に攻めてきた敵の大群で潰され、後方の町を焼き払われていただろう。
「どれだけ時間が稼げるか……つか、ほんと俺ついてないな!」
砦の放棄と爆破までの時間を稼ぐため、騎士は城壁から大群に向けて魔法を放つのだった。
その一報が飛び込んできたのは、食事会も大詰めになったところだった。
突如として勢いよく開かれた扉に全員が警戒態勢をとるなか、その兵士は息を切らしながら告げる。
「で、伝令! オーバードより大規模なアルミュナーレの部隊を確認。その数は優に百を超えるものと判断されます。砦は即座に放棄を決定し、爆破処理後撤退するとのことです!」
「なんですと!? 百以上のアルミュナーレ!?」
「確かな情報なのか!」
「私も目視で確認しました。山道の向こうより、大挙して押し寄せてくるアルミュナーレの軍団を見ました。間違いなく百機以上、下手すれば二百以上が存在します!」
伝令の話に、言葉を失う基地の幹部たち。その静けさの中で、イネス王女がゆっくりと口を開く。
「オーメル、この基地の戦力は?」
「アルミュナーレが一機と魔導車が三台、歩兵が二百です」
「かなり厳しいですね」
アルミュナーレが百以上来ているのが事実だとすれば、この基地だけの戦力では勝負にならない。
王女が連れてきた兵を入れても、焼石に水程度だろう。
ここは基地も放棄させるべきか? いや、それを考えるのは俺じゃない。俺は近衛として王女の安全を第一に考えなければ。
「イネス様、ここが戦場になるとなれば、イネス様には直ちに退避していただきませんと」
「そうです。すぐに出発の準備を」
俺の意見に、指令がすぐさま退避の準備を始めるよう部下に指示を出そうとした。そこに、王女の言葉が挟まる。
「その必要はありません。エルド、あなたも前線に加わりなさい」
「イネス様」
何を言っているのだと、俺はイネス王女をにらみつける。
しかし、いつもなら即座に逸らすその視線をイネス様は真っ直ぐに受け止めた。
「百機以上のアルミュナーレが事実だとすれば、逃げてもその機動力で確実に追いつかれます」
「いえ、魔導車のみならば問題ありません」
全兵士を連れて逃げることはできないが、王女様や重要人物を魔導車に詰め込んで逃げることは可能だ。
「それでは意味がありません。この基地を抜かれれば、最低でも二十以上の町や村が焼かれます」
「ですが、私一人が参加しても、止めることはできませんよ?」
いくら優秀だといわれても、さすがに百機以上をここにあるアルミュナーレ二機で止めることは不可能である。
「それでも時間は稼げます。その間に伝令をだし、後方の基地から増援を呼びます」
なるほど、少しでも時間を稼ぐために、俺を投入するか。完全に殿だな。まあ、王女としては正しい判断なのだろう。
「それは命令ですか?」
「そうです」
「分かりました。この基地に残り、敵機をできるだけ破壊しておきましょう。ですが、イネス様は伝令と一緒に後方の基地へお下がりください。それを助けるのが俺の仕事です」
「……分かりました。オーメル、私の騎士と兵士を預けます。防衛線に組み込んで、少しでも時間を稼ぎなさい」
「承知しました」
「では自分は準備がありますので、失礼します」
俺は部屋を後にし、即座に格納庫へと向かう。
基地に鳴り響く緊急警報のおかげか、そこには部隊の全員がすでに集合していた。
「エルド隊長、何があったんじゃ?」
「敵機が攻めてくる。情報じゃアルミュナーレが百機以上だそうです。前線の砦はすでに破棄を決定して、時期にここまで撤退してくるはずです。俺たちは、基地の全兵士と共闘し、この侵攻を少しでも阻止します」
「無茶じゃ! 紙屑のように消し飛ばされるぞ!」
そんなことは誰だって分かっている!
叫びたくなる気持ちを抑えて、俺は静かな声で説明を続ける。
「これはイネス様からの命令です。イネス様は、その間に後方の基地へと避難されます」
「……」
「ほかのみんなも悪いけど、付き合ってもらいますよ。砦を破壊してから撤退するとのことなので、ここまでは二日ほど時間を稼げるはずです。その間に、できるだけ情報の収集と防衛ラインの構築をします。何か質問は?」
「斥侯はすぐに出たほうがいいのかな?」
「お願いします。ただ、いつもと違って山岳部の雪道なので、慎重に」
「分かった。カトレア、行くよ」
「はい」
ブノワさんがカトレアを連れて倉庫を出ていく。おそらく馬を駆りに行くのだろう。
「エルド君、私は……」
「アンジュは俺たちのサポートだ。悪いけど、退避させているだけの余裕はない」
「ううん、全然大丈夫。頑張るよ!」
できることなら、アンジュだけでも基地から引き離したいところだけど、王女と側付きが優先されるし、アンジュも近衛である以上王女の命令の範囲内だからな。
けど機体が壊されたら、アンジュだけでも逃がすために動かせてもらおう。これは俺なりのケジメだ。
「整備はどうなってます?」
「全部終わっとる」
「では整備のみなさんは、防衛ライン構築手伝いを」
『了解』
全員に指示を出し終え、動き出したのを確認して、俺はアルミュナーレを見上げる。
まさか初任務でこんなことになるとは思わなかったが、ある意味こいつの全パフォーマンスを見せるのに最高の場面かもしれない。
「目標は二十機ってところか」
そんなことを呟きつつ、俺は震える腕を抑えるように、肘を抱える。と、背中に温もりを感じ震えが止まった。
「アンジュ?」
「エルド君……」
不安そうな声のアンジュ。その手を俺は優しく握る。
「大丈夫だ。防衛ラインをしっかり構築できれば、増援が来るまで持ちこたえることも可能なはずだ。そうすれば俺たちは生き残れる」
「絶対だよ? 私の知らないところで勝手に死んじゃったりしたら、許さないからね?」
「ああ、当然だ。死ぬときは、ベッドで孫に見守られながらって決めてんだ」
さっきから、絶望的な状況過ぎて少し思考がネガティブになってた。けど、かなり確率は低いけど、生き残る方法を口にしたら、少しだけ前向きになれた気がする。
そうだ。まだ、敵の到着には二日以上ある。その間に敵の情報を集めて、準備すれば守るだけならばできるかもしれない。
「ありがとうアンジュ。やっぱり俺の天使だわ」
アンジュが側にいる。それを、今ほど心強く思えたことはなかった。
これ書くのに、たぶん五万字以上書き直してます……なかなか納得いく物が書けない。
次回、開戦




