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とうとうこの日が来た。
朝日が昇るとともに目覚めた俺は、水樽の水で顔を洗い、目を覚ます。
長かった……実に長かった。
森に入ることを禁止されて一週間。農作業を手伝いながらアルミュナーレ基礎概論をひたすら読みふけり、時にアンジュの魔法訓練を手伝いながら過ごした一週間は、餌の前で待てを言い渡された犬のように、俺の精神をガリガリと削っていた。
しかしそれも昨日まで。今日からは再び森に入ることを許可される。
ああ、はやくあの機体に会いに行きたい。一週間は運よく雨も降らなかったため、開けっ放しの操縦席はしっかりと換気出来ているだろう。
掃除道具を納屋から引っ張りだし、玄関の隣に置いておく。
そして、家の中に戻れば、母さんが朝食の準備をしていた。今日は目玉焼きとベーコンにパンのようだ。
「母さん、手伝うよ」
「あら、珍しいわね。エルドちゃんが手伝ってくれるなんて」
「早く狩りに行きたいんだ。腕がウズウズしてる」
「もう、仕方ない子ね」
母さんは苦笑しながら、俺に皿を並べるよう指示を出す。
俺が朝食の準備を手伝っていると、父さんが起きてきた。大きなあくびをして、席に着く。この時の父さんだけは、いつもの眼光が無くなり、ただの親父となっている。
「父さん、おはよう。今日の目標は?」
「エルドは王鹿と木の実猪だ。さすがに肉が減ってきているから、どっちでもいいから五匹ぐらいまで狩って欲しいそうだ」
「分かった」
王鹿は、森の中にいる鹿の一種で、ユニコーンのような一本角の鹿だ。基本的には穏やかだが、攻撃してきた相手には容赦しない。まあ、俺なら一撃で仕留められるから問題ないだろう。
普通の猪は雑食なのだが、木の実猪は文字通り木の実を主食にしている、草食の猪だ。猪のくせに木に登れる凄い奴だが、それだけ体も小柄で、木の実を食べているおかげか味は良い。
五匹分となると、両方合わせても少し時間はかかるが、問題ないだろう。以前の蜂鳥に比べれば楽な物だ。
「了解」
「じゃあご飯にしましょうね」
母さんが朝食を持ってきたところで、俺も席に着く。
十分ほどでパパッと朝食を食べ終え、出かける準備をする。いつもの鉈と獲物袋だが、今回は獲物が獲物だし、袋の出番はおそらくないだろう。
「じゃあ行ってきます」
「気を付けるのよ」
「谷には気を付けるよ」
飛び出すように家を出て、玄関先に置いておいた塵取りと箒を獲物袋に突っ込み、森へと走る。
挨拶してくる村人たちに、元気よく返しながら、森の入口まで来たところで、アンジュにあった。
「やっぱりこんなに早い時間から森に入るんだ」
森の手前に立っていたアンジュは、俺を見つけると呆れたように腰に手を当て、ため息を吐く。
「まあな。アンジュはこんな早い時間にどうしたんだ?」
「出来れば今日も練習手伝ってもらいたいと思って。言えそうなのこのタイミングしかなかったし」
「なるほど、けど悪い。今日は戻ってくるの遅くなりそうなんだ」
「それって、アルミュナーレに関することなのかな?」
アンジュの口から突然出てきた言葉に、俺の心臓が跳ねあがる。
まさか、アンジュもアルミュナーレがあそこにあることを知っているのか?
いや、でもアンジュはまだ森にも入ったことが無いはずだし、俺は誰にも言っていない。知る方法は無いはずだ。それとも、村長の家系が代々あそこにアルミュナーレがあることを知っていたとか? それなら村長がアルミュナーレ乗りになろうとしたのも理解できるけど、そもそも、村長一家が狩人として森に入ったこともほとんどないはずだ。
俺が、心の中で色々と推測していると、アンジュはもう一度ため息を吐いた。
「やっぱりそうなんだ」
「なんでアンジュがアルミュナーレのことを……」
「ただの勘。だけど、本当に当たるとは思わなかったわ」
「勘?」
「だって、一週間前からずっとあの本に食いついてばっかりだし、エルド君って実際はそこまで狩りが楽しみってことないでしょ? 今までは森に入る時も、すっごい面倒くさそうな表情だったし。でも、今日はなんだかイキイキしてる」
そう言われ、俺は思わず自分の瞼に手を当てる。いつも通り半開きだ。
「瞼は半分閉じてるよ? でも、瞳が輝いて見える。たぶん私が初めて魔法使った時もそんな感じだったんだろうなーってぐらいにね」
「マジか。まあ、それもそうかもしれないな」
まさか、俺の生活習慣からアルミュナーレのことがバレるとは……幼馴染侮りがたし。
しかし、気付かれてしまったものは仕方がない。
「まあ、おおむね正解だ。谷に落ちた時に、壊れたアルミュナーレを見つけたんだよ。もしかしたらまだ動くかもしれないから、凄い楽しみなんだ」
「そうなんだ……私もちょっと見てみたいな」
ほう、まさかアンジュがアルミュナーレに興味を持つとは。俺としては非常にうれしいことだが、今のアンジュを森の中、しかも谷に連れて行くのは少し心配だな。
俺がいれば、危険な動物からは遠ざけられるだろうけど、谷を降りるにしても移動補助系の魔法が無いと辛いだろうし、それに何より、村長や父さんが許さないだろう。
「なら今練習している移動補助系の魔法を完璧に使いこなせるようになってからだな。それで村長に許可が貰えたら、連れてってやるよ」
「本当?」
「ああ。その時までに動かせるように直して、一緒に乗るか」
「うん!」
嬉しそうにうなずくアンジュ。それを見て、俺も何となく嬉しくなった。
なら、今後の魔法の練習メニューは少し変更しておかないとな。
「じゃあ今日は一人で練習頑張るね」
「期待してるぞ。んじゃ、俺はサクッと狩りを終わらせてくるから」
「頑張ってね」
「そっちもな」
アンジュから少し距離を取り、アクティブウィングを発動し、エアロスラスターで森の中へと飛び込んでいく。
久しぶりのエアロスラスターに、感覚が鈍ったのか体感速度が妙に早く感じる。これは狩りの前にブランクを早々に解消しないといけないな。
木の枝を蹴りながら、俺はひたすら森の中心を目指して進んで行った。
本気を出した俺の狩りは、予想通り午前中に終了した。
もともと、今回の獲物も鹿の方こそ数は少ないが、猪は小柄な分意外といる。猪を中心に、偶然見つけた鹿一匹を合わせて計五匹。太陽が昇り切る前に、無事討伐終了です。
獲物を全て、村の解体所に運んで、今日の俺の仕事は終了だ。
俺の速さに解体所の人が驚いていたが、俺はそんなことを気にしている場合では無い。早々に獲物を引渡し、再び森の中へと飛び込んだ。
そして、谷へと向かい、アルミュナーレを探す。
だいたいの位置はわかっているのだが、いかんせん森の中をジグザグに進むと位置がずれてしまう。今度来るときは、何か目印を付けておこう。
十分ほどで谷の入口に到着し、魔法を駆使して谷底に降りる。
さらに、川を沿って下り、アルミュナーレがある場所まで戻ってくることが出来た。ここまででざっと三十分って所か。意外と近い。
「一週間ぶりだな!」
目の前に座るアルミュナーレは、一週間前と変わらない姿で堂々と鎮座している。
俺は、エアロスラスターで首の裏側まで移動し、中を見る。
臭いは――大丈夫なようだ。完全に空気も入れ替わっており、腐臭はしない。後は仏さんの処理だろう。
操縦席に入り、骸骨を軽く触ってみる。意外と骨自体はしっかりしており、そのまま持ち上げることが出来た。
これでボロボロと崩れてしまったら、掃除が大変なことになるところだった。仏さんの健康に感謝である。
骸骨をパーツごとに外へと運びだし、中に残った細かい骨を、塵取りと箒で丁寧に集める。
そして、その骨を崖のくぼみに纏め、土を盛って墓を作った。
操縦者の名前が分からないため、墓の上に刺した板切れには何も書いていない。ぼろきれのような残った服を、板切れに結び付けてあるし、まあこれで妥協してもらうしかないだろう。
両手を合わせ、仏教式で悪いが供養する。
「あんたの機体は俺が貰う。悪く思わないでくれ」
この操縦者はあの機体を墓標にしたかったのかもしれないが、俺の為に我慢してもらおう。
森の中で詰んだ花を墓に飾り、俺は再びアルミュナーレの操縦席へと戻ってきた。
両サイドにある操縦レバーと、足元のフットペダル。座席に設置されたボタンや、頭上の各種計器、スイッチ、レバーなどの位置は、基礎概論で描かれていた物と多少違うが、おおむね形は同じだ。何十年も前の機体だし、仕様が大きく変わっていたらと不安もあったが――――
「これなら分かる。動いてくれよ!」
ジェネレーターとタンク間の燃料チューブの弁を解放、濃縮魔力液の残量は六割。液漏れはしてないみたいだな。戦闘開始間もなく撃破されたのか。俺にとっては幸運だ。っと、左腕はもげているから、そこへのエネルギー供給弁は閉じておかないと。
頭上にあるスイッチで左腕をパージ状態に変更する。
ああ、自分の体が子供サイズなのがもどかしい。何かするのにも、いちいち体を伸ばさないと手が届かない。
「んじゃ行きますか!」
アルミュナーレの始動ボタンを押し込む。カチンと深くまでボタンが沈むのと同時に、座席の下部からウィーンと低い振動音が響いてきた。各種メーターが動き、エネルギー供給率が第一次安定域に突入する。
「動いた!」
操縦席のモニターが点灯し、前面の半球二十四面モニターが外の風景へと変わった。外部カメラが壊れているのか、左側の一部は黒いままだが、まあ問題ないだろう。
だが、このままではアルミュナーレは立ち上がらない。この状態はまだアイドリング状態なのだ。
本来ならば、ここでさらにジェネレーターを吹かし、第二次安定域までエネルギー供給量を上昇させることで、初めてアルミュナーレは起動状態となるのだ。
「次は起動状態に」
慎重にフッドペダルを踏み込み、ジェネレーターの出力を上昇させる。
ゆっくりとメーターが上昇し、第二次安定期まであと半分まで来たところで、突然操縦席内にビービーッと五月蠅いほどの警戒音が鳴り響いた。
「何だ!? 敵?」
モニターを見るが、それらしきものは見受けられない。それどころか、いつも上空を旋回している鷹の様子も無い。
なら、この警戒音はなんだ?
異常の原因を突き止める為、モニターにありとあらゆる情報を表示させていく。
燃料は問題なし。ジェネレーターも正常稼働している。第一次安定期まで来られたのだから、これは当然だ。
なら、第二次で必要になってくる部分がダメなのか?
座席に設置されているサブモニターの表示を燃料系から機体ダメージ表に変更する。そこには、左腕を失った全身真っ赤な状態のアルミュナーレが表示されていた。
「クソッ、これが原因か」
左腕はパージ状態にしているため、表示されていないが、脚部関節及び、各種駆動部のダメージが酷い。
おそらく、谷に落ちた衝撃でギアやその他諸々が壊れてしまっているのだろう。動けないほどのダメージだから、強制的にアイドリング状態に戻されたようだ。
まあ、普通に考えれば当然だ。左腕がもぎ取れるような衝撃にあって、関節が無事なはずがない。むしろ、燃料関係はかなり強固に作られているとはいえ、全て無事だったことの方が奇跡的なのだ。
「こりゃ、関節全部直さないとダメだな」
こればっかりは仕方がない。とりあえずジェネレーターが起動しただけでも良しとしよう。動くことは分かったのだ。後は直すだけ。その知識も僅かだが俺にはある。
重い物は重機が無くても魔法で何とかカバーできる。
後はパーツだが、これはもげた左腕から使わせてもらおう。同じ機体なら多少は互換性があるはずだ。
それに、行商にネジやギア程度なら頼むことができるかもしれない。
なら、今後は少しずつおこずかいを貰わないとな。狩った分の売り上げから三割、いや二割貰おう。そうすれば、数年かければパーツは集まるはず。いざとなれば、アンジュに手伝ってもらって自作も考えるが、これは最終手段だろうな。素人が作ったパーツなんて、少なからず歪みがあるだろうし、そのせいで他のパーツまで歪んでしまっては本末転倒もいいところだ。
俺は始動ボタンを再び押し、ジェネレーターを切る。燃料が六割残っているとはいえ、今後始動を繰り返すことを想定すれば、節約するに越したことはない。
ジェネレーターが停止したのを確認し、タンクのジェネレーター間の弁を閉じ、俺は操縦席の外へと出た。
「クク、クククックック」
笑みが浮かび、心の底から笑いが込み上げてくる。
見つけたのだ。俺がこの世界に転生した意味を!
そうだ、俺はアルミュナーレに乗るためにこの世界に生まれたのだ!
ならとことんやろうじゃないか! 機体を直し、改造をして、俺だけの俺のための機体に作り替えてやる!
「覚悟しておけよ」
肩に乗り、光の灯らないアルミュナーレの顔を見る。俺にはその顔が、どこか期待しているようにも見えた。