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フォートランに戻ってきた俺を待ち受けていたのは、凱旋パレードなどでは決してなく、大量の報告書の山だった。
軍隊なのだから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが、この仕打ちは余りにも酷いと思う……
機体は即座に取り上げられ、オレールさんとリッツさん指揮の下、修理が行われているらしいが、二人からは全て直すのにはかなり時間がかかると言われ、ゆっくり報告書を書いていれすばいいと苦笑された。
「ああ……もう無理……」
俺は自室で机に突っ伏す。
今日は朝からカリカリと報告書を書き続けていたが、夕方になっても一向に減る様子の無い用紙の山に、めまいがしてくる。
燃料の消費を始め、戦場で交換した各種パーツの費用、弾薬、食料、その他備品。諸々の概算経費に、隊長の入院費。その全てを隊に与えられた予算から消費し、それでも足りない場合は司令部に増額要求を出さなければならない。
三十一隊の予算では、燃料や食料、弾薬などは全く問題なかったのだが、機体の修理費を加えると一発で足が飛び出す。飛び出すと言うより、腰まで突き抜ける感じだ。
その費用を司令部に請求するためには、さらに書類を書いて提出しなければならないし、俺には隊長の変更届に、人員の補充募集のための書類製作が残っている。
そして一番俺が頭を悩ませているのが、敵機の撃破報告書である。
こんなの必要なのかと思うのだが、国へ出す撃破報告は自己申告制のためきっちり書いて提出しなければ、俺の撃破は記録に残らず勲章の授与もされないのである。
こんなことなら、四機も撃破するんじゃなかった……その上鹵獲機は撃破報告とはまた別の書類に記入をしなければならないため、過去の記録を借りて書き方を参考にしながらえっちらおっちら書いている訳だ。
そんな訳で、心身共に疲れ果てていると、部屋の扉がノックされた。
「エルド君、調子どう?」
入って来たのは、メイドの格好をしたアンジュである。手に持ったお盆にはカップが乗り、そこからは湯気が昇っていた。
机に突っ伏す俺の様子を見たアンジュは、苦笑しながら部屋に入ってくる。
「大分お疲れみたいだね」
「大分なんてレベルじゃねェ……これは地獄だ」
「けど半分以上はもう書き終わったんでしょ?」
「基本的なのばっかりだけどな。残ってるのは、書き方が分からなかったりして、調べないといけないもんばっかりだ」
だからこそ余計に面倒くさい。
「いっそのこと撃破数は三機だけにしちまうか」
それでも獅子勲章は手に入るんだし。
しかしそれはアンジュに否定された。
「ダメだよ。撃破報告書は、今後の隊の予算とか人員補充の参考にされるんだから。きっちり書いとかないと、後で矛盾が出て突っ込まれることになるよ。もしかしたら呼び出しとか」
「それだけは勘弁だ」
ああもう! 過去の俺はなんで四機も撃破しちまったかな! もう少し自重しろよな! 数日前の俺!
「ほら、エルド君の好きなコーヒー入れて来たから、これ飲んで頑張って」
「サンキュー」
アンジュからカップを受け取り、一口。
強烈な甘味が口の中に広がり、ミルクのコクが乾いた喉を潤す。
「うん、美味い」
「私には理解できないけどね」
アンジュに入れてもらっているコーヒーは、もはやコーヒーと呼べるような代物では無い。コーヒーミルクよりもミルクコーヒー、割合的にはミルク8にコーヒー2である。そこに砂糖をたっぷりと入れてもらう、激甘コーヒー風味ミルクなのだ。
「疲れた時には甘いもんが嬉しいんだよ」
「疲れてなくてもそれ飲んでるくせに。エルド君は舌がお子様すぎるよ」
「別にブラックが飲めない訳じゃないぞ。ブラックの美味さも理解はできる」
ただ、甘い方が好きなだけだ。
「それがお子様なんだよ……」
「とりあえずもうひと頑張りだ。今日中に仕上げて、明日からは休日を謳歌する」
「頑張ってね。手伝えるところは手伝うから」
「別に無理する必要はないぞ。アンジュもやらなきゃいけないことあるだろ?」
俺の書類ばかりに気を取られがちだが、アンジュにはアンジュでサポートメイドとしての仕事があるはずだ。現状、ミラージュさんがボドワン隊長に付きっきりで看病しているため、他の仕事は全部アンジュに回されているはずである。
俺の手伝いばかりをしている余裕はないと思うんだけど。
「私の仕事って基本的に隊の皆の健康管理だもん。オレールさんとリッツさんはハンガーに篭って機体の整備しているし、カリーネさんは王都で買い物楽しむって昨日でかけちゃったし、ブノワさんも隊長の着替えとか持ってヒューレンに行っちゃったから、面倒みられるのがエルド君だけだもん」
「いや、オレールさんたちの面倒見てあげてよ」
あの二人が可哀想すぎるでしょ……
「無理無理。何か手伝おうとすると、すぐに追い出されちゃうもん。ご飯は整備士の皆と食べてるみたいだし、本当にやることが無いんだよね。エルド君が書類を提出してくれれば、補給された物の在庫管理とかができるんだけど」
「頑張ります……」
仕事がねぇの俺の責任じゃねぇか!
ならさっさと仕事を用意してやらないとな。
「んじゃもうひと頑張りしますかね」
「もう少ししたら夕ご飯できるから、その時にまた呼びに来るね」
「おう」
もう一度激甘コーヒーを飲み、俺は再び書類に向かった。
翌日。俺とアンジュは書き終えた大量の書類を持って司令部へとやって来ていた。
「すみません、書類の提出ってどこにすればいいですかね?」
「どのような書類でしょう?」
「かなり色々です。撃破報告に物資補充、人員募集に経費補てんとかですね」
「本当に色々ですね。では個室で承りますので、三階の302号室に入ってお待ちください」
「分かりました」
受付嬢に言われた通り、三階の指定された部屋へと向かう。
そこは面会室のような小さな個室になっており、ちょっとした話し合いなどにちょうど良さそうな部屋だ。
俺達がそこで少し待つと、お茶を持った女性が部屋に入ってくる。
「お待たせしました」
そう言って女性は俺達の前にお茶をだし、自分もソファーへと座った。
「総務のフィリと申します。色々な書類を持って来ていただいたということで、こちらで調べて問題ない物は受け取り、それぞれの部署にお送りしますね」
「分かりました、お願いします」
女性が持ってきた書類を手にし、手早く確認して分類していく。
時折書き方が間違っている場所があり、それはその場で修正した。
二十分程度で確認と修正を終え、お茶を一口飲んでホッと息を吐く。どうやら、致命的なミスは無く記入漏れや場所の間違い程度でその場で直せるものばかりで助かった。
これで書き直しとか言われたら、俺は多分ふて寝する。
女性は集めた書類をトントンと纏めながら、にこやかな笑顔を向けてくる。
「では書類はこちらでお預かりします。それと、この後お時間空いていますか?」
「はい、大丈夫ですが」
この後は精々自主練して寝るぐらいだ。特に何かすることも無い。
俺が頷くと、なぜかアンジュが警戒した様子で俺の服の裾を掴んだ。
「モーリス総司令がお会いしたいとのことですので、この後司令室に顔を出してください」
「モーリス司令が?」
「おそらく簡単な話し合いです。初めて戦争を経験した騎士の方に色々とアドバイスをしておられるみたいですから」
「そうですか」
そう言えば、俺もアンジュも戦争は初体験だったな。
「ではこの後伺います」
「お願いします」
部屋を出て、階段に向かう。その途中に、俺はアンジュに先ほどのことを尋ねた。
「なあ、なんであんなに警戒したんだ?」
「だって……」
アンジュはそう言ってそっぽを向く。その耳は僅かに赤く、手は俺の裾を掴んだままだ。
「エルド君、自分の人気を気にしなさすぎ」
「そうか? まあ確かにあんまり気にしたことはないが」
操縦士として隊に配属されてから、何度か声を掛けられたことはある。けど、基本的に握手してくださいだとか、サインください程度だったので、軽く答えてその場で終わらせる程度なのだが。
「それは今までの話でしょ! ジャカータから帰って来てから、噂が独り歩きしてエルド君、今凄い事になってるんだよ!」
「そうなのか?」
ジャカータから戻って以降、まともに外を歩いてないしな。関わった人間なんて片手の指で数えられる程度しかいないし。
「若干十八歳の新人で、帝国の侵略を一人で押し返した、獅子勲章間違いなしの期待のエース。それがエルド君の今の立場だよ!? 女の子が放っておくわけないじゃん!」
「一人で押し返したって……四機潰しただけだぞ?」
「あの状態から四機潰してれば、押し返したと同じような物でしょ! 他の機体はほとんど動けない状態だったんだから」
「まあそうだけど」
けど、その前に隊長の活躍があったからこそ、俺の活躍の場が出来たわけだしな。
あの傭兵の赤い機体に俺がぶつかってたら、勝ててもその後は続けられなかったかもしれないし。その程度にはあの傭兵は強かった。
「個人の認識なんて噂の前じゃ意味ないよ。だから、今エルド君が町に行けば、軍関係の女の子から引っ張りだこになるはずだよ」
「けど今日はそんなこと無かったよな?」
今日だって寮から司令部まで徒歩でやって来たのだ。その時には視線を感じることはあっても、声を掛けられることは無かった。
「そりゃ、私が睨みを利かせてたからね!」
「ああ、アンジュのおかげだったわけか。ならこれからも出かける時はアンジュを誘えばいい訳だな」
「え? えええ! それって! それって、私が彼女でいいってこと!!」
「さあ、どういうことだろうな。ほら、もう司令室だから静かにしろ」
「そこで誤魔化すの!?」
顔を真っ赤にしながらポカポカと背中を叩いてくるアンジュに苦笑しながら、俺は司令室がある五階へと到着した。
悪いなアンジュ。もう少しだけ待ってくれ。
口を閉ざしながらも必死に目で訴えてくるアンジュを尻目に、俺は司令室の扉をノックした。
「第三十一アルミュナーレ隊エルドとアンジュです。お呼びと聞いて参りました」
「入ってくれ」
『失礼します』
中に入ると、総司令は初めて来たときと同じように窓際の執務机で書類整理を行っていた。たぶん、他の隊から出された書類とかもあるだろうし、俺の数倍はあるんだろうな……総隊長ってそれだけで大変だと思えるわ。
「ソファーに座って待っていてくれ。セナ、お茶を頼む」
「すぐにお持ちします」
総司令がベルを鳴らして、隣の部屋に向けて声を掛けると、すぐに部屋から返事が返ってくる。
俺達は言われるままにソファーに腰掛け、総司令の仕事が一段落するのを待つことにした。
少しして、セナさんが隣の部屋から台車を引いて出てくる。
セナさんはアンジュを見つけて小さく微笑んだ。そう言えば、セナさんも余裕がある時はアカデミーでサポートメイドの指導をしていると言っていたし、アンジュと知り合いなのか。
「久しぶりね、アンジュちゃん。しっかりやれていますか?」
「お久しぶりです、セナさん。はい、頑張っています! 隊の皆さんも優しくて、先輩のミラージュさんからも色々と学ばせていただいております」
「そうですか、これからも大変だとは思いますが、頑張ってくださいね」
「はい!」
アンジュは嬉しそうにそう頷き、出されたお茶を一口飲んでやっぱり敵わないと難しい顔をしていた。
「エルド君も、ずいぶんと活躍したそうですね。フォートランでも噂になっていますよ」
「大分大げさに伝わっているようですがね」
「噂とは常々そういう物ですからね。そのための報告書でもありますから」
「ええ、書くのに苦労しました」
そんな風に雑談をしていると、総司令がようやく一段落付いたのか席から立ち上がりこちらにやってきた。
「待たせたな」
「いえ」
「さっそく本題なのだが、三十一隊の機体の修理はどれぐらいかかりそうだ?」
「整備士頭の話では一か月はかかると」
「やはりか」
基本的に、腕や頭、足などが壊れてもあらかじめ用意されている予備のパーツと取り換えるだけでも十分なのだが、今回破壊された場所は操縦席の正面装甲とモニターである。
アルミュナーレの部品は全てオーダーメイドの職人技で作られており、すぐに代えが必要と分かっているパーツ以外はほとんど作られていない。
その為、モニターを一から全てそろえようと思うと、かなりの時間を有する。
そこに加えて、今回は破壊されてしまった機体や新規に手に入った機体が大量に出たため、そちらからの発注もあり、現在職人たちが急ピッチで作業を進めているがなかなか在庫が手に入らない状態なのである。
一応、三十一隊の機体はモニターさえ直せればすぐに前線に投入できる状態であるため、優先的にモニターを回してくれるそうだが、それでもかなり時間がかかると言われてしまっているのだ。
「ではエルド君とアンジュ君の二人には、明後日から三週間の長期休暇を与える」
「長期休暇ですか?」
「そうだ。基本的には新人の者達に緩衝地帯の警備任務が終わり次第出しているものなのだが、君達は帝国の侵攻でその予定が遅れてしまったのだ。アカデミーに入学するために親許を離れる者は多く、軍に入ってしまえば実家に帰るほどの長期休暇は騎士が取るのは難しい。そのため、新人のうちに一度はご家族に顔を見せてあげなさいと言うことだ」
「なるほど、ついでに心を落ち着かせるためですか」
「理解が速くて助かる」
緩衝地帯の任務を終えた新人は、大抵が人殺しの経験を一度はしている。
忙しい中でなら気持ちも紛れそれほど問題になることも無いが、一度ジャカータやフォートランに戻ってきて気持ちが落ち着いてしまうと、とたんに人を殺した罪悪感に呑まれることがあるのだろう。
俺の場合は、まあ殺し過ぎて色々と感覚がマヒしてしまったが、それでもやはり思い出すと少しは手が震えることがあるし、最初に人を殺した時のことを夢に見ることもある。
それを癒せるのは、やはり家族と言うことか。
そこに家族がいるから、敵を殺すことを正当化できる。守ったという確証が得られる。そうすることで、新人たちの心のケアをしているのだろう。
「アンジュ君もその日程で大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
「帰る時には、長期外泊申請を出してもらう。用紙はここの受付でもらえるはずだから、帰る時にもらうといい」
「分かりました」
「それとエルド君に聞きたいのだが、噂はどこまでが事実だ? 敵機を十機以上撃破したなどと言う噂も聞くが」
「自分が撃破したのは四機になります。それと鹵獲が一機です」
「そうか、ならば勲章の授与は間違いないな。式典用の衣装の用意はしてあるか?」
それは、ジャカータの副司令にも言われたことだ。
「はい、すでに注文は出してあります。休暇が終わるころには出来ているかと」
「そうか。おそらく一か月後程度で君とボドワンに王都への召集と勲章の授与式があるはずだ」
「隊長もですか」
俺は周りから間違いなく授与されると聞いていたが、まさか隊長も授与されることになるとは。
「ボドワンは以前一機のアルミュナーレを撃破しているからな。今回の戦闘で二機撃破し、通算で三機。獅子勲章の授与範囲に含まれる。機体から降りるという話も聞いているので、機体の引き継ぎ式もそこで行われるだろう」
引き継ぎ式と言うのは、要は隊長の後任を正式に陛下が認める式だ。
アルミュナーレは基本的に国の、延いては陛下の所有物であり、俺達騎士は陛下から機体を借りているということになっている。
その為、機体を自由に誰かに譲渡することはできないのだ。
まあ、実際の所は現場の判断で隊長と俺のようにその場で機体を譲渡してしまうこともあるのだが、一応決まりとして書類の名義変更と共に式は行わなければならない。
「分かりました。何か特別に準備する物とかはありますか?」
「服以外は必要ない。式も慣例的な物だから、すぐに終わるはずだ。陛下とは直接言葉を交わすことも無いから、それほど緊張する必要はない」
「それなら安心ですね」
貴族であるボドワン隊長ならまだしも、俺みたいな平民が陛下と直接言葉を交わすとか、怖すぎてできないに決まっている。
「話は以上だ。何か聞きたいことはあるか?」
「大丈夫です」
「私も大丈夫です」
「ではこれで終わるとしよう。ご苦労だった」
総司令はそう言って立ち上がると、再び執務机に戻って行った。休憩する時間も無いとは、本当に大変だ。
俺達は司令室から出て、ホッと息を吐く。
やはり、上の人間と会うのは緊張する。それが如何に理不尽を言わない人でも、なんというか纏っているオーラに気おされるのだ。
それはアンジュも同じようで、息を吐いた後に俺を見てニコリと笑みを浮かべた。
「帰れるんだね」
「ああ、結局手紙を書く前に帰ることになっちまったな」
「おじさんたちに怒られると良いよ」
「そう考えると、帰りたくなくなるな……」
「自業自得、自業自得。ほら、早く受付で長期外泊の申請書類貰ってこないと」
アンジュは嬉しそうに階段を降りていく。
前々から覚悟を決めていたし、精神年齢的にも親と離れることが苦では無かった俺とは違い、やはりアンジュは親許を離れるのが寂しかったのだろう。
それを我慢してでも、俺の側にいたいと追いかけて来てくれたのだ。
そろそろ俺の気持ちも伝えないとな。それを伝えるのに一番いい場所は、やはりあそこだろう。
俺やアンジュはそれぞれに気持ちを抱えたまま、生まれた村へと一時的に帰省することになったのだった。




