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魔導機人アルミュナーレ  作者: 凜乃 初
アカデミー三年目
23/144

3

 基地内見学を終えた翌日。俺たちは朝からせっせと出かける準備をしていた。


「洗面所借りるわよ」

「あいよ」

「分かった」

「ちょっと待って! 先にトイレ行かせて!」

「嫌よ、臭くなるじゃない」

「ちょっ!?」


 バティスの目の前でバタンと扉が閉じられ、しっかりと施錠される音が室内に響く。俺とレオンは腹を抑えて蹲るバティスに、憐れんだ視線を向けながら、外出用の服を選んでいた。

 と言っても、持って来ている服など、制服の下に着るシャツぐらいなので、選ぶと言うほどの物でもない。

 ただ鞄の中から引っ張りだし、適当に違和感が出ないよう着合わせるだけだ。


「こんなもんかな」


 俺は制服のズボンに半そでの白カッターシャツ。

 レオンは、貴族らしく色々と種類を持っているのか、ズボンは紺色で、Tシャツの上からパーカーを羽織っている。

 バティスは……動けないか。哀れな奴め。


 さて、俺達がなんでこんな朝っぱらから私服に着替えて出かける準備をしているかと言えば、理由は簡単。

 今日は俺達の年に七日程度しかない貴重な休日だからだ。

 と言っても、感覚的には修学旅行中の自由時間と言った方が正しいか。基地と町の間の通行パスを発行してもらい、今日一日ジャカータの町を見て回るのだ。


「おまたせ」

『おー!』


 そんなことをしているうちに、レイラが着替えを終えて洗面所から姿を現す。

 その姿に、俺達は思わず声を上げた。


「何よ……」

「いや、レイラも女子なんだなって思い出させられた」

「斬られたいの?」

「滅相もございません」


 レイラは、膝上程度までの黒のAラインワンピースだった。日光対策に麦わら帽子をかぶり、肩には白いストールを掛け、腰にもベルト替わりのような金属製の輪が付けられている。肩からむき出しの白い腕には、手首にカラフルなミサンガが巻かれている。

 足は日頃のトレーニングで引き締まった細い脚を自慢げにむき出し、靴もヒールの着いた紐サンダルである。

 正直、服装だけでここまで印象が変わるのは予想外だった。


「私だって、人並みにはおしゃれもするわよ。ただ見せる機会が無いだけでね。それよりも、エルドはもう少し服装に気を使ったら? ほぼ制服じゃない」


 まあ、俺の格好は制服の学ランを脱いだだけとも言えなくもない。と言うか実質そうだ。

 けどな――


「推薦で入学したは良いが、それを維持するためにバイトする暇も無く、そもそもうちから仕送りなんてものも存在しない。金の稼ぎようがないのに、どうしろと? むしろレイラがどうやって稼いでいるのか、はなはだ疑問なんですけど!」


 そうだよ。俺が全く働く暇がないのに、なんでレイラは普通におしゃれするだけの資金の余裕があるんだよ! お前だって、仕送りなんて無いだろ!


「夕方から飲食店で働いてるわよ? ほら、エルドが剣の修行している間に」

「マジかよ! じゃああの剣どうやって維持してんの!?」


 俺なんて、一日振らないだけで忘れそうになるんだぞ。その度に、ルネさんから斬り傷つけられてるんだからな!


「朝に少し型の練習はするけど、それだけね。後は授業中とか、放課後の空いた時間とか。勉強は終ってるし、学校の授業だけでも十分だもの。それぐらいの時間はとれるわ」

「その余裕が憎い……」

「はいはい、馬鹿なこと言ってないで、そろそろ時間でしょ?」


 話しているうちに、集合時刻が迫っていた。

 急いで準備を終わらせ、集合場所であるフロントへと向かう。そこには、教官たちと副指令それに、第二グループのメンバーがすでに待っていた。

 俺たちは慌てて教官たちの下に駆け寄り、整列する。


『お待たせしました!』

「よし、全員そろったな。では今日は予定通り一日自由行動とする。まあ、ほとんどは町に出ると思うが、くれぐれも問題行動を起こさない様に」

『はい!』

「ではゲートの通行パスを配りますね。今日一日使える物ですから、無くさないようにしてください。もし無くした場合は、速やかにゲートの係員に連絡してください。不審者の侵入の手助けになってしまいますから」


 副指令がそう言って持っていたカードを俺達に配ってくれる。それぞれに俺達の個人情報や学籍番号が書かれたカードだ。前世ならここに証明写真が貼ってあるんだろうけど、写真技術の無いこの世界では、それは無い。物としては保険証に近いな。

 俺達はそれぞれ無くさないように、ポケットにしまったり、財布にしまったり、はたまたどこから持ってきたのか、首かけ紐のついた名札入れにしまったりと、それぞれにここなら大丈夫だという場所に通行パスをしまう。

 ちなみに俺は財布の中に入れておいた。前世から、貴重品は全部財布に纏める主義だったしな。この方がなれている。まあ、掏られる危険もあるが、そこは俺の注意次第だろう。騎士になろうとしている奴が、町の掏りにやられていては示しがつかない。


「では各員、アカデミーの学生として節度ある行動を心がけるように。解散!」


 教官たちはそう言い残し部屋へと戻っていく。

 それを見送った俺たちは、我さきにと基地のゲートに向けて走り出すのだった。

 やっぱり学生ですから、自由時間は楽しみなんです!



 ゲートを越え、町に入ると、基地とは違う活気にあふれた街並みが飛び込んできた。

 基地内は、整然としており、無駄の無い造りだったのだが、町の方は家々が複雑に入り組み、迷路のような通路を形成する混沌とした雰囲気だ。そこに、多くの露店が並び、客たちがひっきりなしに道路を行き来する。

 フォートランのように、アルミュナーレを通行させる必要が無いため、道幅は狭く馬車がなんとかすれ違える程度しかない。


「凄い雰囲気ね」

「フォートランとは違った活気だな。街並みが違うだけで、人の雰囲気もここまで変わるのか」

「かわいい子いねぇかな~」

「さて、どこから行くか」


 一通り、名所となりそうな場所は調べてあるが、一日自由時間ということで、それほど綿密に予定は立てていない。というか、ほぼ無計画である。


 風の向くまま気の向くまま、そこらへんの匂いに流されつつフラフラと町を歩く。

 露店で土産物だとよく分からない木の彫り物を買い、おすすめだと言われた露店で肉を齧る。

 かと思えば、美術館へと足を運んで彫像や絵画の鑑賞にふけり、お土産と称して絵画を写したパズルを購入する。

 バティス……一万ピースのパズルとかいつ作るつもりだよ。

 そんな風に各自ジャカータの町を満喫していく。

 気付けば両手にはお土産の袋がぶら下がり、財布の中身はどことなく寂しくなっていた。

 陽は次第に傾き始め、その赤みを増していく。

 人通りは観光客から主婦へと変わり、夕食の買い物をする姿が目立つようになった。


「キャー!」


 俺がそろそろ最後の目的に向かおうかと提案しようとした時、通りの向こうから悲鳴が聞こえる。


「引ったくりよ! 捕まえて!」

「退け! 殺すぞ!」


 状況を一瞬で把握した俺たちは、自分の持っていた荷物を一斉にバティスへと預け、手をフリーにする。その分バティスは前も見えないほど荷物で埋もれているが、まあ問題ないでしょう。

 通りの人たちの動揺を見るに、ひったくり犯はこちらにむかって逃走しているようだ。


「見つけたぞ」

「確認した。ナイフ持ちか」

「私がナイフを処理するわ。確保よろしく」

「あいよ」


 今更危険だなんて言わない。そもそも、近接ではレイラが一番強いんだし、それ以前に俺達全員引ったくり程度に負けるような柔な鍛えられ方はしていない。

 武器の処理も、捕まえるのも、役割は誰でもいいのだ。ただレイラが先に宣言したから、俺達が譲ったに過ぎない。

 レイラは引ったくりが駆けて来るのに合わせて、低く腰を落とす。


「邪魔だ!」


 道を譲る様子の無いレイラに向けて、ひったくり犯が容赦なくナイフを突き出してきた。

 瞬間―――

 レイラの腕が一瞬ぶれたかと思うと、キンッと高い音がして、突き出されていたナイフの刃が姿を消す。

 それは、上空でくるくると回りながら、夕日の光を反射していた。

 突然の出来事に、ひったくり犯は何が起こったのか分からないでいる。その間にレイラは体を捻り一回転すると、そのヒールで犯人の胸元を思いっきり蹴り付ける。

 ドンッと重い音と共に、犯人は後方へと吹き飛び、地面を転がった。

 今の威力、ピンヒールだったら胸元貫いてたな…………


「この程度なの? 弱いわね」


 落ちてきたナイフの刃を、二本の指で白刃取りし、乱れたスカートの裾を直す。

 何が起きたのか分からなかった周囲の市民は、ただ茫然としていた。

 けど俺たちは理解している。犯人がナイフを突き出した瞬間、レイラがスカートの中から刃物を取り出し相手のナイフを斬ったことを……つか、なんで観光にナイフ常備してんだよ…………

 人々の動きが止まっている間に、俺達は倒れた犯人の下へと歩み寄り、ひったくられたであろう女性ものの鞄を取り返す。

 レオンが犯人の関節を極め、逃げられない様に拘束した。

 その頃になると、次第に市民たちも何が起こったのか理解できたのだろう。

 どこからともなく拍手が響き、それは次第に周囲へと広がっていく。

 なぜか、道路の一角で盛大な拍手が行われる、不思議な現象が発生してしまったが、まあ俺達のせいじゃないよな? てかこれ、アカデミーの生徒として節度ある行動に反してないよな?


 しばらくして拍手が収まってくると、鞄をひったくられた女性が俺達の下にやってきた。


「あ、あの。ありがとうございます」


 女性は必死に頭を下げて、礼を述べる。レイラはその様子に困惑しているようだった。


「当然のことをしたまでですから、気にしないでください。それより、お怪我はありませんでしたか? 犯人はナイフを持っていましたけど」

「あ、えっと……腕を少し。けど、大丈夫です。大した傷ではありませんから」


 一瞬女性が右腕を気にしたような素振りを見せる。それを見過ごす俺達では無い。

 俺がレオンに目配せすると、レオンは即座に女性の右側へと回り、その腕を軽く掴んだ。

 それだけで女性は顔を顰める。


「つっ……」

「斬られたか」


 レオンが強引に袖をまくり上げると、そこには一本の傷が出来ていた。おそらく鞄を奪う際に斬り付けたのだろう。傷はそれほど深くは無いようだが、放っておくと感染症の危険がある。しっかりと治療するに越したことはないな。


「治療院に行きましょう。治療費はこの犯人に払わせればいいんですから。俺達も付き添いますよ」


 俺は、まだ蹴られた箇所が痛むのか、う……う……と声を上げる犯人を立ち上がらせ、女性の前に跪かせる。


「でも……鞄を取り返してもらっただけで私は十分ですから」

「何言ってるんですか。斬られてるんだから、ちゃんと治療してもらわないとダメですよ! このままじゃ肌に傷が残っちゃいます」


 レイラとしてはその部分も気になるのだろう。浅い傷とはいえ、腕に切り傷が残ってしまうのは、女性として許せないらしい。まあ、自分もガッツリ腕を見せるタイプの服着てるもんな。それが着れなくなると考えれば、必死にもなる。


「それに俺達もこの後治療院に行く予定でしたしね。ちょうどいいですよ」


 そう、俺達が最後に向かおうとしていた場所。それも治療院である。

 なぜ、治療院なのかと言われれば、フォートランを出る前日に、師匠であるルネさんから手紙を渡され、言われたからだ。

 「ジャカータへ行くなら、治療院を見て来るといいでしょう。この手紙を見せれば、色々と見せてくれるはずですから」と。

 その手紙は、俺の胸ポケットにしっかりと入っている。

 ルネさんが、何のつもりでそんなことを言ったのかは分からないが、あの人が無駄な事をさせるとは思えない。お使いのような雰囲気でも無かったし、たぶん俺達に見せたい物がそこにあるのだろう。

 俺一人で行ってもよかったのだが、俺の予想が正しければ、操縦士を目指す者として、そこにあるものは見ておいて損は無いだろうと思う。だから、皆も一緒に誘ったのだ。


「……分かりました。ではお手数おかけしますが」

「いえいえ、これも何かの縁ですから」


 俺たちは、今更駆けつけてきた町の兵士に、ひったくり犯を引渡し、女性の治療費を後程請求することを説明して、治療院へと向かったのだった。



 ジャカータの治療院は、基地から比較的近い場所にある。それは、この治療院を基地の関係者も利用するからだ。

 基地にも医療施設はあるのだが、長期の入院が必要な患者などはこちらに回される。そのため、治療院の建物は非常に大きく、ずらっと窓が並ぶ光景はまるでアカデミーの校舎のようだ。

 女性を連れて受付へと向かう。


「今日はどうしましたか?」

「引ったくりにナイフで斬られた人を連れてきました。止血はしていますが、本当に応急手当だけです」

「分かりました。三番の部屋へ入ってください。すぐに診察できると思いますので」

「ありがとうございます」


 レイラ達が女性を連れて三番の部屋へと入ってく。一瞬開いた扉の先に見えたのは、前世とあまり変わらない診察室だ。大きな治療院なだけあって、医者の数も多いのだろう。同じように番号の振られた部屋は十番まである。


「他に何かご用がございましたか?」


 レイラが移動しても移動しない俺に、受付は首を傾げた。

 俺は胸ポケットから例の手紙を取り出す。


「元サポートメイドのルネという人から、院長に渡してほしいとのことです」

「院長にですか?」


 受付はいぶかしみながらも、俺の手紙を受け取りカウンターの奥へと消えて行った。するとすぐに別の女性が別のカウンターを開けて、業務を続ける。良い連携ですね。

 しばらく待つと、女性が消えた扉からモノクルを掛けた白髪交じりの初老の女性が出てきた。


「あなたがエルドさんですか?」

「はい。あなたは?」

「私はこの治療院の院長を務めている、ホジュンと申します。ルネからの手紙は読みました。この内容をエルドさんは知っていますか?」

「はっきりとしたことは知りません。院内を案内してもらえとしか言われませんでしたから」

「そうですか」


 院長は何かを考えるように目を瞑り、そして開く。


「私としては、ルネの要望を断るつもりはありません。しかし、エルドさんには辛いものを見せることになると思いますよ?」

「自分は何となく予想が出来ているので大丈夫です。それよりも、自分としては仲間も一緒に見せてもらいたいんですけど、大丈夫でしょうか?」

「それはあなたと同じと言うことですか?」

「ええ、アカデミーの生徒で同じ操縦士学科です」

「その子たちの気持ちは? 強要はさせられませんよ」

「確認はとりますが、たぶん大丈夫だと思います。皆強い連中ですから」


 院長と話していると、レイラたちが病室から出てくる。女性の腕には包帯が巻かれ、しっかりとした処置を行ったようだ。あれなら感染症の心配も無いだろう。

 女性はしきりにレイラたちに頭を下げているが、レイラはその頭をどうにか上げさせようと焦っていた。たぶん、頭を下げられることに慣れていないのだろう。

 しばらく様子を見ていると、女性がこっちにも向いて一礼すると、治療院を後にした。どうやら決着がついたようだ。

 そしてレイラたちが俺の下に戻ってくる。


「そっちの話は付いたのか?」

「ああ、問題ないってさ。んで、治療院の中を案内してもらうことになったんだけど、お前らはどうする? 院長さん的には、覚悟のいるもんらしいしが」

「もちろん見るぞ。これ以上エルドに離される訳にはいかねぇからな」

「僕も見学させてもらいたい。ここは世話になるかもしれない場所だ」

「私も見させてもらうわ。きっと意味があるものでしょうし」


 全員の意見は同じだった。まあ、ここまで来てやっぱりやめるなんて気分屋な奴はここにはいないしな。

 院長は俺達の言葉を聞いて一つ頷くと、付いてくるように指示して院内の通路を進む。

 ほのかに暗い通路をどんどんと進んでいくと、次第に普通の患者の姿が見えないくなった。そして、病室の扉越しにうめき声のような物が聞こえる。

 一抹の不安が俺達をよぎった。


「まずはここです」


 院長が止まったのは、一つの病室の前。


「気持ちを強く持って。ここがあなたたちの現実ですよ」

「はい」


 俺が頷くと、院長が病室の扉を開けた。瞬間、むわっと酸味を帯びた匂いが鼻を突く。

 その匂いに顔を顰めながら病室の中に入ると、数人用の小さな病室に地獄が広がっていた。

 ベッドの上で全身に包帯を巻きながらうめき声をあげる男性。

 両腕が無く、巻かれた包帯が真っ赤に染まっている女性。

 顔を上げ、虚空に向けてひたすら何かを呟き続ける子供。

 そこにいたのは、誰もが何か(・・)を失った人たちだ。


「この人たちは……」

「戦争被害者です。村を襲われ、必死に逃げ延び、生き残った者達の末路。ただそこに平和に暮らしていただけなのに、一瞬のうちに全てを奪われた哀れな人たちです」


 そして、そんな彼らを看病している看護師たち。彼女たちの目に、生気は無かった。ただ機械のように、求められたことをこなす人形のような看護師たち。

 俺はそれを見て、ルネさんの話していた戦場での体験談を思い出した。

 胃がねじれるような感覚に襲われ、吐き気が込み上げる。俺はそれをグッとねじ伏せ、必死に息をしようとした。しかしその度に、刺激臭が喉を襲う。

 バティスやレオンもこの様子に声を失っていた。騎士という華やかな存在、戦争の中の英雄たちの影で、このような存在がいることは、授業の中で教えられていた。しかし、実際に目の当たりにして、果たして二人はどう思ったのか……

 唯一変化が無かったのは、レイラだ。無機質な瞳で、ただ彼らをまっすぐに見つめていた。


「出ましょう。いつまでも見ていていい物ではありません」


 院長に促され、廊下へと戻る。

 今は消毒液の匂いが酷く心地いい。


「大丈夫ですか? 次に見せるものは、もっと過酷なものになるかもしれませんよ」


 本当に心配そうな声で、院長が俺達に声を掛ける。

 俺たちは、自分の顔が青くなっているのを自覚しながらも頷いた。ここで逃げる訳にはいかない。そう感じたからだ。


「見せてください」

「見なきゃいけない」

「そうだな。全部見なきゃ、操縦士に成れる気がしない」

「分かりました。では行きましょう」


 再び院長が先を進み、俺達が後を追う。そこに会話は無く、どこからともなく聞こえてくるうめき声が嫌でも耳に残ってしまう。

 耳を覆いたくなる気持ちを抑え進むと、やがて通路の突き当たりに到着した。


「ここです。覚悟が出来たなら、自分達で扉を開きなさい。ここにはあなたたちの未来の姿があるかもしれません」


 それを聞いて、この先にいる人たちが誰なのかを理解した。軍人なのだろう。戦争で怪我を負った、そしてさっきの患者たちの様子を見る限り、助かりそうもない人たち――

 見なければならない。そう分かっているのに、腕が動かない。

 バティスやレオンも同じようだ。ただ負けることだけは無いように、その扉を親の敵とばかりに睨みつける。


「私が開けるわよ」


 静から声が響く。そしてレイラが扉の前へと歩み出ると、躊躇いなくその扉を開いた。

 そこに広がる光景は、地獄すら生易しく見える世界。

 ずらっと並ぶベッドの上には、血だらけの人、人、人。

 うめき声をあげる物。親の名を呼ぶもの。助けてくれと願う者。殺してくれと懇願する者。

 全員が一人残らず重症患者であった。

 腕が無いのはまだいい方。両足が無い。腰の一部が無い。全身が爛れている。片目が飛び出している。人の原形すらとどめず、なぜ生きているのか分からない者までいた。

 強烈な腐臭と光景に、バティスとレオンが胃の中身をぶちまけた。

 俺も胃がぐりぐりとねじれるが、覚悟していただけに何とかまだ持ちこたえられている。しかし、レイラは大丈夫だろうか。俺たちはまだ廊下にいる。けどあいつは、扉を直接開いて、この光景を間近で見ているはずだ。

 視線をレイラに向ければ、そこにはいつもと変わらないレイラの姿があった。

 その姿に、俺は思わず恐怖する。

 なぜ平然としていられるのか。

 なぜ堂々と立っていられるのか。

 なぜ息一つ乱していないのか!


「レイ……ラ?」

「三人とも大丈夫? 酷い顔よ」


 振り返ったレイラは、悲しそうな表情をしていた。しかしそれだけだ。


「レイラは、大丈夫なのか?」

「ええ、私はこの光景、もう見たことがあるから」

「あなたは戦争被害者なのですか?」


 バティスたちの背中をさすっていた院長が、レイラに尋ねる。それにレイラは一つ頷いた。


「村をアルミュナーレに焼かれ、兵士に追われ、やっとの思いで別の町に逃げ込みました。そこで家族を探して、こんな光景の病院をいくつも回ったわ」

「あなたのご家族は?」


 その問いに、レイラは首を横へと振った。


「見つからなかったわ。どこの治療院にも、父さんたちはいなかった。結局死亡とされたけど、父さんたちの墓には骨すらない」


 俺はレイラの肩が震えているのに気付いた。そしてその拳を、爪が皮膚を破るほどに強く握り締めていることに。


「この人たちはまだ幸せよ。死んでも骨が残るんだもの。ちゃんと墓の下で眠ることができるんだもの。父さんたちはそんなことすら許されなかった。ただ暮らしていただけなのに。良い野菜が取れるといいねって、笑い合ってただけなのに!」


 その時になって俺は後悔する。レイラをここに連れて来るべきでは無かったと。

 ここはレイラのトラウマを最も刺激する場所だ。

 過去の辛い場面を鮮明に思い出させてしまう場所だ。

 彼女の、憎悪を一番増幅させてしまう場所だ。


「エルド、今日はここに連れて来てくれてありがとう。アカデミーで生活してて、忘れていた事を思い出したわ」

「レイラ」

「私は帝国が憎いの。だから必ず復讐するわ。力を手に入れて、私から家族を奪ったあいつらを殺してやる」


 レイラがゆっくりと廊下を歩き始める。それは幽鬼のようにフラフラとしていて、しかし恐ろしいまでに威圧感を放っていた。


「レイラ!」


 声に反応したのか、レイラが立ち止まり振り返る。


「ああ、言い忘れてたわ。エルド、私ね――――


――――私、アルミュナーレが大っ嫌いよ」


 この日がターニングポイントだったのだろう。都市外演習から戻ってきたレイラの操縦は、行く前とは比べ物にならないほど荒々しい物へと変貌していた。


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