――断章――
ここで少しだけ、俺のことを話そう。
家族と、ムラサキ以外は誰も知らない俺のことを。
*
俺の精神を摩耗させること著しい『支配に関する考察』の会も終わり、俺は帰路についていた。
時は黄昏の少し前。もう少しで語源の通り、誰も彼も解らなくなるだろう。そんな時。
俺は雪那神宮に向かっていた。今日は、病院に行く前に寄っていなかったから。
以前に言った通り、よわっちいとはいえ、俺は霊感体質だ。
幼いころから色々あった。
例えば、
ふと振り向くと、真っ黒い空間が出現していた。そこから聞こえる怨嗟の声。
夏祭りに行っていた時、不意に襲ってきた違和感。右肩を見ると、そこに目玉が乗っていた。
夜、いきなり窓が叩かれる。バンバンと。何だ何だと立ち上がろうとしたら、金縛りにあって動けない。
耳元でささやく声。それは鼓膜の奥の奥にまで入り込んで来るようで、ナニカがおかしくなりそうで、幼い俺は吐瀉してしまった。
などなど。
まあ、命に関わるようなことは無かったものの、とかく嫌な思いをする事が多かった。
だから、『霊なんて、いなくなればいい』。
俺は、小さな頃は、ずっとそう思っていた。
でも、今は違う。
俺が霊感持ちだと知り、奇異の目で見てくる人達を見て、
突然苦しみだしたり、気分を悪くする俺を、憐みの目で見てくる人達を見て、
なんも感じない妙な呪文を唱えたと思ったら、大金をむしり取る人間を見て、
ある時気付いた。
霊なんかより、人間の方がずっと冷たい。
俺は、いつからだろう、本質的に誰も信じられはしなくなっていた。
でも、信じたいとは思っている。特に、ムラサキと出会ってから、ずっと。
亡くなった祖母には感謝している。彼女が俺達家族を雪那神宮があるこの町へ呼んでくれなければ、一体どうなっていたことか。それは小学校低学年の頃だった。でもって俺はようやく、この疎ましい体質から解放されたという訳だ。
「本当に良かった」
たどり着いた雪那神宮を仰ぎ見ながら、つい、ひとりごちる。
雪那神宮は美しい。見た目だけではなく、雰囲気もだ。多くの木々に囲まれた流麗なその全景は、確かに祖母の言った通り、ここは本物の神域だったと俺に信じさせてくれた。
しばらくぽつねんと立ち尽くしたのち、夕日に染まる立派な鳥居をくぐり抜け、広い境内に入る。何とも驚いたことに、俺一人しかいないようだ。
あな珍しやときょろきょろしながらたどり着いた手水舎で、両手と口を漱ぐ――と、それだけでもう、体が軽くなったような気がした。
「そういや、あの病院は、なんか嫌なもんを感じないよな」
思い出してみると、神主さんもその様なことを言っていたな。しかしそう考えると、ムラサキも何とも良い所に入院したもんだ。いや、そんなとこを選んだのかな、やっぱ。
ふと伸びをする。そして、大きく息を吸う。
綺麗な空気。胸一杯に満たされる。
そうして吐く。
もう一度。
吸って。
吐いて。
もう一度……
…………。
「うん」
なんか大丈夫そうだ。今までの経験上、こうまで清々しくなったのならば、何一つ問題は無いだろう。禊祓はまた今度あらためて。
とりあえず、参拝だけしておこう。
そう考え、俺は歩き出す。
願いはとりあえず、ムラサキが抱え込んでいる厄介事の成功祈願。
でもって俺の胃袋をいたく締め付ける、例の考察会の負担軽減。
そして、本当に人を信じられる俺に、戻れますように。
その三つ。