僕には幸せがあった
僕には幸せがあった。
でもそれは当たり前のように僕にあって、僕はそれを意識したことがなかった。僕はそれを幸せだと認識したことはなかった。
だから、それが幸せなのだ。
そう、人は言った。
それがあることが当たり前だなんて、それがない人は決して思わないだ、と。
それを聞いた僕は思った。それはそうだと。その思いは、僕にも理解ができた。
そう、だって、幸せは自分じゃ気が付けないのだ。
人は、数えきれないくらい多くの人は、僕にたった一つの幸せを見出した。
僕も、数えきれないくらい多くの人に、ある共通した幸せを見出していた。
ないから、見えた。
自分じゃないから、見えた。
つまり見えたということは、見えてしまったということは、ないと言うことだった。
そう、僕にはその幸せがないのだと、思い知ってしまった。
どうしてないのだろうか、と言う疑問に対する答えは単純なんだ。だから僕も、人も、一生懸命になって探すんだ。
その単純さを受け入れないために、自分を誤魔化すためのバラバラに転がっている屁理屈を拾い集めて。パッと見それらしくて思わず「そうか、なら仕方がないな」と言ってしまうような、そんな理由を。
でないと、辛いから。受け入れるしかないのであれば、せめて被害を最小にしたいから。それは誰だってそうだろう。
単純なものほど、どうしようもない暴力であることを。
屈するしかない圧であること、それを知っているから。
理由があって、結果があるんじゃない。結果に、僕らは一生懸命理由を付けているんだ。
そして、数えきれないくらい多くの人にとっての理由は、僕だ。
「良い気になんなよ」
「調子に乗るなよ」
「たまたま親が知り合い同士だったから」
「たまたま家が近所だったから」
「お前がすごいんじゃない」
「お前である必要なんかない」
それらは全て、僕に向いていた。
「お前がいたから」
そう、僕が理由だった。人の幸せを奪ったのは、僕だった。
僕の幸せは、僕が生まれる以前に出来あがていた。
古郡の家の両親と、僕の両親は大学時代からの知り合いだった。
僕の両親は、古郡の両親のファンだったのだ。今も、昔も。
古郡の両親となる二人の出会い、それは大学の映画研究会と言う団体でのことだったそうだ。二人はそこで映画を制作した。それがきっかけ。
では僕の両親はと言うと、二人は古郡の両親となる学生が作った映画を見て、感銘を受けた下級生だったそうだ。
そして二人は映画研究会に所属し、古郡の両親になる二人と行動を共にした。
やがて二人が結婚し、晴れて古郡となると言う話になって、間もなく僕の両親となる二人が結婚した。
少したって古郡家に子供が生まれると、時期を同じくして僕が生まれた。
僕が生まれるずっと前から、僕の名前は決まっていた。それは僕の両親が見た、古郡夫妻になる二人が初めて制作した作品の主人公の名前だ。だから由来を僕の両親は知らない。
やがて古郡夫妻が世界にその名を響かせる頃には、僕の家族と古郡の家族は世間でも類を見ないほど仲の良いご近所さんになっていた。それこそ、高校生の娘を預けてもよいと思ってもらえる程に。
思えば大学時代からの知り合いなのだから、相当長い付き合いだ。それもあってなのだろう。
古郡の両親が海外に長期の撮影に行くことになり、一人娘の面倒を頼みに来た時の両親の顔を、僕は覚えている。
後にも先にも、その一回だけだけだけれど。
そう、僕には幸せがあった。
今まで、数えきれないくらい多くの人に、そう言われた。
数えきれないくらい多くの人が羨む幸せが、たった一人の僕の中に。
でも、僕にも見えている幸せがある。
それはまだ、誰にも言ったことがないけれど。