六花の夏に散りゆきて
「綺麗ですね・・・雪。誠さん」
白い花が無数に舞い散る並木道の下で、前を行く女に呼び掛けられた誠という男は呆れた表情を作った。
「夏、それは雪じゃなくて花だろうに。」
夏と呼ばれたその女は、振り向きざまに美しい着物をひるがえし、髪を風になびかせながら頬をふくらませた。
「そのような風流のないことを言わないでください!雪は六花とも言うのですよ?」
「そうかそうか、悪かった。」
少し拗ねた彼女の表情もまた美しく、いとおしくて、誠はつい頭一つ下の彼女の頭をやさしく撫でていた。
彼女もまだ何か言いたげな顔をしていたが、撫でられて顔を舞い散る白い花と対照的に赤く染め、目を閉じ彼に寄り添った。
全てが暖かく感じられる中、誠の腰にさした刀だけがその冷たさで鋭利な存在感を放っていた。
今日から数えて一年近く前の日の会話を立花誠がふと思い出したのは、現在彼の置かれている状況がその日の情景と酷似していたからだった。
落花の季節の一歩手前となった並木道の下、誠と夏は立っていた。
昨年と違っていることと言えば、花が散っていないことと、二人の衣服が薄汚れてところどころ破れていることぐらいだった。
誠は名の通った剣客だった。
戦の無くなったこの太平の世になり、彼はその刀をおさめ、彼の幼少からの知り合いである夏と夫婦の契りを結び生きていく決意をした。
しかしそんな日常も長くは続かなかった。
剣客時代の友人だった男が大罪を犯し、さらに幕府高官に賄賂を渡すことによってその身にかかった罪をすべて誠に被せるという裏切りをみせたからだった。
そのことにいち早く気づき、役人に囲まれた家を危機一髪で脱出したのが1週間前。
賄賂を受け取っている幕府高官が今更誠の話を聞くわけがないと悟った彼は、言うことをきかずについてきてしまった夏とともに逃亡生活を送っていた。
「夏、大丈夫か?」
誠は木の根っこに足を取られてよろめいた彼女に歩み寄った。
本来は明るい性格の彼女も今日はその美貌を若干曇らせた。
「すいません・・・急がないと追っ手が来ると言うのに・・・」
彼女の不安を吹き飛ばすかのように誠は不敵に笑い、刀を軽く持ち上げた。
「俺の前に立つやつは全部切る。夏は俺が守るから。安心しろ。」
「・・はい!」
しかしそんな誠の表情もすぐに陰りをみせた。
視界の端に、10人ほどの人影がこちらへ向かって来ているのを捉えたからだった。
軽く舌打ちをする。
「とうとう追いつかれたか・・・」
そう言うと追っ手が来る方向へと歩き出した。
夏はその彼の広い背中がどこか遠くへ行ってしまうような感覚にとらわれ、思わず手を伸ばし衣服の端を掴もうとしたが、結局彼女の手の中には何も残らなかった。
「そこで待っていてくれ。すぐに終わる。」
彼は一度も振り返ることはなかった。
彼の顔すら見ることの叶わなかった夏は、ただ口を開くことしかできなかった。
「誠さん・・・ご武運を。」
「立花誠だな。お前には殺人の罪として切り捨ても良しとの御達しだ。抵抗する場合は切る。」
追っ手である役人たちの長であろう男が無表情に有無を言わさない口調で誠に問いかけてきた。
肩をすくめてそれに答える。
「抵抗せずに連れて行かれてもどうせ死刑なんだろう?なら、刀でけじめをつけるのが武士というものだろう。」
誠のその言葉に、今まで表情一つなかった追っ手達は小さく、しかし獰猛な笑みを見せた。
それだけで誠は理解した。
彼らもまたこの平和になった世の中で、その誇りである刀の抜き場を失い、武士としての誇りを生かす場所を探しているのだということを。
11人の侍たちがそれぞれの誇りのために刀を抜いた。
男たちの切りあいは壮絶だった。
誠が凄まじいまでの剣技を見せ、次々と敵を切り倒していくが、同時に一太刀、一太刀と徐々にその身にも傷を刻まれていった。
そしてとうとう残るは役人達の長と誠だけとなった。
長はその身にほとんど傷を負っていなかったのに対し、誠はすでに満身創痍という言葉すらも軽く思えるほどに消耗し、意識の朦朧とするなか、それでも必死に立ち続けていようと堪えていた。
長は刀を大上段に構えると、誠に向かって振り落した。
それを自分の刀で受けようとするも、刀と刀が触れ合った瞬間、誠の手に途方もない衝撃が襲ってき、疲弊しきっていた彼の両の手は刀の柄をはなしてしまった。
金属が木の根にぶつかる、乾いた音があたりに響いた。
勝負はあった。
丸腰となった誠はそれを悟ると、目を見開いて立ちつくし、死の覚悟を決めた。
長は刀を中段の突きの構えを見せ、そして一切の躊躇もなく誠に向かって突き出した。
それは誠の目の前を夕焼けのような赤で一色に染め上げた。
誠の刀が叩き落されたのを見た瞬間、夏は何かに突き動かされるかのように走り出していた。
誠を一人にしてはいけない、ただその思いだけを胸に。
誠の眼前にこちらを向いて立ちふさがるように両手を広げて立っていた夏のその胸から無機質な刀の先端が飛び出した。
なんでもない日常に見せていたあの笑顔を浮かべたままに。
一瞬何が起きたのか理解ができず、思考が停止していた誠はしかしすぐさま刀を拾い上げると、傾き始めた夏の体を片腕で支えながら反らし、同じく思考停止状態のまま立ち尽くしていた長を全身全霊を込めて袈裟切りに叩き切った。
崩れていく敵を確認することもなく、刀が刺さったままの夏の上半身を誠の方を見るようにして横たえながら抱え、地に膝をつけた。
「前に立ったものは切ると・・・前に立つなと言ったのに・・・」
自分の頬を暖かいものが伝っていくのを感じながらも声を搾り出した。
夏は荒く呼吸をしながら、懸命に誠に向かって手を差し出そうとした。
「誠さんのせいではありません・・・。・・・泣いているのですか?」
愛おしげに誠の顔に触れ、水の感触があり、尋ねた。
彼女はもう目が掠れてほとんど見えていなかった。
「俺は・・・」
その時一陣の強い風が並木道の間を吹き抜けた。
二人の衣服がはためくと同時に、あたりに白い花が舞い散り始めた。
舞い落ちてきた花の一つが夏の顔の上に乗り、誠は右手で彼女の顔に手をあてるようにして触ってから花をとった。
どんどん青白くなっていくその顔で微笑んで夏は、消え入りそうな歓声を上げた。
「綺麗ですね・・・雪・・・」
その言葉を聞いて誠は、しかし一年前とは違い穏やかな笑みを乗せて言った。
「ああ・・・綺麗な、雪だ。」
誠の言葉を聞くと夏は満足そうに微笑み、手を降ろし、そしてゆっくりと目を閉じた。
六花が舞い散る並木道に、男が一人ただただ涙を流していた。
辺り一面の白と、ほんの一部の赤に景色は見事に染められていった。
徐々に暗くなっていく意識の中で誠の顔を触って彼の表情を確かめていた。
結局最後また彼の顔を顔をはっきりと見ることができず、心残りになってしまう。
しかしそのことよりも、やはり誠を一人残していくことになってしまうことの方が身を切るように辛かった。
それだけはなんとかして避けたい。
ただただ、この人のそばにずっとい続けたい。
彼女は痛切に願い、しかし死はそれらの願いを一切聞き届けることなく、彼女の意識を侵食していった。
誠はその場で夏を含めた11人を簡単に弔うと、再び逃亡することを決意した。
10人の、名も知らぬ誇り高き侍たちと、自分の愛した女性のその遺志をその身に背負って生きていく決意を。
六花夏雪、そう名乗り、自分の中で生き続ける11人の思いを忘れないように生きていこうと。
設定もなにもかもが短すぎてわかりにくいですが、それでも読んでいただけたなら幸いです。