寡黙な人にでもなろうか、
俺は、ワイワイしてるのが好きだ。
・・・いや、「昔は好きだった」というべきだな。
――常に冗談を言って誰かを笑わかし、そして 自分も笑う。
そんな生活が好きだった。 そんなのが、日々の幸せだと思っていた。
だけど、実際によくよく考えてみれば、
――人は何を持って『幸せだ』と感じるのだろうか?
その感覚は人それぞれ違うだろうが、
「笑っていられる」=「幸せ」だけが全てじゃないと思うんだ。
――毎日、特別な“何か”がなくたって、生きていらるだけで幸せ。
――毎日、好きな誰かと過ごすことができるから。 生活を共にできるから幸せ。
――毎日、なんとなくダラダラしてダラダラして、ダラダラしまくるのが幸せ。
人それぞれ、幸せの価値観っていうモノがあるだろう? 逆に無きゃ、可笑しいだろう?
だから、俺はある日、気が付いたんだ。 自分の過ちに。
――他人を笑わかしたって、 そいつは幸せじゃないかもって、 そう気付いたんだ。
もしかしたら、心からじゃなくて、上辺だけで・・・ もしかしたら、本当は・・・。
って、そう思うようになったんだ。 思うようになってしまったんだ、俺は―――――。
だけど、だから そいつをどうこうする っていう野蛮なことは思わない。
ただ、他人を笑顔にしたところで、そいつが心の底から笑っているかどうかわからない。
だったら、『そんなことに幸せを感じるのはどうか?』っていう風に思うようになったんだ・・・。
別に、俺の考え方は 間違っちゃいないだろう? 可笑しくなんかないだろう??
強いて、「可笑しい」って言えば、こうやって共感を求めることかな? そうじゃないかな?
でも、別にいいんだ。 俺は、最近、『生活そのものがどうでもいい』って思ってるから。
だから、他人を笑わかすだとか、他人を幸せにするだとか・・・
それに、何が可笑しくて 何が可笑しくないか だとかはどうでもいいんだ。
最近では、幸せを感じたいとかも思わなくなってしまった。
ただ、『時が過ぎて行けばそれでいいや』って、 そうやって思うようになった。
何も話さなくても、思ってることが通じ合う仲がいい。 そういう相手が欲しい。
それが、男であろうと女であろうと、 とにかく大切な人が欲しいって思っていた。
友達としても、恋人としても、 どっちに転んでも、大切だと思える人が欲しかった。
だけど、今はどうでもいい。 全ては過去の話で、 今となってはどうだっていいんだ。
だから、俺は寡黙な人になろうと思う。
誰かと話をしたところで、 口は災いの元なんだから。
何かあってからでは、遅いんだ。 だったら、そもそもな話をしなきゃいい。
必要なこと以外 他人と話さなければ、 後悔なんかすることはないんだ。
だから、寡黙が一番。 誰かと極力 繋がらないことが一番なんだ。 ――俺はそう思うよ。