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Remember  作者: 七緒湖李
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後編

その瞬間、俺は自席から立ち上がっていた。

机にかけていたカバンを手にし、

「先生、気分が悪いので早退します」

担任の返事も聞かずに教室を後にする。

クラスメートのざわつく声もいまの俺には聞こえていなかった。

階段を降りる俺の頭の中にさっき担任から聞いたばかりの言葉がぐるぐると回る。

『急にお父さんがアメリカに転勤になったと――』

『ここ数日休んでいたのも引越しの準備だったそうだ』

『みんなに挨拶もせず転校することを謝っていたぞ』

上履きからスニーカーに履き替えた俺は、バン、と強く下駄箱を殴りつけた。

急な転勤?

そんなもの嘘っぱちだ。

俺の脳裏に公園での彼女が蘇る。

――一緒に高校生になりたかったな。

そう、あの言葉が物語っているじゃないか。

一緒の高校に通いたい、と彼女は言わなかった。

きっとあのときにはもうアメリカに行くことはわかってた。

だから過去形で、しかもあんな言い方をしたんだ。

なのに俺にそのことをずっと隠していた。

いつから彼女は知ってた?

どうして話してくれなかったんだ。

黙っていなくなるつもりだったから?

じゃあ俺はいったいなんだったんだ。

つきあっていると思っていたのは俺だけだったのか?

思考が暴走して胸の中の感情が渦を巻く。

いつもの通学路を家に向かって歩きながら、俺はこのまま家に帰ってしまっていいのかと自問した。

彼女の家は知っている。

だがあそこに行ってももう誰もいないかもしれない。

アメリカへ発つのはいつと担任が言っていたか思い出せないまま、とうとう自宅まで帰ってきた俺は、門扉の前に見慣れた姿を見つけて足を止めた。

気配に気づいたらしい私服姿の彼女が振り返り、大きく目を見開いたのがわかった。

「なんで?学校行ってるはずじゃ……」

「なんではこっちの台詞だ。アメリカってなんだよ?」

「先生に聞いたんだ。だったら言ってたでしょ?お父さんの仕事で――」

「どうして黙ってたんだって言ってんだよ!」

言葉を遮って俺が怒鳴ったせいか彼女が体を震わせる。

「急に決まったなんて嘘だろ。前からわかってたんだよな。わかってて俺に隠してたんだ……――なんなんだよ、おまえ……」

「ごめんなさ……」

「ほんと、なんでなんだよ?――……なんで気づかせねんだ……今週入ってから休んでんのってひどい風邪ひいたからじゃないかとか、俺、そんなしょーもねぇことしか考えてなかった」

ぐしゃと前髪を握りしめる。

そうだ、あのとき。

公園で彼女の様子が変だって俺は確かに思ったはずなのに、浮かれて彼女が出してたサインに気づきもしなかった

「……ごめんな」

その言葉が口から出た瞬間、俺は胸で渦を巻いていたものの正体がわかった。

後悔だ。

「いままで気づかなくてごめん。鈍感でごめん。きっと他にもサインを出してくれてたよな。なのに俺、自分のことばっかで……。見なくてごめん……見えてなくてごめん――怒鳴って、ごめん……」

近づく彼女がそっと俺の腕に触れた。

「やっぱり優しいね」

優しい?この俺が?

見下ろす俺にむかって彼女が微笑む。

「ちゃんと全部、話す。歩きながらでいい?」

「わかった」

並んで歩きだしてもしばらくは二人の足音だけが続いた。

雲が広がる今日は空が低い。

「雨、降るのかな?」

俺が思ったタイミングで彼女の声が聞こえた。

ああほら、俺と彼女は最初からこんなふうに似ている。

屋上で最初に言葉を交わしたときのことを俺は思い出した。


「なんでこんなことをしなきゃならないんだろう」

「え?」

「初めて俺たちがしゃべったときに言っただろ?俺も同じこと思ってた。勉強して、いい高校、いい大学、いい就職先にって、そんな未来になんの魅力も感じなかったから」

「未来に希望がなかったのは一緒だけど、あれ、そういう意味じゃなかったの。わたし、あの頃にアメリカに行かなきゃいけないんだって決まったから」

驚きのあまりすぐには言葉が出なかった。

そんなに前から?

たぶん俺は相当驚いた顔をしていたんだろう。

彼女は俺を見上げて嘘じゃないというように小さく笑った。

「だって受験勉強してただろ?女子高志望で模試だって一緒に――」

「そうしなきゃ変に思われるから。でも一緒に勉強してるの楽しかった」

じゃああれは全部フリだったってことか?

今日までの彼女がわからなくなりかけて俺は動揺する。

「わたしが転校してきた理由、両親の都合ってことだったでしょ?でもほんとはね、わたしの両親の離婚調停が原因。かなり泥沼で家庭環境が最悪になってったから、決着がつくまでって、わたしはお父さんの方のお爺ちゃんとお婆ちゃん宅に預けられたの。だから3年のあんな時期に転校することになっちゃったってわけ。わたしの親権は割りと早くからお父さんが持つことに決まってて、そこはわたしも納得してたんだけど――実力テストを受けた直後だったし、あれって9月半ばくらいだった?お父さんに来年から海外勤務になるって話が持ち上がったの。お爺ちゃんたちはお父さんを単身赴任させてわたしを預かるっていってくれたけど、いままで仕事ばっかりで家庭を顧みなかったことでお母さんが浮気相手と出てっちゃったから、お父さん、すごく反省したんだと思う。わたしと離れることはしたくないって――一緒に暮らそうって、言われたの」

前を向いて淡々と話す彼女の口調は事務的ですらあったのに、それが急にくずれた。

「今更なに言ってんの?あんたたち親の都合で転校までさせられて、そのうえ今度はアメリカなんて冗談じゃないってのよ!これ以上わたしを振り回さないで。おかげで実力テストの結果が散々だったんだからっ」

一気に吐き出された台詞に俺は圧倒されたけど、彼女はすっきりしたように、ふ、と息を吐くとまた静かに話し出した。

「いきなりごめん。思い出したらつい――子どものわたしじゃ親に従うしかないってわかってたし諦めたけど、ずっと心はささくれ立ってた。だから屋上に胸に溜まった文句を吐き出しに行って、でも先客がいてできなかったの」

そっか、その文句がいまの台詞で、あの日屋上にきた理由だったのか。

「じゃああのときの独り言って、つい本音をしゃべってしまったってやつ?それを俺に聞かれたから逃げた?」

「うん、うちがぐちゃぐちゃだってこと誰にも話す気はなかったし、だからクラスの人とも距離をおこうって思ってたから」

「なら俺が話しかけたりすんの迷惑だったんじゃ……」

「迷惑って言うより驚いたかな。わたしのなにに興味を持ったのかわかんなくて変な人って思ったけど――」

当時を思い出しているのか彼女の顔が柔らかくなる。

「でも不思議と嫌じゃなかった。それどころか気負わずに話せるし一緒にいて落ち着ける人だなって。だから同じようなことを思ってくれてたって知ったときすごく嬉しかった。二人でいられることが楽しくて幸せだって思えた。卒業したらアメリカに行くことをいつかは話さなきゃいけないってわかってたけど、もう少し、あとちょっとだけって、夢の時間を少しでも長く続けたくて先延ばしにするくらい。なのにお父さんの海外勤務が早まって、逆に短くなっちゃった……なんでいつもこうなんだろ?どうして幸せって続かないんだろ……――」

彼女の声が震えて途切れた。

俺が彼女の手を握ると、うー、と嗚咽を堪えるような声が聞こえた。

俺の手を強く握り返し、もう一方の手で目を擦って鼻をすする。

いつもこうやって泣くのを堪えていたんだろうか。

そう思うと胸が痛かった。

「ご、ごめんね。いろいを重い話をしたあげくに泣いちゃって」

「でも言ってくれないとわかんねぇから。聞けてよかったんだよ。何年アメリカにいる予定なんだ?」

「5年……でもずっとあっちかもしれないって話もあるみたい。だからわたしを連れてくってお父さん、譲らないとこもあって」

「そっか。でも……それでも親父と一緒に行くって決めたんだろ?やり直したいって思ってる親父の気持ち汲んでさ」

「そんなんじゃない。変われるはずないって、一緒に住めばきっとボロがでるって、わたし、どこかでお父さんを試してる」

「そりゃあ両親にやな目に合わされたんだし簡単に信じられなくても当然だろ。俺ならキレて暴れて家庭内暴力沙汰んなってる」

「やらないくせに――聞いてくれてありがとう」

呟くように言いながら彼女はやっと、ほんのわずかだが顔を綻ばせた。

彼女に会うまで聞きたいことはたくさんあったはずなのに、いまはもう俺の頭から消えていた。

疑問の答えを全部もらったわけじゃない。

でもきっとこれでいいんだ。

隣から感じる彼女の気配と掌から伝わるぬくもりで充分だと思うから。

二人で彼女の家までの道のりを歩く。

お互いずっと無言だったのは、別れの時間を引き延ばしたかったせいかもしれない。

「ここまででいい」

角を曲がって少し行けば彼女の家だ。

繋いだ手が離れたのをとっさに追いかけ、俺は細い指を掴んでいた。

「俺は忘れないからな」

俺を見上げる目から堰を切ったように涙が溢れ出した。

「嘘でも嬉しい」

「ずっと覚えてる。だからいつか――」

ふわ、と風が揺らいで近づく彼女から優しい香りがした。

唇が俺の言葉を遮る。

「仕返し、うまくいった。――あのね、約束しちゃうと守らなきゃいけなくなるでしょう?」

すぐに離れて俺を間近に覗き込む彼女が、泣き笑いのような顔で言葉を続けた。

「きっとわたし、期待しちゃうからやめよう」

一歩俺から遠ざかったせいで掴んだはずの指先が離れた。

俺の口が動くより早く「バイバイ」と短い別れの言葉が聞こえた。

身を翻して彼女が駆けていくのを俺は追いかけることができなかった。



家に帰って、彼女が俺の家に何しに来たんだろうと、一縷の望みをかけて郵便受けを見れば、貸していたCDが入っていた。

「ごめんね」と書かれた小さなカードに、連絡先は記されていなかった。





* * *





グロッキー状態の元クラスメートを会場の壁際にある椅子へ放った俺は、前髪をかきあげた。

意識が朦朧としている人間ってのは重い。

「水~」と呻いているのが聞こえて溜め息が出た。

立食形式だから食べ物や飲み物は取りに行かなくてはならない。

「なんで俺が……あー、やっぱこいつは見捨ててもう帰るか」

とりあえず見知った顔の奴らとは話したし、この後ずっとこいつの世話なんてごめんだ。

少しゆるめてあったネクタイを更にゆるめて背中を向けたとき、突然知らない女に声をかけられた。

誰だ?

元クラスメイトだったとしても女は化粧で変わるから思い出せねぇぞ。

しかも成人式ってので気合はいりまくって着飾ってるから、普段とはかけ離れてるはずだろう?

「潰れちゃったの、彼?大変だね」

「あー、もう見捨てて帰る」

「あはは、そうしちゃえば?随分からまれてたもんねぇ。なのに世話焼いてあげるなんて実は優しいとこあったんだって思っちゃった。中学のときぶっきらぼうでちょっと怖かったから」

そう言って大げさに笑うのはこっちも酔っ払ってるからか。

それにしても今日は厄日か?

なんで5年ぶりあった同級生たちから冷たいだ、怖いだ、言われなきゃならないんだ。

「そしたら昔から優しかったよって怒られちゃったけどー」

「誰に?」

「うん。あ、そだ。これ預かったんだっけ」

いや、うんじゃなくて……これじゃ会話になってねぇ。

「はい、ラブレター」と渡されたのはこのホテルの名前が印字された白い封筒だった。

ラブレター?

んなわけねぇだろ、ホテルの便箋使ってるくらいだし。

封筒には宛名も差出人の名前もなくて、俺は仕方なく便箋を取り出す。




『大切な人はいますか?


その人を思うだけで幸せになれるような

大切で大事な人が

いまあなたにいますか?


あなたを思って寄り添ってくれるような

優しくてあたたかい人が

いまあなたの側にいますか?


その人をどうか離さないで願ってください

相手にとってあなたもそんな人になれるように

わたしにとってのあなたがそうであったように


あの日あなたが言ってくれたこと

わたしとあなたが近いところにいるって

きっとそうだったのでしょう

そしてとても遠かったのでしょう


あなたがわたしに陽だまりをくれた

わたしの心を照らしてくれた


弱さの奥に隠れた希望があるんだって

あなたが伝えてくれたから


傷つたり泣いたりするたび

記憶のあなたがいつも側にいてくれた

あなたを思うだけでわたしは幸せになれる


あなたのおかげでわかったこと

救われたこと

あなたに言えなかったこと

黙っていたこと


聞かないでくれた優しさが嬉しい


大切な人はいますか

あなたを支えてくれる人がいますか


笑顔が大好きだから笑っていてほしい

幸せを願いたい


ずっと覚えてた

これからもずっと覚えてる

だからいつか……

自分勝手だったことを許してもらえるように


あなたに会いたい』




震える手で俺は口を覆った。

「やだー感動して泣いちゃう~?デコちゃんからの手紙にびっくりしたー?つきあってるって噂あったけどその様子じゃやっぱ本当だったんだ」

「これ、どうして――どこであいつと……」

「わたしぃ、アメリカに短期留学の経験あるんだぁ。でもホームシックになっちゃって、日本人が恋しいって向こうの大学で見かけた東洋人に片っ端から日本語で話しかけてたら、偶然再会したのー。それから連絡先交換してね、日本に帰ってからもときどき連絡とってたんだぁ。でぇ、この同窓会の話したら日程合わせて日本に来るって言うから――」

「帰ってきてるのか!?」

俺の声に驚いたように周りが注目したけどかまってられなかった。

目の前の彼女も一瞬にして酔いが醒めたような顔をしている。

「う、うん」

「あー……そうだったぁ、デコちゃんが今日出席するーって幹事に俺聞いたからぁ――おまーに言わなきゃってェ。彼女すぐまた転校してっれ、おまぇ、落ち込んれたろ~?」

壁際から声がして目を向ければ、寝ていたはずの酔っ払いが俺を見てヘヘーと笑った。

「初恋のぉ~彼女とぉ再会ー。うらま……うららま、んー?うらまやしいぞー」

そして笑ったまま眠ってしまった。

「そういう情報はもっと早く言ってくれ」

「え!もしかしてデコちゃんに会いたかった!?じゃあ早く追っかけて!あの子、ついさっき遅れて来たんだけど、ちょっといただけでもう充分ってわたしにこの手紙を預けて帰っちゃったの。大学が忙しいとかで今日の深夜の便で日本を発つって――」

話の途中だったにもかかわらず、俺は手紙をスーツのポケットに押し込み駆け出していた。



ついさっき遅れて来た!?

会場に入ってきたところを俺は見てねぇぞ。

だがすぐに思い当たって舌打ちする。

「トイレに出てたあの間か」

そして逆に彼女は俺が来ていたことを知って帰ったんだ。

ホテルのエレベーターを待ってられなくて、見つけたエスカレーターを走り降りる。

結婚式の帰りらしい女たちを押しのけロビーに降り立つと周りを見回した。

しかし彼女らしい姿はどこにもない。

駅に向かうためタクシーに乗ったかもしれないと閃いて、ホテルの外に俺が飛び出てきたことで、ドアマンがぎょっと目を向いた。

「さっき、誰かタクシーに!」

「は?」

「だから、俺ぐらいの――20歳ぐらいの女がタクシーに乗らなかったかって聞いてんだ」

「落ち着いてください、お客様」

俺に肩を掴まれたドアマンは逃げ腰になりつつも必死で笑顔を浮かべている。

そこへさっきエスカレーターで押しのけた女たちが外へ出てきて、俺を白い目で見つめるとタクシーに乗り込んだ。

ああ、そうか。

今日は祝日だしこんなふうに結婚式の披露宴帰りの人間がたくさんいる。

いちいち客のことを覚えているはずがない。

「すみません、無理言って」

ドアマンを離し、俺は肩を落としてホテルに足を向けた。

クロークにコートとマフラーを預けていたことを思い出したからだ。

冷たいビル風に首を竦め、荷物と引き換えになる番号札を探ったはずが、手紙に触れて俺はそれを手にした。

もう一度、落ち着いて読んでみようと自動ドアをくぐる。

ソファを見つけそこで手紙を読んだが、さっき読んだ文章が書かれているだけで、彼女への手がかりになりそうなことは何もなかった。

俺に会いたいと書いてるくせに、5年前と同じでまた連絡先を教えてくれないのか。

――連絡先交換してね、日本に帰ってからもときどき連絡とってたんだぁ。

脳裏に蘇った台詞に俺は勢いよく立ち上がった。

再び駆け出す俺の目に上りエスカレーターが映る。

ベルトを掴み足を踏み出しかけて、だがすぐ脇を通り過ぎて行った人物に動きが止まった。

そして俺の手だけがベルトに運ばれ、

「うわっ」

危うくひっくり返りそうになったのをなんとか堪え、エスカレーターの乗り口でホッと息を吐く。

顔をあげるとこちらを振り返って息を飲んでいる彼女がいた。

5年前より伸びた黒髪に縁取られた大人びたその顔が俺を魅了する。

想像よりずっときれいになっていた。

ダウンのロングコートの裾から見えるのはロングブーツとジーンズ、そして肩には大きめのバッグを持っている。

成人式で着飾った同窓生が集まる会場でこんな服装をしていればかえって目立つ。

おそらくトイレでおしゃれ着からいまのカジュアルな装いに変えたに違いない。

俺が同窓会に参加していたときに備えての準備だったんだろうけど、着替えは空港でするつもりで、さっさとホテルを出ていればこんな風に俺に見つかることもなかったのに。



「――よぅ、転校生。久しぶり」

口をついて出た言葉はこんな何気ない言葉だった。

人間、そうそうドラマみたいな臭い台詞を吐くわけがないんだ。

俺が声をかけると彼女の瞳に見る間に涙が浮かんだ。

「まだそれ覚えてたんだ。意地悪優等生くん」

あの頃のように言い返されて笑ってしまう。

彼女にそう呼ばれるのをけっこう気に入っていたんだといまになって気がついた。

「言ったろ、「ずっと覚えてる」って。俺の台詞、パクりやがって。しかも意外にポエマーだし」

一歩ずつ彼女に近づきながら手紙を見せる。

「あっ、それ……!もー、なんで?同窓会が終わったら渡してって言ったのに――書きなおすうちにどう書いたらいいかわかんなくなって、とりあえず伝えたいことだけ書いたらそんなことになっちゃったの。じ、自分でも恥ずかしいってわかってるわよ」

照れくさそうに横を向き、「でも一番うまくできたんだもん」と拗ねたように呟いた。

最後の一歩を踏み出して俺は彼女の前に立つ。

見上げてくる瞳はさっき浮かんだ涙で潤んだままだ。

「いろいろ尋ねたいことはあんだけど先に俺から伝えていいか?」

彼女を腕に抱き、ぐ、と引き寄せる。

拍子に彼女のカバンが床に落ちたが、視線を逸らせないように濡れた双眸を覗き込んだ。

「どうやっても忘れられないのに、まだ俺は我慢しなくちゃいけないのか?5年前、おまえの言い分優先して物分りが良すぎた自分に、あとからどれだけ腹が立ったか知らねぇだろ」

そのまま彼女の唇を奪う。

逃げる頭を項に手を回すことで押さえ、彼女を抱く腕に力を込めた。

「……っ……」

唇を割ったところで声にならない声が彼女から漏れたけど知るか。

ガキの頃みたいなキスで許すと思うな。

しばらくあって俺が顔を離すと彼女がなじるように言った。

「いきなりヒドイ」

「ヤなら噛みつきゃいいんだ。それだけの時間、あっただろ?」

「どうしてそう意地悪なの?5年で磨きがかかったわ」

「それって嫌じゃなかったって言ってんだよな?」

「自惚れや」

素早く言い返す彼女が、ふ、と顔を綻ばせた。

変わらないその笑顔を見ただけで俺は胸が熱くなる。

「笑った顔、思い出せなくなりそうだったんだ。やっと見れた」

きつく抱きしめた彼女の首筋に顔をうずめ、おさえ切れない想いを口にする。

「アメリカに彼氏いるなら別れて俺にしてくれ――……会いたかった」

「どうしてわたしが日本に来たと思うの?同窓会があるって聞いて一目だけでもあなたを見れたらって……手紙だって書いたのにどうしてわからないの?」

耳を疑った俺は顔をあげて彼女を見つめる。

まっすぐに見上げてくる瞳にまた涙が盛り上がって今度は頬を流れた。

「自惚れやのくせに鈍感。彼氏なんていないわ。わたしだってずっと忘れられなかった。あなたに会いたくてしかたがなかった」

ぎゅっと俺に抱きついてくる。

ふわりと風が動いて彼女から優しい香りがした。

ああ、彼女だ。

俺はこんなにも彼女に飢えていた。

ずっと胸に秘めて一度も伝えたことのなかった言葉を、俺は自然に声にのせる。

そのせいで彼女から大粒の涙が余計に溢れ出してしまったけど、とても嬉しそうに笑ってくれたから言ってよかったんだ。



きっと大事な言葉は口にしなくてはいけないのだろう。

こんな簡単なことに気づくのに俺は5年もかかった。



あの日追いかけられなかった彼女が腕の中にいる。

背中にまわした腕に力をこめると泣き笑いの顔が近づいた。

「仕返しするから」

「先に言うな」

間近にある互いの顔に笑顔が浮かぶ。

見失っていたぬくもりを、俺はいまやっと取り返した。






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