第二話 2 〈ある人との出会い〉
――1――
「……え?」
店に入って来たのは、見た目20代前半の一人の女性だった。
身長は170の後半ぐらいだろうか? 炎のように赤い髪は肩に掛からない程度の長さで、意思の強そうな瞳は紅く透き通っている。小麦色の綺麗な肌と整った顔つきに加え、出る所は出ていて締まる所は締まっている妖艶な体付き。
更に服装がビキニのようなトップスとグレーのジーンズと言う、おへそ丸出しとっても大胆な格好の為、黒のコートを羽織っていてもそのスタイルの良さが嫌でも分かってしまう。
(うわ、すごい美人だ。まさに大人の女って感じの)
でも僕は、女性のその美しさに対して絶句した訳じゃない。
勿論、拳銃でも収まっていそうなベルトにぶら下がっている、全長1メートルを越し刃幅10センチはありそうな大剣に驚いたからでもない。ここが異世界なら剣を持ち歩いている事ぐらい普通だろうから。
僕の絶句の理由は、女性の姿そのもの。
これまでこの世界で出会ってきた、見てきた人は、強靭な体付きで流暢な日本語を話す鬼だったり、肌の色が緑色の小さなおっさんだったり、大富豪っぽい白いスーツを着たゴリラだったり、と人間と呼べる者はいなかった。
最も人間に近い容姿を持つアイラちゃんも、犬耳や尻尾などが生えているから、とても『普通』とは言い難い。
この世界ではそれは『普通』なんだと思う。
けど、僕にとってそれは『普通』じゃなかった。
だから、初めてだったんだ。
この世界に来て、『普通』の、何の付属品もついていない『人間』を見たのは。あ、体付きは普通じゃないけど。あれはもう凶器と呼べる代物だ。
話を戻して、つまり僕の絶句は驚きからではなく、この世界に来て初めて見た同種に対する感嘆からのものだった。
(僕と同じ人間……嬉しいけど、でも、ダメだ。こんな店にくる奴なんてどうせ碌な人間じゃない)
そう。ここは奴隷を売り買いする店。
奴隷の売買はこの世界では世の常なのかもしれない。お金持ちの人なら誰でも持っている『物』なのかもしれない。だけど、だからこそダメなんだ。奴隷に人権はない。主には逆らえず、どんなに非道な命令でも絶対に従わなければならない。
そして殆どの主は奴隷を対等の生物として扱わないだろう。消耗する物として壊れるまで、又は飽きがくるまで非人道的にただ使う。
まあ僕の持ってる奴隷の知識なんて、漫画や小説、アニメや映画の受け売りでしかないんだけど。
(それでも、僕のその知識は間違いじゃないはず)
この世界の奴隷がどんな扱いを受けているのかはまだ知らないけど、今の僕には奴隷を買いにきたのであろうあの女性に、嫌悪以外の目を向ける事は出来なかった。
――2――
(何か、誰かを探しているのかな?)
女性は店の入り口で立ち止まり、店内を見渡していた。誰かを探しているようで(あるいは品定めをしているのか)、牢の中にいる奴隷を一人一人、一匹一匹確認している。僕とも一瞬目があったけど直ぐに反らした辺り、少なくとも僕は彼女の欲する『誰か』ではないようだ。
女性の視線は僕を通り越して右側へ流れていく。
(もしかしてアイラちゃんを探していたりして)
そんな突拍子もない推測が、まさか当たるだなんて誰が予想しただろうか。
女性の視線がアイラちゃんに向いたと同時に、その動きが止まったのだ。
しばらくアイラちゃんを見つめていた女性は、羽織っているコートの懐から写真のような紙を取り出して、照らし合わせるかのようにそれとアイラちゃんを交互に見る。そして紙を再びコートの中にしまうと、無言のまま彼女の牢まで歩いて行き。
「マテーラ王国の王女、アイラ=マテーラだな」
「……っ!?」
「王女……?」
凛とした声で放った女性の言葉に、アイラちゃんは顔色を変えた。僕一人、首を傾げて状況が理解できていない様子。アイラちゃんは引きつった顔のまま女性に聞いた。
「どうして、知ってるの……?」
「女王からの依頼だ。行方不明の貴様を見つけ、マテーラ王国まで連れて帰って来てくれ、とな」
怪我をするかもしれない、下がっていろ。無表情のままそう言うと、女性はアイラちゃんの牢の柱を握る。
と、そこで横から女性に声が掛かった。
「おいおいそこのお姉ちゃん。何やってんのかな? そいつはわしの買い物なんだが、もしかして横取りしようとか考えちゃってるとか?」
三匹のゴリラが女性を両脇と背後の三方向から囲んでいる。まるでナンパみたいな光景だったが、女性は動きこそ止めたが彼らに視線を向けていない。そんな彼女の態度がモヒカンゴリラの勘にでも触ったのか、
「ちょっとちょっと無視ですか? あんまわしらをなめない方が身のためだと思うけどなぁ? ……って、んん? おい、このお姉ちゃんもなかなかの上玉じゃねぇか」
下から女性の顔を覗き込んでいたモヒカンゴリラが、顎に毛むくじゃらの手を添えながらそんな事を言った。アイラちゃんに続き初対面の女性まで手に掛けようとして、あのゴリラどんだけ欲情してるんだ。
しばらく下手くそなナンパ台詞を並べていたゴリラだが、女性はそれらの言葉に一切反応を見せずにいた。そんな彼女に、ゴリラが次第に苛立ちを見せ始めて、
「おいゴラッ! あんま調子乗ってっとぶっ殺すぞクソアマぁ!」
何処のヤンキーだよ、とツッコミたくなるような口調で怒鳴りながら、ゴリラは懐から、先ほど緑のおっさんに突きつけた銀色の回転式拳銃を取り出し、銃口を女性の側頭部に押し付けた。それに対し、さすがの女性も態度を変えて、初めてゴリラに視線を向けると、
「それを退けろ」
一言だけ言葉を放った。しかし、当然ながらゴリラは聞く耳を持たず、
「誰に命令してんだゴラ! こっちが下手に出てりゃあよぉ黙り放きやがって。わしはなめられんのが一番嫌いなんじゃ。死んで後悔してみるか!? ああ!?」
回転式拳銃のハンマーを下ろして、引き金に指を掛けるゴリラ。しかし女性の顔に恐怖は感じられない。
女性は溜め息を付きつつ、もう一度言った。
「諄い、何度も言わすな。さっさとその物騒な物をどけろ――――殺すぞ?」
ゾッと怖気がする視線だった。冷徹な紅の、刃物のような鋭い眼光。明確な殺意。そんな視線をまともに受けたゴリラは一瞬肩を震わせて、一歩二歩と後ずさる。その表情は明らかに強張っていた。
(な、なんだ、あの目……)
自分に向けられた訳じゃないのに、端から見ていただけなのに、僕は殺されるかと思った。それほどまでにあの女性の紅い瞳は、冷たく、暗く、威圧感に満ちていた。
(あの人。多分とんでもなくヤバイ人だ)
素人の僕でも分かる。あんな殺気、凡人に放てるものじゃない。数々の死線を乗り越え、多くの死を目にしてきた者のみが放てる強者の覇気だ。
早く銃口をどけなければ、あのゴリラは殺される。そんな事は誰の目から見ても明らかだ。
でもゴリラは銃口を向けたままだった。それどころか性懲りもなくまた声を張り上げていた。
「て、てめぇ調子に乗ってんじゃねぇぞ! 下等種族の分際で!」
命知らずにも程がある。あれだけの殺気を向けられても尚、立ちはだかる事を止めないのだから。
(いや、押し殺しているのか)
様子から見て、少なくともあのゴリラは女性に対して恐怖心を抱いている。握っている回転式拳銃が小刻みに震えているのがいい証拠だ。ただその恐怖心よりもプライドが勝っているのだろう。勝者でいたい、こんな奴に屈したくないと言うプライドが。
その小さく傲慢なプライドが、生存本能と言う名の恐怖心を押し殺してしまっている。
あのゴリラにはもう、未来はないのかもしれない。
「能無しのカスが! 大体、何が『殺すぞ?』だ! 殺されそうになってんのはてめぇだろうが! 状況分かってんのか!? ああ!?」
「状況? ああ、まあそれなりにな」
まるで他人事のように言った女性。その言葉には先ほどの威圧感は欠片もない。
ただ、女性の視線は嘲りに満ちていた。明らかにゴリラを馬鹿にしている。
「こ、ここ、この糞アマがァ! 馬鹿にしやがって! ぶっ殺してやる! そのイカれた頭ん中に鉛弾ぶち込んでぶっ殺してやる!!」
叫びと共に引き金に掛かる指に力が加わる。
(本当に撃つ気だ……)
ゴリラの真っ赤に紅潮した顔は、もはや怒気と殺意しか窺えない。
「死ね!」
僕は思わず視線を背けて、
パァン、と乾いた銃声が店の中に鳴り響いた。
数秒遅れ。
ドサッと膝を付くような音がした。
僕は恐る恐る瞳を開ける。そして牢の外に広がる光景を目にして、
「……え?」
口から漏れた言葉はまたそれだった。
眼前に広がる光景が、理解できなかったから。
何故なら、銃口を向けられ撃たれたはずの女性が立っていて、向けていて撃ったはずのゴリラが膝を付いているのだ。黒服の二匹のゴリラも何が起こったのか理解出来ていない様子で、ただ呆然と立ち尽くしているだけ。銃弾一発で倒れるような人ではない、とは思っていたけど、まさか撃った本人であるゴリラが屈するとは予想だにしなかった。
「く、そがッ! てめぇ、何しやがったッ」
吐血しながら腹を抱えているモヒカンゴリラは、下から女性を睨みつけている。
「自分で考えてみろ。下衆ゴリラ」
対する女性は見下しながら、さっきの一瞬で奪い取ったのか、ゴリラが持っていた回転式拳銃の銃口を持ち主の眉間に押し付ける。
「と言っても、その考える時間すら与えないがな」
ゆっくりとした動作でハンマーを下ろした女性は、そっと引き金に指を添える。それに並行してゴリラの表情も強気から弱気へ、もの凄い速度で切り替わっていき、
「……おい、てめぇ本気かそれ?」
「本気でする理由はあっても、冗談でする理由はないな」
そして最終的にはプライドを捨てて命乞いまでする始末。
「なっ! ちょっと待て! 待ってくれ! 金をやる! 金をやるからそれだけは! 命だけは取らないでく――――」
しかし、女性はゴリラの言葉を最後まで聞かなかった。
パァン、と二度目の乾いた銃声が響き渡る。ゴリラの後頭部から鉛弾が飛び出して、その後に続くように鮮血が飛び散った。そのまま力なく地面に倒れ伏すゴリラは、もう二度と動かない。
ゴリラの恐怖に埋もれた表情の真ん中に、一切の容赦なく鉛弾をぶち込んだ女性は、用済みになった回転式拳銃を投げ捨てる。
すると、その光景を目にした黒服のゴリラたちが慌てて懐から拳銃を取り出し、女性に銃口を向けた。
そんな彼らを女性は一瞥して、
「貴様たちも、死んでおくか?」
その問い掛けに、二匹は答えられなかった。何故なら、
ボッ、と黒服ゴリラの口腔・鼻腔・内耳・眼球から一斉に赤い炎が吹いたからだ。
絶叫が迸った。
拳銃を投げ捨て顔や頭を両手で抱える二匹。一匹は僕の牢に背中を打ち、そのままズルズルと力なく崩れ落ちていく。もう一匹は床の上でのたうち回っていたが、その動きは次第に小さくなっていく。
そして最終的には二匹の黒服ゴリラも動かなくなった。後に残ったのは肉の焼け焦げた臭いだけ。
「……」
僕はその惨状に絶句して、アイラちゃんは体を震わせている。他の牢の中からも悲鳴が聞こえてきた。しかし女性は顔色一つ変えていない。相当馴れているようだ。
「さて、このまま牢を焼き切ってもいいのだが、さすがに危険だな。……おいそこの緑色。この牢の鍵がほしいのだが」
突然話しかけられた緑色のおっさんは慌てふためいていたが、結果的には何の迷いもなく牢の鍵を渡していた。向けられた視線が殺気しか篭っていなかったから、渡さなかったら殺されると思ったのだろう。いくらアイラちゃんが高級でも、自分の命には変えられなかったようだ。
牢の扉を開け、中から震えているアイラちゃんを半ば無理やり引っ張り出した女性は、
「怪我はしていないようだな。さすがに犬人、扱いは手厚いようだ。だが……服装が頂けないな。後で服を買ってやろう」
「あの……」
汚い布をバスタオルみたいに巻いて、それを片手で押さえているアイラちゃんは、恐る恐ると言った感じに女性に話し掛けていた。
「何だ?」
「わたしだけ、助けてくれるんですか?」
「任務だからな。他の奴隷も助けろとでも言いたいのか貴様は?」
「……」
女性の言葉にアイラちゃんは黙り込む。
一方、僕はアイラちゃんの言葉を聞いて思わず感慨に耽ってしまった。
(なんて心の広い娘なんだ。他の奴隷も助けようとしてくれるなんて……)
彼女が女神さまに見えてきました。とても眩しいです。
と、彼女の言葉を聞いていた緑のおっさんは顔色を変えていた。それもそのはず。このままでは店の商品を全て失ってしまうかもしれないから。
他の奴隷を解放したいと願うアイラちゃん。自由の身になりたいと思う僕を含めた奴隷達。奴隷を解放しないでくれと祈る緑のおっさん。
そして、女性が出した答えはシンプルだった。
「好きにしろ」
そう言って女性はアイラちゃんに牢の鍵を渡した。
「どの牢もその鍵で開けられるだろう。あんまり時間を掛けるな。ある程度奴隷を解放したら、後は開けていない牢の中に鍵を放り投げておけ」
「あ、はいっ!」
元気に返事をしたアイラちゃんは鍵を握り締めると、真っ先に僕の牢へ来てくれた。
「すぐに出してあげますから、待っていてください!」
「うん。ありがとう」
僕を牢から出した後に、彼女は次々と奴隷となった者たちがいる牢を開け放っていく。緑のおっさんはそれをただ呆然と眺めているだけ。
解放された奴隷のみんなはアイラちゃんにとても感謝をしていた。危うく人生の全てが終わってしまうところを救われたのだ。感謝せずにはいられないのだろう。
実際僕もその一人だ。もう彼女は神様だよ。ちょー輝いてて直視できない。
「もういいか?」
女性の問い掛けにアイラちゃんは一回頷く。
結局、女性もアイラちゃんが全ての牢を開け終えるまで待っていた。怖い人だけど悪い人ではないようだ。
「行くぞ」
店の出入り口へ歩いていく女性。そんな彼女を追うようにアイラちゃんも歩き出す。
そんな二人の姿を見ていた僕は、
「……よしっ!」
足を踏み出していた。
決めたから。
この異世界での、この残酷な現実での、生き方を。