第一話 3 〈未知なる世界へ〉
――1――
空の声が言った通り、あれから約三分後に106の赤い扉が囲むように現れた。
それを通るしか選択肢のない僕らは、必然的に扉の前まで歩いていく。
僕と魁くん、真白ちゃんは三人一緒に歩いて行って、三つの扉の前で立ち止まった。右から真白ちゃん、僕、魁くんの順だ。
「扉がちょっと減ってるね」
僕は周囲に視線を向けながら言った。
均等に並んでいたはずの扉の列に、所々不自然に開いた空間がある。早速誰かが通ったのだろう。扉は自然に消える仕組みになっているようだ。
「ざっと見た感じじゃ、史龍と進、女子は可憐と七恵がいないな。あいつらが先に行ったんだろ」
「相変わらず勇気あるね、史龍くんたちは」
魁くんはさっきよりは大分落ち着いていた。でも視線には殺気に似た鋭さがまだ残っている。
「これから、どうするの?」
今度は僕の右側にいる真白ちゃんが言った。
「どうするって、そりゃあ……、行くしかないだろ」
「そうだよね……」
僕と魁くん、真白ちゃんは揃って目の前にある赤い扉を一瞥する。
特別に装飾などはされていない、血のように染まった真紅の扉。その扉を通ればゲームは開始される。そして元の世界に帰るためには、そのゲームで行われる『ラストステージ』と言うイベントで、一位にならなければならない。
空の声から与えられたゲームの説明はたったのこれだけ。
「確かこの扉の行き着く先は、みんなバラバラなんだよな」
「うん。そう言ってた」
「そんで扉は一人一つずつ。つまり一つの扉に一人しか通れないって事だろ」
与えられた数少ない情報を真白ちゃんと共に整理している魁くんだったが、ふとその言葉を聞いて僕は一つ疑問を持った。
「本当にそうなのかな?」
「あ? 何がだ?」
「だってさ、一つの扉を複数で通ったら、行き着く場所は同じだと思うんだけど」
空の声は、扉は一人一つずつとは言っていたが、一つに付き一人しか通れないとは言っていない。さっき魁くんが言っていた『一つの扉に一人しか通れない』と言うのは、飽くまでも予想だ。
「それは一理あるな」
「うん、確かに」
魁くんと真白ちゃんは僕の提案に頷いた。
「どうする? やってみる?」
「そうだな……」
そのまま腕を組んで考え込む魁くん。真白ちゃんも同様に考え込んでいたけど、途中近くにいた別の女の子に声を掛けられて、『あそこの子たちが呼んでるから、ちょっとそっちに行ってくるね』と言ってここを離れていった。
分かったよ、と返事をした僕は、軽く手を振りながら彼女を見送る。
(さすがは真白ちゃん。みんなからの信頼が篤いなー)
学校では学級長を務めてて、男女共に友達も多い。誰にでも優しくて親切な彼女はクラスで一番の人気者だ。
(そう言えば、さっきのお礼まだ言ってないや……)
さっきとは怒鳴りかけそうになった時の事だ。彼女が手を握ってくれなかったら、僕は魁くんと一緒に怒りを怒声に変えていただろう。ただ我武者羅に激情を撒き散らかしていただろう。
それがいけない事だとは思わない。空の声の説明は終わっていたから、大声を出しても以前のような問題は起こらない。それに怒りは溜め込むよりも発散した方が精神に良い。
でもあの場面で感情的になるのはそれを踏まえてもマイナスだった。子供同士の喧嘩が発端じゃないんだ。魁くんが怒鳴って僕が怒鳴って、周りも吊られて怒鳴り出して。そうなったらもう不の感情の連鎖は止まらない。この場は秩序無き無法地帯になってしまう。
恐らく真白ちゃんはそれを分かっていたから、僕を止めたんだ。魁くん以上ではないにしろ僕にも周りに与える影響力はそこそこ持ってるから。僕が魁くんの怒りに同調しなかったら最悪の状態にはならないと考えたのだろう。まあもっとも、僕並に影響力を持ってる他の子が同調していたら意味なかったけどね。そうならなかったのは真白ちゃんの運の良さ故か。
(あとでちゃんとお礼を言わないと)
蹲っている一人の女の子を真白ちゃんが励ましている光景を眺めながら、僕はそう思った。
「よし、決めたぞ修治」
すると物思いに耽っていた魁くんが僕の名前を呼んだ。
「三人で一つの扉を通ってみるぞ」
「どうなるか分からないよ?」
「そうだけどよ、やってみなけりゃ何も分からないだろ?」
「まあ確かに」
「だから物は試しだ。真白が戻ってきたら詳しく話し合おう」
うん、と僕は頷く。
真白ちゃんが戻ってくるまでやる事がなくなったから、僕は暇つぶしも含めてまた周囲を見渡すことにした。
みんな夫々二人~六人ぐらいに分かれて固まっている。仲の良い者同士集まっているのだろう。一人でいる子は見た感じではいない。いや、そういう子はもう扉を通ったからいないのかも。最初はぽつりぽつりと居た気がするし、さっき見た時より扉の数が結構減っている。
(二割ぐらい居ないかな)
適当に目測した僕は視線を上へ向けた。
騒然とする異空間。そんなに長い時間居た訳じゃないのに大分見慣れたなー、とか思っていた、
そんな時。
「うあ、あが、うわぁあぁあああああああああああああああっ!!」
突然、絶叫が迸った。
不穏に騒がしかった空間が一気に静寂する。
生まれて初めて人間が本気で苦しむ叫びを聞いた。耳を塞ぎたくなるような、悶え苦しむ少年の声が今も尚、暗い空間に響き渡っている。
反射的に叫びが聞こえてきた方向に視線を向けた僕は、全身から血の気が引くのを感じた。
「なんで……」
その視線の先にあったのは、真っ赤な水溜りだった。廊下で水をぶちまけた時のように、大量の赤い液体が黒い地面の上に広がり、その範囲を少しずつ広げていく。
液体の源は、水溜りの真ん中で膝を付いている一人の少年の左肩。分かり易く言うと、
「腕が、ない……?」
その少年には左上腕の半分から下がなくなっていた。切り口は不気味な程に揃っていて、そこから大量の鮮血が蛇口の如く流れ出している。
何処からか悲鳴が聞こえた。僕の視界の隅では一人の子は目を瞑って、一人の子はただ目の前の状況に呆然と立ち尽くして、一人の子は嘔吐して、と様々な反応を見せている。
斯く言う僕は、
「……うっ」
もう、見ていられなかった。膝が驚くぐらいに震え出して立っていられない。喉の奥から胃液が込み上げてくるのが分かる。吐き出さないように口を両手で押さえて、必死に堪える。
それが落ち着くまで、僕はその場を動けなかった。
――2――
唐突に叫び声が聞こえなくなったのは、少年が絶命した事を意味している。水音を立てて赤い液体溜りに沈んでいった彼の体は、もう二度と動かない。
それから暫く経った後、少年の骸は消えていた。ある子が言うには、ぱっと突然消えたのだとか。
そして後から聞いた話によると、その少年は一つの扉を他の子と一緒に通ろうとしたらしい。でも、通ってからすぐに扉の中から飛び出して来て、その時には既に腕がなくなっていたと言う。
「二人同時に通るのは無理って事か」
魁くんの表情は少しだけ曇っていた。あれだけの出来事が目の前で起こった事も関係していると思うけど、やはり一番の理由は、一歩間違っていたら自分たちがああなっていたかも知れない、と言う恐怖を感じているからだろう。
人事みたいに言ってる僕も、心境は彼と同じだ。
人が死んだと言う現実に。同い年で話した事もある子が、目の前で死んでいったと言う事実に。僕の心は圧迫され、今にも押し潰されそうだった。
「……」
覚悟をしていなかった訳じゃない。ここは漫画やアニメの世界とは違う、死の訪れる紛れも無い現実なんだと、理解していたつもりだった。
でも実際に人が、仲間が死んで、自分の覚悟がどれだけ貧弱なものだったのか思い知った。
いやそもそも、僕は本当に覚悟をしていたのだろうか?
未知の事態に無警戒で高揚して、漫画みたいな展開を勝手に期待する。それの何処に『覚悟』なんてものがあるのか。
ある訳がない。
今までの僕は、危機感や絶望、果ては恐怖心すら抱いていなかった。笑えるぐらい愚かで無防備な心構えをしていたのだ。
その上、それに気付けたのは仲間の死が切っ掛けで。
自分がどれほどの愚者なのか、嫌と言うほど痛感した。
「皮肉だよな。仲間の犠牲で救われるなんてよ……」
魁くんも思っている事は同じのようだ。彼の瞳には怒りよりも悲しみに似た色の方が濃く滲み出ている。
「うん……」
力のない声で答えた僕に、魁くんは苦い表情になりながらも言葉を続けた。
「まあ何にしても、これで俺たちに残ってる選択肢は一つだけ」
目の前にある赤い扉を一人で通り、ゲームに参加する事。
戻り道なんてない。僕たちに許されているのは前に進む事だけ。
その現実は僕の心に不安と恐怖を与え、震えと言う形で表面に現れる。死と言う言葉の重みを、この時僕は改めて知った。
「……行こう」
そして、そう言ったのは僕でも、魁くんでもない。
戻っていた真白ちゃんだった。彼女は僕たちを見据えて、
「いつまでもここにいたって何にも始まらない。だから……早く行こう」
「真白ちゃん、急にどうしたの?」
「別に。吹っ切れただけ」
今までと雰囲気が明らかに違う。クールになったと言うか、感情がなくなったと言うか。恐怖は人を心から変えるってやつなのかな?
「それに、ここに残ってるのってもうわたし達だけだよ?」
「……」
その台詞に僕は押し黙った。
彼女の言う通り、この空間に残っているのは僕たち三人だけだった。あの出来事の後、みんなこの空間にいる事が耐えられなくなって、我先にと扉を開けて通って行ったんだ。
そして気が付くと、残っていたのは僕らだけ。
暗く広い空間に子ども三人、扉三つが孤立している。
「……大丈夫だよ。行き着く先はみんなバラバラでも、同じ世界に飛ばされる訳だから、もう二度と会えないって事はないよ。きっとね」
「確かにそうだけど……」
信じていればまた会える、笑顔でそう言った真白ちゃんに僕は苦い顔つきになった。
同じ異世界に行くのならもう二度と出会えないとは限らない。でもまた必ず出会えるとも限らない。いやむしろもう二度と出会えない、と言う方が現実的だ。今から行く世界は確実に日本より広い。もしかしたら地球よりも広大かもしれない。そんな世界でまた再開できるとは、僕には到底思えなかった。
そして真白ちゃんはそれを理解している。頭の良い彼女が理解していない訳がない。その上で彼女は、扉を通ってもまた必ず出会える、と断言した。その訳は明快。
生き抜く目的を作る為だ。
何かしら目的があれば早々簡単には死ねない。仲間とまた必ず再開するんだ! と強い目的を持てば、異世界で辛い事や苦しい事があったとしても、負けずに頑張れるはずだから。
彼女の言葉には、例えもう出会えなくとも元気に生きていてほしい、そんな思いが込められているのだろう。
「不安になるのは分かるけど、今は前向きにならないとダメだよ?」
「うん……分かってる」
僕は真白ちゃんの言葉に一回頷いた。彼女の優しさに気付いてしまった以上、男として首を横には絶対に振れない。
「魁くんも、いい?」
「大丈夫。俺も分かってる」
彼にも真白ちゃんの考えは伝わっていたのだろう。躊躇う事なく即答していた。
(二人とも、もう覚悟を決めたんだ。なら僕も、もう迷ってはいられない)
扉を潜り、異世界へ。
僕は決心した。不安も恐怖も押し殺して、生きる為に前向きになろうと。
(きっと嫌な事ばかりじゃない。どんな世界に行ったって、楽しい事や嬉しい事はあるはずなんだ)
絶望はもうしない。絶対に生き抜いてみせる。
――3――
(厨ニセンサーばっちり良好。脳内ディスクに保存してある異世界シミュレートの保存データはいつでも閲覧可能(僕の脳内に限る)。これでどんな状況でも対処できる(はず!)。よし! 準備万端だ!)
そして、僕たちは三人に歩き出す。
残った三つの扉の前で夫々立ち止まり、ドアノブに手を掛けた。
「準備と覚悟はいい?」
「うん」
「ああ」
真白ちゃんの問い掛けに僕と魁くんは互いに返事をする。
「これが最後じゃない。きっとまた、会おう」
「異世界で」
「絶対に、な」
それぞれ最後の言葉を交わして、
僕たち三人は同時に扉を開け放ち、未知なる世界へ足を踏み入れた。
――次章予告――
“生きてまた、必ず会う”その言葉を胸に扉を通った三人は、それぞれの道を進み出す。しかし異世界の環境は三人の予想を遥かに上回るものだった。権利を奪われ、孤独に絶望し、意味も分からず死に掛ける。三人は無事に約束を果たせるのか……?
後書き:
これから章の終わりに↑のように次回予告的なのをやってみようと思います。ネタばれにならない程度ですけど。
あと、次回からは一日一話のペースで投稿しようかなーって思っています。どうぞよろしくお願い致します。
次話【4/1 21時】投稿予定。