第一話 2 〈空の声〉
『――あ、あーあー。聞こえるか? 運のねぇガキ共』
マイクの調子でも確かめるかのような声の後に、口調の悪い男の声が辺りに響く。
『ったくヴィズダムの野郎、一体何考えてんだ? こんな小便臭ぇガキ共を選びやがって。しかも人数多過ぎるだろこれ、多ければ良いってもんじゃねーぞ。またすぐに他から補充しなきゃいけねーだろうが……』
そしていきなり愚痴り出していた。
「……何だ?」
「空から、声……?」
「わぉ、漫画とかで有りそうな展開だね」
僕たちを始め、周りから戸惑いの声が聞こえる。僕だけ浮いてるような気もしない事もないけどきっと気のせいだよ。
「みんな驚いてるね」
「だろうな。何もない空から声が聞こえるんだ。驚いて当然だ」
軽く身辺を見渡しただけでも分かる。殆どの子は夫々にざわめき、不安の色を声や表情に表していた。
「でもまあ、それほど驚いてない奴らもいるみたいだけどな」
「うん」
魁くんの言うとおり、極一部の子は動揺する事無くただ平然と立っていた。
例えば史龍と言う少年。目付きがかなり悪くてよく魁くんと喧嘩をしている彼は、黒空を見上げながらもその表情には十分の余裕があった。
例えば可憐と言う少女。真白ちゃんと並ぶ学校内二大美女の一人である彼女もまた、同様に全く動じていない。凛とした態度で周りの女の子達を励ましている。
それは強い精神力を持っている証拠。動揺を表に出させないほどの自制心を持っている証。
彼らには人の上に立つ資質を持っているのかもしれない。
とまあ、そんな感じで僕は厨ニっぽく二人の悠然っぷりを説明してみた。本当はただ単に感心しているだけだけどね。ここに来てからどうも厨ニ病が悪化してしまったみたいだ。
と、さっきまで独りでに愚痴っていた空の声に変化があった。
『まあいいか。……所詮は機械がやる事だ。バグったのかもしれねーし何か計算しての事かもしれねー。第一俺には関係ねーし、早く帰りてーからさっさと自分の仕事を終わらせるとするかな』
数分間に渡った空の声の愚痴は終わり、ついにその役割を果たす。
『じゃあガキ共、これから色々教えてやるから俺の話をよーく聞けよ? あ、でも質問は禁止な。答えるの面倒だから』
その言葉に同調して周りからざわめきが消えた。誰かの固唾を飲み込む音が静まり返った黒の空間に響くと、空の声が発言する。
『話は三つ。まず一つ目はお前らがここに連れてこられた理由だ。それはこれからお前らが行くであろう「ナンバーワールド」って異世界で、ある「ゲーム」に参加してもらう為だ』
「ゲーム?」
空の声が放った唐突な言葉に僕らは揃って頭に『?』を浮かべた。
『だが勘違いしちゃいけねー事が一つある。それはゲームへ参加する事自体は強制じゃねーって事だ。やりたくないのならやらなくていい。やりたいのならやればいい。それを選ぶのはお前らの自由だ』
は? と僕は心の中で思った。空の声が言っている事が矛盾していたからだ。
僕らをここに連れてきたのはその『ゲーム』に参加させる為だと言っておきながら、『ゲーム』に参加するかどうかは自由だなんて、それじゃあ僕たちを連れてきた意味が前提から崩れ去ってしまう。
(……いや、もしかしたら意味なんてないのかもしれない)
空の声は最初に言っていた。またすぐに補充しなければならないだろ、と。それはつまり、僕たちの代えはいくらでもある、と言う事にならないだろうか?
『ただし』
そんな疑問は、空の声が放った言葉によって簡単に払拭される事となる。
『参加しない奴は永久に元の世界には帰れねーがな』
そこで周囲から再びざわめきが生まれた。
「うわ、なんだそれ。すげーむかつく言い方」
(そういう事か)
魁くんが吐き捨てるようにそう言って、僕は心の中で呟いた。
空の声はただ僕たちを苛めているだけだ。『ゲーム』に参加する事自体は自由だと言っていながら、参加しなかったら元の世界に帰れないなど、それはもう遠回しに『やれ』と言っているようなもの。ここにいる殆どの子どもは皆一様に『元の世界に帰りたい』と思っているのだから。
「ま、でもこれで一つはっきりしたな」
「うん」
元の世界に帰れるのかどうかと言う懸念が取り払われたお陰で、少なからず僕たちの不安は和らいだ。希望が無い訳じゃないと分かったから。
『次に二つ目はゲームクリアの方法だ。ゲームクリア、即ち元の世界に帰る方法と思ってくれて構わねーぜ』
内心安堵していた僕は、空の声に再度気を引き締め直す。周りも『元の世界に帰る方法』と聞いてか直ぐに静まり返った。
寂とした空間は空の声しか聞こえない。
『方法は幾らかあるが、ここでお前らに教えるのは一つ』
それは、と焦らすように一拍置いて、
『ゲーム内で10年に一度だけ行われる「ラストステージ」ってイベントで一位になる事だ』
威風堂々と言い放ったその言葉に、
一瞬、周囲が完全に沈黙した。息遣いさえ聞こえないほどに。
つまり誰もが皆、空の声に絶句したのだ。それほどまでに今齎された情報は僕らにとって衝撃的なものだった。
「えーっと、気のせい、かな? 今、空の声とんでもないこと、言ったような……」
真っ白になりかけた頭を何とか灰色状態で押し止めている僕は、それだけの事しか口にできない。
「気のせいじゃねーよ。気のせいじゃねぇ……くそッ!」
僕の頬に冷たい汗が滴り、魁くんの怒声が辺りに響いた。漆黒の空に轟いたその哮りが端緒となって、鈍くなっていた僕の頭は正常な回転を取り戻す。
怒鳴ってしまうのも無理はないと思う。実際僕も怒りが次第に心の奥から込み上げてきている。今はそれを抑えるので必死だ。
「何だよそれ……っ。からかってんのかこいつは!」
魁くんのその言葉は、この場にいる全ての者の気持ちを代弁していると言っていいだろう。その訳は言わずもがな。馬鹿にしているようにしか思えないクリア方法のせいだ。
ゲームクリアの方法は『ラストステージ』と呼ばれるイベントで一位になる事。そしてそれはそのまま元の世界に帰る方法に繋がっている。
そこまではいい。そこまでだったら誰も怒ったりはしないだろう。
皆の怒りの原因。
それは、そのイベントが10年に一度しか行われないと言う事に他ならない。
つまり、10年に一度しか元の世界に帰れるチャンスはないと言う事だ。しかも一度にクリア出来るのは恐らく一人だけ。そんな事を言われて激怒しない方が難しい。元の世界に帰りたい者にとってはこれ以上ないほどの悪条件なのだから。
(けど、まだだ)
まだ諦めるには早い。
空の声は始めに『クリア方法は幾つかある』と言っていた。それはつまり他にも元の世界に帰れる方法がある事になる。
(結論を出すにも絶望するにもまだ早い。きっとこれよりマシな帰還方法があるはずだから)
僕が思うに空の声は、一番困難な帰還方法を言ったのだと思う。この声の男が陰険な性格だって事は一つ目の説明の時に分かっている。
全部分かっているから、僕は怒りを抑えられてるんだ。
でも殆どの子はその事に気付いてなくて、まんまと空の声に乗せられている。その証拠に、魁くんの激昂が切っ掛けとなって周りは既に喧騒と怒号、叫声の海だ。きっと空の声はこの光景を笑いながら眺めているのだろうね。ホント嫌な性格だ。
『最後に三つ目。……騒いでると聞き逃すぞー』
わざと声量を小さくした空の声は、見事に騒ぎ声の餌食となって数人の子にしか聞こえていない。冷静さを保っている僕はその中の一人で、隣で大声を出しながら近くの子と怒鳴りあっている魁くんを宥めようとした。
「魁くん静かに!」
「静かにだと!? これが静かにしてられるか!」
だけど彼の怒りは治まらない。その瞳には憤怒の炎が燃え滾っていた。
(ダメだ、このままじゃ……っ)
僕はこの状況に焦った。
みんなの怒りは痛いほど分かる。僕も同じ境遇に立たされているのだから分かって当然だ。でも今、その不安や怒りを爆発させてはいけない。一人一人が思い思いに怒鳴り散らして、それで次の説明を聞き逃したらそれこそ本末転倒だ。
情報は今この場で最も役に立つものなのだから。
だからみんなを止めなければならない。今は抑えろと伝えなければならない。
これ以上、空の声の思い通りにさせない為に。
「大体修治お前は――――」
「空の声が聞こえない!!」
僕は声も大きくないし気迫もない。視線で相手を威圧するだけの眼力も持ってない。
けどこの時だけは違った。迫力なんてないはずの僕の怒声は黒空の果てまで響き渡り、その場にいる全ての者の聴覚を刺激した。
何度目かの粛然が訪れる。
誰もが僕の声に押し黙ったのだ。
「ぁ…………わ、悪かった……」
「え!? う、ううん。分かってくれたのならいいよ」
魁くんは軽く頭を下げた。人に謝るなんて滅多にしないはずの魁くんが素直に頭を下げた事に内心驚きながらも、僕は首を横に振って言う。
『あーあ静まっちまった。俺的にはさっきのまま話を進めたかったんだが、まあいいか。騒いでた奴ら、精々そこのガキに感謝するんだな。貴重な情報を聞き逃すところだったんだからな』
空の声と共に周りの視線が僕に集まる。みんな銘銘に謝罪やらお礼やらの言葉を言ってきたから、僕はそれに狼狽しながら対応する羽目になった。
『さて本題に戻ろうか』
周囲は落ち着きを取り戻し、適度な緊張が空間を支配する。
『最後に三つ目。ゲームスタートについてだ。これらかお前らの前に扉を出す。それを通った後、体のどこかに順位が現れたらゲーム開始だ。因みに扉は一人一つずつ。行き着く先は人それぞれだからな』
それじゃあ、と空の声は続けて、
『一通り説明も終わった事だし、三分後ぐらいに人数分の扉を出すから各々適当に行ってこいや』
「……え? それだけ?」
『あ? それだけってお前、話は三つって最初に言っただろ』
え!? と僕は思わず吃驚した。
放った言葉にまさか返答があるなんて思っていなかったし、説明の内容があまりにも薄かったから。
『あ、終わる前に一つ忠告だ。扉を潜る前に殺し合ったら、そいつら全員この空間から出られなくなるから気をつけろよ。時々いるんだよな。開始前にライバルを少しでも減らそうとする奴が。無意味なのに。まあそーいう事だから、精々死なねーようにがんばんな────プツ、』
物騒な捨て台詞を言い放つと空の声は唐突に聞こえなくなった。
暫くの間、辺りは妙な静けさに支配されていたが、
「ちょっと、待てよ。本当にこれで終わりなのかよ……」
ポツリと魁くんの口から声が漏れた。彼にはとても似合わない、弱弱しい声色。震える唇から放たれた、彼の思い。けど僕には分かる。その声の奥深くで、憎悪や殺意が噴火寸前の活火山の如く沸々と煮え滾っている事が。
実際僕も、彼と同じだ。
今さっき齎された情報はたったの三つ。その中に、ゲームに参加させられる理由や、これから行かされるナンバーワールドと言う異世界の解説、なんてのは一切なかった。それ以前に、今から参加させられるゲームの名前や内容すら説明されていないんだ。
いきなり拉致っといてこの扱い。碌に情報すら与えてくれない。
「……くっ!」
流石の僕も、我慢の限界だ。
「――修くん、落ち着いて」
「……っ!?」
大声を張り上げそうになっていた僕は、不意に誰かに手を握られた事で思わず息を止めた。いや、誰なのかは分かる。真白ちゃんだ。
素早く振り向いた僕の瞳は、彼女の真っ直ぐな瞳に縫い止められた。
少女は言う。
「怒っても、何も変わらない。冷静でいる事が、空の声に対して一番の仕返しになる。だから、今は抑えて……っ」
真白ちゃんの小さな手は震えていた。けど震えながらも僕の手をしっかりと握っている。声にはどこか力強さがあって、上目使いの瞳には僕や周りのみんなにはない光がある。
「……」
僕はそんな彼女に気圧されて、あっと言う間に動けなくなった。
「ふざけんな……」
一方で、とても治まらない魁くんの激情は、ゆっくりと、そして確実に本人の口から溢れ出す。
そして、
「ふざけんなぁあああああああああああああああッ!!」
誰にも押し止められない、荒れ狂う不の情念は、
彼の怒りと憎悪に満ちた肉声に変わって、虚空に響き渡った。