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第三話 聖女が生まれた日

 アブラハレム教国首都エルスハレムは聖地である。首都エルスハレムはアブラハレム教の神が降臨された地であり、建国以来一度たりとも外敵の侵入を許していない鉄壁の都として知られている。

 アブラハレム教の総本山であるエルスハレム大聖堂の異名を白城という。異名が示すとおり外壁が真っ白に染められている建物である。広大な敷地に巨大な建物とくれば内装もさぞ豪奢だろうと想像するかもしれない。しかし、エルスハレム大聖堂に余計な装飾は一切ない。ただ広大なだけの広場と祈るためだけのスペースとして聖堂が存在する。

「心を無にして白に祈れ」

人々は聖書に書かれた言葉の通り、毎日、白城に祈りを捧げている。


普段は静謐な空間であるエルサレム大聖堂だが、教皇の就任式ともなると様子が変わる。広場には多数の人々が集まり、期待を胸に新たな教皇の登場を待つ。

バルコニーに聖衣を纏った男が出てくると人々は歓声で迎えた。


「新たに教皇に選ばれましたパウロ・ヴァッチェです。まず私は皆様に感謝しなくてはなりません。信頼と信任を笑顔と共に私に預けていただいたこと、心よりお礼を申し上げます。さっそくですが皆様に素晴らしいご報告があります。聖騎士達の活躍により聖敵である帝国の基地を少数ですが制圧致しました。帝国の圧政に苦しんでいる民達の解放に一歩前進したのです。これより聖戦はますます激しくなると予想されます。しかし、神の僕たる私達に敗北はないのです。なによりの証左として神は私達に聖女を遣わされた。ご紹介致しましょう、聖女マリーと彼女の剣『メシア』です」


 燃えるような赤髪を陽光にきらめかせながら聖女マリーがバルコニーに現れる。マリーが教皇の隣に立ち、手を挙げると上空に銀色のデミゴットが顕現した。マリーは腰に刺さったサーベルを抜き、眼前に掲げる。デミゴッド『メシア』が同様に長剣を構えた。

 民衆の興奮は最高潮に達した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 少女マリーは地獄にいた。視界全てが赤く染まり、泣き叫ぶだけで喉が焼かれる。不安と恐怖で涙が流れるも零れ落ちる前に蒸発する。侍女たちがせっせとモップをかけていた廊下の至る所で炎がとぐろを巻く。天井の一部がマリーの数歩前に崩れ落ちた。衝撃でマリーは倒れこんだ。床から突き出た木片が太ももに突き刺さり、炎が肉を焼いた。

「あぐっ! ああぁぁ、っごほ!」

痛みで悲鳴を挙げるも、口内に侵入する熱気で咳き込む。

「お父さんっ! お母さんっ!」

 マリーは炎獄の中で蹲る。太ももの傷は深く、動けそうになかった。重低音が頭上から響く。頭上を見上げたマリーの視界に崩れ落ちた瓦礫が入る。

 死の予感が体全体に走る。

「……あ」

 マリーの体を押しつぶすはずの瓦礫が四散した。安堵するのと同時に傷の痛みを再認する。

「大丈夫か?」

 孤独な煉獄にいるはずのない他人の声が響いた。マリーは首を動かし、声の方へ顔を動かした。

――炎より紅い翼を生やした巨漢が、翼と対照的な澄んだ青眼でマリーを見つめていた。

「天使……様?」

 助かるかもしれない。救助の可能性が生まれたことに安堵してマリーは気を失った。


 火事はマリーから両親を奪った。遺産は親族に食い荒らされ、マリーは修道院に預けられた。客観的に見れば不幸だ。理不尽な世界に憤ってもいいくらいに。しかし、マリーは幸せだった。修道院は決して裕福ではないものの穏やかな生活があった。だが、平穏は破られる。

 修道院のある小さな街ストールは教国の最南端に位置する。首都エルスハレムのある中央から最も遠く、四方を山に囲まれているため交通の便は最悪だ。だから、助けを呼ぼうにも……手遅れだった。

 異変の起点は爆音だった。修道院を揺るがすほどの衝動にマリーはベッドから跳ね起きた。爆音の正体を確かめるため窓を開ける。

「あ……ああ……」

体が震えた。恐怖が心の底から沸き起こる。

――かつて味わった赤くて無慈悲な地獄がマリーを追いかけてきた。

 街唯一のパン屋に砲弾が突き刺さっていた。そこにはマリーのような親のいない修道院の子供達に無料で菓子パンを配ってくれる優しい店主がいた。

 何度も立ち読みをした本屋が燃えていた。そこにはマリーと何度も本の感想を語り合った無愛想な店員がいた。

 人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。マリー達を暖かく迎えてくれた大切な人々の命が消えていく。

「やだ……やめてっ! やだぁっ! いやぁぁぁぁぁ!」

 頭を抱えてマリーは絶叫する。認めたくなかった。失いたくなかった。

「マリー!」

 寝室のドアが勢いよく開いた。

「街が……、街がっ!」

 入ってきた修道女にマリーは言う。

「盗賊よ! 戦車まで持って来てる。ストールは終わりよ。早く逃げなきゃ殺されちゃう」

「でも、皆がっ」

 見捨てたくない。だって大切なのだから。

「私達に何が出来るっていうのよ! 私は死にたくない!」

「……う」

 マリーに力はない。泣き喚いても街の人達は助からない。

 結局、生存本能に従い逃げ出すことを選択する。


 修道院から逃げ出し、人目を避けるようにマリー達は町の出口を目指す。しかし、売り物になる若い女を盗賊達が見逃すはずがなかった。町の出口には下卑た笑いを浮かべる粗野な男達が待ち構えていた。

「おうおう美人な姉ちゃんの到着だ」

「修道女か。いいね、いいね。清廉な女の嬌声なんて久しく聞いてねぇ」

「売り物の品質チェックは売主の義務だからな」

「かかか、うまいこと言うじゃねぇか」

 即座に反転して逃げ出すが女の足では賊からは逃げられない。マリー達はあっけなく捕まった。縄で手首を締められ、抵抗できなくなると男達はマリー達の衣服を剥いでいく。最低の行為をしようというのに男達の目に罪悪感など欠片もなかった。マリーには賊達が人間に見えなかった。弱者を嬲る獣、醜悪で見るに耐えない下劣な生物。これからされるであろう陵辱に対する恐怖よりも目の前の屑に対する怒りの方が強い。

 屑に優しい人々が殺された。獣に愛する街を焼かれた。そして友が、自身が犯されようとしている。間違っている、こんなことが罷り通ってなるものか。

――正さなければならない。

――誰かが正さなければならない。この腐った人間を。


「そうだ、正さなければならない」

 マリーに覆いかぶさろうとしていた男の首が宙を舞った。

「神の名において悪は駆逐されるべきだ」

 他の修道女を襲おうとしていた男達の体が細切れになっていく。

「聖女よ、そうは思わないか?」

 盗賊達を惨殺したのはかつて地獄にきらめいた赤翼の天使だった。天使は舞うように命を刈り取っていく。


「聖女とは……?」

 天使にマリーは尋ねる。

「君のことだ、マリー・ド・カスティーユ。力がいるだろう? 世界を正しく導くために」

「あなたが……授けてくれるのですか?」

「かつて君を助けた。聖女の素養がある君を失いたくなかった。しかし、幼い君に聖女の道を歩ませるようなことはしたくなかった。人として平穏な幸せを掴めればそれでいいと私は考えた。だが、理不尽な世界は君から奪う、平和を、平穏を。

ならば、私は与えよう、悲劇を切り裂く剣を、正義を示す力を。

マリー・ド・カスティーユ、聖なる女性よ、正義を行う覚悟は有るか?」


――悲劇は繰り返してはならない。

 比較的治安が良いとされている教国においても賊が蔓延し、今日のような事態が発生する。間違っている、正さねばならない。

しかし、無力な人々は是正したくともできない。だが、マリーなら? 天使が聖女と呼ぶほどの力があるのなら? 


「悲劇を無くせるのなら、人々を守れるならば、私は聖女になりましょう」

 マリーは天使の青眼を正面から受け止め言い切った。

「神に選ばれし子よ。我が力を授けよう」

 天使は賊を切った長剣を天に掲げる。空から鉄人が降ってきた。

「……デミゴッド」

「いかにも。我が魂を宿した鉄神、デミゴッド『メシア』だ。

聖女マリー、復唱せよ。

『汝の命は神がために、汝の心は神とともに、我らは神の剣なり』」


「『汝の命は神がために、汝の心は神とともに、我らは神の剣なり』」

 契約の言葉を紡ぎ、マリーは差し出された天使の手の甲に唇を捧げる。

「契約は完了した。聖女よ、いざ街を救わん」

「――はい!」

 

 街を三台の小型蒸気戦車が蹂躙していた。至る所から黒煙が昇り、建物の悉くが瓦礫と化している。廃墟になりかけている街に白銀のデミゴッド『メシア』が現れると、蒸気戦車は砲台を向けた。

「聖女マリーの名において命じます。ただちに破壊活動を止め投降しなさい」

 銃口を向けられることを意にも介さずマリーは宣言する。凛とした美声が燃え盛る街に響いた。

「撃てぇ!」

 盗賊のリーダーらしき男の号令に合わせて蒸気戦車から砲弾が放たれる。メシアは避けようとしなかった。取った行動は愚直な前進、砲弾が直撃した。

「は、素人だったみてぇだな」

 盗賊のリーダーはほくそ笑む。爆煙の向こうにスクラップと化したデミゴッドが見えるようだ。

「ぎゃああああああ」

 リーダーの浮かべた笑みが凍る。悲鳴の声は自分の部下のものである。煙が晴れた。

「まさか……ふざけんなよ! こんなくそ田舎に何で新型が存在してんだ!」

 蒸気戦車に搭載されている滑腔戦車砲が直撃すればデミゴッドでも無傷ではいられない。しかし、メシアの装甲には傷一つない。黒煙と炎で澱んだ街に輝く装甲、神聖さすら感じさせる佇まいに盗賊達は恐怖した。

「……残念です」

 聖女マリーの言葉は悲壮感溢れるものだった。

「逃げ……」


 一方的な虐殺が始まった。戦車は真っ先にライフルで蜂の巣にされた。その様子を見て、逃げ出す盗賊達を砲撃が吹き飛ばす。僅か数十秒で盗賊は全滅した。


「私……私が殺したのですね」

 見るに耐えない生き物だった。下賎で野蛮で救いようが無い。しかし、人だった。無垢な少女にはもう戻れない。兵器を操り血塗れとなった。マリーは泣いた。

「君は正義を行うと契約した。もう戻れない。聖女は悪を討つものなのだから」

「はい。分かっています。でも、今だけは泣かせてください」

この日、聖女が生まれた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 人々がマリーを見ていた。憧れを、期待を向けられている。

「我が愛すべき教民よ、聖女マリーの名において命じます。祈りなさい、神に、教国に、自身に。さすればあなたの祈りが私の力になるでしょう。あなたの祈りが私に届けば、私に敗北はありません。さあ、神に祈りましょう」

 聖女は祈る。平和を。民衆は祈る、繁栄を。


「くくく、ははははははははは」

 そして天使は全てを嘲笑う。


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