第二話 氷刃演武
「……ぐっ、不味いな」
高揚した精神を落ち着けるためにクレードは呟く。
「どうしたの?」
コアユニットに戻ったアイズが問いかける。
「……同調率が高すぎる。溢れるような衝動に頭が焼き切れそうだ」
クレードの魂は歓喜していた。デミゴッドパイロットなら誰もが憧れる専用機を得た。加えて契約の相手は最上位分霊だ。相性も上々であり、相方のアイズの魂も自身を歓迎している。感情に任せて今すぐにでも敵に襲い掛かりたくなる。
「いいことなんじゃないの? 私は最高の気分よ」
クレードの脳内で響くアイズの声。同調している魂からは好意と興奮が伝わってくる。思考が麻痺しそうになって、クレードは唇を噛んだ。鈍い痛みで感情に飲まれそうになる自身を制御する。
「……俺は……指揮官だ。感情如きに指図されてたまるか」
クレードは落ち着きを取り戻した。
「……ちっ」
クレードは舌打ちし、一瞬でも新兵のように熱に浮かされたことを反省する。どれほど強力な手札があろうと戦場で冷静を失えば死に近づく。失った戦友と肩を並べて学んだ心得だ。
――忘れるものか。忘れてたまるか!
魂に火が点る、しかし、頭は冷静に。クレードは獰猛な笑みを浮かべた。これで自身の戦闘準備は万全だ。
「……最高の拾い物だわ。クレード、あんたは私に相応しい」
クレードの変容をアイズは悟り、恋人に掛けるようなうっとりした声で囁いた。
「ありがとうよ。このまま睦言を交わしたいところだが、――不運なことにここは戦場だ」
アイズに返答しながらクレードは武装を確認する。戦闘を想定していなかったのか、デミゴッド『セイバー』が現在使用可能なものは二つだけだった。コンテナを破壊した氷剣と肘に装着されている盾である。
「ライフルがないのは痛いな……」
クレードは近接戦闘よりも中長距離戦闘を得意としていた。副隊長としてのキャリアが長かったため、自然と後衛のスキルが高くなったのだ。とはいえヴァレホール隊はエリート部隊である。近接戦闘でも凡庸なパイロットに負けることはない。
「私はアイズ・ヴァレンシーよ? 私のセイバーなら武装の一つや二つなくても問題ないわ」
「そうだな。あんな無様な連中にライフルは勿体無い」
クレードは敵機を睨む。味方であるノクスと蒸気戦車は傷一つ与えられずにルークスに撃墜されていた。
もう壁役はいない。クレードにセイバーのスペックを把握している時間はなかった。敵機がコンテナをぶち破ったセイバーにライフルの照準を合わせる。クレードは移動命令をコアユニットに伝えた。
デミゴッドの操縦方法は単純である。自分の体を操るのと同様に脳に命令するだけでいい。
「うおっ……!」
セイバーは跳躍し、ライフルから放たれた閃光を避けた。しかし、着陸に失敗して転倒する。
「何をやってんのよ!?」
アイズの叱咤に応える余裕はクレードになかった。
――開発者は何を考えてんだ? 明らかにオーバースペックだ。
凄まじい高出力、高機動にクレードは混乱した。元々一年間のブランクがあるというのに、愛機であったノクスとはかけ離れた操作性である。いくら優秀なパイロットであっても初動から完璧に制御とはいかない。建物に突っ込んで大破しなかっただけでも拍手ものである。
当たり前の話だがデミゴッドと人間の体ではスペックが違う。膂力、脚力に耐久力、何もかもが違うのだ。人を模した人型ではあるが人ではない。人体からスペックが離れれば離れるほど操作が難しくなる。新型のデミゴッドが隊長クラスのパイロットにしか与えられないのはそういった理由である。生半可なパイロットでは走ることすら難しい。最上位分霊という世界最高峰の出力とそれに合わせた高機動機体であるセイバーの操作性は最悪と言っても過言ではない。
「お転婆だな、アイズ!」
「長いこと深窓の令嬢やってたのよ! 誰だってはしゃぐわよっ! 私を外に連れ出したのはあんたなんだから責任を取りなさい!」
「オーケー、リトルレディ、俺が艶やかな淑女に仕立てよう!」
転倒したセイバーにここぞとばかりに三体のルークスがライフルを向ける。
「ったく、ずいぶんと御し辛いレディーだ」
ルークスが引き金を引く瞬間、セイバーは後方に跳ぶ。外れた光線が土を抉り、粉塵が舞う。セイバーは体勢を崩しながらも今度は着地に成功した。
「エスコートには慣れた?」
「……そう簡単にはいかないな。傾国級の美人のお相手は初めてなんだ」
粉塵を切り裂くような追撃がセイバーを襲う。セイバーは立ち止まり、直撃する閃光だけ盾で弾く。
「……いい腕ね。帝国の中でもトップクラスなんじゃないの?」
「ヴァレホール隊の英雄が築いた実績の九割は俺達の戦績だからな。英雄の称号は馬鹿な隊長ではなく、それ以外のヴァレホール隊のメンバーに与えられるべきだったんだ」
粉塵が晴れ、敵の追撃の正確性が増す。セイバーはサイドステップで悉く銃撃を避けていく。
「Norekin hartu ezpata (誰が為に剣を取る)」
「古代言語? クレード……?」
「俺の初陣の話だ。……怖くて不安で逃げたくて、殺すのも殺されるのも嫌だった。覚悟してたつもりでも戦場に出ればメッキは簡単に剥がれる。泣きながらライフルを撃った。反撃から叫びながら逃げた。敵に囲まれて恐怖で失禁した。基地に帰還した時には心身共にボロボロだった。生還した仲間達と抱き合い、自分がただ息をしていることに感謝した。俺は仲間達と生き延びるためにはどうするか必死で考えた。そこでレイナが提案したんだ。――歌おうってな」
「歌……」
「レイナは作曲が趣味でさ、ギター使って即興で歌った。ありふれた戦歌だった。洗練されてもいなかったし、メロディーラインだって凡庸だった。でも、それは俺達の歌だった。俺達の理想の在り方が込められていたんだ。それから戦場に出るたびに俺達は歌った。歌に恥じないような自分になるためにさ。仲間は何人も入れ替わった。新人が入るたびに俺達の在り方と歌を教えた。――そして、ヴァレホール隊は壊滅した。生き残った俺が数奇なことにまた戦場にいる。だから俺は詠うのさ」
「歌わないの?」
「レイナの声が頭に刻まれてんだ。詠うだけで十分だ。――俺は音痴だしな。いつかアイズが歌ってやってくれ」
「――約束するわ」
ルークス達はライフルが当たらないことに痺れを切らし、射撃で牽制しながら距離を詰めてきた。
「集中する。――しばらく返答できない」
「――分かった。私にあんたの在り方を見せなさい」
「了解、期待しててくれ」
ルークスはセイバーを囲むような位置取りをしている。戦術としては正しいが、各個撃破しやすくなった。クレードは哂った。
「Norekin hartu ezpata (誰が為に剣を取る)」
三方向からの射撃を地に這うようにして避ける。
「izateko lagun bat, zeure burua da (友と己が為に取る)」
獣のように四肢を地に着けているセイバーは正面のルークスに突進する。
「Norekin pistola (誰が為に銃を撃つ)」
セイバーの右腕の先から氷剣が生える。高速で懐に潜り込まれたルークスは焦ったように回避しようとするが、その前にセイバーが氷剣を胸に突き刺した。
「Just tiro bizi gurekin (ただ生きるために我は撃つ)」
セイバーの氷剣はルークスのコアユニットを破壊した。ルークスの下位分霊が悲鳴を挙げる。
「Homare Sakai, ospea, ez justizia (栄誉、名声、正義は無く)」
セイバーは貫いた機体を蹴り飛ばす。屑鉄と成り果てた機体は援護射撃の体勢に入ったルークスを巻き込み転倒する。直後、下位分霊が消滅し爆発した。
「Bihar nahi dut (明日を望む欲が有る)」
爆心地にいた無傷のルークスも爆風でコアユニットを欠損し誘爆が起こる。
――あと一機。
「dagoelakoan gaude (我らはそれを肯定する)」
仲間を失った残りのルークスがライフルを乱射する。
「Besarkada bizitza (さあ生を抱きしめろ)」
恐慌状態に陥ったルークスの射撃などセイバーに当たるはずもなく、二機の距離はすぐに詰まった。
「相棒、俺達の歌はどうよ?」
「無骨だけど……悪くない、悪くないわ」
「次はお前も詠えよ? ――Freeze、Freeze、Freeze。断ち切れ、氷剣」
「いいわ。私の美声に酔わせてあげる。――Freeze、Freeze、Freeze。世界よ、凍れ」
セイバーの氷剣から発生した氷柱がルークスを串刺しにした。
「とりあえず勝ったな」
――これからのことを考えると頭が痛くなるが……。
クレードは眉間を揉みながら言った。
「クレード……。残念ながら敵さんはアンコールを求めているわ」
「増援か……」
敵の小隊が遠くに見えた。クレードは眉間から手を離し、ため息を吐いた。
「いい男はもてて困るぜ」
「もてる男なら振るのも上手でしょ?」
「その通りだ。丁重にお断りすることにしよう」
軽口を叩きながらセイバーは敵機を迎え撃った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ドメニコ・パガニーニは乗機であるルークス・カスタムの中でふんぞり返っていた。奇襲が功を奏したのか、思った以上に手早くクレカンロ基地を制圧出来た。部下からの連絡ではイーストエンドの駐屯部隊にはまともな戦力はなく、蹴散らすのにさほど時間は掛からないらしい。
「隊長! イーストエンドに新型が現れました。斥候隊が全滅、現在第二小隊と交戦中です」
「何? 報告ではまともな戦力はないと聞いたが?」
「イーストエンドの駐屯部隊が全滅した後、突如現れたそうです」
「なるほど、敵の戦力は新型一機だけなのだな?」
「はい。既に駐屯部隊は壊滅しています。増援も数時間はありえません」
「なら、好都合ではないか。デミゴッドパイロットに召集をかけろ。最大戦力で新型を叩
く」
「了解。ただちに用意させます」
数分後、ドメニコ率いる九機のルークス機甲部隊がクレカンロを発った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
機体に慣れたせいか敵の増援をセイバーはあっさり退けた。
「撤退したほうがいいな」
額の汗をクレードは腕で拭う。
「クレカンロ基地は放棄するの?」
アイズは不満そうに言う。
「そんなに長く俺が持たない」
分霊と人間では魂の力が違う。長時間の同調は人間の精神を蝕む。最上位分霊であるアイズとの同調はクレードを疲弊させていた。
「……しつこい男はうざったいぜ。――また増援だ」
クレードの声には強い焦りが浮かんでいた。
「九機か……。いけるわね? クレード」
「淑女に銃口を向けるような奴に負けるかよ」
「そうね、氷でもぶっかけて頭を冷やしてやりましょう」
軽口を叩きながら、クレードとアイズは戦意を滾らせる。
敵の編成は八機のルークスと一機のルークス・カスタム、カスタム機が隊長だろう。どう攻撃するか移動しながらクレードが思考していると、通信が入った。
「私はドメニコ・パガニーニ、教国騎士団パガニーニ隊、隊長である。大人しく新型を差し出し投降すれば命は助けてやる。戦力比は圧倒的だ。賢い判断をするといい」
「俺は独占欲が強くてね、悪いがものにした女を他人にくれてやる気にはならん」
「死にたいのか?」
ドメニコの問いかけをクレードは鼻であしらう。
「まさか。誰が死にたいものか。俺は、俺達は生きるためにはなんだってやる。そもそもたかが九機のルークスで俺を落とせるとでも? てめぇは誰に向かって口きいてんだよ。 てめぇこそ死にたいのか?」
「ふふ、いい啖呵ね。さて、ドメニコと言ったかしら? そういうわけで不細工は御呼びじゃないの。あなたこそ頭を下げて助命嘆願でもするのね」
「……せいぜい後悔するがいい。パガニーニ隊、撃てぇっ!」
八機のルークスが一斉にライフルを撃った。白光が戦場を乱れ飛ぶ。
「くっ……!」
セイバーは閃光を跳んで避け、盾で防ぎ、剣で切るが……それでも数には勝てず、装甲に傷が出来ていく。武装の関係で遠距離戦に対応できないことが致命的だった。3機程度なら隙を突いて接近し近距離戦に持ち込むことが可能だ。しかし、九機ともなるとせっかくできた隙が他機の牽制射撃で埋められ、近づきようがない。
「クレード! どうするの!」
「はぁ……はぁ……。どうもこうも、接近してぶった切るしか選択肢がない」
戦場の緊張感、連戦による疲労、最上位分霊との同調による魂の疲弊、自由度の低い武装、圧倒的戦力差、クレードの状況は最悪だった。絶望してもおかしくないほどの戦場でそれでもクレードは諦めない。敵の射撃から逃れ続ける。
盾が限界を迎えた。数十発の閃光を受け盾は溶解した。セイバーは盾を捨て、剣のみで閃光と相対する。盾は面で防げるが剣は点で防がなければならない。
――射撃を切る。精密な動作を要求する最高難度の技術である。盾がない今、クレードは悪いコンディションでそれに挑戦しなければならない。
「くっ……。はぁっ……はぁっ……きりがねぇ」
避けるか切るか、防ぐという選択肢が消え、クレードの疲労は加速度的に溜まっていく。
――それでも永遠はない。
分霊との同調は精神を蝕む。クレードに限界があるのと同様に敵にも限界がある。九機の内の一機が発狂すれば大きな隙が出来る。そこを突くしかない。
敵の射撃が突然止んだ。
「……新型のくせに無様だな。分霊に自我あるということは上位分霊のはずだ。それがこの程度、所詮は帝国、恥を知れ!」
仰々しくジェスチャー付きでドメニコが嘲笑った。
挑発、大いに結構。その間に回復できる。クレードは敵の言葉などに耳を貸さない。しかし、相方のアイズは挑発に激昂した。
「私が無様……? 許せないっ! 許しがたいっ! 許さないっ!」
「おい、アイズ?」
「――オーバーブースト」
アイズが呟いた瞬間、同調制御システムが荒れた。
「ぐあああああ!」
アイズの魂の存在力が跳ね上がる。脆弱な人間であるクレードはアイズの魂の波に飲み込まれそうになった。
「クレード、あんたの魂が吹き飛ぶまで数分しかないわ。その間に敵を蹴散らしなさい」
「ぐっ……。パイロットの了承もなく、勝手なことしやがって」
だが、勝機だ。跳ね上がった出力がセイバーの表装から漏れ出し青白く輝く。
「なんだ!? 何が起こっている!」
敵将が叫ぶがクレードに応える余裕はなかった。人間の核である魂が犯されているのだ。体の中からの激痛に冷や汗が止まらない。
「Norekin hartu ezpata (誰が為に剣を取る)」
吐血しながらクレードは詠い始める。セイバーが加速した。敵機の一斉射撃が掠るが表装から吹き上がるエネルギーが装甲を守り、傷一つ付かない。
高機動であったセイバーはさらなる出力により加速し、敵機が照準を合わせる間もなく接近する。
セイバーはハの字型に展開していた敵隊の左方の端にいたルークスの頭を掴んだ。
「izateko lagun bat, zeure burua da (友と己が為に取る)」
クレードは口の中に溜まった血をコックピットに吐き出した。セイバーは掴んだルークスをハの字型に展開している敵隊の中央に放り込んだ。
「Norekin pistola (誰が為に銃を撃つ)」
即座に氷剣を生やし、放り込んだルークスに投擲する。ルークスのコアに氷剣が突き刺さる。
「退避っ!」
ドメニコが叫ぶ。コアの破損により放り込まれたルークスは爆発。破片が飛び散り、パガニーニ隊のルークスにダメージを与えていく。
「Just tiro bizi gurekin (ただ生きるために我は撃つ)」
負傷し、機動に問題があるルークスなどオーバーブーストにより加速しているセイバーの敵ではなかった。新たに生やした氷剣で敵機を刻んでいく。
「Homare Sakai, ospea, ez justizia (栄誉、名声、正義は無く)」
ドメニコが率いていた八機はわずか数十秒で無力化された。
「くっ、かあああ!」
ドメニコはバズーカを腰から引き抜き構える。ルークスにはない装備である。ライフルに比べ高威力で、直撃すればオーバーブースト中のセイバーでも耐え切れない。だが、弾速はライフルに劣る。
「Bihar nahi dut (明日を望む欲が有る)」
故にセイバーには当たらない。使いどころが難しいからこそルークスには搭載されず、隊長機であるルークス・カスタムに与えられているのだ。ドメニコは状況判断に失敗した。
氷剣がルークス・カスタムの四肢を切断した。
「dagoelakoan gaude (我らはそれを肯定する)」
セイバーは達磨になったルークス・カスタムの首を掴み持ち上げる。
「やめろ! ワシはパガニーニ家の次男だぞ? ワシを殺せば教国が黙っていない!」
「関係ない。関係ないよ豚。私を侮辱したお前は死ぬ。死んでしまうのよ。あの世では口のきき方に注意するといいわ」
アイズの声色は氷のように冷たかった。
「Besarkada bizitza (さあ生を抱きしめろ)」
氷剣がルークス・カスタムを十字に切り裂いた。
「ふふ、クレード。どう? これが私の力よ」
オーバーブーストを解除してアイズが自慢げに言う。
「……ぐっ。そうかい、大したもんだ。だが、そのせいで俺は死ぬかもしれない」
答え帰すクレードの顔は真っ青だった。
「……耐えなさい。私の相棒なんでしょ?」
「……相棒ってのは互いに信頼し合ってなんぼなんだ。お前のは一方的な押し付けだ。提案もなく了承もなく俺の命を賭けた。てめぇの都合でだ。……ちっ、意識が霞んできた」
「でもジリ貧だったじゃない! 私は……」
「結果は……関係ない。パイロットの命を投げ捨てるような奴は信用できない。当たり前の話だ。お前が道具じゃないように、俺も道具なんかじゃない。生きているんだ。次があるなら……」
クレードは意識を失った。
「私は……」