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剣鬼の道

掲載日:2026/04/12

 赤城陽左衛門は、むんずと腕を組んでいた。

 手にはこんもりと膨らんだ良質の風呂敷がひとつ。目の前の呉服屋の入り口を険しい顔で見つめている。

 これで三つ目だ――。

 夏も過ぎた季節だというのに、町では蝉が鳴き、昼過ぎの日差しは、まだ暑かった。

 よもや、また同じことが起きるのではなかろうなと、不安になっている所に店から女中があわててでてきた。

「あの、せっかく届けていただいたところ、申し訳ないですが。どうやら、厚木町のお店の方みたいで……」

 おずおずと女中は苦笑いで言った。

 陽左衛門は、背丈はあるほうで体格がよく、着物の上からも肉のしぼられた屈強な身体つきが見てとれる。胸板は厚く、走るとときたま袴からちらりと見えるふくらはぎは、砲丸が付いているかのように太く膨らんでいる。

 その体格の二本差しが、腕を組み、機嫌も悪そうに険しい顔をしていると、皆どこか恐ろしさを感じるのだろう。凶暴な犬をなだめるように、そっと話しかけ、離れようとする。

 女中も陽左衛門を上目遣いに見上げていた。目の色からどこかおびえた感じを見せる。

 陽左衛門は腕をほどいて、ため息をついた。

「や、そうでござったか。いや、こちらこそお邪魔申した」

 低く穏やかな声で言うと、女中は安心したように胸を下ろした。

「番頭さんが言うには、お荷物は厚木町の金柑寺の裏にある屋敷宛だそうでございます」

「なるほど」

 また遠いところだの――。と、口には出さずに思った。

 風呂敷をちらりと忌まわしげに見つめてから、陽左衛門は女中に背を向けた。


 御飾町の口入れ屋、草水屋の主人から紹介されたこの仕事は、とてもわりの良い仕事のはずだった。隣町に荷物を届けるだけで、二分の金が入る。なんでも貴重な品で、以前に強盗にあって品物を奪われたことがあると、とある店の主人が依頼してきたのだという。

 大げさなことだと思いながら、陽左衛門は一切迷わず仕事を受けた。

 浪人者の陽左衛門にとっては、これほど良い話はない。

 真っ昼間の町を歩いて、荷物の配達をすれば二分。胡乱な輩が現れるのかもしれないが、現れないかもしれない。陽左衛門としては、人通りの多い昼間の町中で襲うものがいるなど、そうそうありないと思っていた。簡単で、実入りの良い仕事だ。

 しかし、実際はそう簡単にはいかなかった。隣町まで、という話は最初に送り先と言われていた店に行ってから、ひっくり返された。

 この店ではない、二つ橋を渡った先の町の店だ――。

 言われた通りに、夏の蒸し暑さの中、橋を渡って新たに言われた店に行くと、同じようなことを言われた。さっきの三つ目の店もしかり、どこの店も「はて」と言いたげな顔で、荷物を訝しげに見てから、言葉は柔らかに陽左衛門を追い払っていった。

 どうなっておるのだ……。

 歩き通しで、固くなりつつ足と膝をいまいましげに見つめて陽左衛門はつぶやいた。

 昼前に目的の店に出発して、正午には帰ってきて家で飯を食おうと思っていた。なのに、今はもう日はてっぺんをゆうに越えて、これから沈もうとしている。無論、昼飯にもありつけていない。

 次の店で、同じことを言われたならば、帰るしかあるまい。

 そして、明日、草水屋の主人に文句を言いに行かねばならん。

 胸にそう決めて、陽左衛門は荷物をジトリとにらみつけた。腰に差した二本の刀をぐいと差し直す。次で帰ると言っても、帰り道がまた遠いことを思って、気がめいった。

 

 厚木町の金柑寺は、中ぐらいの広さの寺で、垣根越しに見える松の木も綺麗に整えられていたが、どこか寂しげな雰囲気が感じられた。枝に付いた葉が少ないからだろうか。それとも、人気がないからだろうか。境内では、若い坊主頭の僧侶が箒を手に掃除をしているのが見えた。

 寺の敷地の横の柵沿いを歩いていって、本堂の裏に当たる道へと向かった。そこで陽左衛門は眉をひそめた。ここに屋敷がある、という話だったが……。目の前に広がるのは、鬱蒼とした山の入り口のような道だった。日も暮れかかっており、樹々の合間に一本伸びる道は薄暗かった。こんな所に、屋敷があるというのか……。

 どこか不気味な薄暗い林の道を見つめる。

 昼とは打って変わって、夕陽が差す緋色の景色の中でヒグラシの鳴き声が響いていた。

 陽左衛門は、少し迷ってから、再び金柑寺の正面門へ戻っていった。さきほど通ったときに見えた若い僧侶へ声をかけた。

「つかぬ事をお聞きするが、この寺の裏に屋敷があると聞いて、訪ねてきたのだが?」

 若い僧侶は箒を持ったまま、陽左衛門から視線を外して、しばらく考えてから、あぁと思い出したように声をあげた。

「それならば、道奇殿のお屋敷でございましょう。裏の細い道の先でございます」

「あの道で正しかったか。いや、林か山の入り口のようなものしか、見えなんだもので」

「私もお訪ねしたことはないのですが、樹々の道の先に大きな敷地があると、住職さまからも聞いたことがあります」

 陽左衛門は礼を言って、寺を出ていった。再び、言われた通りに薄暗い樹々の合間の道を進んでいくと、確かに僧侶が言ったように広い敷地が視界に現れた。

 辺りを林の木々で囲まれるようなその敷地は、薄暗くどこか霧がかっている。入り口には腰の高さの柵が設置されており、霧の白っぽい景色の先にはボンヤリと大きな屋敷の姿が影のように浮んでいた。敷地の一番奥は、見えない。陽左衛門が思ったよりも、遥かに広い敷地だった。

 入り口の竹の門を手で開けて、屋敷へと向かおうとする。そこで、ふと人の気配に気づいた。道の脇で、頭に頭巾をかぶった若い女が、こちらを見つめていた。

「なにか、御用でございましょうか?」

 丁寧な口調で女が言った。下働きの女か、もしくはこの屋敷の娘か。白地に青の七宝の柄が映える紗の着物を着て、よく見ると、白い肌で美しい顔をしていた。

「荷物を届けにきたのだが、道奇殿の屋敷で間違いござらんか……?」

 陽左衛門は少し緊張していた。

 これで再び違うと言われたら、と考えたわけではない。女の気配についてだった。

 さきほどまで、女はまるで気配を消していたような気がしたのだ。陽左衛門には辛うじて分かったが、普通の感覚ではなかった。

「いかにも、こちらは道奇様の屋敷でございます。お武家さま」女が再び丁寧に言った。

「左様か。御飾町の草水屋から来た、赤城陽左衛門と申す。品物を届けに参ったのだが」

 と、陽左衛門が腕を上げて、上品な風呂敷を見せると、女は微かに目を細めて笑ってから言った。

「そうでございましたか。誠にご苦労さまでございます。主人もたいそう心待ちにしておられました」

 ようやく、目的の届け先に到着したようである。陽左衛門は、音には出さずに安堵の息を漏らした。こちらへ、と女が先立って竹の門から真っすぐに伸びる前庭の道を進んだ。

 石畳を歩きながら、陽左衛門は辺りを見回した。それにしても、広い――。

 道の両脇には、決められた間隔で、見事な石灯籠が置いてある。その小窓からぼんやりと揺らめく明かりが放たれて、道を照らしていた。一本道の先に屋敷の玄関があるはずだが、霧が立ちこめて、その影も一切見えなかった。気味の悪い屋敷だ。それに……。さきほど女が道に出たとたん、石灯籠に順々に火が灯っていったように見えたのは気のせいだろうか。

 この女も、この屋敷も、なんとも薄気味悪い――。

 さっさと荷物を渡して、手間賃をもらって帰ろうと、考えていた。すると、道の途中で、おもむろに女が足を止めた。

「申し訳ありませんが、ここからはお一人で進んでいただきます。道は一本で、屋敷の玄関まで続いております。ただ、途中に別の人間がおりますので、邪魔をされて品物をなくさないようにしていただきたく存じます」

 陽左衛門は一瞬、無言で道の先を見た。

「は? どういうことかな?」女に目を戻して聞き返す。

「ですから、ここからはお一人で屋敷まで行っていただいて」

「それは辛うじて分かったが、途中に誰がおると?」

「別の人間でございます」

「そいつが襲ってくると?」

「ここの主人は、言ってはなんですが、少し偏屈なおひとでして。お屋敷の護衛に腕の立つ者を雇っているのですが、その者たちへ『日が暮れた後は、自分以外の者が屋敷に近づいたら、容赦するな』と命じているのです。ですから、私もうかつにこれ以上先へは行かれないのです」

 なんという訳の分からん屋敷だ。薄暗く、日はとっくに暮れているだろう。陽左衛門は考えてから、風呂敷を見て言った。

「……では、明日出直そうか」

「そうしていただいても構いませんが、確かご依頼は『今日中』にお品物を届けていただくというものでございましたな。明日、主人がお手間賃をお渡しするかは分かりかねます」

 陽左衛門はうなり声を上げた。

 ほぼ丸一日歩き通しでここまでやってきて、訳のわからん屋敷の決まりのせいで、一文ももらえないなど、冗談ではなかった。二分の手間賃はいただかなければ。

 たった二分。されど二分。陽左衛門の浪人生活は苦しいのだ。

「……その護衛の者たちは、武器を持っておるのかの? それに、まさか誰彼構わず命を取りにくる訳ではあるまい」

「さぁ、はっきりは存じませんが、丸腰ではないと思われます。護衛たちは、容赦するな、とだけ命じられております。命を取りにこないとは……お約束はできかねます」

 いかれた屋敷に足を踏み入れたようだの……。

 女の黒い瞳が、陽左衛門をゆっくりと下から上へと、舐めるようにながめた。

「しかし、私の未熟者の目とはいえですが、赤城様はなかなかの腕前をお待ちかと推察しております。きっと、問題ございませんよ」

 霧の中で、やけに白く見える美しい女が口元に笑みをうかべた。美しさに上乗せして、艶かしさと妖しさすらも感じられた。

 あきらめるようにため息をついて、陽左衛門は風呂敷を左手に持ち替えた。

 霧でにじんだような石灯籠の灯の色の、その間を伸びる道を、進んでいった。


 昼間に感じた夏の蒸し暑さも不快だったが、この道は涼しいにも関わらず気持ちよくはなかった。首筋に霧がつねにまといついてくるようで、気色悪い。

 しかし――。石畳の道を歩きながら、考えた。

 ここの主人が金持ちであることは間違いない。この広い敷地を有して、護衛を雇えているほどだ。金は、掃いて捨てるほどあるに違いない。上手く交渉すれば、手間賃を増やしてもらうことも可能ではないか……。

 と、そう思ったとき、目の前に鋭い風が吹いた。

 間一髪の所で陽左衛門は足を止めて、面前で空を切り裂いた刃をかわした。とっさの反応で、跳ぶように数歩退く。左足を後ろに引き、半身になって陽左衛門は腰を落とした。目の前を凝視する。

 白く光る刀を構えた男が、道の真ん中でこちらを見ていた。殺気立った目で陽左衛門を見ている。

「来たな。待っておったぞ……。待っておったぞ!」

 男は口から唾をとばしながら、凶暴な顔で叫んだ。男は頬がそげてやせていた。首筋に皮がはり付いたように筋と血管が浮き出ていた。着物も袴もぼろぼろで汚れている。まるで、休みなく戦いつづけたような、みてくれだった。

 しかし、刀を構えた姿は軸が全くぶれずに、巨岩のような威圧感を醸し出していた。

「ま、待て。わしは、ただこの屋敷の主人に荷物を届けにきただけの遣いだ。戦う意思はござらん。刀を納められよ」

 陽左衛門が右手を前に出して、努めて穏やかに言った。体勢は変えずに、いつでも動き出せるようにしていた。こめかみに冷や汗が流れている。さきほどの一刀を避けられたのは、運がよかったのかもしれない。そう感じるほど、男の構えとたたずまいに、脅威を感じていた。

 息切れするような短い呼吸のあと、男はぎょろっと血走った目をむいた。

「わしぁ……わしは、ここから出るのじゃ! 貴様に、邪魔されてなるものか」

 何を言っておるのだ――。

 頭に思いながら、陽左衛門は一気に間合いをつめてきた男の一撃を、なんとか躱した。

 その刀の速さによって、風が吹く。

 空気を斬った刃が唸って、聞いたことのないほど高い音を立てた。

 かつて国元で出稽古に訪れた、一刀流の鏑木道場の高弟が見せたような、突風のように速く圧のある剣だった。この男、ただ者ではない。男の脇を抜けて、振り返る。陽左衛門は再び言った。

「おぬし、この屋敷の護衛であろう。わしは客だと言っておる。そんな見境なく、襲うとは……」

「馬鹿を抜かせ! この道の他の者を倒さぬ限り、わしはここから出られんのだ。あとひとり……最後のひとりが、貴様じゃぁ」

 気合いの叫び声が響き、男は突進してきた。

 覚悟を決めて陽左衛門は目を見開いて、一直線に襲いかかる男の剣を凝視する。

 瞬時に脚へ全ての力を込めると、その場で腰をひねった。突風の刃を躱し、脇差しの柄が、男の鳩尾の急所にめり込んで、男の凶暴な叫び声が短いうめき声でとめられた。男が膝をついて、ずるずると地面にうつ伏せに倒れ、刀を離した。

 額に汗をたらして男を見下ろしながら、陽左衛門は息を切らしていた。

 恐ろしい遣い手だ。攻撃をかわしたつもりが、着物の肩口が切れて、頬にも薄く傷を負っていた。あの瞬間に、二撃打っていたのだ。しかし、左手の風呂敷は無事だった。

 呼吸も整った所で、冷静になって考えられるようになった。

 いまいち、納得がいかん。


 ずんずんと霧の漂う道を引き返してきた陽左衛門を見て、女は口に手を当てた。

「まぁ、お早いことで。もう屋敷までたどり着かれたので?」

「違う。男に会ったが、そやつはここの護衛とは言っておらなんだぞ」

「それは、それは、主人は色んな腕利きを集めているそうなので、護衛とは違う名目で集められた者もおりましょう。お斬りになったので?」

「斬ってはおらん。だが、倒した。その御仁は、他の奴らを倒さねば、ここから出られんと申しておった」

「それは、そのお侍さまが、何か勘違いされているのでしょう」

 女はけろっとした顔で言った。見目は美しいが、なんともうさんくさい。

「勘違いで襲ってくる者たちと戦わねばならんのか? 何という野蛮な屋敷だ」

「では、お帰りになりますか?」

「帰らん。手間賃だけは何が何でももらう」

 歩き通しで労力を割いたうえに、いまでは頬と着物も裂かれている。

 貧乏性と言われようと、浪人者、陽左衛門。

 ただ働きはするつもりはなかった。


 再び女の元から石灯籠の道を歩いて進んでいった。

 相も変わらず、霧が深く、数間先も見えないほどだった。入り口の門から見えた大屋敷の黒い影は、いまも道の奥にぼんやりと浮んでいる。しかし、どれほど歩けばたどり着くのか、不思議と目測できなかった。

 さっさと終わらせて、金をもらい、長屋へ帰る。石畳を力強く歩きながら、陽左衛門は決意を新たにした。

「む?」

 気配を感じて、数歩足を速めた。草鞋をこする音が聞こえて、はっと息をのんだ。

 どこからか現れた男が、いつの間にか陽左衛門の後ろにいた。陽左衛門の背中を、容赦なく袈裟切りに斬りつけた。しかし、振り向きざまに脇差しを抜いた陽左衛門は、その一撃を鍔で辛うじてはねのけた。

 新たに出現した男は下がって間合いをとり、力を抜いた様子で手を両脇に垂らしていた。陽左衛門が全く気づかぬ間に、男の刀は鞘に納められていた。

「新参者か。悪いことは言わん。引き返せ」

 痩せてはいるが、長身で全身から闘志のような熱が感じられる男だった。蛇のようにまといつく視線で陽左衛門をうかがっている。瞳に宿った光は、殺気といって差し支えなかった。

 居合いの遣い手か……。男のさきほどの攻撃から推察しながら、陽左衛門は右手で脇差しを構えた。左手には風呂敷を大事に握っている。

「そなたは護衛か? それとも、別の仕事で集められたのか?」

 男はゆらりと揺れて、手をぶらつかせながら、木の幹のように身体の芯は動かさなかった。

「わしはただ、荷物を運びにこの屋敷に遣わされただけだ。無益な争いは、望む所ではござらん」

「戦わぬのであれば、引き返せ。忠告に従わぬのならば……」

 その先は言わずに、男は寒気がするほどゆっくりと腰を低めた。ぶらついていた右手は彫刻のごとく、刀の柄をつかむ形でとまっている。

「それはできん」

 生活がかかっておる。

 と、口は出さずに陽左衛門は脇差しを握り直す。

 今、男は一本道の陽左衛門が来た道を塞ぐように立っている。つまり、先に進みたければ、戦わずに走って進めなくはないのだ。しかし、と思い直す。後ろから、この男が追ってこない可能性は低い気がした。背中を見せて戦うのは、良策とは思えない。特に、さきほどの男然り、この男のように剣の達人めいた人間を相手にしては……。

 男が表情を変えず、口だけを動かした。

「ならば、わしの剣の糧になれ」

 言葉が終わるか終わらないかのところで、男が一足で跳んできた。驚くべき跳躍で、間合いをつめてくる。一瞬、陽左衛門は熊が牙をむき出しにしている光景を、脳裏に浮べさせられた。男の刀が刃うなりを立てて、抜刀される。下段からの攻撃は、見たこともない軌道で陽左衛門に襲いかかった。まるで、蛇だ。熊の舌から、蛇が噛み付いてきた。

 次の瞬間、陽左衛門は丹田に目一杯の力を込めて、後ろに飛び退いた。鎖骨から首筋に、鋭い痛みを感じる。なんとか居合い抜きを躱したが、すでに男は次の一撃を放っていた。相手から目を離さなかった陽左衛門は、今度は攻撃に合わせて前にでた。

 肩を狙って打たれた男の刀の刃を、陽左衛門の脇差しの峰が受け、そのまま前進していく。豪剣の威力と、鋼同士の摩擦で、火花が飛び散っていった。距離をつめた最後に、陽左衛門は峰で男の首の側面を打ちつけた。男が痛みに怯みながらも、うめき声を上げず刀を構え直そうとする。そこに、陽左衛門は脇差しの柄で男の顎をしたたかに打った。

 どさりと仰向けに男が倒れて、その顔が石灯籠の灯に照らされた。

 陽左衛門は息をついて、脇差しを納めた。

 一時期通ったことのある、国元の千海道場で遣われる、守りの剣術だった。久しく繰り出すことはなかったため、多少自信はなかったが、上手くいって安堵していた。

 首筋の傷はかすり傷だった。だが、この男の居合い術も恐ろしいほどの練度だった。

 それにしても……。

「剣術大会でも開こうというのか」


 何刻がたっただろうか。また、霧の石灯籠の道を進んでいく。

 ひとり、ふたり、さんにん、と剣術使いが現れては、立ちはだかった。

 なんとか辛うじて、倒していった。

 斬らず、殺さず……。骨の折れることではあったが、そこを曲げるつもりはなかった。

 その結果、陽左衛門も、重傷とはいかないまでも、体中に浅い切り傷を作っていた。

 着物も袖や肩口や襟など、所々斬られている。一張羅というわけではないが、これ以外に外へ着ていけるような着物はひとつもないから、一張羅と言っていいのかもしれない。ボロボロになったからといって、新しい物を買う余裕はない。家に帰ったら、縫わなければならん……。ただでさえ腹に据えかねる状況なのに、さらに腹立たしかった。

 白っぽくかすんだ前方を見つめる。

 空間をゆがめられているのではないかと感じるほど、屋敷には近づかなかった。

 いつまで続くのか、そう思っていた。しかし、それからすぐに、今までにないほどに、屋敷の黒い影が大きく、近く視界に写った。

 ようやく到着じゃ……。息をつく。その時だった。

 ゆらりと、霧の中で人影が動いた。陽左衛門は表情を引き締めた。

 ゆっくりと近づいて来た人影が、徐々にその姿をはっきりとさせる。色が白く、中肉中背の浪人者の出で立ちで、すでに抜刀していながら、不気味なほどに殺気も闘志も感じられなかった。

 今までの男たちと手を合わせてきたこともあり、この男の違和感は甚だしかった。

 この静けさ……。恐らく……こやつは、尋常ではないのだ。

 陽左衛門の内側の無意識の獣が警戒を強めるように忠告していた。

 意味はなかろうと思いながらも、陽左衛門は一応言ってみた。

「わしはただの遣いじゃ。仕事で来ただけでの。願わくは通してもらいたい」

 色白の男はゆるく片手で刀を揺らした。木の棒で遊ぶ子供ように、力は抜けている。

 興味深そうに、男は刀を持っていない右手で顎をさすった。

「……ほう。戦いにきたのではないと」

「そ、その通りじゃ。この風呂敷を届けにきただけにござる」

 話が分かる人間だと見て、陽左衛門は若干前のめりになった。

「この屋敷は、この道は一体なんなのじゃ? 会う人間は全て、問答無用で襲いかかってくる。話すらできんのだ」

「ほう。それも知らなんだと。めずらしいものだ」

 男が小さく目を開いて、面白いといいたげに、口元に微笑を浮かべた。

 陽左衛門は言った。

「……この屋敷の護衛や雇われ人だと言われたが、そんな次元ではない」

 であろうな、と男は短く相づちを打った。

「この道におる者は皆、共通した意思を持っておる。つまり、剣を極めるという意思だ」

 そうなのだ……。陽左衛門は道に残してきた男たちを思い返す。

 ここには、半端な者はひとりもおらん――。達人と呼べる者たちしかおらん――。

「遣いのお武家殿。そなた、道奇殿を知っておるかの」

「この屋敷の主のことか……」

「左様。かのお方が護衛を雇ったと言ったか? それはないな。道奇殿は剣術が好き、強い者が好き、なによりも試合が好きなのだ。狂っているほどにな。その為に、この屋敷を造り、古今東西の剣の探求者を探し、そして……」

 男が白い歯を見せて、石灯籠の灯を反射しながら笑った。

「呼び寄せて、ここで飼っておるのよ。この道は剣鬼が熾烈に食い合う鬼の道じゃ」

 笑みを浮かべた男の表情に反して、冗談を言っている様子ではなかった。

 陽左衛門自身も、冗談を言っているように思えなかった。ここまで戦ってきた男たちの、執念と、その底で邪悪にも見えるほどに光輝くものが、いま形をつかめた気がしたからだ。

「……わしの考えていたよりも、道理に外れた化け物屋敷だったようだの」

 コレでは、手間賃をもらえるのも見込み無しか……。落胆に肩を落として、陽左衛門は来た道へ踵を返した。引き返して、門にいた女に文句を言ってやろうかと考えていた。

 次の瞬間。

 発せられた気配に、全身の毛が逆立つのを感じた。陽左衛門は振り返った。

「言ったであろう。われらは、戦うためにここに来た」

 さきほどまでの静けさは消え去って、男の身体から、口から、瞳から、刀から、殺気が溢れ出た。ふたりを照らす石灯籠の灯が、揺れたような気がした。

 音もなく、男の刀が青眼に構えられた。妖しく光る刀身が、ひとつの生き物に見えた。

「見逃してはくれぬのか」

 陽左衛門が言うと、返答はなく、男はただ無表情な視線を向けてきた。

 心臓が鼓動を打ち、着物の内側で汗が垂れていた。陽左衛門は男から目を離さず、風呂敷を石灯籠の足下へ置いた。両手を空けて、男と真正面に向合った。

 息を吐き、鯉口を切ると、刀を構える。

「おぬしに恨みもなにもないが、斬りにくるのであれば、お相手いたす。……わしの生活のため」

 霧がたちこめる道で、ふたりは刀を構えたまま、しばらく一切動かなかった。

 互いの呼吸が聞こえるほどの静けさの中、時が過ぎる。

 色白の男が微かに左右に動いた瞬間、陽左衛門の肌がピリついた。動きは見えるのに、何故かとらえがたい。幽霊の動きでも見るように、残像が目に残った。霧のせいか、疲れのせいか……いや、この男のたぐいまれな足づかいのせいだった。

 男の刀が一瞬で近づき、視界全体に広がるように迫った。

 首の中心を狙った一撃を、陽左衛門は刀でかち上げて払った。質量を持った影が通り過ぎるように、男が脇をすり抜けていく。

 きっと口を引き結んでから陽左衛門はふりかえって、再び中段に刀を構える男を見た。面白そうに、男は口元に不気味な笑みを浮かべている。陽左衛門は刀の握りを強くした。一撃が重すぎて、手に痺れすら感じていた。表情を変えず、唇すら動かさず、男がつぶやいた。

「守備の型……」

 国元の一刀流、賀集道場の剣は守備を基本としている。幼い頃から陽左衛門が通い、腕を磨いた道場だ。

 いくら攻められようとも負けない。敵をいなして、弾き返し、全てを受けた後で、倒す。

 若い頃に鍛錬を積んだその記憶を、身体が呼び起こしていた。

 そうしなければ生きては帰れぬと、頭よりも先に理解していたようだった。

「こい……!」

 陽左衛門が気合いの声を発した。

 力の抜けた構えから、男が連続で斬り掛かってくる。

 鋼でできた木の葉が落ちてくる。男の刀は変幻自在で、太刀筋もとらえがたい。しかし、ひとつもらえば骨まで達するのは間違いないと感じられた。舞い落ちてくる斬撃を、下がりながら紙一重で防ぎつづけた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ――。

 最後の一撃を、辛うじて受けとめた。交錯した刀ごと斜め下に薙ぎ払って、陽左衛門は一間ほど後ろに飛び退いた。

 男が追撃を繰り出す瞬間、陽左衛門が前に出る。剣先が重なった瞬間に、陽左衛門は力強く手首を返した。重たい斬撃の勢いを利用するように、軌道をずらして、なお前にでる。刀がぶつかり合い、甲高い音が鬼の鳴き声のように響く。肩口に痛みを感じたのと同時に、相手の左腕を斬った手応えを感じた。色白の男の動きが一瞬止まった。

 陽左衛門は歯をかみしめて、刀を振り上げる。

 全体重を乗せて、正面から胴へと一撃を加えた。色白の男は刀を持ったまま、膝をついてうつ伏せに倒れた。

 男が顔を上げて、大きく肩で息をする陽左衛門を見た。笑ったようだった。それから、石畳に顔をぶつけて倒れ、動かなくなった。死んだわけではないだろう。最後の一撃の瞬間、なんとか刀を反転させ、峰打ちにした。

 肺が千切れそうなほど大きく息をしながら、陽左衛門は手の甲で額を拭った。全身から汗が噴きだしている。そのとき、ずるりと手から刀が離れて石の上に落ちた。自分の手を見ると、ぷるぷると震えつづけていた。手の平全部が痺れて痛み、力が入らん――。男の豪剣をあれ以上受けていたら、刀ごと弾きとばされたということだ。

 刀を拾い上げ、なんとか鞘に納めて顔を上げると、正面の霧が薄らいでいた。

 そのさきに、大きな屋敷の玄関が見えていた。

 

 屋敷に入ると、中は蝋燭の光が灯ってるが、人気はなかった。声をかけると、人気もないのに、正面のふすまが開いた。入って来いということか。

 上がり框に足をかけると、突然前方に気配を感じた。

「よくぞいらっしゃいました。赤城さま」

 入り口にいた女が出迎えていた。

「……そなたは道を通れないと申しておらんかったか?」

「赤城さまが、護衛の者たちをお倒しになったので、来ることができました」

「わしよりも早く屋敷についているのは、どういうことかの」

「ふふふ。側を追い抜かしたのを、お気づきにならなかっただけでは?」

 女はまたうさんくさい言葉を口にして、妖しげな笑みを浮べると、陽左衛門を奥へといざなかった。

 広間をふたつ過ぎたあと、女が丁寧に正面のふすまを開けた。

 陽左衛門がゆっくりと部屋に入ると、薄暗い部屋の奥にひとりの老人の姿があった。

 火鉢のそばであぐらをかき、手には長い煙管を持っていた。顔は見えず、背格好から老人と思ったが、もしかしたら違うかもしれない。しかし、この者が屋敷の主なのだろう。

「赤城陽左衛門と申す。品物をお届けに参った」

 立ったまま、風呂敷をぐいと前に差し出して、陽左衛門は言った。着物はそこらじゅうを斬られて、首や頬には生傷がある。しかし、風呂敷は綺麗なままだ。

「このとおり、間違いがないか、お検めいただきたい」

 女が風呂敷を受け取って、主の元へと持っていった。

「思ったよりも面倒な仕事ではありましたのでな。手間賃を頂きとうござる」

 皮肉をまじえて言うと、しばらくしてから前方からうなるような声が聞こえた。

 広い部屋を隔てた距離に反して、いやにはっきりと聞こえる声だった。

「そなた、来るまでの道では、ひとりも斬り殺さんかったとな。それは、なぜじゃ?」

 陽左衛門は一瞬、言葉につまった。しかし、鼻から息を吐き出して、言った。

「剣は人を殺す道具。殺すための道具で殺して倒すのは容易であろう。なればこそ、剣を遣い、殺さず倒すことこそ、最も困難であり、最上の技術である。それが、わしが受けた剣の教えだからじゃ」

 陽左衛門は老人の陰をにらみつけるように見つめていた。

 すると突然、笑い声が部屋じゅうに響き渡った。

「成る程。品物は、ありがたく受け取った……」

 次の瞬間、陽左衛門は目の前に風が吹いたようで、思わず目を閉じた。

 再び目を開くと、そこは屋敷の前庭の入り口だった。

 石灯籠の道に漂っていた霧は、嘘のように晴れて、大きな屋敷の姿が月明かりの下に見えている。何の変哲もない、平和な広い屋敷だった。眉をひそめて辺りを見回すと、直ぐ隣に女がいた。

「ここは……。いつの間にここに来たのじゃ」

「はて? いままで、屋敷から一緒に歩いてきたではありませんか」

 不思議そうな顔で女は陽左衛門を見上げて、小首を傾げた。

「こちら、主からでございます」

 と、女が陽左衛門に風呂敷を渡してきた。持ってきたものと同じ上品な生地だが、包まれたものは小ぶりだった。そのわりにずっしりしている。

「や、かたじけない。では、わしはこれで」

 不可解な感じは残ったものの、陽左衛門は礼を言って風呂敷を受け取り、門へと向かおうとした。背中に女の艶かしい声が聞こえた。

「また、お待ちしておりますわ。それに……」

 いずれ、およびします――。

 はっと、門の前で陽左衛門はふりかえった。そこに女の姿はなく、静かな石灯籠の道の先に、夜の屋敷が見えるだけだった。

「なんとも……」

 化かされた気分だの……。と、つぶやきながら、体じゅうが軋んで痛んだ。

 しかし、手に持った風呂敷を思うと、気分は穏やかになるようだった。

 この重さからして、小判が幾つか入っていてもおかしくはない。品のないことと思いながらも、陽左衛門は門からしばらく歩いてから、風呂敷をほどいて確認した。

 はらりと布がほどけて、出てきた中身にゆっくり目を瞬いた。

 金ではない。香炉のようである。どういうことだと、香炉のふたを開けてみる。

 すると、中の底に、一分銀が二枚入っていた。

「くそっ……」

 虫の音に混じって、悪態が月夜に響いた。

 

 御飾町の草水屋の埃くさい土間に入って、陽左衛門は腕を組んだ。番台では店主の親父が帳簿に書き物をしている。丸い眼鏡からジロリと陽左衛門を見上げる。

「先日の仕事はそれは大変であった」

 恩着せがましく陽左衛門は言った。あれから真夜中に長屋へ帰って、次の日の朝は筋肉痛を耐えて着物を縫って補修し、なけなしの二分で米を買った。無論、生傷はまだ癒えていない。

「町から町へ歩かされて、あげく斬り合いにまでなったのだ」

「まぁ、それは災難でございましたな。先方にもお伝えしておきましょう」

 言葉だけは聞こえがいいが、おやじの表情も声色も、まるでその気がないのが丸わかりだった。その証拠に、おやじは舌の乾かぬうちに尋ねてきた。

「それで、今日はまた、お仕事をお探しですか?」

 文句を言うのはあきらめて、陽左衛門はため息をついた。

「そうじゃ。何か、割の良いものを。それと、もうひとつ見てもらいたいものが……」

 と、陽左衛門は懐から風呂敷を取り出して、番台の上に置いた。結び目をほどく。

「はて、香炉ですか」

「香炉じゃ。家に置いても使い道はないのでな。おやじ、どこか買い取ってくれる所をしらんか?」

 これはまた、と言いながら親父は眼鏡を直して香炉を観察し始めた。が、直ぐに狼狽した声をあげた。

「赤城さま、これをどちらで?」

「さる、おかしな屋敷の、おかしな主からじゃ。……売れんかの?」

 陽左衛門が苦笑いで言うと、おやじは首を素早く横に振った。

「なにをおっしゃいます。これは、大陸から来た名品にございます。はい、わたしの目に狂いはございませんよ」

 いささか戸惑いつつ、陽左衛門は聞いた。

「では、いくらほどになる」

「軽く、二十両」

 陽左衛門は思わず、のけぞりそうになった。小汚い古びた香炉が、二十両。無意識に、頭の中でそろばんが叩かれていた。

 すると、そこに入り口から荒っぽい声がいくつも聞こえてきた。

「ごめん。それがし、仕事を探して参った」

「まて、わしが先に店に入ったのだ。主人、何か剣をつかう物ならば、拙者、腕に自信がござる」

「何を言う。そういう仕事であれば、わしの方が心得ておるわ――」

 と、なにやら番台の前で揉め始めていた。その男たちの顔をみて、陽左衛門は驚愕していた。

 あの夜、石灯籠の道で出会った男たちである。陽左衛門が引っ叩いた頬や首のアザもまだ残っている。仕事を探しているさまを見ると、なぜか親近感が湧いてきた。

 草水屋のおやじがなだめる中、男たちは誰が一番に仕事を紹介してもらうかで揉めたあげく、表に出て勝負で決めることにしたらしい。ゾロゾロと、再び男たちが出て行ってから、陽左衛門は小さく笑いを零した。おやじが言った。

「やれやれ。それで赤城さま、どうされますか? この香炉。買い取る人間をご紹介できますが、お手元に持っておきますか?」

 店先で木の棒を使って戦っている男たちの、どこか楽しげな様子を横目に見て、陽左衛門は笑いながら首を振った。

「いや、売ることにしよう。親父が欲しければ、納めてくれて良い。ただし……」

 陽左衛門は店の外をちらりと見た。

「あの連中が仕事をそつなくこなしたときは、各々いくらか報酬を上乗せしてやってくれ。この香炉で払える分で構わん」

 ひとつ勝負がついたのか、外から、やんややんやとにぎやかな声が上がった。

 怪訝な顔をするおやじに向けて、陽左衛門は腕を組んだ。

「では、最初にわしに仕事を紹介してもらおう。割の良いやつを頼むぞ」

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