第二話 おしゃべり草、しゃべる
ミシェルがフィールドワークに旅立った翌朝、アーシュタはいつものように植物園に出勤し、職員用のロッカーに荷物を置いた。
ミシェルから預かった日報を手に、植物園に足を踏み入れる。
朝のさわやかな日差しが植物たちを照らし出している。色とりどりの葉をながめながら、アーシュタはジョウロに水を入れ、日の光を好む植物たちの世話をさっと済ませた。
つづけて、日陰を好む植物のある区画に向かう。普段はミシェルが世話をしている区画だ。霧吹きに水を入れて、日報を見ながら水の量を調整する。
「この子は、霧吹き一回……と」
「……あーぁ」
「えっ、ダメなの!?」
突然声が聞こえてきて、アーシュタは振り返った。辺りを見回してみるが、誰もいない。濃い緑色の葉が生い茂っているだけだ。
気のせいかと再び水やりに戻ると、「えぇー?」という訝しげな声がした。
「誰かいるの?」
眉をひそめたアーシュタの目の前で、背の高い植物の葉っぱが風に揺れた。
「違う違う。こっち!」
声のした方を見ると、最近来たばかりの植物があった。ミシェルに「癖がある」と言われた植物だ。
「え、しゃべるの? ……まあ、マンドラゴラさんも走るくらいだし、しゃべる植物がいても、おかしくはないか」
植木鉢の前に座り込んで、しゃべる草を観察する。ギザギザした葉っぱが生えている。そっと葉を触ってみると、小さな産毛が生えていて、チクチクする。
植木鉢には「おしゃべり草(仮)」とミシェルの字で書いてあった。アーシュタなら「話す草(仮)」とでも名付けただろう。
「へぇ、おしゃべり草かぁ。ミシェルらしい名付け方だな」
「水くれ! 水!」
おしゃべり草は、とにかくよくしゃべる。なんて太々しい草だと、アーシュタは鼻から息を吐き出した。霧吹きを横に置いて、日報の「おしゃべり草」の部分を開くアーシュタに、おしゃべり草は「みーず! みーず!」と騒がしくはやしたてた。茎の真ん中にある丸まった葉っぱが、ぱくぱくと口のように開いている。
「どれくらい水が必要か、わかんないでしょ」
「たっぷり!」
日報の「おしゃべり草」のページには、ミシェルの字で細かく色々と書いてある。書き込んだ内容を横線で打ち消し、書き直し、さらに横線を引き……と、試行錯誤の跡が手にとるようにわかった。
おしゃべり草に必要な量の水は、日報によると、霧吹き三回分であるらしい。
顔の横に流れてきた赤髪を耳にかけ直すと、アーシュタは霧吹きを三回、おしゃべり草の根元に吹きかけた。
「足りてねぇー!」
「でも日報には、霧吹き三回って書いてあるし」
「足りねぇー!」
「えぇー……うるさいなぁ」
アーシュタは霧吹きを手にしたまま、もう一回霧吹きを押すか迷った。ミシェルが「癖がある」と言っていたのは、こういうことだろうか。
「癖、強すぎない……?」
少し考えて、アーシュタは霧吹きを床に置いた。
日報で何度も訂正をしてあるのは、おしゃべり草がこんなふうにミシェルを戸惑わせたからなのだろう。
アーシュタは、昨日突然前のめりに手を上げて出張に行きたがったミシェルの姿を思い出した。
気弱なミシェルのことだから、おしゃべり草に振り回されて大変だったのかもしれない。
「栄養! 日差し!」
おしゃべり草は、とにかく自己主張が強い。じっと観察してみるが、茎の真ん中の葉っぱ以外は特に動いていない。葉っぱが全て、一斉にしゃべりだしていたら大変だっただろうな……と、アーシュタは内心ほっとした。さぞかしうるさかっただろう。
「日差し! 日差し!」
「あー、もう、わかったよ。隣の部屋に連れてくよ」
「イヤッホーゥ!」
おしゃべり草の植木鉢を抱えて、アーシュタは立ち上がった。隣の部屋に通じるドアを、足で開ける。お行儀は悪いが、両手がふさがっているので仕方がない。
「どっこいしょ」
「ウッヒョーゥ! 日の光だぁー!」
「テンション高いな」
大きなガラス越しの日差しに目を細めて、アーシュタはマンドラゴラさんの隣におしゃべり草の植木鉢を置いた。
マンドラゴラさんが、土の上にぴょこんと飛び出す。
「ついでに水もく……げぇっ!?」
途端に、おしゃべり草のおしゃべりが止まった。
「マンドラゴラさん、ちょっとうるさいかもしれないけど、よろしくね。一時間後には、また元の部屋に戻すから」
先ほどとは打って変わって沈黙しているおしゃべり草に、アーシュタは違和感を覚えた。
植物は基本的にはしゃべらないものだけれど、水やりをしていたときの騒ぎっぷりを考えるとおかしい。
それとも日差しのあるところに連れてきたから、満足したのだろうか。
すっかりおしゃべりをやめてしまったおしゃべり草に、アーシュタは首をひねった。
「え、なんで?」
「ピッ」
困惑するアーシュタをよそに、マンドラゴラさんが植木鉢から下りて、近くの棚に近づいていく。棚の中から「外出許可証」と書かれた紙を一枚取り出すと、マンドラゴラさんはそっとアーシュタに差し出した。
「はい。外出ね。上司に提出してくるから、ちょっとだけ待っててね。……あ、マンドラゴラさん、ハーブティーあるよ。飲む?」
マンドラゴラさんはうなずくように頭の上の葉っぱをぺこりと下げると、植物園の中にあるガーデンテーブルにぴょこんと飛び乗った。
助走をつけていたとはいえ、見事な跳躍力だ。
アーシュタは驚きながらも少し笑って、ハーブティーをそっと注ぐと、上司のいる管理室に向かった。
「あ、ハーブティーは氷魔法で冷やしてあるから、飲んでも萎れないよ」
マンドラゴラさんは冷たいハーブティーを一口飲むと、頭の上の葉っぱをうっとりと動かした。心なしか、優雅な動きだ。
うららかな日差しが植物園に差し込んで、さまざまな植物の葉を輝かせていた。
タイル張りの床には、マンドラゴラさんの足跡が点々と残っていたけれど。




