第2話:姫と私、学園生活のはじまり
【朝・藤咲家】
「レイラ、起きて! 初の実習日、遅刻するって!」
私、藤咲紬、18歳。アトリエ・モード文化学園の新入生で、ファッションデザイナーを夢見る専門学生。
目の前には、姉の空き部屋を占拠した“姫”――レイラ・シャルロット・ラフィーネが、猫耳付きモコモコパジャマにゴシック調のロングカーディガンを羽織ったまま、ベッドで寝言を呟いている。
「うぅん……わたくし、ランウェイのトリを飾ってましたわ……革命のフィナーレ……」
「夢じゃなくて、現実で目立っちゃうよ! 今日は自己紹介と実習! ほら、起きなって!」
「自己紹介……ふふ、ではわたくしの革命を世界に刻む時ですわ!」
バサッと布団を跳ね除け、レイラが立ち上がる。彼女の金色の巻き髪が朝陽に輝き、カーディガンの黒いレースと刺繍がまるで中世の肖像画のよう。私は思わず叫ぶ。
「ちょっと、ほんとにその格好で学園行く気!? 制服ないけど、せめて普通の服にしなよ!」
「今朝の気分は“寝巻きで革命”ですの。モードはルールを超越するものよ、紬♡」
「……もう、せめて登校服って概念を思い出してよ」
私の叫びを無視し、レイラは鏡の前で髪を結い始める。彼女の纏う香水――多分、異世界産のローズとムスクのミックス――が部屋に漂う。
どうして私がこの“姫”と同居してるんだっけ?
ああ、そうだ。入学式の日、彼女は突然現れて、私の“光るチョウチンアンコウ服”に目を輝かせて言った。
「あなた、最高ですわ。今日からここに住まわせていただきます!」
そして、気づけば姉の空き部屋は姫仕様になっていた。
……ねえこれ、私の未来にとって追い風になるんだよね?
……笑っていられるうちは、大丈夫ってことにしよう。
【登校中・都会の喧騒】
学園までの道のりは、春の陽気に包まれた東京の街。
桜並木の下、レイラのロングカーディガンが風に揺れ、まるでファッションウィークのストリートスナップを歩くモデルだ。
私の今日のコーデは、ニットのトップスと動きやすいチノパン。自分でステッチを施した裾に、さりげなくLEDの光るコードを仕込んだ一着。
地味だけど、私なりの“日常に効く服”の試みだ。
「ねえ、紬。あなたはわたくしをなんと呼ぶのかしら? 姫? レイラ様? それとも、“ミルフィーユ・マジック”?」
「最後のやつ、絶対誰も呼ばないから! ……レイラ、でいいよね?」
「ふふ、嬉しいですわ、紬♡ では、わたくしもあなたを紬と呼びますわね」
レイラの笑顔は、まるで高級ブランドの広告ビジュアル。名前で呼び合うの、なんだか照れるけど……心がふわっと軽くなる。
通りすがりのOLがレイラを二度見し、学生たちが「え、モデル!?」とひそひそ話す。私はため息をつきつつ、彼女の隣を歩く。
レイラの存在感は圧倒的だけど、私の服は……まるで背景に溶け込むみたいだ。
「紬、あなたのその服、悪くありませんわよ。シンプルさは、デザインの可能性を秘めたキャンバスですもの」
「え、急に褒められても……! でも、ありがとう」
レイラの言葉に、頬が熱くなる。彼女の目は、まるで私の服の裏に隠れた想いまで見透かすみたいだ。
【1時間目:自己紹介タイム・実習室】
アトリエ・モード文化学園の実習室は、まるでファッションの戦場。
ミシンやトルソーが並び、壁には歴代卒業生の作品写真が飾られている。
先生――入学式で私の“チョウチンアンコウ服”を絶賛したアイラインの入った中性的な講師――がマイクを握る。
「新入生の皆さん、ひとりずつ前に出て、好きなブランドや今の気分、デザインの哲学を話して! ここはモードの最前線よ!」
トップバッターは、ゴスロリドレスの女子。黒いレースのヴェールが揺れる。
「ロリータは私の戦闘服。甘さと毒を纏うことで、私は自分を定義する」
次は、顔の半分を刺繍レースで覆った男子。静かな声で、だけど力強く。
「服は身体を隠すものじゃない。自己を再構築する装置だ」
個性の嵐に圧倒されながら、私の番が来る。心臓がバクバクする中、前に出る。
「え、っと……藤咲 紬です。縫製とか、得意で……地味ですけど」
クラスメイトの視線が突き刺さる。私は深呼吸して、言葉を紡ぐ。
「好きなブランドは、まだ勉強中ですけど……動きやすくて、でも構築的な服が好きです。ニットと布帛の組み合わせとか、最近気になってて。自分で仕込んだLEDコードとか、日常にちょっとした遊び心を加えたいなって。……将来は、着る人の日常をちょっと楽しくする、そんな服を作りたいです」
教室が一瞬静まり、誰かがぽつりと呟く。
「リアルで、いいね。なんか、親近感ある」
「え、ありがとうございます!」
顔が熱くなり、そそくさと席に戻る。レイラが私の肩を叩き、ニヤリと笑う。
「紬、素敵でしたわよ。あなたの“日常を彩る”という想い、ちゃんと届いてました」
「う、うそ、ほんと!?」
そして、レイラの番。彼女が立ち上がると、空気が一変する。まるでランウェイの幕を開ける照明のように、場の空気を一変させた。クラス全員が息を呑む。
「レイラ・シャルロット・ラフィーネですわ!」
「好きなブランドは、アントワープ王立美術アカデミーの卒業生――アントワープ・シックス、そしてマルタン・マルジェラ!」
「マルジェラの“解体と再構築”の哲学に、わたくし、心を撃ち抜かれましたの。」
「それから、エディ・スリマンが生み出す中性的なシルエット――あれこそ、モードの極致ですわ!」
「得意分野? もちろん、“本能”ですわ!」
「今の気分は――“寝巻きで革命”!」
誰かの驚きの声に、レイラはキラリとウィンク。
「以上ですわ♡」
教室が静まり、すぐに拍手が沸き起こる。後ろの席の男子が呟く。
「インパクト強すぎ……この学年で一番記憶に残るわ」
私は静かに頭を抱える。レイラ、目立ちすぎだって!
【2時間目:ファッション史・講義室】
講義室のプロジェクターに映るのは、白黒のルック。ゆがんだシルエット、ステッチが強調された袖口、非対称な丈。
先生が軽やかに質問する。
「このデザイン、誰の作品か分かる?」
「はいっ! マルタン・マルジェラですわ!」
レイラの手が電光石火で上がる。先生が驚いた顔で頷く。
「2000年頃、“ここのえタグ”の時期ですわね。非対称な丈、インナーのカット、そしてあのステッチの粗さ……マルジェラの“未完成の美”そのものですわ!」
「そ、正解! すごい、詳しいね!」
「ちなみに、わたくしはミス・ディアナ期が特に好みですわ。リメイクの断片的な美と、服が語る物語性――まるで着る者の記憶を纏うようですわね」
「う、うん、ありがとう! 補足はまた後で!」
先生の声が裏返る。後ろの席から囁きが聞こえる。
「姫、賢者すぎる……」「情報量、エグいって!」
レイラは私の耳元で囁く。
「紬、放課後にアントワープ・シックスについて語り合いましょう♡ ドリス・ヴァン・ノッテンの色彩感覚、絶対あなた好みですわよ」
「あなた、異世界から来たのに、なんでそんな詳しいのよ!?」
私は思わず突っ込む。レイラの知識は、まるでファッション史のデータベース。
彼女の瞳には、服そのものが生きているような情熱が宿っている。
【昼休み・学園の中庭】
中庭のベンチで、いつものお弁当を広げる。白いごはん、卵焼き、唐揚げ、ウインナー。シンプルだけど、母の愛情がぎゅっと詰まった味だ。
「うわぁ、ザ・日本のお弁当! 素晴らしいですわ!」
レイラがキラキラした目で覗き込んでくる。彼女の手には、ピンクのマカロン3個と、なぜか高級そうな紅茶のティーバッグ。
「食べる?」
「もちろん! マカロンだけじゃ物足りませんわ。紬のお弁当、まるで春の日差しのような優しさを包んでいますわね」
「いや、褒めすぎ!」
唐揚げを分け合いながら、レイラがふいに真剣な顔になる。
「……明日は、あなたと一緒に作った服も、お披露目したいですわ」
「えぇ!? 一緒に作った服って……?」
「ですから、今夜仕上げますの!」
「えっ、今夜!?」
【夕方・帰宅後の藤咲家】
その日、帰宅してすぐにアトリエ部屋にこもった私たちは、ミシンとアイロンと大量の布に囲まれて、縫製作業に突入した。
「ここはレースを追加して……あっ、でもこのライン、紬らしい控えめな光も欲しいですわ!」
「レイラ、ちょっと待って! 光ファイバーは夜にしか目立たないから、日中用にアレンジしないと!」
針と糸が踊り、コーヒーの香りと集中の静けさが夜を満たしていく。布の手触り、ステッチの音、レイラと交わす短いやりとり――すべてが、不思議と心地よかった。
そして、気づけば時計は深夜を回っていた。
……なんだか明日も、ひと波乱ありそうな予感がした。
でも、なぜか――その波乱が、ちょっと楽しみだった。