いつかあなたが朽ちてしまう前に
久しぶりに書いてみました。ショートショートです。
少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。
小高い丘の上に一人の老人が立っていた。
彼は背筋を伸ばし、両手をズボンポケットに突っ込みながら、何かに挑む様に空を見上げていた。
口には火のついた煙草を咥えており、煙たいのか目を細めていた。
帳の降りた空には幾つもの星が瞬き、紫煙が光を求めるようにゆるりと昇ってゆく。
その佇まいはとても年老いた老人には見えなかった。
「思い出したか?」
俺が丘上に辿り着く前に投げられた問。
振り返ることもなくかけられたその声は嗄れ、それでいて神秘性を感じさせた。
どういう訳か彼は俺がここに来ることを知っていたようだ。
それとも俺と同じように『星屑』だった時の事を思い出した別の誰かを待っていたのかもしれない。
「ああ」
老人の横に立ち並び俺は返答する。
彼は左指で煙草を挟み、ホタルのように淡い光を灯す。ジジッと小さな音をたてて短くなっていく。
俺はその音を耳を澄ますことも無く聞いていた。
そして煙草が指先ほどまで短くなると、彼は携帯灰皿を内ポケットから取り出し、その中に捨てた。
「私たちは望んで地球に生まれ落ちて来たんだ」
「そうだったね」
俺は老人と同じように空に視線を転じる。
懐かしさが溢れ、涙が零れそうになる。
理由は、今なら分かる。
「地球に魅入られ、やって来たやつは少なくない―――」
俺もそんな中の一人だ。
俺は、俺たちは、観測者として宇宙を漂っていたエネルギー体の一種だった。
美しく地球を包む大気。激しく燃えさかる太陽。
荒々しく漂う雲。生命の源ともいえる海。聳え立つ山脈。そんな中で逞しく生きていく様々な生物。
それらの全てに魅了され、俺は、俺たちはここに生まれ落ちてきた。
「―――だが元が『星屑』だった私たちは中々ここの生活に馴染めない奴が多い」
「……なんでだろうね」
「俺たちは無理矢理受肉したようなものなんだ。親から遺伝子は受け継いでいるちゃんとした人間には変わりない。だが、元はただのエネルギー体。様々な感覚に差異が生まれるのは当たり前なんだよ」
「…………」
「その様々な感覚や刺激に俺たちは参りそうになる。いや、実際参ってしまうこともある。だが思い出してほしい。それらもひっくるめて俺たちは地球に憧れた筈なんだ」
「そうだよ。確かに怒りや悲しみ、喜び楽しみ。様々な事を期待していた。様々なもの見て、様々な事に感動して、様々な出来事に遭遇する。そういうことを期待していた。
でもやっぱり辛いものは辛いし、痛いものは痛い。良いことばかりじゃなかった」
「肉体が、心が、悲鳴を上げる事もある。でも忘れないでほしい。仲間たちは今でもずっと俺たちを守ってくれている」
❩ ❩ ❩ ❩ ❩ ❩ ❩
俺が観測者として地球を観ていた刻、一足先に地球に落ちていった仲間がいた。
またいつか会いましょう。それが彼女との別れの言葉だった。
俺が地球に憧れを持っているのを知ってか知らずか分からない。
が、その言葉に俺は、無いはずの心がざわめくのを感じたのだ。
ある刻。
地球に落ちると仲間たちに告げた時、色々な言葉をかけられた。
観測者としての職務放棄だとか、馬鹿な考えは捨てろとか。
宇宙を漂い生きている星屑の俺たちが落ちるという行為はある種の死を意味する。
星屑でいればほぼ永久にも等しい時間が有るのに対して、肉体は余りにも時間が限られているからだ。
その為に、本気なのか、と心配してくれるものもあった。
だが俺の決意が変わらないと分かると最後はエールを送ってくれた。
地球に落ちたものは私たちの事を忘れてしまう。だけど空を見上げた時に、少しだけでも何かを感じて欲しい。
それは私たちが見守っている、お前の事を応援している証だから、と。
俺はその言葉を聞きながら、憧れの地球に落ちていったのだった。
その事を今思い出すことが出来た。夢を見ているような感覚で、ふと、目の前にそれらを感じること出来た。
―――ああ。そうだった。
俺にはやらなければならない事がたくさんあるのだ。
まだ憧れ見ていない世界がいっぱいあった。
まだやりたい事も食べてみたい物もいっぱいあった。
まだ先に落ちた彼女と話したいことも聞きたいこともいっぱいあった。
まだこの世界に残したい思いや刻みたい記憶がいっぱいあった。
俺にはまだまだたくさんやるべき事があったのだ。
❩ ❩ ❩ ❩ ❩ ❩ ❩
「あなたはいつもこうやって迷える星屑たちにアドバイスをしているのですか?」
俺は黙って空を見続けている老人に訊ねた。
「ああ。もう私にはごく僅かな限られた時間しか残されていない。後人の為に少しでも役に立つならと思ってね」
「あなたは後悔はして無いのですか? 星屑を辞めてここに来たことを」
「後悔は無いと言ったら嘘になる。もっとああすれば良かった、こうすれば良かったというのも沢山ある。でもここに来なきゃ感じることが出来なかった事がいっぱいある。やはり死ぬのは怖いがね」
「正直、まだ自分が死ぬことを想像できませんし、したくありません。でも、この身が朽ちてしまう前に、沢山この世界を見て、経験して、感じて生きたいと思います。あの刻、あの場所で、憧れ抱いた事を忘れずに」
「ああ、そうしたまえ」
老人はこの時初めて俺の顔をみた。
その眼差しは強くもあり、温かくもあった。
「健闘を祈る」
強い老人の言葉を背に俺はひとり丘を降りていった。
俺を見守ってくれている仲間がいる。
俺を応援してくれている仲間がいる、
また会おうと言ってくれた仲間がいる。
辛いことがなくなるわけじゃない。痛い気持ちを忘れるわけじゃない。
それでも今、この瞬間は、身体を軽く感じる事が出来た。
―――俺にはまだやらなければならない事がある。
憧れただけでなく、肉体を持ったからこそ得られた感情や思い。
そういったものを俺はこの世界に刻みたいのだ。
いつかこの肉体が朽ちてしまうその前に―――
End
このお話はフィクションです。
幼い頃、よく星空を観ていたな〜とか思いながら書きました。
何かを感じてえたら嬉しいです。
感想など頂けたら嬉しいです。
執筆の励みになります。
また他にも色々ショートショートをアップしています。
よろしければ読んでみてください。