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血より青くて春より遠い  作者: 志村花畑
第一節「言語」
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第五項「植物」

 晴天、薄い雲はやたら速く流れて風から逃げているみたいだった。私達は浮かんだ雲の形の一つも覚えることはできなくて、同じように足元が崩れるのを止められない。宙に浮かぶなら空の青はただの色だ。


「どれだけなんでもないような顔をしててもさ、人の話を聞いてそれっぽい顔をして頷いてるだけでもさ、人は最後には何か言わなきゃいけないと思うんだ。何か大切なことを。誰に期待されるわけでもないことを」


 酔っているわけじゃないって説明したくてしょうがないから慎重に言葉を選ぶ。酔ってたらこんな風に喋れないでしょって、重ねた言葉は重すぎて正気じゃないことを示しているのかもしれないけど、大事なことを話すときに私は正気ですなんて顔されたって誰も納得しないとも思う。


「私達は言語として死を選んでいるような気がする。死ななきゃ伝わらない思いがあるのなら、死はもはや言語だよ。私達は話すように死んで、口を噤むように生きるのを止めるんだ」


 いつかの空は、緩い稜線を遠くの山よりもよくそれを表していたのを思い出した。白が仄かに溜まりこんで、そこに山を添えたから線になって。そういう順番を入れ換えるのは、私達が話の順番を少し入れ換えてもったいぶるのに似ている。今日はそういう日かなって、天気を見て口調を変えるようなことに。


「玲奈は私のこと止めたいんだと思ってたよ。玲奈が止めるなら私も死ななくていいかもと思ってたんだ。ていうか決心揺らいで死ねないだろうなって思ってた」


「私は」


口を開いてから何も言いたいことが無いことに気づいた。薄情もここまで来ると人として機能不全だ。でも、なら誰が佐倉の話を聞くんだろう。ここにいるのは私でなくてもよくて、他に聞く人がいるのならいくらでも譲るのに、ここには私しかいないのは私のせいなのか、佐倉のせいなのか。


「この前伊藤さんと話したら、佐倉に絵描けって言ってたよ」


「え、なんで」


「あー、描いたら分かる的なそんな感じのこと、気になるなら自分で聞いたら」


 ぼんやりと佐倉と伊藤さんは仲良くなれないだろうなと思った。そしたらやっぱり私が話さないといけないんだろう。私が言う必要のないことを私が言う。じわりと左胸から脇腹にかけてが焼ける感覚があった。心臓というのは本当に左胸にあるんだなと思った。


「佐倉が言ってる、最後には何か言わなきゃいけないって、多分私もそんな感じがする。言いたいわけでも言わされるわけでもなくて、私が言うか言わないか選べること。言っても分かりやすく得も損も無いから、どうしたらいいか分からなくて悩むこと」


 生焼けの植物の匂いが風も待たずに漂いだして眉間のあたりを突く。太陽が焼きも枯らしもしない今が好機とばかりに、息吹を広げていく。私達だってここに住んでいるのにと言っても聞き入れてはもらえないのだろう。佐倉が言った。


「話せば崩れるからね、なにかが。きっと言葉って美しいものは醜く語って、醜いものは美しく語らないといけないと思うよ。私達が言いたい何かっていうのは、美しくも醜くもない、どっちにもなれるし、どっちにもなれないものだからさ。それをそのまま言おうとしたらどっちかになって、言いたいのとは違うものになっちゃう。なら同じ分だけ言葉も虚しくないといけないと思う。だって目の前のものだけを言いたいなら、指さして鳴いていればいいんだよ。違うでしょ、私達が言いたいのはさ、違うでしょ。言葉なんだからさ。私達が話すのは。だけど、だけどさ、でも言わなくていいことも私達にはあるからさ、悩むんだしさ……」


 そこで佐倉の口が止まった。言葉にならないものを口にしなきゃならないのなら、嘘でも、伝わらなくても、口にしてもいいのかもしれない。でも言わなくていいことも私達にはあるから。言わなくてもいいことがある。それは躊躇いではなくて、間抜けな沈黙もきっと私達の意思だろう。生まれて初めて欲しいと求めた言葉が、空間や時間にそれとして上手く嵌った気がした。言わなくてもいいことが私達にはあるから。いい言葉だと思う。きっと忘れない。


「ねえ、玲奈」


「うん」


「私に死ぬなって言ってよ」


 世界は時折仕組みとして空を落とす。それを上から被った私達は、自分が人なのだと思い知らされる代わりに、ほんの一瞬空を手に入れる。その時だけ空を飛べる。


「佐倉、私はね」


 僅かに佐倉の瞳が揺らぐ。大丈夫、空は広くて、旋回すれば戻ってこられる。暴力だと思った。言葉は暴力だ。でも口は正面にしか付いてなくて、どうにもならなくて、正面を見て口にした言葉は正面に向かってしかいかなくて、私は馬鹿で。


「佐倉」


「うん」


「生きようか」

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