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血より青くて春より遠い  作者: 志村花畑
第一節「言語」
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第二項「曲面」

 言葉に意味なんて要らない、意味を欲しがるのはその言葉が聞こえなかった奴らだけだ。後から聞いて訳知り顔をしたいだけだ。


 余白に血を飾れ。そう痛々しい題名がつけられた紙の束には確かに比喩として血が滲んでいた。それは多分小説という名の体をわずかに成していて、健全さと裏腹の虚無にはきっと悲しみと名がつくのだろう。


「私は本当にこんなの書いてる暇ないんだよ、わかる?」


 それを書いた佐倉は、目に入れるのも嫌だというように私の持つ紙を指で強く弾いた。きれいな指だった。皴と骨がきれいに並んでいた。曲面を張った紙からは通った音がした、弾いた本人は嫌だったに違いない。少し笑いそうになった。


「じゃあ書かなきゃいいでしょ」


 適当にそう言って、私は弾かれて少し跳ねた数枚のそれを机に叩いて揃えた。


「玲奈って案外つまらないことを言うよね」


「そんな面白いこと言うように見える?」


「見えないよ」


「じゃあ何が案外なの?」


「なんでだろう、でもなんか嫌なんだよね、玲奈のそういう言葉づかい。本当はもっとなにか言えるはずなのに、言わないでいる感じがする」


 小説にそっと目を通す。書き出しは誰のものとも知れない独白だった。冷たい口調で乾いた血の付いた金属の話をしている。住んでいる家の倉庫にあった。刃物の類じゃない、多分殴打の跡だ。刃物というより板や、箱状の一面か何か。その金属の存在を主人公は小さい頃から知っていたが、しかし何のための金属なのか分からない。何かの部品のようにも思えるが、そんな形をしたものを主人公は知らないし、そもそもそれがなにであろうと主人公にとって特別問題も無い。なのになぜか忘れられない。


「小説家になりたい訳じゃないんだよ。ねえ知ってる? 隣のクラスの伊藤さん。絵が上手い人」


 少し苛立ったように佐倉が前髪を一度掴んでから解くよう梳かした。苛立ちに刺されて変な力が入った指がきれいだった。


「まだ隣のクラスの人までは知らないかな」


「そう。まあ私も小中が一緒だっただけなんだけど、クラスが同じになったことが一回あるくらい、まあ、その伊藤さんのお姉さんが小説家なんだよね」


 佐倉の声が聞き手の知らない人間の話をするのは新鮮だった。いつもなら気を遣って相手の知っている範囲のことしか言わない、そういう人間だったはずだった。


「へぇ」


「そのお姉さんがさ、小学生のころから小説書いてクラスの人に見せたりしてたんだけど、ちょっと有名っていうか、なんか担任の先生が良く褒めてたりしてさ。偶々伊藤さんが、同じ学年のね、妹の方のさ、同じクラスだったのもあってその人が書いた奴、下の学年の私達の所まで流れてきたりしてたんだよね。でも私は全然興味が無くてさ、だってよくできた小説なんてさ、図書館行けばいくらでも読めるわけじゃん。なんでわざわざ素人の、それも小学生が書いたもの読まなきゃいけないんだって思ってたから、読まなかった。私頭良かったし、自分で言うのも何だけど、でも良かったから、運動も出来たしね。そんな小説書いたりなんだりしたところで結局私の方がすごいと思ってたんだよ。馬鹿でしょ。でもさ、なんかみんなそのお姉さんの方を見るから。なんて言うんだろ、なんて言ったらいいか分かんないな、別に知り合いでも何でも無かったし、比べられるようなことなんて全然無かったんだけど、なんかそのお姉さんには何かがあるみたいな、そんな言い方をするんだよ皆。腹立つじゃん。小説家になりたいんだって、夢だって、なにがそんなに偉いんだって、吐き気がするほど不快だった」


「それで佐倉も書いたの?」


「書かないよ。どうせ皆すぐ飽きるって思ってたし、そんな下らない理由で書いたところで意味なんて無いと思ってたから。それで私も中学生になって、向こうは卒業して高校行って、しばらく忘れてたんだけど、噂が流れてきたんだよね。子供ができちゃったんだって。その相手も結構親とか真面目な感じだったらしくて揉めてさ、それで中退。小学生の頃から知ってる人は楽しそうに話してた。私は吐いたよ。冗談じゃなくてさ、それ聞いたの昼休みだったから、直前にお昼食べてたし。あ、ごめん汚い話して。でも何が夢だよって、気持ち悪くてしょうがなかったから」


「そっか」


「うん」


「佐倉は真面目だよね」


「そうかな」


「きっとね」


 佐倉の顔から血の気が引いていた。目の焦点も合ってない気がした。それでも声をかければきっと笑って話せるだろうけど、笑いたくないって私は思ったし、佐倉もそうだと思った。


 小説の続きを読む。金属に付いた血が誰のものなのかも主人公は知らないらしい。まずそれが誰の血なのか知らねばならないという衝動に駆られるが、全く手がかりが無い。これがミステリーなら何かしらヒントが見つかるのだろうけど、そういったことは無くて、主人公は衝動を誤魔化すためにその血を舐める。でも金属の味なのか血の味なのか分からない。それで泣いてしまう。何度も何度も舐める、金属に涙が垂れ落ちる。ついには血を全て舐め切ってしまい何も残らなくなった。


「その程度なら私にも書けると思ったんだよ。その程度のことなら。でも書けなかった」


 血の跡も無くなり唾液も乾いた金属を前に、主人公はどうしようもなくなって自分の血を垂らす、それを乾くのを待ってまた舐める。相変わらず金属か血か分からない味を確かめるのが妙に癖になって、気付けば習慣になる。それからしばらくして、不意に金属にこびりついた血の方がどこか美しく感じる。主人公は金属に血を垂らすのを止め今度は白い紙に血を垂らす。その美しさに憑りつかれる。垂らせば垂らすほど増す美しさに我を忘れ、次第に意識が薄れ始める。そこで自分はこのまま死ぬのかもしれないと思った時、主人公はそれならば最後に盛大に血をぶちまけたいと思う。それ以外のことは考えられなくなり、とりわけ大きな紙を用意すると、とにかく体のあちこちを切って血を紙に注ぎ続ける。切る場所によって跡の形が変わるのが面白い。染み渡る血が白い紙を侵食していき、その様を必死に凝視する。最後の最後まで。


「つまらなかったでしょ」


「さぁ、私は小説のことなんて分からないよ」


「つまらないよ。それ。伊藤さんのお姉さんは小説家になったんだからさ」

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